138 白銀の風
輝きを持った絶技にて、巨神は両断される。
大太刀とはいえ、圧倒的な大きさを誇る機械仕掛けの神を、彼の身を覆う氷の封印ごと切り裂くのは容易なことではない。
対神兵装である剣を用いらねば「廃滅の魔導剣」であっても、機体どころか透き通る氷塊から、ほんの少し切れ込みが入るぐらいで、本体に届かない。まったく意味のない斬撃となっていたことだろう。
蒼き光を宿らせた、神を断つ刃を振るった。
赭い雷光を脚に纏いながら、雪の大地に降り立った者は静かに言葉を紡いだ。
「俺たちの、勝ちだ……!」
呟く言の葉は、後にやってくる周りの大音響に潰されるほどの小さな声であったのだが、はっきりと、どこか力強く宣言してから、地を蹴っていく。
自身が生まれ育ち、受け継いだニヴァリス帝国を繁栄させるがために、人が歩むべき道を外れていった男――ヴラド帝。
その男を敵とみなし、殺害した。
晴れやかなる感情など芽生えない。
失った命は戻らないのだから。
焼き切れるような熱風が、凪いでいく。
飛び去る背後で、両断された超巨大氷塊と巨神が、断面からズレ落ちていき、倒壊する。
飛沫のように、積った雪が柱となって昇る。
一瞬の猛吹雪が颯汰の後を追い、背後から襲い掛かってきた。
視界を埋め尽くす白の闇。
雪崩れにも似た雪風をその背に受けた後、颯汰は空を見上げた。
闇が過ぎ去った世界は、元の色を取り戻していた。赤い呪いはすべて消え、アルゲンエウス大陸――ニヴァリス帝国領内の本来の景色となる。
頭上に重く垂れさがっていた暗い色の雲も散り、晴々としたアルオス神の円盤たる太陽が下ろうとしていたところだ。
「…………」
差し込む陽光――。
舞っていた雪の小さな粒たちが照らされる。
世界があるべき光を取り戻したということを示すように、キラキラとした燦めきに満ちる。
光の乱反射が眩しくも、美しい。
その景色に、颯汰は心が洗われるような気がした。
颯汰は戦いに終止符を打ち、魔導剣を納める。
変身が解除され、すべての装甲が光へと還り、小さな左腕に流し込まれていく。
身体も光に包まれて縮み、まだ年齢が二桁いっているくらいの少年の姿に戻っていった。
「終わったか」
高い声音で呟き、少しホッとして息をもらす。
仲間たち全員の尽力により、皇帝の野望を止めたのだ。
ナノマシンによる攻防一体の嵐を前に、それを全く寄せ付けない颯汰たちが直接、巨神の相手をする。そしてナノマシンを排出口を潰し、背部のエネルギーを供給させている神の宝玉を分断させて完全にナノマシンの生産をストップ。そして氷麗の魔王が“魔女の呪い”――封印魔法により巨神を死をまき散らす兵器として改めて認定させ、凍結処理を施した。
完全に凍りつき、誘爆の危険性が消えたところを、颯汰は全身全霊、渾身の一太刀にて巨神を破壊する。
氷麗の魔王が画いた図――作戦通りに皇帝を討ち取れたのであった。
空から冷たいけれど、爽やかな風が吹き抜けていく。
少し遠くの空を、四大の風――颶風王龍とその小さな幼子が飛行しているのが見える。彼女の両腕で掴んでいる、だいぶ縮小化していた大結晶が赤く光っている。
「……あれ、大丈夫かな。いや、でもなんか一時期増殖してたっぽいし、たぶん元のサイズに戻る……よな?」
皇帝の背から内部に侵食していた大結晶――神の宝玉。その大部分をカッティングしてしまったのかもしれないという焦りが生まれる。
帝都の中心の三重螺旋に支えられていた空中庭園――その広大な人工島の下部に備え付けられていた神の宝玉は巨神が帝都地下――遥か地底までもっていき、今のように形状を変え、増設した背部のバックパック内部に収めたものである。安定性を鑑みると、元の大結晶の状態が望ましい。先ほどまでの戦いで背部から様々な方向に侵食するように結晶自体を増やしていたた自己修復が可能かもしれない。正常に機能してもらわなければニヴァリス帝国民は寒さで生きること自体が難しくなるため、颯汰にとっても責任を感じるかなり気掛かりな問題であった。
ふと、そこで颯汰は気づいた。
普段何気ない疑問を口にすると、大概お喋りな左腕から何らかのメッセージが発せられる。その、どこでもなんでも辞典のアナウンスが聞こえない。左腕は元の少年のものであるが、それでも黒い瘴気と共に声が聞こえていたはずだ。
「力を、使いすぎたもんなぁ」
その言葉は風に流れる。
左腕を動かし、様々な角度で見ながら呟いた。
無尽の魔力を供給する《王権》――紅蓮の魔王とは契約による遠隔供給であるが、膨大な量の魔力を受け取り、それを行使させるためにかなりの無茶をやった。外付けのユニットは超高性能であるが、本体もそれに合わせた性能を引き出さんとして、凄まじい負荷がかかったようだ。
肉体的な損失が一切ないのだから代償としては破格なものだ。おそらく、しばらく能力は十全に使えないが休めば回復するだろう。感覚的にそういうものだ、と颯汰は感じ取った。
――ともかく、全部が終わった。みんなと合流しよう
戦い自体はそこまで長くはなかったが、死線を幾重も超えた激闘は、体力を奪うのに充分であった。このまま倒れ込み、雪と共に寝入ってしまいそうなほどに疲れていた。
……このまま、横になっても誰かしら運んでくれるのではなかろうか。
そんな普段は見せたがらない、甘えみたいなものすら頭の隅に選択肢として出てくるほどに疲れ切り、激しく濃密な戦いではあった。
崩れた神の残骸を背に、雪原を歩む――。
このあともやるべきことは山積みではあるが、今はもう戻って休もう。そう心に決めた立花颯汰は小さな歩幅で懸命に前へと進む。
たどたどしくも着実に。
小さな足跡が続いていく。
ふと、風が再び吹いた。
燦めきの風。
山からの颪、そして地の上を滑り征く風が、宙に散った雪を運んでいく。
白銀の攫い、冷たく吹き付ける。
身震いを起こすほどだ。
今の姿の子どもであれ大人であれ、健康に害するほどの寒さである。頭上にある太陽が、極寒の地を暖めるには少し時間がかかることだろう。
「っ……うぅ。寒ぃ……」
毛皮の防寒装備万全の状態に戻っても、厳しい大自然の猛威を感じる。
その流れる白銀の風の中で、颯汰は突如として腰に帯びた短刀を抜き放ち、振り返った。
「――ッ!?」
直感であった。
肌で直接感じるもの以外の、悪寒。
嫌なものを感じ取った。
突き刺さるような純然たる敵意――。
吹雪――風が強まったように思えた。
吹き荒れる風は颯汰を囲うように動くのが、光の粒子の燦めきでわかる。
不自然な風の動きで包囲されていることに気づく。……何に? 答えは単純だ。
「……!?」
薄くとも見える背景の遺物。
その断面から砲弾を放ったような音と共に、何かが飛び出して上昇する。目で追った颯汰であったが、それは逆光で一瞬見えなくなった。
影が、目の前に降り立つ。
落下してズン、と大きな音を立てる。
拳と膝を突いて着地したそれは――、
「なんだ……?」
人の形をしている、とは思う。
手足に頭、シルエットは間違いなく人間だ。
ぬるりと、立ち上がって見せた。
身長は、幼颯汰視点だとだいたい誰でも高くなりがちではあるが、百八十メルカン(約百八十センチメートル)ほどはある。
問題は、それはヒトと思えぬ姿であることだ。
顔は口と鼻が無い。あるのは六つの目だ。
灰色の仮面に見える顔。縦に亀裂のような三つのラインが引かれ、その跡を辿るようにバラバラに配置された目。眼球の色は黒いが、他が赤くぼんやりと光っている。……そういったちょっと趣味の悪い仮面にも思えたが、ギョロギョロと目が動くあたり、本物と認識してよさそうだ。
全身は灰色――生物を思わせる外殻のような表皮は衣服の代わりなのだろう。
背面――頭と背中に繊維質の塊か何かと思われたが、極太のケーブルが“本体”に毒されたかのように物質自体が変質し生き物の表皮のようになっていた。揺らめく髪、あるいは触手にさえ見える。
決して人間ではない。
怪物と称するしかない存在が、
『…………驚いたぞ』
言葉を口にする。
「こっちの台詞だ。喋れるんですかその面で」
颯汰は声で誰なのかわかった。
そんな敵の野暮なツッコミを無視し、超越者は語り始める。
『仮に、最後の一太刀が無ければ……。幾百、幾千、幾万の夜を経てでも、必ず完全なカタチで蘇ってみせたであろう。ニヴァリスの繁栄が為に』
「…………」
それは拳を強く握り締める。かつての誓い――掴みたかった大望をその手の内に収められなかったという事実を認めつつも、焦がれるものがあったようだ。
狂気の皇帝。自身を機械仕掛けの神と同化させたヴラドその人が、今目の前にいる。姿はまったく別物であるが、紛れもなくヴラドだとわかる。
颯汰が一度、巨神の内部へ侵入し停止させようと試みた際、胸部から追い出された。そのとき、目が眩む光と共に体当たりをかましてきた存在こそ、この姿のヴラド自身であった。
ずっと地下で精製した、己のための躯体。
万が一のために、巨神内部に移動させ、戦いながらも精製作業を続けていた。
己さえ生き残ればニヴァリス帝国の栄華は恒久的に続くとヴラド帝は考えた。老いた身では長くは生きれないと悟り、機械ではなく人間――新たな人類として作り上げた。
『だが、もう残された時間は無い』
ヴラドの開いた手のひら。
六つの瞳が捉えるのは自己崩壊が始まった肉体の様子だ。細胞が崩壊し、粒子となっていく様。
『……真なる人の身――まさに一時の夢、か』
巨神が“魔女の呪い”にて氷塊となった後、もしも颯汰がそのまま去っていれば、別の未来が待っていた。
颯汰は己が殺意を優先させたがため、真に皇帝の野望を打ち砕いたのである。
『見事だ』
ヴラドの声音に邪気の類いも、憎悪も感じ取れない。心の底からの称賛の言葉であった。
『其方の名を、聞かせて貰おう』
「立花、颯汰」
旧き時代のなんちゃら、のような言葉を皇帝は吐かない。自身の生涯で最も脅威であるものの名を尋ねる。それに対し、颯汰は偽名を名乗るかを一瞬迷ったが、本名を口にした。
『ソウタ……なるほど……では――』
烈風が巻き起こる。
それは、超越者が一気に距離を詰めてきたことによる風圧と、捻じ込まれる右拳の圧。最速で放たれた縦拳は空を切り裂き、弾ける音を奏でた。
それに合わせ、颯汰は短刀の刃で受け止める。
刃は肉へと届かず――拳の骨でもなく堅い表皮によって守られた。ただ感覚的には甲殻のような堅さを感じる。金属にしては音が響かなかった。
『――最期まで、付き合ってもらうぞ』
「!?」
振り下された右拳を受け止められた後、捻った身体を反転させて蹴りを放つ。幼子の颯汰が食らえば死に瀕するのは明白。足蹴の鋭さは死神の鎌に相違ない。
「いや、そんな、冗談!」
問答無用と、真人ヴラドは颯汰を襲う。
颯汰は背面へと飛び下がり距離を取った後、一気に加速して離脱しようとしたが、
「……なっ!?」
白銀の風――否、夥しい数のナノマシン群で形成されたドーム内に閉じ込められていた。
大気中に存在していたものの殆どは本体が完全に停止し壊されたことにより失われたと思われた。これだけの数がまだ残っていたことに驚きを隠せなかった。
皇帝は敵対者の考えを読んでいた。
放っておいても皇帝は長くは保たない。であれば相手にとっては戦う義理もなく、あとは勝手に消滅するまで逃げればいい。
だから逃がさないがために、強固なナノマシンで包囲し結界を張った。放出した粒子により従来のそれと同じく魔法による攻撃は効かず、並みの物理も通さない。
『ちなみにそれらは其方が巨神を両断したゆえ、内部から放出されたものだ』
「ちくしょうそこは自業自得か!?」
長い目で見れば颯汰の選択は正しい。
超越者――真なる人間の躯体はどうやら『兵器』としてカテゴライズを回避したため残ったが、颯汰の一撃で不完全なまま誕生した。
しかし、そのせいで追い詰められている。
『なに。この身体と同じよ。すぐに消滅することを定められた存在――。早々に脱したいのならば、この身を滅ぼせばいいだけのこと』
それが出来たら苦労しない。という反論の叫びを颯汰はあげたかった。そうはしていられないほど、ヴラド帝の攻撃が早い。
――くっ……これは、マズいぞ……
敵の攻撃を見据えながら意識は左腕にいくが、目覚める様子はない。“獣の力”さえ使えれば、形成は一気に覆るというのに、それができない。
敵の手札をすべて削り切ったという慢心が招いた事態。
――いや、いやこんなの、誰が予想できるってんだ!?
灰に近い白い怪人は、業の閃きこそ当時の若かりし頃のヴラドのものであるが、肉体は全盛期を超えている。軍人の家計、恵まれた血統により――達人の域に至っていなくとも、素人の遥か上を行く武術で迫る。
態勢が崩されれば終わる。
掴まれば、終わる。
一撃を貰えば、終わる。
敵方である超越者も待ってはくれない。
死ぬ前に戦いたいという武人としての気質ではなく、死なば諸共の精神で挑んできているからこそ厄介だ。
今の颯汰ではフィールドの外へ出る力がない。
しかし当然、時間切れまで真ヴラドが待ってくれるわけがなく、いずれ捕まってしまうことだろう。
思考を巡らせる。
だが、真・ヴラドは残された時がない分、攻撃は激しさを増していく。
とうに限界を超えた身では、颯汰の方こそ時間の問題であった。
25/10/10
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