152 かつての繁華街
本来であれば絶対安静が必要な重症患者が三人――まともな医師であれば国家権力に頼ってでもベッドに紐で縛ってでも寝かせるべき男たちが、
「痛ぇ……」
「頭が、ぐらぐらする……」
「はきそう」
激しく揺れ動くエレベーターのせいでグロッキー状態となっていた。
「だから言ったじゃない」
一人悠々と扉から、はみ出ながら横たわる男たちを超え、氷麗の魔王が冷たく言った。
「もうちょっと早く言ってもらえませんかね……!」
颯汰は危機を察知して手すりに掴まったまでは良かったが、するりと抜けて仲良くシェイクされてしまった。まさか上昇下降だけではなく、横方向――構造にあわせて若干弧を描くように滑らかに超スピードでカーブしていたのも酔いが回った原因だろう。
酒場の店前で酔いつぶれた迷惑な客の如き大人ふたりのうえに、乗っかるように倒れていた颯汰が、ふたりに配慮して横方向ローリングから自力で立ち上がってみせた。
「……にしても、暗いなぁ」
見上げる景色は相変わらず暗い。
住む人間がいなくなった区画――その廃墟はまさに死んだ街と形容してなんら問題がなさそうであった。窓は割れて久しく、埃は溜まり、菌もきっと繁殖している。建造物はヒトの手から離れるとすぐに自然の猛威に曝される。屋内であろうと関係ない。水はどこからともなく浸入し、腐蝕を助けるのである。そうして釘やネジなどの金属が外れ、建造物は連鎖的に崩壊が始まる――今は見えないがそういって物理的に潰れた建物もあるのだろう。
――なんか、出そうな雰囲気ある……
完全に倒壊した瓦礫の山であれば、なんとなく幽霊的な存在も出てこないイメージが颯汰の中にある。建物が残っているからこそ、霊的な存在は居着くのだろうと。精霊の類いやら、もっと恐ろしい怪物を相手取ってはいたが、そう簡単に苦手意識を取り払う事はできない。
神妙な顔をしていた颯汰がビクリとする。意識の外からの攻撃がきたかに思えたところで、女魔王は颯汰の左手を取り、驚いた颯汰に言う。
「すこし歩くけど、歩けそう? 運ぶ?」
「運ぶって、どういった方法で?」
「……おんぶorだっこ?」
「羞恥心でデッドorダイなんだが!?」
そう叫ぶ颯汰は徒歩を選択するが、掴まれた手が離されない。振り払おうと動かすが、がっちり捕まれている。たすけて。
「ひ~と~り~で、あ~る~け~る~か~ら~!」
ぶらんぶらんと左腕を大きく動かすが無駄である。捕食された無力な獲物は逃れる術を持たなかった。
「照れなくていいのに」
「照れくさいわ!! やめてもらえるかな!?」
見た目こそ十代になるかどうかぐらいの省エネ形態の颯汰と美人すぎる女子高生。そこだけ切り取ると微笑ましい図になるが当人は必死だ。
しかしこの必死の訴えも却下され、お姉さんに手を引かれる形となる。
「っ、歩ける、歩けるから」
歩幅やら速度も、急いでるなりに颯汰に合わせるようにしてくれているが、根本的な願いの方は拒否し、己の欲望を優先させる。それでこそ転生者と言えよう。
颯汰からしては記憶に無い人物であり、彼女が何か勘違いしているのではと思っているが、これで本当に勘違いだった場合どうなるかが読めなくて恐ろしいというのもある。照れ隠死で処刑される可能性がゼロではない。また仲間たちに見られたら普通に恥ずかしいし確実に面倒な事になる。どうすることもできない問題に苦悩している中、後方から声がする。
「待て、置いていくな」
「きっつぅ~……おじさんのことも運んでくれよ~」
なんとか起き上がった重症者たち。下手に深酒したときよりも悪い気分で、立ち上がっても数歩ほど歩けるだろうかすら怪しく感じていた。
そこへ氷麗の魔王は一切表情を変えず、吐き捨てるように告げる。
「そのまま死んで」
「マジでキツイな……。言葉に一切の淀みがねえ」
それ以上余計な言葉を発した途端、本当に氷柱が胴体を貫いてしまう。言葉の刃に肝が冷えたところで、男たちは立ち上がる。
レライエは心底キツそうで足がよろける。その反面、ヴィクトルはわりと回復していた様子だ。同じ種族で年齢的に差はないはずなのだが、自分自身が老け込んだのかもしれないと思い、両手のひらで自身の頬を叩き気合を入れながらどうにか歩き出す。三歩で建物に寄りかかってしまい、結局少しだけ休憩を要した。
休憩が終わり出立する。氷麗の魔王は再度、精製した十字の星を頼りに進む。
照らされた目的地――かつて人が住んでいたらしい区画が、薄っすらと見えてくる。
近未来の都市であったはずなのに埃に塗れて黒ずんでいる。そのせいで金属とコンクリの重厚感のある街並みがさらに重い雰囲気を醸し出していた。
昼の光さえあれば、地上と見紛う未来都市でも、人の手が入らず久しければ忽ちゴーストタウンと化してしまう。歩きながら、物寂し気な街を改めて眺めていたときであった。
「――……ッ!?」
突如として、颯汰の視界にノイズが奔る。
苦悶の表情を浮かべる少年に、女魔王が気づいて声をかけるが、どんどん声が遠退く。
闇に沈んだ景色が一変した。
闇の中、世界が光に満ちたのだ。
ビルに鉄橋、大型スクリーンに映し出される広告映像と電光の看板、彩るネオンの光。企業ロゴやら店名がビル自体にホログラムの立体映像として浮かび、夜の闇で栄える。アジア系の繁華街を思わせる印象だ。英字も漢字も日本語らしきものも混じっている。
空には星の瞬き――天井に映像が流れている。
自動車も走っているが、どことなく時代が先に進んでいるように思えた。流線型でフロントガラスが天板まで伸びていたり、ホイールまでLEDで輝いている。
信号もホログラムで浮かび、変更までの時間をタイムカウント表示がされていた。
横断歩道にまでホログラムが施され、進入禁止であると赤い警告とバツ印が表示される。歩行者目線だと、道路に塗装された縞模様に青信号と同色の光の枠で囲われたり、赤になるまでの時間がホログラムで表示されたりしていた。
煌びやかな世界に映るがこれが現実ではないという証拠も一緒に流れる。不気味なほどに人気がない。
夜の街を輝かせる光の数々は、ヒトが生活するというよりも、ヒトが生活を潤すためにある。だというのに誰一人見当たらない。車も無人であるし、自動運転機能があったとしても搭乗者すらいない。まるで忽然とヒトだけが世界から消えたような情景。街並みに驚いて感心したあとにその不気味さに気づいた颯汰の瞳に、再びノイズが奔った。
すると元の景色が目に移り始める。
戻ったが、ここは確かに先ほどまで繁華街であったという認識がある。
黒い枠のまま動かなくなっているが間違いなく電光掲示板の慣れの果てが、朽ちて斜めに落ちてるのが見える。陸橋に道路、交通網に至っては地上の技術を勝っていたことというのに、既にその形は失われている。
「……なんだったんだ?」
「それはこっちの台詞。どうしたの」
「あ、いや……、なんか、幻覚見えた。この街の、昔の景色……だったのかな……。すげえ都会というか、未来の街って感じだった」
「……」
「ちょっと左腕、いいです? 確認を取りたい」
さすがに心配になったのか氷麗の魔王ががっしり掴んでいた手を離す。
颯汰は自身の左腕に声をかけた。
ぼんやりと浮かび出す黒の瘴気。
従来の――ヴラド皇帝との決戦前と比較すると明らかに粒子群、靄の量が少なくなっていた。
普段であれば生物の両顎の形状まで模っていたが、今はそれすらしないで出力を抑えている。
「さっきの映像はなんだ」
『推測:過去の記録データ――。
エラーを検知――。
詳細の情報は不明――。
内部情報に破損あり――。』
「……どうして再生した?」
『不明――。』
「不明て。……まぁいい、右腕の方、頼んだぞ」
悪意ではないとは思うが、どういった意図かはわからなかった。
――……一体、誰の記憶だろう。“獣”? ……それとも別の誰か?
内にいる“獣”の内部メモリーから記憶情報が勝手に再生されたようだ。
感覚的に嘘であるという疑いはない、本当に謎なのだろう。だがその答えを紐解く術に、颯汰は覚えがあった。
「……向き合うしか、ないか」
「向き合う?」
突然の一言に氷麗の魔王が聞き返す。
「アンタ……ううん、氷麗さんたちに、デカい口利いたぐらいだし、自分も向き合わなきゃなって」
自分自身、目を逸らしている部分があった。
彼女たちに説教じみた台詞を浴びせながらも、どの口が言っているのだろうという自己嫌悪のような感情も芽生えていたほどだ。
今すぐは無理でも、アンバードに戻ったあと落ち着いたらタイミングを計って己の内側へと対話しに精神世界へ赴くことを誓った。
普通の人間であればヴィクトルやレライエのように疑問符を浮かべたり首を傾げたりするところであるが、氷麗の魔王は特に追及しないでいた。その表情からだと理解している……のかいないのか正直判別つかない。
「……そ。ところでもう大丈夫なの?」
「もう大丈夫……ってかナチュラルに俺の手を引かなくていい。迷子になるわけでもあるまいし」
「なってたわ」
「なってたじゃん」
「いやアレは違うだろうがい、状況がよォ」
性癖倒錯双子の姉妹――あまり思い出したくないし、下手すればニヴァリス帝国領内でもっとも恐怖を感じた瞬間だったかもしれない。……振り返るとろくな思い出がないし、なんなら怖い思いばかりしている気がしてきた颯汰。
「まぁウチの首都、広いですから……」
「……(言ってやりたいが傷つくんだろうな)」
純粋に迷子になったと思い込んでいるヴィクトル。
妹たちの性癖とその所業について知らないであろうし、それに巻き込まれて羞恥心と通常とは別種の恐怖で死ぬ思いをしたことなど無闇に話したくもない、と颯汰は考えた。
結局、観念して手を引かれたまま歩いていく。ひんやりした手から、いつ殺意が向けられるかというドキドキを感じているが、これが吊り橋効果をもたらすかといえば、立花颯汰であるから怪しいところだ。
闇を進んでいく中、目的地の前に明かりが見え始めた。
割れた窓ガラス、不気味な墓標となった複合施設付きの高層マンション前――。
そこだけは異様な光景で目立っていた。
光がある。
それは炎が生み出した光――。
入口の手前、わらわらと人だかりがあった。
「なんだありゃ」
「……」
「ドラム缶の焚き火……妙に集まってるわね」
「あれ全員、吸血鬼化された被害者たちか!?」
ビルの前、大きな道路に三つほど置かれたドラム缶の中で皓々と炎が燃えている。
それを囲うように、おそらく百は満たないが多勢の人間がいた。男女、幼い子までいるが、老人はいなかった。
「こっちに気づいた。……なんだかすげえ威嚇してくるけど、こっちには来ないな」
「一応、私の固有能力で抑えているから、よほど理性が溶け切ってなければ大丈夫よ。それにもし襲われても一瞬で対処できるし、見せしめに何人か殺せば――……いや、この子たちに通用しないかも。擦り潰して制圧する方が早いかも」
「こわー……」
どっちが味方かわからない発言だ。
できればその手をすぐに離して距離を取って頂きたいと思っている颯汰。そんな少年に向かって、一人の男が声をかけて跪く。
「マオウ、サマ……!」
「……ん?」
声の主をチラっと見た後、左手を掴む女の顔を見るが、女は横に首を振る。自分のことだと颯汰は気づいたが一々否定するのも面倒になって半ば受け入れ始めていた。
「喋れるだけ理性が残っている個体ね」
「そのようだな」
「紅イアクマ、ココカラ、出タラ、殺ス言ッタ。仲間、連レテカレタ! コノ線、超エタラ、燃ヤサレル!」
カタコトで少し喋りにくそうに語る青年。よく見ると、見覚えのある顔で少し面を食らっていた颯汰であるが、あえてそこに感情を留めず対話に応じる姿勢を取った。
「……あぁ、そういう事。オーケー理解。あのレッドデーモンおじさん、一応、あなたたちを治すためって理由での行いなんだけど……」
「ハイ、デモ、アイツ、コワイ! ナカマニ、ワカラナイヒト、イル、デモ、コワイカラ、大人シク、シテル」
吸血鬼化した人間も、その投薬された薬剤の量や元から備わっていた適性によって、状態が変わる。このように対話ができるほどの者もいれば、もはや野生動物となんら変わりない者もいた。そんな元人間も氷麗の魔王の能力+紅蓮の魔王による脅しによってどうにか借りてきた猫のように大人しくなっているが、いつまで保つかわからない。
「おっけー。悪いけどちょっと待ってくれるかな」
これ以上彼らの前にいて刺激するのもまずいし、普通のふりして会話を続ける自信がまるでなかった颯汰は、指定された目的地である建物へと進んでいく。
「行きましょう。あのクズを締め上げに」
「目的が変わってる! ……でも、こんなところにアスタルテと姉さ……ヒルデブルク王女を連れてきたことに、文句がある。目を離すよりマシかと思ったが、これは看過できない」
後ろから突き刺さる敵意や畏怖の視線を振り切り、施設に入っていく。
彼女たちも、おそらく彼に気づいたことだろう。ゆえに、少し怒りが湧いた。
紅蓮の魔王の行いは最善であるし、元を辿れば悪いのはヴラド帝である、さらに遭遇はある意味で事故とも言える……だが感情がカッと熱を帯び始める。
速度をあげたコンビに、大人たちは極めて冷静に黙ってついていって中に入った。
複合施設付きの高層マンションの商業施設だった場所は物が消えていてがらんどうに感じた。
長らく放置されていて埃が溜まった棚。
商品の類いは一切なくなっている。
颯汰の目に再びノイズが奔り、商業施設が正常に稼働していた頃の情景を目の当たりにする。
先ほどよりも短い、ほんの一瞬だけであった。
――なんだ、ホラー演出のつもりか。……いや、ただ思い出に浸っている、のか……?
若干、苛立ちを覚えた直後であったが考えを改める。悪意や攻撃の意思はない、と不思議にそう思えた。意図が読めないと理解できない類いの幻覚なのだが、何かを訴えかけている、あるいはただ記憶を再生しただけかもしれない。
誰の記憶かも、後で心の内に潜って解き明かせる。足を進めることを優先した。
知らない施設とはいえ、残った物がなく惹かれる要素がないためか成人男性ふたりは寄り道もせずついてきてくれた。
動いていないエスカレーターは強度が不安であったため別の階段を進む。
三階を経て、次の階層に進もうとしたところで決定的な違いがあった。
「明かり……? ここだけ電気系統が生きてるのか……?」
「ん、音がするな」
「声もだ。誰かいるようだぞ」
アミューズメント施設らしき階層。
ネオンに光るアーチ状の看板。
入口から先が暗めの内装であるから、一瞬気づきづらかったが、確かに音もしている。
本来であれば各ゲーム筐体から流れる大音量が響くはずだが、耳をすませば聞こえる程度だ。動いてる機種が少ない――いや、この場において一つも存在しないはずであった。
「目的地はまだ上のはずですよね?」
「えぇ」
「……一応、確かめても?」
不審に思い、女魔王に訊ねたところ、彼女も気になったらしく肯いてくれた。
筐体の画面から照らされる光はないが、天井からほんのりとした明かりが導くように吊るされている。
颯汰たちは少し警戒しながら進んでいく。
画面のついていない向かい合った筐体の列を超え、劣化したプラスチックの奥に景品が何もないクレーンゲーム筐体群を曲がった先――。
そこには思いもよらないものが待っていた。




