145 凱旋
ニヴァリス帝国の首都・ガラッシア――。
平時でもこの地は活気に満ちあふれている。
凍土の外は非常に寒く、人間が生きていくにはだいぶ厳しい環境である。だがカラ元気によるものではなく、きちんと人の営みによる明るい雰囲気が出ていた。仄暗く煙る街の様子とは正反対ともいえる。
円球状の透明なドームに包まれた、異形の都市内部ではその寒さとは無縁であるのも大きい。
煙る水晶玉の中はどういった街であったのか、此度も少しだけ触れていく。
過去の遺物たる、地下に広がる縦軸の大穴――現在よりも遥かに発達した機械群が存在する特異な場所の上に、被せるようにしてこの大都市は築き上げられた。
農作物の類いまで地下プラントの広大な農業施設で生成され、ほぼ自動であるがため職業・農民はこの都市にいない。勿論、有事の際に必要になるため知識を持つ人間はいるのだが、地上エリアで働く一般市民では――兵士や技術者、商人などが大半を占めている。
男性は重病人以外は兵役義務もあるが、実際に軍人になる人間は優れた才能を有するものか志願者、貴族ばかりであった。
ニヴァリス帝国の成り立ちからして貴族も戦うことを自然と求められる――国を護る力を持ち、民を護ってこそ、特権が認められるべきだという思想があった。それでも、軍属の騎士となるには才覚の方を重要視されていた。
血統だけでろくに使えぬボンボンがいては軍――ひいては国まで腐敗しかねない。
だが実際に腐敗の温床であったのはニヴァリス家――この国の皇帝一族であったが、皇帝ヴラド四世は絶対的な人気を誇った。単に血筋だけではなく、若かりし頃はまさに超人とも呼べる伝説の数々を残す皇帝であったがためだ。
霊山から転がる巌を受け止めただとか、熊型の魔物の群れを一人で膾切りにして壊滅させただとか、眉唾物ばかりではある。中でも――南の大陸の英雄と呼ばれた男は軍を率いて巨神の再来と呼ばれる巨怪を討伐したが、皇帝は単独でしかも素手で撃退し、その後追いかけて討伐したらしい。……さすがに無えだろ設定盛りすぎ、とは書を読んだときの立花颯汰の感想だが、実際に戦ってみて絶対に嘘だとは言えなくなるくらいには、彼の皇帝は強かった。
最も、皇帝が絶大な支持を受けるのは――帝都から伸びたパイプから供給されたエネルギーにより、離れた小さな農村であっても暖房器具が稼働するように工事を命じたところだろう。戦いの武勇も然る事ながら、為政者として民を『家族』として大事に尽くしたことが今日までの人気につながっている。
極限の環境で、身体を暖められるということは言葉で尽くせないほどの救いとなる。実際に、四世が即位してすぐに工事を着手させ完成後、ニヴァリス全土の人民の死亡率は劇的に減った。また交通整備と共にミラドゥ種の開発がされ、物流も盛んとなった。各地の名産品も速やかに届き、地下プラントで生産された野菜も届けることが可能となった。さらに物流以外にも、旅行者もボチボチ増え始めた。ただし気候の厳しさによるルート変更や、予期せぬ滞在が結構頻繁に起こるのだが、それでもあまりに進み過ぎた技術群と異形なる帝都の外観により、少しずつ人気を上げていた。
統治者に対する不平不満がゼロということは、どんな理想郷であっても絶対にあり得ないが、ニヴァリス帝国においての皇帝の支持率は周辺国と比較しても群を抜いて高いと言える。それほどまでに民に尽くし、慈しんだ結果である。
では、それだけの傑物を殺した場合はどうなるか――想像に難くないだろう。
立花颯汰は帝都に戻るつもりであった。
どんなに殺意の目で見られ、襲い掛かられようが戻る必要があると断じていた。
ひとえに、吸血鬼化された人間を放っておけないがためだ。そこまで思い入れがあるのか、と尋ねられれば彼は否定するのは間違いない。
いつも通り「放っておくと目覚めが悪い」と理由づけての行動だが、放置しては害を為すという正当な理由もある。アンバードまで吸血気化した人間による被害は起きていたのが、そもそもの事の始まりだ。
そして、皇帝を自分のエゴで罰した。
帝国の頂点であり、実験を指示していた悪逆非道の男――、その責任者の首を獲った(実際に撃ち抜いたのは別の人物であるが)。それで「はい、解散。帰国帰国」なんてできるはずもない。
研究者たちを問い詰めて人間に戻す方法の有無を確かめ、二度とやらないように釘を刺す必要もある。
騒ぎは確実に起こるが、正体を隠して事を進めるのはもはや不可能であるがため、再び『魔王』あるいは『怨霊』のふりをして、“恐怖”によって支配を進めようと颯汰は考えていた。皇帝への信頼――即ち“愛”を、“恐怖”で塗りつぶそうと画策していたのだ。
そして現在――。
機神は討たれ、真なるヴラドも滅び去った。
帝都に再び熱が灯る。
暗く重く垂れ下がった雲が消え、斜陽が眩い。
夜の闇が迫る夕暮れ時を迎えたというのに、帝都は熱狂に包まれる。
日常の喧騒を超えた張り裂けんばかりの叫びを、一身に受けるは――立花颯汰。
彼は、覚悟してきた。
罵詈雑言の嵐を、人々の恨み辛み、憎悪と怒り、ありとあらゆる負の感情をぶつけられることを。
受け取る覚悟をしてきたはずだ。そのすべてを捻じ伏せ、恐怖で制圧することまでもだ。
だが実際、圧倒されてしまう。
並び立つ群衆はまさに波だ。
幾千、幾万を超えた人民による声の圧。
生きているほぼすべての帝都の人間が声を張り上げた先に、立花颯汰がいる。
空気を大きく震わすほどの声たち。
遠くにいても、耳の奥がビリビリと感じる。
「…………、……!」
颯汰は、怯んでいた。
ここまで多くの人民に、一斉に感情をぶつけられるような事に慣れてはいないし、これからも慣れる事はないという確信が、彼の中にある。
皇帝ヴラド……ニヴァリスが誇る英傑ヴラド、
そして死して神となったヴラド神――。
を殺した男――立花颯汰。幾百万を超えた凄まじい声が、彼に向けられた感情の渦が、波濤となって襲い掛かる。
「「うわぁぁああああああ!!」」
「「「うぉおおおおお!!」」」
他の音が掻き消される。自分の口から漏れ出た声すら、捉えられないかもしれないと思うほどの音量と熱意を有していた。
『神の宝玉』を返還し、地下の施設で再稼働させたが、都市部全体が暖かさを取り戻すまでまだ時間が掛かるはずだというのに、建国祭にて“神”が降臨したとき同様――あるいはそれ以上の熱を帯びていた。
颯汰の下へ様々な声が、重なって届いてきた。
「「救世主!」」
「「「ニヴァリスの救い手!」」」
「ありがとう!」「英雄の子! ソウタ!」
「銀嶺の王! 我らの救いの主!」
「ヴァーミリアル大陸の英雄ボルヴェルグの遺児は、まさに英雄であったのだ!」
「「救いの主よ!」」
…………超、相応しくないはずの声。
想定外の、向けられるはずがない感情。
まさに狂乱――。憎しみに満ちた怨嗟の叫びと真逆の声が帝都に満ちている。
ニヴァリス帝国の住民の様子がおかしい。
ほんの少し前まで皇帝を神と信奉し、その非道の数々を知らぬはずの人民が、颯汰の名も存在も正しく知らぬはずのガラッシア中の人間が、熱くなっていた。まさに狂ったのだろうか。
そして、その声を受ける颯汰の様子もおかしくなっている。
「な、なんでぇ……?」
椅子の上で震えている。
ここは帝都ガラッシア――中心部の大穴を沿って動く山車ではなく、蒸気機関による皇帝一族の専用車両。選挙運動車の屋根の上のように設置された二段目の、最も目立つ上の玉座に颯汰は縮こまっていた。頭を抱え泣いてる子猫のようにも映る。
「ほら、手を振ってあげて」
近くに侍るは女魔王が男装したエドアルト。
霊器「ディスフラース」によって氷麗の魔王は再び客員騎士を演じる。他に侍る者はいない中、彼女はエドアルトとして軽く手を振った。
「「「きゃー! ステキー!」」」
黄色い声援は颯汰ではなく、彼女に向けてである。
「……ふむ。まぁ君はそのままでいいよ。可愛らしいし」
颯汰はその目でフィルターを無効にしているがため、女魔王の姿と声として認識しているが、傍から見ると青年が少年に対し何か変な感情をぶつけてるように映ることだろう。ただ遠すぎてそこまで想像が働くものは――……十数人ほどいたらしいが颯汰にとって知りたくもない情報であった。
「やだ……もうおうち帰りたい……」
このような泣き言も、幼い少女が言えばいくらかマシであるのだが実年齢はもう大人に近しいはずのお兄さんが言ってると考えると、大抵の場合は気味が悪く思うか、てめぇうるせえ張っ倒すぞと口にする事だろう。
ただ、彼の精神は参ってしまっていたから、多少の幼児退行してしまったのは仕方がない……のかもしれない。
……――
……――
……――
ガラッシアの外にて、悪しき野望を抱く皇帝ヴラドを討伐した直後――。
身動きが取れなくなった颯汰は、仲間たちによって助けられた。真なる人類となったヴラドの遺体を退かし、救出された颯汰は何やらバツの悪い顔をしていた。庇うように、右手を身体で隠し置いていた。真なる人類の遺体を退かしてもらったら、お礼を口にしながらすぐに落ちていた「ディアブロ」――赤い布型の霊器を取りに行こうとするも、颯汰は足がもたれて倒れてしまう。雪原で怪我は無かったものの擦った痛みはあった。手を差し伸べられ再び仲間に助けてもらったがそこで露見してしまう――白骨化ならにぬ、炭素化したような右腕が見られ、リズは表情を変えぬままボロボロと泣き出してしまった。
シロすけにおそらく初めて怒られ、颶風王龍は最初こそ黙っていたが、彼女から再生するかと尋ねられて颯汰が慌てて肯定したところ、彼女は安堵の息を漏らしてから「そうですか」と優し気に返してくれた。彼女にまで罵られたら颯汰のメンタルは死んでいた。
さらに合流したヒルデブルクとアスタルテに問い詰められて事情を話すとアスタルテも泣き、ヒルデブルクは涙を必死に堪え、颯汰を叱ったのであった。
誰かに心配されるということは喜ばしいことであるとは心の片隅で思っていたものの、いざ責められると萎んでしまった。あの時は他の選択肢がなかったとはいえ――自分でも悪い事してしまったという罪悪感も相まって、颯汰はしおしおに萎びて、しわしわの泣きっ面となっていた。
――……
――……
――……
颯汰の右腕はいずれ戻る。
左腕からの音声ガイドによれば、安静にしていれば最低三ヵ月ほどで回復する見込み、らしい。
見るに堪えない焦げた枯れ木みたいな手を、医者が診ても即座に匙を投げるぐらいには酷い状態であるのだが、エネルギーをすべて回復へと専念すれば再生する――つまり変身どころか戦闘もしばらく厳禁である。
それでは当初の“恐怖”を与えて帝都の制圧がかなわない。どうすればいいかと考えようとした矢先に、氷麗の魔王が任せてと言った。極限まで疲弊した肉体の疲労と精神的な疲労により、颯汰はあまり深く考えずに、彼女の話に乗っかったのである。
「その結果がこのあり得ない状況ですよ!?」
颯汰が叫ぶ。格好も改められて白い気障ったくて豪奢な正装となっていて、肩から降りる布によって負傷した腕もきっちり隠れている。まるで新たな統治者のような扱われをしていた。
ニヴァリス帝国の首都ガラッシアで、予想した真逆の声を受けて車両はレールの上をゆったりと進む。
今すぐ逃げ出したい、ちょっと錯乱している少年王に氷麗の魔王が静かに言う。
「ニヴァリスを救った英雄としての凱旋とか、これほど良い待遇は無いでしょ?」
「意味がわかんないんですけどぉ!? どういうことなの、ねぇ!? ……ハッ!」
身を起こす颯汰が何かを察した。
彼が口にするであろう回答を予測して女魔王は微笑ましく思いながらも静かに聞く。絶対に正解しないだろうという自信が、爽やかな水色と白の長羽織を着た女子校生風の魔王にはあったのだ。
「これ、アンタの固有能力でしょ! みんなまともな思考能力を有してないんだ!」
じゃなきゃこんな頭おかしいことになるはずがない、とまで付け加えた颯汰。
「ううん」
それに対し氷麗の魔王は平静な様子だが内心はニコニコで答えるのであった。この女、ちょっと状況をエンジョイしている。
「嘘でしょ!?」
「たしかに、私の能力は使ったけど今は解けてる」
「? どういう……?」
氷麗の魔王はそろそろ説明しておこうか、と心で呟いた。
「《王権》を君に渡したとき、下準備が必要と言ったじゃない」
「言ったね」
彼女の行動――あのアシストがあって巨神を、ヴラド帝を倒すことが出来たのは間違いない。でも実際に何をやったのか、颯汰はまだ聞いていなかった。
「その結果よ」
「いやいやいや、端折るな、端折るな! 過程も結果も謎過ぎて何一つもわかってねえんですよ、こっちは!」
ふふん、とちょっと得意げなのが腹が立つ。彼女は故意にそう言ったのだ。
今のは笑い話で済むレベルの冗談だ。
しかし、実際に彼女が――氷麗の魔王たち行ったことを知り、颯汰は青ざめる事となる。




