146 かたちのないつくられたもの
肉体と精神を極限まで疲弊している立花颯汰であるが、彼のメンタルをさらに追い詰める――真の恐怖はまだ始まっていない。
「ふふふ、冗談よ」
「いやぜんぜん笑えねーんですけどぉ……」
機械仕掛けのウマ二頭により、牽引してるようにみせている車両は、カタカタと音を立てて路面上のレールを走る。
皇族専用車両ではあるが、実際に皇帝一家がパレードの時に搭乗していたものとは異なり、少しだけ小型なタイプとなってはいる。それでも造りはしっかりとしていて、皇帝一家全員が乗っても余裕があるくらいには広い。ただし皇帝、およびニヴァリスの神聖を意味する紫色の旗や紋章の類いは取り払われた。金の刺繍で紋章や枠が造られた、高貴・高潔・善を象徴する艶やかな紫が無くなっても、蒸気機関の車両は単に銀色の鉄塊ではなくそこはかとなく気品のあるフォルムをしている……ように見えなくもない。
念のため、数名の兵が配備されていても(氷麗の魔王の命令により)車両の同乗は認められていなかった。速度も先ほどまでより上がり早歩きの速度で進むため、兵はウマに乗って護衛しているが、この専用車両内に他に警備のものは居らず、御者以外は無人であった。紅蓮の魔王など他の仲間たちは別のところにいて、それぞれの役割を果たしている、らしい。
先のパレードよりも警備は薄くなっているが、これ以上事を起こす輩はいないし、不測の事態になったとしても女魔王単独でも余裕に対処ができるためだ。それに移動がてら何が帝都ガラッシアで起こったのか説明するのに、氷麗の魔王が人を最低限まで排除した結果がこのガラガラで寂しく、物足りない車両なのであった。
しかし二階部分の玉座に向かって、声援や感謝の叫びが絶え間なく飛んでくる。
本来ならば悪い気はしないところなのだが、不気味さが勝っている。颯汰は状況がまったく呑み込めていないのだ。
そういった感情を向けられることさえも慣れていない颯汰は早々にグロッキー状態になっているが、――ここからが本番です。
「……あのとき、封印魔法を使うのに魔力不足だった。君に譲った《王権》から、契約越しに遠隔での供給はきちんとされていても、ちょっと……ううん、だいぶ足りなかったわけ」
「うん」
「無理矢理引き出せば戦ってる最中の君に迷惑がかかる――だから、魔力を生み出す《王権》の方の性能を引き上げればいい、とすぐに思い至ったわ。生み出す量が増えれば、こっちに回す分の余裕が生まれるから」
「……なるほど」
彼女は自身の《王権》の性能を強化に着手した。そこが人々の狂乱っぷりとどう繋がるのだろうかと颯汰は訝し気に話を聞いていた。
「そのためにまず一度、まやかしを解くことを始めなきゃいけなかった。――ニヴァリス全土は今すぐは無理でも、この地・ガラッシアから皇帝への崇拝を止めさせ、権威を失墜させる。そうすれば星輝晶が出現するようになるから」
「……! 相手が人間であっても、魔王は急に支配者になれないのか?」
「そうよ。だから大抵の場合、その地を治める者を殺すか、それか従わせるか。小さな村でも例外じゃないらしいけど、人のいない廃墟とかなら話は別ね。もっとも、そんなところを支配下に置いてもなんら力を得られないし、もしやるとしたら余程の素人ね」
「………………」
颯汰はその件に触れずに、質問をすることにした。
「その地に住む人民の『支配された』という“認識”があってはじめて星輝晶出現するってこと?」
「そうよ。謂わば占領した証ね。だから最初はあなたに倣って、恐怖による統治を進めようとしていた」
「………………(絶対、死人出してたな)」
皇帝への崇拝でキマってる帝都にいる人民を恐怖で縛るには、痛みを与えるよりも、一度見せしめとして誰かを処刑し、死の恐怖を与えた方が手っ取り早い。
「でも、それよりも効率のいい方法を思いついたの」
「…………念のために聞くけど、死人は出してないんだな?」
美しい女魔王の見た目は美少女という言葉も当てはまりはするが、冷淡な顔つきと言動も相まって美女と称しても差し支えがない。だが彼女もまた顔色変えずに命を奪うことに躊躇いが無い部類の怪物であり、ある種の魔性であることを忘れてはいけない。
「もちろん。生きてもらった方が効率がよくなったから――人の想いが集まってこそ星輝晶は輝きを増し、それによって魔王と《王権》もパワーアップする。人間一人一人が生み出す想いは微小でも、積み重ねれば強大なものとなる。だから徒に民を殺すのは悪手ね」
――理由があっても、襲ってきたわけじゃない罪のない人を殺すっていう選択肢が、頭の中に浮かんじゃう段階で、そりゃもう充分に人でなしだ……
「それが転生者――魔王よ」
「心をノータイムで読むの、やめてくれません?」
「顔に出てたわ。……魔王が民に恐怖を与えるのは簡単だけど、だからこそ蓄積するポイントは低めに設定されてるみたい。だから立派な為政者であればあるほど増幅される。民に慕われるような『名声』こそが真に魔王の力となるようね」
「! ……なるほど。じゃあ――」
「――でも、私の能力による洗脳は対象外。試したから間違いないわ。固有能力や魔法で想いの量はいじくれたりしたら破綻するものね。もし出来ていたなら、とっくの昔に紅蓮の魔王を殺していたわ」
彼女の固有能力――『偶像大姫』による“愛”による強制的に人心掌握ではカウントされない。洗脳という意識はなく、人は術者に愛されたいから勝手に行動する――限りなく自分の意思と錯覚させる彼女の恐るべき異能であっても、不可能なことのようだ。
――なんか涼し気に怖い事いってるし、“お願い”って言葉に妙な圧がある……
「それで星輝晶を出現条件を満たすために準備したの。――そろそろ始まるわ」
何を、と問う瞬間、少し辺りが暗くなったように思える。西日が帝都周囲の峻烈な山々に隠れ――帝都の各所にスクリーンが現れた。
颯汰も帝都中の人間も、似たような反応だった。しかし、すぐに人々の方はこれから何が起こるのか気づいたのと、後の心の持ちようは真逆だったと言える。
中心部の大穴を囲うように、巨大スクリーンが四つ現れる。どの方向からもカバーできるように立体的な光のスクリーン画面が現れ、またどの階層からも眺められるように、上と下にも一段、二段と同じように光の画面が現れる。
二柱に魔王が操る使い魔から放たれたプロジェクターのような光と、さらに帝都各地の機器を掌握して流されるは――。
「…………は?」
颯汰が口を開いて固まった。
流れる映像に、荘厳な音楽が乗って響く。
ただ映像に覚えがある。
街並みは記憶にある。人の顔も当然だ。
そして、画面の中心に収められている人物など、入念に鏡の前で髪をチェックする日々は遠い過去になっても覚えている。
「…………お、俺……?」
流れる映像は過去に自分が体験したこと。ただし視点が自分の目から見たものじゃない。
黒い血の鎧を身に纏った迅雷の魔王と激突するあの頃の場面――割り込むようにボルヴェルグ・グレンデルの絵と何か文字と、エリゴスと颯汰とが並べられた。関係を示唆しているものだと勘付く。字幕が表示されているが、ニヴァリス帝国の文字で今は読めないし、ほんの数秒でどんどんとフラッシュのように映像が変わる。
そして画面にあった資料を切り裂いた迅雷の魔王の攻撃で、映像が再び戦闘が再開したと知る。ちょっと前奏部分の短い時間で小戯れた演出をやってのけた。
衝突した瞬間に音楽も白熱し、戦いが激しさを増していき、カメラが下から仰ぎ見るように空を映した後、ドンと文字が表示された。
「何……タイトル、ロゴ……?」
場面が変わり、少年の颯汰が映し出される。
同時に歌が流れ始めた。透き通るような女声だ。
切り取られた場面は実際に颯汰が体験したすべてのものが使われている。アンバードの首都バーレイを歩いてるのも、仕事に明け暮れているのも、食事をしているのも憶えがあった。
「????」
観客――人々から声も上がる。
荘厳でありつつ、現代では馴染み深い軽快でポップな音調で奏でられる。収録したものではない。帝都全土に響くそれはパイプを伝ってやってくる。楽器隊とさらに女性の歌手までが生で歌っている。なんで???
「まだ無名だけど有望そうな子を見繕ってきたんだ」
「なんで???」
世界観を著しく損なわれてしまいそうなポップカルチャーの侵食に、颯汰の頭の中が破裂しそうになっている。
そもそも転生者という異物は、異なる世界・時代から知識を有して現れるのだから、この世界にて正常に時間が経てば到達する可能性のあった技術や文化を、段階を飛ばして先んじて取得することが、わりと少なくない。普及はしてないが射影機の類いもこの世界で既に誕生しているし、ガラッシアの地下の技術は遥か何世紀も進んでいるとみていい。なので世界観がどうとかは正直、今さらである。
自分が、撮られた記憶のない場面を編集され、映像として流れている――さらに帝都中の人間がそれを見ているという状況に、颯汰は羞恥を通り越して思考がフリーズしてしまっていた。今目の前に流れているものも現実ではないのではないかという逃避さえしてしまった。
固まる颯汰を余所に、映像の場面がまた変わり修行パートのような部分が入った。
迅雷の魔王を討伐したあとのアンバードの光景であるとわかる。首都バーレイを上から俯瞰した眺め――倒壊した家々や建物、街を流れる河川にまで崩れた瓦礫などが浸かっている。
事務処理を手伝いながらも、武術を磨くことを怠った時は無い。
ほとんど目を通して義姉に確認を取りながら判を押すぐらいであったが、肩が凝るし不真面目にやれるはずもなかった。
そうして息抜きではないが、運動がてら他の騎士たちと木剣などを使った訓練をやっていた。
紅蓮の魔王だけが相手ではなく、他の騎士たち複数名とも何度か練習試合のようなことはやっていて、今画面に映ってる場面だけ見ると颯汰が剣の実力者みたいな雰囲気さえ出ている。
一部の達人の域にいる者や紅蓮の魔王からボコボコにされた日もあったが、そこは一切使われていなかったあたり、作為的なものを感じずにいられない。映像はどことなくプロモーションビデオと呼ぶより、アニメーションや特撮ヒーロー系のオープニング映像のように感じる。
「今、流してるのは短いやつね」
「どういうことなの一体」
まるで音楽祭、あるいはライブ会場のように熱気に包まれた帝都。ただ颯汰の体温だけがどんどん下がっていく。感情を無くしたような抑揚で語る颯汰の顔色は、明らかに悪くなっている。
「《王権》の性能を強化するために、星輝晶の出現が必要――そして出現条件を満たすために、皇帝を名君であるという幻想を捨てさせ、失墜させるのと同時に、《王権》の所有者への想い――「名声」を加えれば効率がいいでしょ?」
「ごめん、意味が分からないというか脳が理解を拒んでるんだけど!」
内心気づいていても、認めたくないものが時として目の前に現れる。……盗撮された映像を勝手に編集されて何十万もの人間に公開されるというのは、幾分も特殊な事例ではあるが。
頭を抱えて悲鳴を上げつつ悶える少年を見ながら、ほんの少しだけちょっとゾクゾクしながら、女魔王は純然なる真実で殴る。
「あなたの今までの頑張りを、映像にまとめて公開してみた」
「何やってんだアンタぁぁあああ!?」
耐えきれず絶叫する颯汰。無感情のゼロからマイナスに振り切った結果、失ったと思った感情が取り戻された。自分でもまだそんな元気が残っていたのかと驚くぐらい、底力を引き出して訴える。
「は? え、は、なに? 何なの? ってか、一体どうやって!?」
パニックになる少年に、護衛の騎士・仕える者としてではなく玩弄する目で答える。
「あの紅蓮の魔王から映像を、提供して貰っちゃった」
クールな見た目と反して語尾にハートが付いてそうなほど愛らしく言う。颯汰はさらにパニックになっている。
「!? なん……、……というか映像記録? いつ撮ったん――」
「なんか、鬼人族のヒト? に頼まれて使い魔を使って映像を多めに撮り始めてたらしいわ。あそこまで盗撮を撮り貯めてるの、ぶっちゃけキモくて引いたわ」
「あのバカ族長……!」
颯汰を神と信奉する鬼人族の変人、ファラスのことだ。ド辛辣な氷麗の魔王の言葉は紅蓮の魔王だけではなく彼に対しても刺さる。
使い魔の視界を共有して映像として転写する魔法は使っていたが、まさか録画機能付きとは思いもしなかった。どうしてそんな規格外な術を操れるんだあの化け物は、と颯汰は怒りを込めながら呪う。
「いやでも、迅雷との戦いはファラスさんと出会う前のことだぞ!?」
「戦闘記録、らしいわ。記録してどうするつもりだったのかしらね」
「………………、……やっべ……嫌な予感に辿り着いちゃった……」
「?」
「うわぁ……、ちょっと、あぁ……」
急に声のトーンが落ち、大人しくなった颯汰。
しかし顔色はますます悪くなっている。
ジリジリと頭に掛かるノイズがシルエットを浮かばせた。立てば芍薬、座れば牡丹、剣を振るえば狂戦士――そんな師の幻影が一瞬チラついた。超こわい。
「大丈夫?」
「だいじょばないよ? 盗撮映像で知らない歌手のミュージックビデオみたいなの作られ、知らない人多勢の前に公開されたら、人間って恐怖でわけがわかんなくなるんだよ?」
淀んだ目をした少年に、氷のような冷たかった女は微笑み、優しい口調で諭すように言う。
「……でも、そのおかげで君は生きている。魔力も満ちたおかげで巨神を葬り、ヴラドを倒せた。多くの人々を救い、そうして君は生き延びることができたじゃない」
「いやねぇ、それ……、ズルくない!? それ言われちゃ、もう、……だめでしょ!?」
反論をすべて封殺する切り札を提示されて、颯汰は吠えるしかなくなる。仮に映像を公開しなければ、颯汰はどこかで間違いなく命を落としていた。
大いなる犠牲を払わねば、勝ちは無かったのだ。実際、天秤に秤れば大抵は命より軽いものだ。
そうして真実を知った颯汰は、項垂れていた。
うなされるように苦しい顔をしている。
声援と共に飛んでくるのが奇異の視線に思えてきた。確実な被害妄想であるのだが、そのように感じてしまっていたのだ。
捏造や加工、演出や嘘字幕までもが加えられたヒロイック・ショート動画は民に大ウケであった。
「私の固有能力を使ったのも、民を誘導して映像を見せるときぐらいだけ。皇帝の所業も圧縮映像で流し込……見せてあげた後に、あなたの映像と、外の戦闘を生中継したら――想像以上に人気でちゃった」
視覚からの映像刺激により、ほんの数十秒で脳に刷り込まれたのは、ヴラド帝が影でやってきた人の道を外れた所業の数々――すべてが真実であり、それでも足りないくらいであった。
どれだけ皇帝を尊敬し、愛していても、脳の片隅には残り続ける。実験による犠牲者の悲鳴と、吸血兵の製造過程と巨神の補助電脳――帝都を満たしていたスモッグ状の白煙の正体。
これもある種の“洗脳”に違いない。
その反動が英雄を造り上げた――。
邪悪な神――人々を騙した悪魔と戦う英雄こそが求められたのだ。
彼らの怒りはもっともだ。たとえ多大な恩や憧れがあっても、だからといって人身を贄とする約束はしていないし、愛した家族・隣人が殺されたとなれば当然だ。
帝都中に流された煙や薬物などによって、すべての優先順位の最上を、神聖にして不可侵たるニヴァリスの皇帝だという刷り込みが既になされていたが、氷麗の魔王による“愛”によって漂白された。その真っ白でフラットな見かたにより、皇帝は特別視されず、ニヴァリス帝国による洗脳は解かれ、晴れて星輝晶はこの地に降臨した。
帝都中の国民が、新たな支配者を選んだのだ。その背の白銀の創傷から迸る光は、降り積もる雪の燦然としたものを想起させた。銀嶺の光――希望の光を。
「ぉぉぉ……!」
すべてを知った颯汰が、悪夢よ醒めよと縮こまっていた。今頃になって羞恥心が芽生え、震える。それを氷麗の魔王は無感情そうに見ていたが、若干口角が上がっていた。
そして、車両は目的地に着く。
人だった頃の皇帝が討たれた現場を通り過ぎ、本来はパレードの到達地点で、建国祭の式典が執り行われるはずだった中央広場だ。
24/06/03
誤字脱字の修正




