153 暇潰し
暗がりの中――サイケデリックな光と音の乱舞が煌めく空間を、クルシュトガルの今この時代に生きている人間が知るはずもなかった。
クラブハウスとも違う、独特な熱を持つここはアミューズメント施設――所謂ゲームセンターである。
不良のたまり場は過去のイメージに等しく、老若男女問わずに遊べるゲーム筐体も増えてきているが、新型コロナウィルス感染症の蔓延により発令された緊急事態宣言による外出自粛の呼びかけなどによって客足が遠のき、それが今も響いていて、現在は経営が苦しい状況らしい。
おそらく、この施設はどの現存するゲームセンターよりも寂れ、経営が破綻して久しいのだが――電気が生きていて、音と光が再生されていた。
音がする方向、ネオン管から降りてくる光を道標に進む。その途中で颯汰の表情が歪んだ。
「なんだありゃ……ネコ、か?」
「何かの文字?」
成人男性ふたりが見たことのないモノに反応を示す。
キャラクターのポップアップスタンドとも呼ばれるパネルは、颯汰も知らないキャラクターであった。でかい猫――人間大の猫が後ろ脚で立ちながら人間にように指をさして示す。人間リアル頭身ではなく、頭が少し大きい茶色のトラ猫の着ぐるみみたいなやつの、吹き出し部分に文字が書かれている。吹き出し部分はホワイトボードとなっていて自由に文字が書けるようになっていた。
ヴィクトルとレライエが解読できない文字らしきものにはこう書かれていた。
「『ようこそ!
我が親愛なる友、立花颯汰!
みんなで楽しんでいってね!』
……と書かれているわ」
「やっぱトモダチなんじゃないか」
レライエの言葉に颯汰は反応しない。
「今まで見た事ない顔してる」
「どうして貴女はちょっと喜んでるんだい」
颯汰が発狂しそうになっている正反対に、三人はだいぶ余裕がある。
「なんなんだ……? コイツは、ここに来ることまで予期していたというのか……!?」
恐怖と苛立ちが両立していた。
正体不明であるが、確実にこちらを知って干渉してきている。
ある程度以上、知った相手ならば行動の予測はできるものである。対人恐怖から人間観察をして過ごしてきた仄暗い人生を歩んできた男はそのことをわかっている。だがそれをいざやられる立場になると非常に不愉快で不気味に思うものだ。
初対面どころか顔も知らぬ相手を信じることに強い抵抗がある颯汰にとって、警戒感を出すには充分過ぎる相手だ。
キャラスタンドごと破壊したい気持ちが湧いたが、可愛い茶トラのネコちゃんであるから何とか怒りを抑える。氷麗の魔王の手から離れてスタスタと歩いて、カラフルな水性インクで書かれた文字を左手で消していく。丁寧ではなく、ただ一撃ですべて掻っ攫うように拭い取った。本来ならば書き込めても上から透明なカバーがされて客が勝手に消したりすることをできなくさせるようになっているが、そういった仕掛けもなかったのであっさり颯汰の小さな手で文字たちは消されていった。
「……音はあっちからするみたいよ」
女魔王が肩を上下させている少年に後ろから声をかける。すると少年は彼女の方を見た後、指し示す左方向へと視線を移した。
確かに音がする。
短い音が頻りになっている。
そして何かが滑るのを示唆しているような自然界では聞くことがないであろう音。
短い音が、何度も鳴る。
カンッ、カンッ、何かを弾いた音だろうか。
慎重に足を進める。
得体の知れないこと続きで、颯汰は警戒して進む。向かい合っている――電源が入っていないアーケードゲーム筐体群を超え、錆びたプライズゲームを曲がった先に、それらはいた。
白熱する闘争心が空間を支配していた。
互いに鋭い視線を交わし、激突する。
閃光が駆け抜ける――。
円形で丸い取っ手が付いた道具で弾かれた円盤が、純白のフィールドを滑り出していく。凄まじい速度で敵陣目掛けて飛ぶ円盤が、さらに同じ道具にて弾かれて返って来る。
四方八方に飛び交う円盤の舞踏――。
四角形の台の上、時折壁を反射して進み、敵陣を高速で攻め込む。迫る円盤を防ぐために打撃道具で弾き返す攻防が続く。
高まる緊張感と荒い息遣い、それぞれがいつの間にか額に汗が滲む。
「今だ!」
激突の応酬の末、叫びと共に、放たれる一撃。
円盤が敵陣に突き刺さり、訪れた一瞬の静寂――。
そして電子音と共に、フィールド上部のカウントされた数字が変わった。
だが、未だ決着がついていない。自陣に叩きこまれて落下した円盤を排出口から取り出し、少女は再び戦場に置く。
円盤はホバーで少し浮くため、その場で制止し続けることなく、じわりと動き出す。
少女は打撃道具でそれを叩くと、円盤は勢いよく弾かれた、金属のような音を立て、加速していく。
これは――弾かれた円盤は打撃を受け、直線の軌道を描くが、壁に当たり反射するのと、さらに意思が介入するため、読み合いまである奥深さを有する競技。
激しい攻防、目まぐるしく状況が変化する戦場は一瞬、一手で敗北へと導かれる。
乱打、乱戦の末、決着がついたようだ。
「あっ! 惜っし~い!」
四角いフィールドの各辺に一人ずつ立ち、自陣のゴールを守りながら、相手のゴールに円盤をシュートする超エキサイティングなゲーム。
「え、エアホッケー……!?」
見知った機械の名を颯汰が呟く。
ゲームセンターはここでしか遊べない体験ができるのがウリである。実際に身体を動かして遊べるこのようなゲームもその体験を与えてくれる。
通常は縦に長い四角形で一対一で遊ぶものではなく、四人で遊ぶ大型のタイプであった。
「あ、パパ! ……あっ、プイっ」
アスタルテの声。愛くるしい表情で迎えたが直後に、さっき颯汰に対して泣いて怒ったことを思い出して顔を反けた。颯汰のメンタルが死ぬ。
口から零れだす血を呑み込みながら、颯汰はやぁ、と手を挙げた。
「ヒルベルト、着いたのね」
アスタルテやリズの代わりに怒って説教したからか、ヒルデブルク王女は既に気持ちの切り替えができていた。エアホッケーを遊ぶための道具であるマレットを片手に持って偽弟に笑んだ。
今回のゲームの勝者たるリズも颯汰に気づいて振り返る。その手にマレットが二つ。四人で遊べるゲームで三人しか立っていない。
「なに? ハンデマッチ的なやつ?」
リズが一人で二辺を守り、対戦していた。要するにニ対一での試合だ。
「神父さまが『訓練になる』って」
「なるのかなぁ? それに戦ったばかりだし、あんまり運動で無茶しない方が……」
紅蓮の魔王がそう言っていたというヒルデブルクの言葉に颯汰は首を傾げた。四角形の二辺までをすぐに移動することのより、反射神経と往復による持久力向上を図る……のだろうか。
「貴方の方が無茶しているでしょ」、あるいは「お前が言うな」という訴えが込められたジッとした視線を受け、颯汰は目をそらす。
そんなエアホッケー、リズの相手となっていた二人はヒルデブルク王女と――、
「えっと、……どちら様?」
知らない顔だ。見た目年齢はリズより低いくらいだろうか。中高生くらいの少女がペコリと頭を下げる。
「吸血鬼化? していた人みたいですわ」
「そっちはこの子のおかあさん」
アスタルテの紹介を受け、もう一人の人物が筐体横の椅子に座っているのを気づく。そちらの方は颯汰は覚えがあった。今朝がた絶賛命の獲り合いをしていた相手の一人だ。
「あ、あぁ、そう、ですかー。はじめまして?」
颯汰が気まずさを感じながら、少女の母親小さく首を横に振った。
「!? 記憶が、残って、らっしゃる?」
母親は静かに、颯汰と同じような気まずい顔をして首を縦に振った。
「あ、えっ、と……その節は、どうも? ――いや違う、そうじゃない。吸血鬼化を治したあとの人たちってことなのか!?」
襲ってきた敵兵の一人だった女がいたことに驚いてスルーしかけていたが、もっとも注目すべき点はそこであった。
「成功したようね」
「……マジで? 本当に?」
この期に及んで信用していない男は、ツカツカと歩を進め始め、比較的一番近くにいる母親の前に立った。急に接近してくる少年の圧もあって座りながら退いていた母親に、颯汰は手を伸ばしたところ――、
「「「――!!」」」
一斉攻撃を受けた。
「あ痛ッ!」
右肩を掴まれ、伸ばした左手を掴まれ、頭部へ手刀が飛んでくる。ポコンと叩かれて仰け反っている颯汰に声が掛かる。
「何をしているの」
左手首を掴んだ氷麗の魔王の視線と掴まれた腕が冷たい。凍って砕けて死ぬ。
「パーパ……?」
背丈はこの中でも随一で精神年齢は颯汰よりは高い幼い少女メンタルの持ち主が肩を掴みつつ、慣れぬ感情に、目尻に涙が浮かばせていた。謎の罪悪感で死ぬ。
「ヒルベルトあなた、……相手は人妻よ?」
呆れて溜息を吐くヒルデブルク王女。
おそらく彼女たちは大きな誤解をしている――そう感じた颯汰が弁明の言葉を口にしようとしていた。
「――……!」
手刀はかなり優しい一撃であった。ヒルデブルクかと思いきやリズであった。頬を膨らませいる。星剣を抜いたサイコな行動を取ってないのは温情であろう。ちなみに娘の方を先に手を伸ばしていたら抜刀からの惨劇が起きていたであろう。
「坊ちゃん手が早いな」
「若さって羨ましい」
おっさんふたりが何か言っている。
「違うわい! 怪しいから検査をだな……」
「そういってお触りか、坊ちゃん」
「若さって羨ましい」
「はっ倒すぞおっさんども」
おそらく彼らは気づいてやっているから性質が悪い。
「パパ。うわきは、めっ!」
「うん。頼むから話を聞いてくれな。本当に吸血鬼化が止まったのか、気になっただけだから!」
事情を説明し、颯汰は左手を使い彼女たちの検査を始めた。検査とはいっても颯汰が左腕の瘴気を使う簡易的なチェックであり、一緒に行った氷麗の魔王が操る魔法による検査よりも性能は高くない。結果はすぐに出た。
「異常はなかったわ」
「俺も、見つからなかった。……本当に? いやしかし……」
身体に直接触れることはしなかった(できなかった)が、正常なヒトに戻っているようにしか見えない。
――……怖いのは、もし見逃していたら、だ。もし、外的要因無しで再発症でもしたら最悪だ。しかし経過観察する期間も要る、人数も膨大となるだろう
時間経過で再度吸血鬼化する可能性がゼロじゃない。この研究について知らないことだらけだ。
「氷麗さんは、治ったあとの吸血鬼が再発症するかどうか、知ってます?」
颯汰の問いに女魔王は首を横に振る。
「いいえ。そもそも戻す方法があるなんてことに驚いているわ」
他の人格の記憶情報を漁っても、見つからなかったらしい。
「……そう、ですか」
颯汰の脳内で複数の選択肢が浮かぶ。
その中には、「この地に残って観察を続けるべきではないのだろうか」というものもあった。
彼女たちを放っておけない。
いつ勝手に起動するかどうかもわからない爆弾を遠隔地に置いておくようなものだ。
常に不安が付きまとい、もし再発症でもされたら後悔し続けるのは間違いない。
――……いっそのこと全員を
最低最悪の選択肢まで頭に過るが、最後の一線を超える前に頭を振って霧散させる。
あり得ない、選んではいけないもの。
「……ところで、みんなは」
「神父さまが治療に時間がかかるから、私たちはここで待ってくださいと仰ったの」
正直なところ、吸血鬼化させられたヒトたちと一緒に行動はしてほしくない部分はあった。
単に、その治す技術を提供したものが信用に値しないからだ。
――素人が身体を診ても、装置を調べても絶対に安全かどうかわからないだろうが、調べなきゃやっぱり安心ができない
颯汰が天井を見上げた。
目的地の階は上にある。
「……まだ少し待ってくれ。ちょっと王さ――……神父の様子も観てくるから」
一旦この場を離れようとしたときだ。
「――来たか」
男の声がする。
その方向に長身の男が立っていた。
紅蓮の魔王が胡散臭い神父の格好で現れる。
その傍らにもう一人、見知らぬ女の子がいた。
「これでこの家族の吸血鬼化は解けた。……しばらくここで時間を潰してくれ」
そう言って少女の背を軽く押す。
おずおずとしていた少女に、姉と母親が駆け寄り、再会を祝うように抱き合った。
詳しい経緯を知らなくても、心が動く瞬間だ。
自然と涙を誘う。
そんな家族に向けて、左手をかざして近づこうとする颯汰に、再び一斉攻撃が入った。
その後、紅蓮の魔王に導かれるまま颯汰たちは上階へと進み始めた。女子供たちを置いておくことに思うところはあったが、彼女たちには残ってもらうことにした。
別の施設や事務所のようなものがあったがそこもスルーして上へと進む。さらに階を経て、目的の三〇二号室がある階層に辿り着く。
壊れた扉の先に蠢く順番待ちの元人間たちの姿。アスタルテたちをゲーセンで遊ばせた紅蓮の魔王の判断は正しかったことを証明していた。




