148 求血の式典
ほんの少し前、同じ日に溢れんばかりの歓声を浴びていたニヴァリス帝国の皇帝一族。
その第三皇子が現れた途端、誰もが言葉を止めて息を潜めるように様子を窺う。
たった半日も経たぬかどうかの内に人々の認識を改めるに至ったのは、魔王たちの秘術と膨大な量の証拠によるところが大きい。
圧縮し流し込まれた皇帝がやった悪事の数々。煙霧に乗せた薬物などの呪縛が解かれた状態でそれらを知れば、忠義の意志など消え失せ、百年の恋も冷めるというもの。
絶大な人気を誇り、神として君臨した皇帝は――その都市で滅びるべき外敵として見なされた。
そして、その邪悪と相対する戦士を、神を討つ英雄として祀り上げる事となる。
彼の境遇を知る限りに勝手に語られたのである。
英雄・ボルヴェルグの意思を継ぐ子。
復讐を誓い、迅雷の魔王を滅ぼした者。
ただ元の世界へと還るという最上の目的は伏せられながら、立花颯汰は魔王から世界を救うために戦う――救世の王として騙られた。
事実と真実から盛った話と多少の嘘を交え、造り上げられた英雄と――血に彩られたような赤い絨毯を進む第三皇子ヴィクトル――その目と目が合った。
「……!」
大怪我を負ったばかりで、本来は颯汰と同じく絶対安静が必要なヴィクトルであるからこそ、その目が物語る感情がよく読めなかった。
だが、父の復讐を果たしにやってきたとは思えない。武器を引きずりながらやって来る男に対し、守衛を務める兵が動かないでいた。
――儀式用の、なまくら……?
装飾の華美さはだいたいニヴァリス帝国の全般では言えることだが、一般兵が帯びてたものとも、彼が使っていた軍刀とも違うことに颯汰は気づいた。
薄紫色の鞘に青系の宝石が散りばめられたものであった。武具として扱うよりも商品としての価値の方があるように思えた。
ヴィクトルは絨毯を進み、そのまま階段を上る。
壇の後方に回り込み、さらに段の上に置かれた玉座のような豪華な椅子に腰掛けることなく、中央に敷かれた絨毯の横を並ぶ席と向かい合う態勢となったヴィクトル。
学校であれば誰も彼もが私語を続け、校長先生の「話すまで何分掛かりました」などと意味のないカウント報告が始まるところだが、最初から沈黙が守られていた。
誰が言うまでもなく静かになった空間で、ヴィクトルは目を瞑り、呼吸を整えてから話を始める。
「聞き取りづらいであろうが、どうかそのまま耳を傾けていて貰いたい」
幾分か擦れて聞こえるが、堂々としていて、ほんの数刻前に死に瀕していた御仁とは到底思えない立ち振る舞いであった。
そんな式典の様子は首都ガラッシア中に生中継でスクリーンに映し出されている。会場入りを果たせなかった市民も、公平に映像を見ていた。
彼の身に何が起きたのかは、式典の参加者だけではなく市民までもが全員知っている。偽物の自分自身と戦い、瀕死の重傷を負ったはずである、と。しかしながら今はどうみてもピンピンしているため、誤情報かと疑う者が幾人かは現れていたことであろう。
切り裂かれた傷の深さと流れた血の量からして、生きているとは思えなかった男が死の淵から生還し、この場にいる。それこそこの皇子までもが偽物ではと疑った者もいたかもしれない。
「先の争乱――我が父・ヴラド皇帝が行った凶行の数々、諸君らも知る通りである」
言葉にするには悍ましい蛮行。
肉親だからこそ、悲痛であり目を背けたい一連の犯行であるが、そうは言っていられない。
これは儀式――乗り越えるためには、罪と向き合わねばならない。
「我が父は生前……あの禍々しい巨神となる前に、兄であるヴラドレンを後継者として定めた」
それも偽物であった。
精巧に造り上げられた機械人形。
人格は当人たちを模倣したものであったが、『巨神』や『真なる人類』にやったように、将来的には中身はヴラド帝となる予定であった。つまり自分の息子を騙り、そのまま帝位を継ぐという恐るべき行為をやろうとしていたのだ。
「だが兄は、兄たちは、ヴラドレン、ヴァジム両人とも、既に亡くなっておられる!」
帝都に響動めきが奔る。
氷麗の魔王が作り上げた映像には無かった事実――あえて削ったのか、それとも映像として記録されたのが二人の皇子が拘束される前であったのか。エドアルトの仮面は無表情で、奥の素顔も氷を思わす美少女であるが、その顔に僅かに陰りが見えたような気がした。
「よってニヴァリスの現皇帝の地位は姉上――第一皇女レギーナに継承される……」
姿を未だ現していない長女は三人目の子を出産間近であり、安静にしている。大変な時期に大変な事件が起こり、大変な事に女帝となってしまった。
建国祭はニヴァリス帝国が誕生した日を祝する行事だ。であるため帝国をまとめ上げるべき場所が空席なのは確かに問題があるのだろう。
しかし、本来起こりえた祝福のムードなど無い。
そんな漂い始める前の空気すらをも、一切合切蹴散らすのが、武人にして猛将たる第三皇子の覇気である。
「だが! ここに!」
取り出した羊皮紙のようなものを叩きつけ、そしてそれを掲げて見せつけた。
「姉上の退位宣言書! 及びこちらに!」
ダンと音を立てた後、何が行われるのかを事前に知らされてない者たちがリアクションを取る前に、
「帝位を、私に譲るという宣言書がある!!」
帝位譲渡宣言書を叩きつけ、再び掲げて見せる!
颯汰が目を丸くしている間、ヴィクトルは畳みかけるように宣言する――。
「よって私こそ、否――余こそがニヴァリスの皇帝! ヴラド五世なり!!」
思わず、呆けたように口を開けたままとなる。
呆気にとられた颯汰。
颯爽と帝位を簒奪するヴィクトル――ヴラド五世の手腕に驚いている暇はない。彼ターンはまだ続くのだ。
女神教の上位聖職者が立ち上がり、ヴィクトルの前へ歩みを進める。その両手にて抱えるは、紫の聖なる布で包まれた冠。
帝冠を、新たな皇帝に被せた。
拍手が鳴り響くが、設営されたこの場のみで巻き起こった音は、決して小さいわけではないのに、いやに淋しく聞こえた。
民の方から静かに沸々と騒めきが起こる。
人民の自由が保障されている国ではなく、一つの頂点を君主として定めた帝国で、本来は言論には最大限に気を遣わねばならない。ただ――今までの帝国は皇帝の人気が絶対的なものであり、そういった反抗的な態度を言葉にする機会が無かった民たちは、どうすべきかわからなくなっている。
そこを刺激してやる。
この儀式に参加している貴族たちが既に手を回していた。買収した民に扇動させる。
「こ、皇帝など、認めないぞ~!」
「そうだ! 何がヴラド五世か! 悪政をまた強いるというのか~!?」
小さな種火でもまたたく間に広がり、やがて燎原が生まれる。きっかけさえ与えれば、溜まりに溜まった恨み辛みが火山のように噴出する。
「私の、子は、どうなる……?」
「俺の妻は、知らぬ間に怪物に変えられていたんだ……」
「返してくれ。返せよ……返せ……」
静かに、着実に侵掠していく焔火の如き熱。
だが、まだ足りない。届かない。
大きなうねりとなる前――、巻き起こった小さな拍手が式典会場で木霊する。
それに対しヴラド五世は何一つ不満に思うこともなく、さらなる一手を繰り出すのであった。
「そして! ここに!」
内ポケットという手札から、さらにカードを提示する。これ以上、何をしでかしてくれるのだろうか――あまりに一方的で、ここまで来ると颯汰は他の若い貴族たち並みに、若干ワクワクしていた。だが彼の次の一手で背筋が凍り付くこととなる。
「そして、ここに宣言する! 我が父が残した最悪の負債――その罪すべてを責任をもって、ニヴァリス家の血で贖うことを誓おうぞ!!」
流れが変わったのを感じる。
市民からの騒めきが増したが、この場で他に座するものたちは事前に知っていた様子で何一つ動揺が見られない。むしろこの場にいる貴族たちにとっては、実に喜ぶべきことであったのだ。……であるから。
「殿下! いえ、陛下!」
声をあげて立ち上がるは、若い貴族たちが多く占める席から一人の男。さらに続けて同じく雪の民の若者たちが続くではないか。
「贖うと仰りましたが、どうすると言うのです!?」
「従僕とはいえ我が家のものが、父君の謀略によって殺されたのですがどう責任を取るおつもりですか!」
「兵士であった我が弟があんな姿に変えた悪魔の所業を、どのような方法で償うというのです!!」
次々と非難じみた言葉を吐く若い集団。
そこに颯汰は違和感を覚えた。
――式典という重要な行事の最中に、皇帝という地位にいるヒトの言葉を遮って誰も止めないしお咎めも無い? そんな馬鹿な……
通常ではあり得ない。それこそ下手すれば死罪を免れぬ暴挙であり、他の貴族たちにとっては他者を蹴落とす好機だというのに、誰一人として周りの者が止める気配がない。
「……まさかな」
そんな颯汰の呟きと、貴族の面々の言葉を掻き消すようにヴラド五世は雄々しく宣言する。
「方法はただ一つ! 穢れたニヴァリスの血を、ヴラドの血を粛清することにある!!」
堂々と言い放つ言葉に民たちは絶句する。
だが、若い貴族たちは薄く笑みを浮かべながら、極めて静かに着席をしていた。
「女は全員流刑! 男は全員、死刑に処す! これは皇帝の絶対命令であり、何人たりとも破ることも覆すことも叶わぬ決定事項と知れ――!」
「!」
自身と関係ない他国の事とはいえ、あまりに度が過ぎている。いくら父が非情で残虐な行いをやったとはいえ、その責任として残った遺族全員に負わせるにはあまりに重い罰であり狂っている、とさえ颯汰は思った。
割り込む隙もなく、ヴラド五世の猛追――バトルフェイズはまだ終了していない。
「そしてここに提示するは、余の退位宣言書!」
いったい何枚持っているんだこの男。
颯汰が驚異のワンマンショーの目的が何となくわかって辟易し始めていたが、しかし次の一手の内容は予想できなかった。
ただ、ヴラド五世が何かを言う前に察知できたものはある――突き刺さるような熱い視線だ。
複数と正面からの視線を颯汰は感じ取っていた。
この独特な嫌な空気感には覚えがある。
直視もしたくないし思い出したくもない。
逃れられない罠にはまったような、海の魔物たるクラーケンの触手にからめ取られたような、もう取り返しのつかないものを感じずにいられなかった。
「及びこちらに!」
「……おいおいおい、待て待て待て!」
冷めた調子からどんどん熱が篭りだす。
疲れ切って精神的に瀕死だった颯汰が立ち上がるまでに至る。それほどの危機を、本能と経験からに察知した。
だが、新皇帝の猛攻は止まることを知らない。
ついに、決定打を打ち込むに至るのだ。
「ニヴァリスの帝位を、救国の英雄ヒルベルト――タチバナ・ソウタに譲る宣言書だ!!」
瞬間、湧き上がる熱。
客席から立ち上がり、拍手喝采が四方八方から飛び込んでくる。
この場にいる貴族は当然、さらに民からも――。
燻っていた火が燃え広がり始める。
憎悪や不信感などが昇華し、新たな君主の誕生に沸き上がる。
再び膨大な熱量をあてられた颯汰本人は――、
「…………は???????」
脳が理解を拒んでいるようであった。
実際、意味がわからない。
何を見せつけられているのだろうか。
助けを求めに、隣の女魔王を見るが――、
「いやなにその感情?」
氷の女がこみあげる感情を必死に自制させている事に、その時の颯汰は気づけなかった。無表情に口角だけが自然と上がってしまうのを頑張って抑えようとしていた。
「さぁ、新たな皇帝よ! こちらへ!」
「いやいやいやいや、待て待て、おかしいおかしいって!」
聖職者から受け取った布とすぐに取った冠を持ちながら、こっちに来いとヴィクトルは颯汰を招く。
立ち上がってはいたものの、颯汰は再び席に着いた。
「アンタが帝位を継承するってのならなんも反対ないよ!? 政治ショーに付き合わされたのは癪だとは思ったけどさ!?」
違和感の正体に気づいた。
これは謂わば、すべて仕組まれた劇場――。
両手を振って拒絶の意思を示す颯汰であるが、ヴィクトルがここで退くような男ではない。
「我が帝国民を鎮めるため、どうかご容赦を――」
「!」
飾りが付いた儀式用と思われた軍刀を引きずりながら、颯汰の元へ歩み寄るヴィクトル。聖職者の方が受け取った冠を再び運び始めた。
少し気圧された颯汰に、囁くような声の大きさでヴィクトルは続けた。
「我が家の汚名――これを払拭するには、この旧き皇帝の流るる血を断たねばなりますまい。ゆえに、どうかこの帝冠を御収めください」
「いらない」
「そしてどうか新たな皇帝陛下――この刃にて御貫きください」
「なんで???」
会話が成立していないことに慄きを隠せない。
彼が自らヴラド五世と名を継いだ意図も単純だ。だからこそ、度し難い。
彼は死していなくなった皇帝に代わり、民の行き場のなくなったヘイトを自分に向けさせるためにヴラド皇帝を名乗り、罪滅ぼしとしてこの地上からニヴァリス家を消滅させようと考えたのだ。
民の怒りが、皇帝が死した程度で治まるはずがない。その責任の在り処を求め続ける。
亡くなった犠牲者たちは戻らないのだから――。
「客員騎士エドアルト!」
「――はっ」
ヴィクトルの叫びに、正体を隠した女魔王は忠実な僕のように胸に手を当て敬礼する。
「汝は、この帝都中の施設の凍結処分を――頼む」
「! ……御意に」
謹んでその命令を受けることを決意した氷麗の魔王。彼の皇子の覚悟を確かに受け止めていた。
だが一方、クソ面倒なこと御免こうむると隣の少年王が逃げ出そうとしている。この式典は最初から、ヴィクトルが一族諸共死して責任を負おうと画策していて、帝位には力ある者が相応しい、と颯汰に譲渡するつもりだったのだ。
自死と一族の抹殺以外のこと――つまり颯汰に帝位を明け渡すことだけは知っていた女魔王は念のため、靴と床を凍らせようかと思案していたところ、颯汰の動き止める不審なワードが飛び出てきた。
「貴方の友は、貴方が吸血鬼化した人間を戻したいと思っている、と私めに伝えて下さった」
「は!? とも、……とも?」
友という漢字が出ないくらいに、想定してなかった言葉であった。颯汰の頭の中が、疑問符でいっぱいになっている。例によってヴィクトルの追加ターンが終わっていない。
「貴方の友は彼らを人間に戻せると断言した。そしてその解決策である“何か”を置いたとも言った! 貴方がこの国をまとめ上げ、そしてどうか民をお救いになって――」
「!? あんたは一体何を言って……?」
情報の暴力を受け続けて軽いパニックになっている颯汰。
「さぁ! はやく! 父が死んだ今、民の怒りを鎮めるには、我らの命をもってでしか……!」
「えぇい、抜くな! 柄をこっちに向けるな! 危な、危ないから!」
この場で早速、命を捧げて血を流そうとし始める異常者。
陰で糸を引いていた存在をまったく認知していない彼は、皇子の話を詳しく聞くべきだとは思ったが、この状況をどうにか落ち着かせたい。
颯汰の考えと裏腹に、乱入されてしまう。
「――待ちなさい!」
遠くから響いた聞き覚えの無い女声。
その存在は誰一人予想しておらず、帝都中がさらなる驚きに包まれていく。




