141 必殺の一撃
たった一撃――。
此度の闘争……否、“戦争”にて、今まで積み重なった疲労やダメージも勿論あった。
致命的な一撃であったはずだ。
躱すことが不可能なタイミングで放たれた。
身体を持ち上げてきた手に短刀を突き刺し、痛みにより手を離してもらったまでは良かったのだが、反射的に放たれた蹴りの鋭さは、子供の身には耐えきれないものであった。
颯汰は即死してもおかしくなかった。
だが、なんとか立ち上がって見せた。
ヴラドもすかさず、トドメを刺そうとしたところに邪魔が入ったのであった。
颯汰の近くに浮遊する《王権》――氷を操る女魔王の所持していた王錫。
杖は颯汰を護るように出現し、淡く優しい光を放っていた。
『…………』
ヴラドは敵の様子を眺める。
残された時間はそう多くないというのに、敵の異様さに動きを止めた。死に瀕してるように映るが、油断ならない。敵は幼子から青年に姿を戻し、各種に装甲を纏っている。
その姿は不完全な状態に思えた。だがその目は蒼く輝き、闘志が滾るのを感じる。どう見ても死に体であったというのに。
さらに神々しく、だがヴラドから見ると不気味に浮かぶ“魔王”の杖もある。
それを操るかどうかはわからない。しかし先の戦いでこの青年は別の“魔王”を使役していた。
使えると想定する方が自然だろう。
『む……』
敵の動きにヴラドは呟く。
颯汰のだらりと下がっている右腕からだ。
傷だらけの右腕部に巻き付いた赤い襤褸切れが動き出した。
右肩から右半身を覆うように赤い布が質量を増して展開される。
間違いなく霊器である外套――『ディアブロ』という名であることも特性もヴラドは知らない。だが一つ警戒する点が増えてしまう。本体だけではなく霊器からも魔法を放てる点だ。
通常であれば周囲を渦巻く白銀の粒子による嵐が、魔法を検知した途端に襲い掛かり掻き消してくれる。だがこの相手が放つ魔法には反応しない、とヴラドは身をもって学習済みだ。
その理由も機神のデータベースにて所得し、ヴラドも理解している。そして今の身では食らえばダメージになるとも、だ。霊器にまでその特性を得るかは不明であるが、警戒して損はない。そこまで考えていたヴラドであるが、他にも気になるところがあった。
――腕を隠す意図は……。さがりきった右腕……一見するとろくに武器を握れぬほどに使えない。だが手の部分だけは黒い鎧装と同じく強化されていた。……あの光る刃はどうだ。使えるのか?
一度見たことのある右腕部の武装、右手の甲の上を伸びる烈閃刃は、刃が高速回転することで切断力を高め驚異的な切れ味を見せた。巨神のうなじ部分の装甲とその下にある人工筋線維すら切り刻めるほどだとはヴラドは身をもって知っている。
――右腕が使えないと誤認させ、あの布で隠した刃での奇襲か
烈閃刃が使えるかの有無の判断はつかないとしても、何かしらの武器を使うとヴラドは睨んだ。
では、左腕はという疑問が浮かんだときに既に颯汰は行動を始めていた。
『亜空の柩――』
氷麗の魔王の《王権》を封じ込めていた棺型霊器だ。「確か彼の者が口にした名称とは異なるはずだ」とヴラドは思ったが、指摘はしない。
盾を構えるように前に突き出すと、傍らで浮いていた《王権》が光になって、アームズ・コフィン――亜空の柩の内部に格納された。
颯汰は続けて命令を下す。
肘を曲げて拳は上に向けると、盾でもあり鞘ともなるユニットから剣が射出された。
銀の刃は宙を舞い、落ちてくるところを左手で掴み取る。
颯汰は敵対者にその剣の切っ先を向ける。
その剣身はほのかに銀の光に包まれている。剣自体は然したる特徴のない品であるが、あの光に包まれれば切れ味が増すものだということもヴラドも理解している。
皇帝はフッと笑い、挑発に乗る。
残された時間も無い中、いつまでも悠長にしてはいられない。
『いいだろう。――罠であろうと、剣の間合いであろうと関係ない。この肉体にて、すべて切り開く!!』
ヴラドは再び呼吸を整え(口部が見当たらないが)、オーラを放つ。
佇む灰白色の真なる人間から、半透明の面が顔の横にふたつ、腕がそれぞれ肩からふたつ生え始める。
出現した三面六臂の怪人に対し、颯汰はもはやツッコミを入れる事はしなかった。
ただ真っすぐ、獲物を捉えるよう、狩人の目となっていた。
人類の新たな進化として設計された存在『真なる人の身』は、この時代より遥か未来に到達する可能性の断片と言える。
死に瀕したことにより休眠状態から強制的に目覚めた“獣”は、颯汰を通してその姿を目視して、一瞬ざわついた。
そこには恐怖はなく、すぐに騒めきは鎮まった。それが立ち塞がる敵であると認識してからは早かった。
宿主である少年が受けた致命傷を回復させるのと、敵意を剥き出しにした外敵の排除するための武装を選択する。非常に冷静であり、邪魔な情報を遮断して立ち向かう。
しかし、当初の計算では立て直しを図るにも、大分厳しいというのが現実であった。
主武装を担うため左腕をメインに大々的に回復させたが、十全ではない。脚部に至っては身体を支えるためだけに強化を施している状態であった。平衡感覚も狂い、今すぐでは数歩ぐらいなら踏み込めても、その先は倒れてしまうことだろう。
つまり、得意な高速戦闘は難しい。
剣戟すらまともにやれるかわからない。
冷徹な猛獣は内側で計算し続けていた。
外部の情報も読めない今、自分たちの力だけで乗り切らねばいけないと覚悟したところに、“救い”が現れてくれた。
頭上の天蓋を超えた先に佇む結晶物――『星輝晶』があった。
魔王が治めた地に生じる、バラつきはあるがだいたいが人体ほどの大きさの結晶。
なぜ今になって出現したのかは知りようがないが、青の輝き強まるのと同時に、呼応するように力が湧いてくる。供給量が増していく。
『…………』
荒いが、しっかりとした呼吸をしている颯汰に代わり、“獣”はその存在を知覚していた。
出力が一割に満たない状態であったが、エネルギー供給量はどんどん増えていき、各機関の回復を図る。
機能停止していて途切れたリンクも再接続され、各《王権》から送られてきたエネルギーを変換も並行して行う。
特に王錫型の王権からは膨大な量が生成されていた。遠隔から送られるモノや、先の戦いで酷使した王冠からのものと比べると数十倍という異常値を叩きだすほどに。
だが、それでも損傷は大きく長い戦いはできない。完全な立て直し――全快までは相当な時間を要するが、既に敵は駆け出してきている。
颯汰は静かに呟く。
『……あれしかないな』
敵の変化に真なる人間となった皇帝ヴラドは警戒の色を強めていた。だが彼にとって消滅は免れないものであり、時間が限られているため、攻撃行動を始める他なかったのだ。
回復するまで時間を稼げないと悟った颯汰は、ここで討つと覚悟を決めた。
ありったけをぶつけ、勝利を掴む――。
その為に颯汰は右腕を振るう。
雪原を踏み出したヴラドに対し、颯汰は右腕を動かした。厳密にいえば、霊器を介し、無理矢理に動かない腕を、ぐるぐると巻いて絡めた布によって動かしたのだ。真っ赤な布が放射状に広がり、ヴラドの視界から颯汰の姿が隠れた。
――布により視界を覆い、その隙を突く……小細工とは言うまい。それも立派な戦術だ
正面から相対している敵に対し、脚運びを隠して距離感を騙すような戦術もあるが、これはもっと単純なものであった。視界を遮り、必殺の一撃を狙う。
颯汰に残された道はただ一つであったのだ。
殴り合っては勝てない。
多少動けるようになっても持久戦は不可能。
最速で動こうとすれば足も内臓も悲鳴をあげる。
ならば、必殺の一撃に賭けるしかない。
無音――音すら響かない。
時間の感覚が間延びしていく。
極限の集中力が現実と認識を乖離させる。
布で見えないのは互いに同じであるが、当たり前の話なのだが、条件は互角ではない。
先んじて動く仕掛けた側が有利であるし、手札をすべて見せてないのも活きる。
赤い布を突き破る、白刃の煌めき。
六つの目が捉える――面を貫かんとする燦然とした殺意が迫る。
しかし、後手に回ったように見えたヴラドも、颯汰の作戦を読んでいた。
だらだらと剣戟を続ける余裕がない彼は、一撃必殺を狙う――狙うならば心臓か脳だ、と。
どちらも正確に狙うのは難しいが、角度や面積、避けやすさの都合上、やはり頭より胴体を狙うのが定石と言える。骨で致命打を免れるという奇跡は起こりえても、颯汰は一刀を捻じ込めば、勝つ秘策があった。――であるのだが、そこをあえて外す。
顔面を狙った刺突。
ある種、奇をてらった選択だ。
その奇襲までも、ヴラドは読んでいた。
歴戦の猛将の血統が成せる業か。
あるいは、ただの予感か。
しかし、ヴラドは確信をもって颯汰の攻撃を予期し、そこにあわせて防御をしてみせた。
突き刺さるはずの刃。
赤い布を押し込み、突き破ってやってくる刺客に対し、拳で歓迎する。
下から右拳を突き上げ、上からも右拳で挟み込んで剣身を一瞬でポッキリと折れた。
オーラによって形成されたまぼろしの右腕たちによって払い除けられ吹き飛んでいく刃。
砕け散った白銀の刃は宙を舞って雪原の上に刺さり、溶け込んでいく。
ヴラドはそのまま第二波に備えるのではなく、反撃に移る。
颯汰の次の手――本命が来ると確信していた。
『――そこだぁあああッ!!』
ゆえに、先んじて潰す。
距離を詰め、外套ごと切り裂くような足蹴。
まさに大剣とも言わんばかりの切れ味で、赤い外套は切り裂かれる。裂帛の叫びの後に、布と同じく真っ二つの、無残な姿が現れた。
広がる外套の中心点に右腕があり、そこから繰り出される一撃こそが本命だと信じていたヴラド――その読みは正しい。
柔軟な肉体、丸太のような太い筋肉の塊の脚から放たれた蹴りは颯汰を正確に切り裂く……――はずだった。
切り裂かれた布の先に見えるはずの、蹴り砕かれた颯汰の姿はない。
『……む!』
蹴り抜きながら、ヴラドは違和感を覚えていた。布と異なる硬いものにぶつかる感覚――。鎧装の一部だろうかと思った。
引き裂かれた布の隙間に覗かせるのは人体ではなく、代わりに置かれたのは――氷塊。
ヴラドに憶えがあった。
氷像を生み出す魔法――「アイス・ドール」。
王権が造り出した幻影たる氷を操る女帝は、その派生形として死神の氷像を造り出して攻撃させていた。
颯汰が造り出したのはヒト型のシルエットだけで、独りでに動きだしたりはしない。
単なる変わり身として置いたもの。
思考の一瞬の淀みこそ、狙ったもの。
手応えがなく空を切ったとならば即座にヴラドが反応すると颯汰は読み、たった一瞬の隙を作るために生み出されたデコイのようなモノ。
颯汰は少し、距離を取っていた。
広がった布と刺突したほぼ同時にカウンターとして蹴りを入れたのに、三ムート弱もの距離がある。何かのまやかしか錯覚か疑う前に、ヴラドはその多眼により真相に気づく。
黒い靄の集合体が折れた剣の柄を咥えている。
切り離された赤い布。
颯汰の左手には新たな剣。
蹴り砕いたのは氷の塊。
そして、ひらひらと落ちる二枚になった布に隠れて迫る――氷の弾丸たち!
ヴラドの多眼により全弾捉えた。
発射間隔をずらし、落下する布に隠れるように下から狙いをつけていたものまであった。
巧妙と呼ぶにはかなりあくどい攻撃である。
黒獄の顎に布と剣を持たせ、その場から動いていないという一演技を打ってもらいながら退避し、契約した氷麗の魔王の魔法――颯汰は半ばトラウマとなった人体に風穴を開ける魔法の氷柱を六つ飛ばした。それらは半分ずつ、ヴラドの両肩を狙っていた。
それらの対処をしなければならないのと同時に、悪鬼は死を与え、生を受け取るために勝負に出てくるのであった。
虚を突くは、必殺の一撃を叩き込むがため。
策を弄するは、生きるため。
眼前の敵を滅ぼさねば、未来は無いのだから。
一歩踏み出し、激痛に耐え――、
二歩踏み越えて血が零れ出て――、
三歩踏み抜き、歯を食いしばり――、
四歩踏み込んで斬り上げた――。




