155 乱世
「おかしい……絶対にあるはずなんだ」
「坊ちゃん、それ何回目の台詞だい?」
颯汰が件の洗脳装置――に偽装した吸血鬼化を解く浄化装置を調べ尽くした後にも同じ言葉を吐いていた。
今は――、装置を渡してきた親友を名乗る不審人物から直接治療を受けたというヴィクトル皇子を先に、次はレライエの身体を診て同じ言葉を呟いていた。
あり得ない。
絶対何か仕込むはずだ。
何らかの、位置情報発信器であったり、爆弾を仕掛けたりしないはずがない。
用意して貰ったベッドにうつ伏せになってもらい、さらに白衣まで着ながら颯汰はやる気満々で精密検査を始めたのだが、彼の望む結果はここでも得られなかった。※白衣は気分的なもので診断の正確性が増すような効果は一切なかった。
疑心暗鬼の極みたる立花颯汰少年は本気で何かあると思い込んでいた。何が彼をそこまで歪ませたのかは仄暗い学校生活がきっと関わってはいるのだろうが、目を向けるべきは今この瞬間である。
「……いっそ中を開いて確かめた方が」
「そこまでにしなさい」
現在進行形で検査を受けてるレライエと、椅子に座って待機していたヴィクトル、本来は上階で他の吸血鬼化した人間が暴れたり逃げ出したりしないよう監視任務を請け負った吸血兵――潜水服のようなゴツイアーマーで全身を覆った生物兵器……も一緒にビクリと慄いたところ、氷麗の魔王が諭すように言う。
主が亡き今、吸血兵は紅蓮の魔王に従ってくれていたようだ。そんな重装歩兵も思わずドン引きする発言をした少年王は、医術の師のサイコな部分を引き継いだように、精神的に余裕がなくておかしな行動を取ろうとしていた。
子どもか猫を扱うように両脇に手を回されて引きはがされる。それでもまだ認めたくなくて「あり得ない……絶対にあるはずだって……」とブツブツ独り言をいっている立花颯汰。
機を窺っていた紅蓮の魔王がこのタイミングだと入っていく。
わざわざ同じ室内で、仕切りとしてパーティションを吸血兵たちに頼んで設置させ、白衣まで着てなんちゃってお医者さんごっこをやらせてみた訳であるが、潮時だと彼の魔王は思ったのだ。
「気は済んだか」
まだ納得がいっていない様子が顔を見ればわかる。心優しき光の勇者であり、焔火の化身たる紅蓮の魔王は、主君である“契約者”の思うがままにさせたい気持ちはあるが、彼の小耳に挟むべき内容を語らねばならなかった。
「さて少年、こんなものが来ていたぞ」
例によってメモ書きである。手紙と呼ぶには作りも文字も少し粗い。
怪訝な顔というか疑念いっぱいの顔をする颯汰であるが、紅蓮の魔王からそれを受け取り読みはじめる。
「えーっとなになに……『きっと俺のことを疑っているだろう。だからこの装置と同じものをバーレイに送る。そこでじっくり調べてくれたまえ。だいたい内乱が終わった頃に届くように調整しておくから、頑張ってくれ応援している。我が親愛なる友よ』………………内、乱?」
おかしなワードが含まれていた。
「何も私は少年の親友を信じたわけではない」
「親友じゃないぞ」
この少年、友人関係の話になると妙に頑になるなと思いつつ、今はそこの話を広げる時ではないと大人の対応をする。
「……。そのメモを通りになっている。ゆえに急いだのだ」
「……まさか、バーレイで内乱が?」
「そのようだ」
アンバードの王都・バーレイにて内乱が勃発――。
使い魔か何らかの方法で遠く離れた地の出来事を認知していたようだ。
「……規模は? 誰が首謀者?」
「調査中だ。おそらく三大貴族の内の誰かか、複数、あるいは全員が結託したかだな」
「……なるほど。確かに面倒な敵たちが出払っている今は好機に一瞬は思える。でも戦争やったばかりであちこちボロボロ、国力も充分に回復していない状態で内乱とか、普通に他国は今が好機と受け取るよね。そこのところを考えナシでやる?」
指導者が失脚し、政治的にも経済的にも混乱した状況だからこそ、内乱は起きてしまったのかもしれない。ただそういったタイミングは他国が介入する危険性が高いものだ。
狙っていた敵地で勝手に仲間同士で殺し合いが始まるのは僥倖と思うことだろう。内乱で疲弊したところ、一気に攻め入ればまさに漁夫の利というやつである。真っ向から戦争するより、少ない被害で勝利することが可能だ。
颯汰は内乱が起きたタイミングには驚いてはいるが、絶対にされないとは思ってはいなかった。彼は多くの者に認められてはいるものの当人を含め、颯汰がアンバードの王として納まるには否定的な意見の持ち主はいたのだ。現に颯汰はバーレイ在住時、国内外の刺客から日々狙われ続けていた。
いつかは大々的に反逆が起こる可能性があると考え、事前にその可能性の芽を潰すための準備を始めていたのだが、タイミングが思った以上に早かった。
特にアンバードは迅雷の魔王に支配され、本来の領地から離されたものや各騎士団の役割を無視した編成、凄まじいパワハラによるに士気の低迷――そして迅雷の魔王の最期には大勢を巻き込んで死傷者が急増し、建築物は燃えて倒壊し、野盗に身を落とすものたちも出るなど国内の混乱はかつてないものとなっていた。
正直、国としてはかなり死に体である。
戦争を再会する元気も兵力も、それどころか食糧すら危うい。仮に大貴族という地位のものが目先の欲ばかりを優先させるはずがないだろうとは思いたいところであるが……。
「臆病な権力者はだいたい目先の欲や脅威に対しては非常に俊敏に動くもの、……とも思えるが、此度はヴェルミもマルテも簡単に動けまいと判断したのだろう」
「そう?」
「ヴェルミ側はアンバードほどではないにしろ、戦争で疲弊してはいるし、彼方も国の頭がすげ変わったばかりだ。そこはフォン=ファルガンも同じ。……マルテ王国は王女が手元にいるから、簡単に手は出せる状況ではないと踏んだのだろう」
「実際、王女はこっちにいるけどマルテ側へ情報は伝わってないかもね……出国時にわりと念入りに偽装工作はしていたし、間者の類いは主に紅蓮の魔王が取っちめていたし。……だいたい、どこの世界に誘拐紛いなことをして連れてきたお姫様と、一緒に北の大陸まで渡り、非友好国である帝国へ不法入国する馬鹿どもがいると思うの」
「確かにな」
その原因ではないにしろ、連れていくことを止めなかった紅蓮の魔王に対し、颯汰もちょっとは思うところはあるので呆れたように溜息を吐く。
「……。でもマルテがおとなしくしているかな? むしろ攻め入る大義名分にならない? マルテの軍勢はちょくちょく国境越えしてたらしいし、この前とか砂の民を解放することまで要求しちゃった。“魔弾”による脅しも俺がいないと知って、抑止にならないでしょう」
アンバード――いや立花颯汰は獣刃族の砂の民の解放――彼らの『黒真珠』たる次期族長である“王”をマルテ王国の手から取り戻そうともしていた。
「その場合は結局、王女の名が盾となるだろう」
「うーん……。あいつら一回無視して突撃しようとしてきたしなぁ。なんというか見通しが甘いというか、危ない橋を渡っているというか」
そこで氷麗の魔王がスッと話に入ってくる。
「それだけあなたを恐れてるだけでしょ。有象無象の考えなんてどうせ読めないのだから、わかる情報だけ目を向けるべきよ」
そもそも内乱という行為自体が危ない橋を渡っている状況そのものである。彼らは幾つもあるリスクを承知の上で、最も脅威となる障害がいない状況こそが、此度の内乱起こすタイミングの最適解だと判断したのだろう。
「その通りだ。我らが王こそが最大の脅威と見定めたのだろう」
紅蓮の同意に対しデカめの舌打ちが響いた。
「つーか内乱とかどうしてそんな……言ってくれれば王位とか譲ってあげたのに」
突然のトンデモ発言にヴィクトルと吸血兵は驚いて固まり、レライエは苦笑いを浮かべている。
だがこれは颯汰の本心である。颯汰は元の世界に戻りさえできれば手段は問わない。
付け加える条件として、
――その代わり、元の世界に戻る方法を探すのに国家権力を全力で貸してもらう。国の命令で異世界から帰還する方法が書かれた書物を探し集め、もしくは俺を召喚した“魔王”の居場所を探る、とかね
この主人公、見た目こそ年齢二桁いくかどうかのお子さま状態であるのだが、こういった少し腹黒いことを普通に考えていた。
王として国を統治するのは非常に面倒くさいが、その権力の庇護下に身を置くのは最高であることに、立花颯汰は気づいてしまったのだ。関連する書物を貿易などで取り寄せるのにも、足を使って情報を仕入れるにも、権力を使えば普通に探すよりも人員が導入でき遥かに効率がよくなる。自分を煙たがっている権力者であれば、真偽を問わず様々な情報を探して持ってきてくれるかもしれない。
――別に俺が王である必要はないんだ。ぶっちゃけ、超めんどいし。だから別の王候補を探していたのだが……。まさか思ったより早く内乱が起こるとは……
それこそ、獣刃族の砂の民の黒真珠をテキトーに王に据えて自分は影に隠れるつもりであったのだ。見た目こそ人族の者が即位することに、反感を覚えるものがいることはわかっていた。
「あまり滅多な事をいうものではないぞ我が王よ。……ここからが本題というべきか、まず間違いなく人質が取られているだろう」
首都にいる義姉やメイド衆、エルフの面々などは颯汰たちに対する保険のつもりで捕らえられることになるだろう。
目の前で取られた場合であれば即座に行動とれるが、遠方で人数が多いとなるとそうもいかない。
「人質を取られた時点で死んでるも同然」といって攻撃することは短絡的ではあるが、最も被害が少なく済む手段かもしれない。だが今回に限り、颯汰にはさらに楽で被害がない選択肢があった。
[……人質たちと俺たちを国外追放の代わりに、命を保障してくれるってならいいんだケド」
邪魔をしないから逃がせというものだ。
「そんなアッサリ……?」
ヴィクトルが絞り出すように呟く。颯汰は最高権力者という地位を放棄することに何ら躊躇いがない。というかその地位に収まってるつもりもなかった。
「穏便に済むならそれでいいかなって」
アンバード領内の状況が不明瞭であるが、人質が複数個所――同じ建物どころか違う地方や城塞都市で幽閉されていた場合は、攻め入ることはもちろん、こっそり潜入して無傷で人質を解放させるのも難しい。仮に一ヵ所で人質の解放に成功したとしても、その話はすぐに他方に広まり、警備は堅くなるし、逆上して人質に何かしらの被害が生じる可能性がある。
それにアンバードから去ったあとのあてが無いわけではなかった。
「ヴェルミならば保護してくれはするだろう。もっとも、国王陛下としては我が主の安否を気遣いすぐに出兵させるやもしれん」
颯汰たちはヴェルミのクラィディム新王と繋がりがある。やろうと思えばそこから再起して逆襲も可能であるが、そこまではしたくない。
「出兵と言えば、王都バーレイ内でも我が主を支持して反抗する者たちが出てくるはずだ。しかし騎士団の中で都に居を構える一族たちは、自分の意思とは無関係に脅され、敵に回る可能性が高い。地方を治める者たちも果たしてどちらにつくか」
「……時間が経つと激化する?」
「血が流れるのは避けられんな。その量はこれからの行動次第か」
「でもまだ吸血鬼化が、それに本当に完全に人間の姿をキープするかどうか……」
「三十七日」
「え?」
「装置をフル稼働し、休憩を挟まずぶっ続けで全員を処理し終えるまでにかかる日数だ。ヒトによって時間は前後するし、軽度の者たちは掛かる時間はだいぶ短いが、それでも人数からかかる時間は膨大だ」
「……あの親子は、早かったじゃないですか」
今も下の階層でアスタルテたちと遊ばせている、ふたりの娘とその母親のことを指している。
「彼女たちは深度は低い。……姫たちの遊び相手となるだろうと同年代の少女を選んだのだ。装置にかけるために連れていこうとしたとき、襲ってきてその様子から親子だろうと思い、ついでにそのまま無力化させて連れていき、装置にかけたところ正解だったわけだ」
「……」
彼なりにアスタルテやヒルデブルクたちを気遣っての行動だったようだ。この場にいる吸血兵たちを含めて意識のある全員がちょっと引いているが、気にせず紅蓮の魔王は続けて言う。
「深度が相当なものは半日以上がかかる。また他者に吸血鬼化を広める個体はさらに日時を要する。いつまでも見張っているわけにも、その度に検査するわけにもいかん」
「……そう、ですか」
「急ではあるが、すぐに発つべきだ」
「なるほど。だから先んじて装置を勝手に使い始めた、と」
颯汰と合流し安全確認をしていたら、もっと遅れていたのは明白である。
「順序を追って説明しないまま突然帰国するといって納得しないであろう?」
「今だって納得できてないよ……」
どちらを選ぶにしても人命が関わっている。
決断が迫られる場面である。
「何だか、すべてがコイツの手のひらなのが非常に癪だが、戻るしかないよね……」
だが、颯汰の心は決まっていた。再び渡されたメモを視線を一瞬移したあと、額に手を押し当てて溜息が漏れ出る。
人質がいる限り、内乱を鎮圧することは容易ではない。人命が関わる交渉の場につくのに、代理人の候補もいなければ、仮に紅蓮の魔王だけに任せるときっとロクな事にならない。
自らを王とは認めないと言いつつも、彼はその地位に縛られ、自国へと戻る決意を固めた――。




