147 帝都の式典
少し開けた場所に着く。
三重螺旋の支柱も、都中の行き来に便利な索道のロープすら消え去った中心部の大穴からは少し離れた――地上と天蓋からだいたい中層の地点。
平時では人が大勢集まって賑わう中央広場であるが、そこは今、兵が敷かれて一般人の立ち入りを禁じられていた。
急ごしらえに設営された会場には、国務尚書を筆頭に、内政を司る各省庁の長官たちと選ばれた部下、少年聖歌隊と女神教の関係者らしい人間も見受けられた。用意された椅子に腰かけながら、視線のほとんどが一点に集中している。
さらには一目でわかるような若い貴族の面々までがいたからこそ、颯汰は眉をひそめていた。仮に疲労状態でなければ瞬時に気づいたであろう、この後に続く儀式のことを、颯汰は残念ながら今は察知ができなかった。
もし十全な状態であれば、逃げだしていたのかもしれない。『そんな厄介、御免こうむる!!』と叫びながら。それでもこの地からすぐに離れるかと言えば異なると断言できる。ある意味、不可視の鎖に彼は囚われているのだから――。
「一体、何が?」
いやに仰々しい感じがした。何かの式典が始まりそうではある。そう思えば、このニヴァリス帝国が建国された記念日たる建国祭、その軍事パレードたる観兵式の途中で事件が起きたのだと聞かされた颯汰は思い出し、ハッとする。
「――そうか。建国記念日のお祭りの真っ最中だったんだもんな……――」
言ってる最中に声に戸惑いがあった。
「――……やるん、だ? こうなってもまだ」
国の代表が裁かれた今、建国祭自体が中止なるものだと思っていたが、一年に一度の最大の娯楽であり、誇りでもあった祭りをあえて開催する事にも意味を持たせているのだろう。
悲劇が起きて――否、隠されていた邪悪な意思が露見してしまった。すべてを洗い流すことも不可能であっても、一時は気持ちを切り替えて楽しむ時間だって必要……なのかもしれない、と颯汰は考えた。
「どうあれ気持ちの切り替えに必要、か。…………行かなきゃ、ダメなんです?」
止められた車両。
降りて進むことに、気が進まない。
彼らにとって、切り替えて新たな一歩を踏み出すための必要な儀式であるという颯汰の解釈は正しく、心の整理がつくならばやるべきだとも思う。
だがそれに参加する必要性を感じられない――ほんの少し前までは排除される側の異物であったのだ。
帝都中の人民の心変わりはヴラド皇帝の悪行の数々を知ったゆえと、魔王たちの尽力によって英雄という偶像に、颯汰は仕立て上げられたせいだ。
何が行われるのかもわからない。だけど漠然とした嫌な予感がする。
彼自身も予測できない、さらなる羞恥の可能性もありえる。
これ以上、尊厳が蹂躪されるとさすがに発狂してしまう自信が颯汰にはあった。
とはいえ、命の危険は無いだろうとは思う。
体調不良で機能しているか怪しいが、視界は一向に闇に染まらずにいる。
今の今まで続いている歓声から、恨みによって殺されるということはまず無いだろう。それすら仕込みで、ここを墓場にしてやると意気込んでいるにしては、あまりにも回りくどすぎる。
それに彼らが憎き相手である颯汰の殺害を目論んでいたとしても、隣にいる護衛兼契約者がどうにでもしてくれるだろう、とも颯汰は考えている。
彼女を信頼しているというより“契約”により命を共有している状態なので、裏切るという可能性が排除されているだけだ。それこそ裏切るならばわざわざこんな面倒くさい手順を踏まずに、最悪自死さえすれば紅蓮の魔王ごと巻き込んで殺せるのだから。……などと、たとえ疲労状態であっても相変わらず、根性がねじ曲がった思考をしているのが我らが主人公である。
「あの目――人々の輝きに満ちた目を裏切れる? あ、ダメ。今のナシ、君はそういうの気にしなさそう」
「失礼だな? (時と場合によるケド)」
基本的に空気は読める方だと彼は自負している。中高生時代はそうしなければ生き延びることが容易ではない環境になりやすいせいだ。「時と場合」とは自分に被害が起こる場合のことを指す。注目度が高まれば高まるほど総スカンでひどい目にあうのだが、そうならぬよう、颯汰はクラスでは立ち回りを常に気を配っていた。そんな灰色の思い出を振り払ってる中、女は話を続けていた。
「……今は歓迎されているけど、あなたは不法入国者」
「なんだ藪から棒に」
「普通は帝国の内政に干渉することなんてできない。――そして、あの生物兵器たちをどうするかも、帝国内の政治を担う人々によって決定づけられるでしょう。処分も、その後の運用の有無も」
「……!」
颯汰の目に、活力が戻った。生物兵器とは件の吸血気化された一般人たち――いや、人体を使って強靭で命令に従順な兵士を生み出す技術のことだ。
「でも、あそこに行けばそれも変わる。あなたがアレを受け取れば、彼らの処遇も私たちで決められるわ」
颯汰も氷麗の魔王も、一つの取り決めとして定めたことがある。それこそ実験による被害者たちを「どうにかしよう」ということだ。
彼らについても実験についても知る必要があるし、その後はどうするにしても、自分たちの目で見ないと信用できない。再び実験が行われたならば目も当てられない事態となるからだ。
その件に介入する手段、足掛かりとしてこの式典のゲストとして参加する必要があると彼女は諭す。
女魔王が指さす方向――空席がふたつある。
どうやらあそこが自分たちの席らしい、と颯汰は気づいた。
「……勲章でも授与されるのかな」
疲れて消え入るというか溶けていくような声。
そんな颯汰の問いに彼女――否、忠義の騎士エドアルトは応えず、玉座の前に跪いて右手を差し出した。
なんか立場逆じゃね? と颯汰は思ったが、退くわけにもこのまま座って嵐が去るのを待つわけにもいかない。出すことを躊躇いがちな左手を、彼女の方から掴まれる。
他人から見れば男の騎士が少年の手を取って歩んでいるだけの光景に、一部のお姉様方が大興奮していたが、鳴りやまない歓声によってその部分は当人たちに届くことは無かった。
「歓声と視線が超痛いんですけどぉ」
「今さらでしょ」
「慣れねえんですよ、それも誰かさんたちのせいですごい注目されてるから」
棘のある嫌味を言ったつもりだが女魔王は表情を一切変えず、スゥーっと息を吸ってから返す。
「……でもそのお陰で君は、生き残――」
「――はいそれもう禁止! 禁止カード! 禁止カードです!」
それを言われたら何も反論できなくなる。
ゆえに言論封殺の切り札の使用を許さない。
「まぁ……これで、あの実験関連に口出し手出しができるんだったら、……多少は、うん。多少は、……我慢、する……!」
「うん。偉いね」
人生、多少なりとも嫌なことは避けられない。だけど少しそれを我慢さえすれば、暴力を使わずに本願が叶う。であれば、我慢を試みた方がいいに決まっている。
しかし、余所国からやってきた不法入国者が、勲章ひとつで急に国の政治分野に介入できるものなのか怪しい――というか普通はあり得ないことなのだが、「自分は一応、救国の英雄とまで呼ばれているのだから、多少は融通が利くかもしれない。」などと疲労が祟って頭がパーになっていた立花颯汰は、少しでも状況を都合の良いように、楽観視しようとしていた。これ以上、脳と精神に負荷をかけたくはないという逃避に近い。
――もし、元に戻す方法があるならば、それをやったあと、研究自体を凍結させる。できれば乱暴な手を使わずに済ませたいものだケド……
今の颯汰は変身が使えない。相手を口で脅すことはできても、実行するだけの力がない。
だからこそ、これは好機と捉えるべきなのかもしれない。
彼女の手を取られながら車両から降りて数歩――人々の感情が波と突風の勢いでやって来て、熱量に打ちのめされた颯汰は感情を無にしていた。車両が着く前から人を寄せ付けないように警備の兵が見張り、フェンスやらなにやらで侵入を防ぐ壁が立てられていたおかげで、人々がやってくるようなことは無かったのだが、隔てる壁を避難用の隔壁などにして金属の分厚さが数センチほど必要だったな、とひねくれもののクソガキは思っている。
しかし、何といっても注目されるのはやはり慣れない。視線と拍手、喝采の声を遮断するために、颯汰は意識を内側に向けていた。
歩きながら外界からの情報を最低限に留めて弾いていく。
――固有能力……。それによって今、この人たちが操られていないかの有無も、確かめようがないな……吸血鬼化させられた生存者は全員、どうにか落ち着かせているらしいけど、その衝動をいつまで抑えられるものなのか
例の吸血鬼たちも、氷麗の固有能力によって今は大人しく隠れているらしい。
そのまま彼女の能力により、彼らに人を襲わせずに封じ込めることが出来るならば話が早いのだが、そういう訳にもいかない理由がある。
――この人の固有能力は魔王と勇者という規格外の存在に通じない。……しかし、まさか改造人間にも効きにくいとはな
素人目では彼女の能力に掛かっているかどうかなどまったくわからない。吸血鬼化した人たちは理性のタガが外されたせいで愛による“洗脳”が当人曰く効きが悪く、吸血などの衝動を長くは抑えられないようだ。
――切れる前に繰り返し掛けるにしても、固有能力は使用回数があって、それは回復しないらしいしな……
迅雷の魔王の言葉を思い出す。
――『――だけどよぉ、勿体ないよなぁ。俺の固有能力、《時間停止》を使い潰してさえしていなければ、これから他の“魔王”と殺し合いするのに大分楽だったろうに』
例外もある可能性も考えられるが、使用回数が回復しない――使い切りの超能力であるようだ。
――『――本当に、心の底から嫌だけど、やるわ。私の、……“固有能力”……!』
彼女が出し渋ったのは、能力による人心を掌握――否、隷属させることへの忌避感という人間らしい感情から出るもの、ではない可能性も充分にあり得る。
吸血鬼化した人々に対し、気に掛けてはいる様子はあるものの、自我のある生命は、基本的に最上は自分に置くのが当然である。だからそれに対してなんら嫌悪感なども颯汰は抱かない。
――最後の手段として残したいと思うのは当たり前だな
多少回り道ではあるがすべてを思い通りに操るのではなく、少し誘導する方が切り札の浪費を防ぐことに繋がる。
そんなことを考えていたら、いつの間にか少し豪華な椅子についていた。赤い絨毯を進み、両脇から参列者たちから拍手を受けていたのだが、颯汰は今やっと通り抜けたことに気づいた。
椅子の配置と前方に壇から、颯汰はどことなく結婚式を思い出していた。……このタイミングで結婚は正直、縁起が悪そうに思える。いや悪の為政者が滅びたのだから逆に縁起がいいのかもしれない。
「あとは待つだけ?」
「呼ばれたら立って授与で終わり」
「う~ん。それなら……」
颯汰たちも他の参列者同様に席についていた。
あとはテキトーに過ごして、休んで体力を回復した後に吸血鬼化の実験施設などに踏み込めばいい。――その考えは甘い。
次に現れたものが空気を変えた。
誰もが静まった。
あれだけ騒いでいた帝都市民が声を失う。
帝都中に知らない者がいない。
携えた軍刀。帯びずに、鞘の鐺を引きずりながら、血のように赤い道を歩む。
赤く染まった衣服こそ、どうにか改めたが重傷の怪我は完全に癒えず、全身に巻かれた包帯の上から、白の軍服に袖を通す男――。
よそ者の颯汰も当然その顔に覚えがある。
「――第三、皇子……」
ニヴァリス帝国がヴラド皇帝の遺児、ヴィクトル皇子が姿を現したのであった。




