151 疑念
すっかり夜となり、街灯など照明がそこかしこで灯り始める。未だ蝋燭の火に頼る国がある中、ニヴァリス帝国は技術先進国であったと言えよう。
ただ仄暗く、真昼には遠く及ばない。
それでも普段は煙霧に包まれた街であったから、慣れていた帝都民にとってはくっきりとした視界に思え、新鮮に感じていたようだ。
商人たちは商売に励み始める。
なかなか人間の心は、そう簡単にスイッチのように切り替えができるものではないが、生活が掛かっていることを思えば、いつまでも沈んでいられない。
カラ元気であっても、年に一度の繁盛期を逃すわけにはいかないのだ。
建国記念たる祭りの日。あえて威勢が良さそうに、声を張って笑顔で商売を始める。こっちまで暗ければ客も商品を買ってくれないというのもあったが、せっかくの年に一度の一大イベントの日に、暗いまま過ごしたくないというのもあったのかもしれない。
その一方で、暗闇の中に歩むものたちがいた。
現在、地下の最下層にまで送られた『神の宝玉』が正常に稼働し、帝都全域にエネルギーを増幅・供給を始め、連なる領内の土地でも暖房器具が再稼働していた。
しかしながらここに光は存在しない。
颯汰たちは隠し通路を使っていた。
「隠し通路、多くない?」
「ガラッシアは元からあった施設の上に建設した都市。安全上の都合で壁を作って閉鎖した通路とかあったりするの。地下で生活してる人か施設の利用者、あるいは脱走者が後年、ひっそりと開通させたりしていたみたい」
颯汰のボヤキに、氷麗の魔王は冷めたような口調に聞こえがちだが、きちんと返す。一見するとまさに氷でできた美少女なのだが、その内に潜めるものが彼の前だと表層に出がちだ。
そこに気づける当人であったが、気づかぬふりをして心配面にフォーカスして話す。
「……そんなとこ通って大丈夫じゃなくない?」
「一応、先んじて使い魔を放って調査したけど今は大丈夫。――……それはそれとして、ヴィクトル。今年中に各地の補強工事はしておきなさい」
「心得た!」
「不安が増したんですケド!?」
泣き言を口にしても、歩みを止めない。仮に止めても、颯汰は首根っこを掴まれて連れていかれる気がしていた。
カツカツと金属の通路を進んでいく。
わりと狭く、天井も低いうえにここは明かりというものがない。
複雑に入り組んでいて、先に歩く氷麗の魔王がいなければ忽ち迷子となり、最悪の場合は日を拝むことなく朽ちてしまうだろう。
損傷した右腕の修復に力を注いでいる今の颯汰の目では一寸先すら見通せないほどの闇。
氷麗の魔王は霊器を取り払い、魔王としての権能を行使する。魔法で光を作りだす――形状は星。十字の光が淡く青い輝きを放つ。椎茸の切れ目と呼ぶと途端に俗っぽくなるが、十字の星が優しい光がカンテラのように周囲を照らしてくれた。人数分用意された光が、それぞれの前に先導するように漂っていた。
「もうすこし」
女魔王の一言。
その言葉通り、少し進んだ先に何かが見え始めた。淡い光の先、金属の扉があった。
その右横の丁度いい高さに矢印の付いたボタンが二つ、縦に並んでいる。さらに横、壁に背をあずけて待っていた男の方が目についた。
「レライエさん……!」
「よぉ坊ちゃ……、いや大英雄さま!」
「わざと嫌な風に呼んだな!?」
颯汰も見ていない仮装を止め、元の胡散臭い獣刃族のおじさんに戻っていた。
そんな、へっへっへと笑っていた男であったが即座に切り替わる。第三皇子の前でシャキッと背筋を伸ばした後、跪いた。
「殿下、お久しうございます」
「……あぁ、貴殿の活躍は聞いている。……ご苦労、大儀であった」
「はっ」
影に隠れし帝国の暗殺者――。
一度、反乱分子を鎮圧した男の素性も、父である皇帝を二度も撃ったことも、ヴィクトルは既に把握している。
「ところで貴殿は、……俺を恨んでいるか?」
「いいえ。私の方こそ恨まれて当然かと」
故郷が帝国の策謀で滅び、それを知らずに騙されて帝国に仕えていた男と、その専制君主制国家の頂点に立つ皇帝の血を引く男。
「そうか。弟や妹たちが知ればどう思うかわからんが、少なくとも俺はお前に感謝している。ありがとうレライエ」
「いえ、こちらこそ極刑に処されてもおかしくない身、殿下のその言葉だけでも救いです」
「おもてをあげてくれ……事実を知る者は他にいない。お前は、好きに生きるといい」
一度顔を上げたレライエが、さらに深々と頭を下げる。
しばし流れる沈黙。確執は言葉通りに消えているのか、互いに打ち明けたとしても、本音かどうか知りようがない。
妙な空気に、元より割り込むつもりはないが口を出せなかった颯汰も黙って見守る。
しかし、女魔王はその横を気にせずツカツカと歩いていき、その穢れを知らぬ無垢さ謳ったような白い人差し指にて、扉の横のボタンを押す。するとボタンはぼんやりと白い光を放ち、少し間を置いてから扉が横に両開きし始めた。
彼らの事情を知っている氷麗の魔王であったが、移動を優先させる。ここで突っ立っているより移動しながらやって貰いたいというのが本音だ。
彼女は“知りたがっていた”のだ。答えを知るために、目的地へ急ぎたい気持ちが突き動かす。
開いた扉の中は、どこの部屋にも直接繋がっていないもの。颯汰には覚えがあったものだ。
「まさかとは思ったが、本当にエレベーターか……」
特に飾り気のない、自動昇降機であった。
ガラッシアの地下施設――過去の遺産たる数歩前進した技術群の集合体であれば、あっても何ら不思議ではない。
扉の先の広さも特段広いわけでも狭いわけでもない、全面が透明でもない、手すりはあるが、どこにでもあるタイプのエレベーターだ。四人が乗っても密着することはなくとも、距離はかなり近い、結構狭い空間であった。
「乗って」
案内するように扉の横で手を向ける。
そんなエレベーターガールに対し、颯汰は足を止め疑問をぶつけた。
「待ってくれ。人気のないところで話すのはわかるケド、そこまで移動する理由は? 目的地とか言ってたけど、いったいどこに向かってるのさ」
ガラッシアの地下――今は閉鎖し通行を禁じているが、元々地下街に何人か残っている者がいてもおかしくない。だが皇帝の策略――煙に乗せた薬品に加え、女魔王の固有能力によって、生者は一人残らず地上に送られている。
ゆえに内緒話であるならば、人払いが済んでいるこの場でなんら問題ないはずであった。
「……当然の疑問ね。説明するより見てもらった方が早かったのだけど」
何を、という疑問を口にする颯汰に氷麗の魔王は一から説明をした方がいいと判断した。
「これは……」
女魔王が取り出したのは金色の魔槍。
此度の旅の途中で立ち寄ったフォン=ファルガンという国の宝槍である金の霊器は、再び颯汰の手に渡った。
《王権》が生み出した幻影を掻き消すために使われたまま、帝都のどこかへ落ちたはずの槍だ。
「その槍は、帝都の床に突き刺してあった――このメモと一緒にね」
女魔王が渡してきたのは一枚の羊皮紙。括りつけたのではなく、突き刺した槍の石突から通したということが穴の大きさからわかる。
文章に目を通し始めた颯汰。一体どこから槍を出したのだというツッコミを零すのは、この場でヴィクトルだけであった。
「……は?」
メモ書きはシンプルな内容であった。手紙と呼ぶにはあまりに文章が少なく、情報が簡潔に記されている。
『親愛なる我が友・タチバナソウタに託す。
J地区・第七セクター
複合商業施設マンション 三〇二号室
吸血鬼化した人間を元に戻す機械あり。』
……書いた者の名は記されていなかった。
信じられないという顔でメモから女魔王に視線を移した颯汰に震える声で言う。
「なんだこれ……。怪しさしか無え……! え、誰? 誰だよ。親愛? 友? そんな奴、いるはずがない!!」
紙を裏返しても名前が書かれていなかった。
「……記憶喪失?」
自分の事を覚えていなかった彼に、氷麗の魔王はやはりそうなのではないか、と希望を見出す。
しかし、彼の言った文言は記憶の有無ではない。まったく身に覚えがない、ではなく――存在そのものを否定しているものだ。
「違う違う! 確かに小学生時代とかそういう昔の記憶はもう曖昧だけど……この世界でも俺に、そう呼べる仲のやつはいない!」
「胸を張って言う事じゃないとおじさんは思うな」
「うむ。悲しくならないか?」
虚しい友達いない宣言を受けて、常識的なリアクションを取る成人男性組みにクソガキは吠える。
「うるさいわい。そもそも、友だと言うならば何故、俺の前に現れないんだ!? これはきっと、何かしらの罠だ、そうに違いない!」
妙に熱くなる颯汰と彼らでの温度差が、急に著しいものとなった。
だが颯汰にとってみれば、得体の知れない不気味なもの。
「俺を知る者――少なくともニヴァリス帝国のものじゃ……いや待て、あの映像でたぶん名前出されてたな? じゃあ……」
「私が映像を作り始める前に、それを見つけたわ」
「だったら……、以前から俺を知っていた者……ヴァーミリアル大陸にいる人には、……誠に嫌だが知られているみたいだし……」
「ニヴァリス帝国の民衆にまで広がっているかは存じませんが、少なくとも帝室を支えていた一部大貴族たちまでには伝わっていましたよ」
「おじさんも命令で坊ちゃんの暗殺に来ましたからね」
「えぇ……? ……じゃあもう、わかんねえ」
自分で思っていた以上に自分の名が広まっている恐怖は以前より感じていたが、さらに今回の騒動でさらに名は広まるということを考えだしたら絶望感に苛まれるのでやめておいた。
正体不明の存在に対するヒントは何一つ得られなかった。
「……俺を知るもの。しかも目的まで何故? 一体、何者……?」
「私も怪しいとは思った。だから先んじて、私とあの紅蓮の魔王の使い魔をその場所に送ったわ。ちゃんと装置が、六台も見つかった。周囲も捜索したけれど、人はいなかったわ。どこかに隠れているか、もう帝都から撤退しているかも」
「……その装置がフェイクかどうかも、直接見て調べるしかないわけですか」
本当であれば問題は一気に解決に動く。しかし未だ乗り気ではない颯汰は使える左手で頭を軽く掻く仕草をする。
そこへ女魔王は効果的な餌を撒いて逃がさず釣り上げに動く。
「ちなみに既に、あの馬鹿が勝手に装置を使い始めてるわ」
「………………は?」
さらに追加情報により颯汰は激昂する事となる。
「帝都中の似非吸血鬼たちを集めてね。しかも、あなたのお連れの子たち一緒」
「はぁ!? 敵の罠かもしれないのに、何やってくれてんですかあの紅蓮の魔王!」
「私が固有能力で多少は抑えが効いてるとはいえ、理性を払われた似非吸血鬼たちだから、どこまで私の洗脳が通じるか……」
「クソ……、行かないって選択肢が潰された」
むしろこれを狙ってやったならば、本格的に説教してもいいのではなかろうかと颯汰は憤慨している。自分より遥かに能力が高い紅蓮の魔王とリズが一緒にいるとはいえ、アスタルテとヒルデブルクのふたりを護りながら傷つけないように立ち回るのは難しいのではなかろうか。
非戦闘員をどこかに置いてはいけない、手元に置いた方が安心だというのはわかるが、猛獣の群れ――何十何百人いるかわからない吸血鬼した人間を連れるのはリスクが大きすぎる。
思わず頭を押さえる颯汰。
彼がレライエに話した通り、全力で疑っている。
ヴィクトルにとっても命の恩人ではあるが、その“友”が何者かは正直わからない。それでも一応、会って感じたことを告げることにした。
「魔王陛下。俺はその男を直接見て話したが、信用していいと思ってます。俺の傷をわざわざ治し、しかも貴方を知っていて、心から心配している様子でした」
「……!?」
「おじさんも治されたし、あとこれ、この武器もそいつが渡してくれたぞ。坊ちゃんを助けろってな」
背負っていた霊器の狙撃銃を取り出す。それを見て颯汰は目を細めた。
「…………」
超越者たる人類の進化の可能性の具現――真人ヴラドの頭を撃ち抜いて颯汰を救ったのが、彼だと気づく。それを考慮しつつも颯汰は、苦い顔をしてふたりの大人に告げた。
「あとで、ふたりは精密検査です」
「え?」「なんで?」
何を仕組まれているかわからないから、とは心の中で呟くだけに留めた颯汰。
颯汰は観念し、エレベーターに乗り始めた。
いったいどういった機械なのか、不思議そうにあちこちを見ながら、ふたりの男も入っていく。今どきの田舎出身者ですら、ここまでエレベーターをおそるおそる入る人も、舐めまわすように見る人もいないだろう。
中も特段珍しいものも無い。
操作盤のボタンの数は七つほど。思ったより控えめだなと颯汰が思った矢先、女魔王がその内にあるボタンをポチポチと複数押した途端に変化する。
ガコンと音を立てて、操作盤が前面に出たあとに本のように両開きとなって、そこに倍以上のボタンが付いていた。
「隠しスイッチ!?」
「目的地付近まではこれで行ける」
ボタンを操作し扉が閉まると、操作盤も元の姿へ戻る。そして昇降機が下へ動き始めた。
――……なんか、はやくない?
エレベーターなど久しぶりに乗ったが、身体に掛かる浮遊感が異なるように感じる。
「お、おぉ? これは……!」
「おもしろい」
得たことのない感覚に、ヴィクトルは乗りながらピョンピョン跳び始める。真似してレライエも同じくやり始めた。
「ちょ、おっさんふたり! やめて、壊れる壊れる!!」
落下とも違う感覚に感動し、大怪我を負った男たちが子どものようにはしゃいでいる。
――立場がなんだか逆ね
クスッと内心で女魔王が笑う。
楽で時間が掛からないからこの移動手段を選んだだけで、もし仮に故障したり制御が効かないで落下したとしても、余裕で助けられるため、女魔王はとくに大きく咎めないで彼らを見ていた。
そんな彼女であるが、しっかり手すりに掴まっている。
「危ないわよ」
ただこれから起こることを考え、氷麗の魔王は一応、忠告を入れた。
その直後、エレベーター内部で悲鳴が上がる。
速度は上がり続けるだけではなく、急な横移動を交え始めたのだ。中で男たち――颯汰を含め、ひっくり返ったり閉まったドアに顔をぶつけたり、およそ大怪我を負った人間が味わってはいけない類いのアトラクションとなっていた。
目的地に一番近い地点、短い到着音の後、扉が開くと三人の男が苦し気に目を回しながら倒れて出てきた。颯汰も手すりに掴まったが力を使い果たしたせいで握力が足りず、レライエとヴィクトルと共に倒れたのであった。
2024/10/05
数値が誤っていたため修正




