137 巨神の最期
凍てつく風の中、赤い闇に呑まれた世界――。
爆発が起き、焦げた臭いも風に流されていく。
元凶たる巨神は圧倒されていた。
抵抗はしているが、もはや無意味に見える。
文字通りの、雷霆の如き速さにて凄まじい威力で装甲を貫き破壊していく敵に、皇帝は為す術も無くやられている。まずはその右腕部からそれは始まり、右半身が蹂躪されていく。
誰もが思った――ニヴァリスが皇帝、機神となったヴラド帝は万策尽きたのだと。
敵対する魔王の片割れは、既に勝利を確信していたけれど、立花颯汰は油断はしていなかった。
だがヴラドにまだ、奥の手があるとは見抜けていなかった。
巨神の、現状を打開することが可能な打てる手すべてを、吐き出させたと思い込んでいたのだ。
崩壊する時の中で、皇帝は冷徹に思考が巡らせた。機械仕掛けの神となったヴラド帝は、自らの滅びゆく鋼鉄のボディを見て何も思わない。激しい損傷から生じる――存在しない神経から伝達される偽りの痛みを、皇帝は幻想であると認識していた。しかし完全に遮断することは出来ず、絶え間ない痛みは、呪いあるいは宿痾として皇帝の脳を蝕み続けていた。
さりとて、死に至る恐怖など微塵も無い。
かなり絶望的な状況であっても、勝機を見出す必要があった。彼もまたニヴァリス帝国を建国した勇士の末裔であり、根は軍人なのである。
――奴らの狙いは、わかっておる
であれば、尚更のこと敵の猛攻を止めるべき場面にみえる。しかし皇帝は痛みに喘ぎ敵の油断を誘う――好機を窺っていた。
巨神の右腕部から標的とされている結晶物を砕かれ、迎撃用の対空砲などもすべて破壊され続けている。
右肩と右腕の内部から大きな爆発が起きる。それにより装甲が捲れ、内部の機械と発生する黒煙、その中に漏電の光がバチバチと迸るのも見えた。
ふたつの光は、影さえ置き去りにする最速の移動と攻撃を織りなし、機神を追い詰めていく。
人体が食らえば一たまりもない、それどころか近くで掠めただけで肉が抉れる大きさの銃弾の雨を駆け抜け、逆に撃ってきた砲の中に雷撃をぶち込み、粉砕していく様は恐怖でしかない。死を運ぶ厄災の騎兵のように、吹き荒ぶ嵐の如き獰猛さをもって行軍する二対の光が縦横無尽に、全身を駆け巡って攻撃してくるのだから。
時折、雷撃の魔槍を投げつけて――膝などの遠くの弱点、密かに再生させようとした箇所を破壊しながら、颯汰たちは逆転の芽を丁寧に摘んでいく。
迅雷の魔王は一方的な破壊活動を楽しみ、立花颯汰は確実な勝利のために潰していった。
溢れ出す力により高揚感をもたらすに充分な状況であったが、颯汰は油断せずに進む。
その判断こそ正しい――正しいが、だからといって対応できるかは別の話だ。
――『“オーバークロック”、レディ……』
巨神は静かに処理を進める。
逆転の、真なる一手を打つ準備を整えた。
機関最大稼働で砲撃を放つ業も、フェイクだ。
あの一撃で倒せるだけの敵であれば、それに越したことは無かったが、敵方は想定以上の怪物であったため、捨て身で掛かる。
ナノマシン生成による自動修復の他に、巨神全機共通に備えた機構のひとつ。それこそが、『オーバークロック』――機体を動かすためのあらゆる処理速度を、限界を超えて稼働させることにより、限定的であるが巨神を凄まじい早さで動かす荒業的な機能だ。
それを一度、試したことがある。
裏拳を躱されたが、その拳が生んだ烈風により颯汰の身体は巻き上がり、俊敏な動きで羽虫のように叩き落した時――あの動きもオーバークロックを使ったのであった。鈍重な様子から一変して、人体じみた柔軟で軽快な動きをみせた。
機体への多大なる負荷、さらに魔力槽内の贄を数人分消費してしまうため、安易に連発ができない。
だからこそ、この状況で使う。
すべてを出し切って敗北する――ように見える状況で、差し込むのだ。
勝利を確信し、優勢であることを疑わずにいる愚か者によく刺さる。愚者に非ずとも、この状況で一瞬たりとも隙を見せずにいられるものだろうか。敵対するものを二人がかりで圧倒している――少なくとも、迅雷の魔王は勝ちを疑わずにいた。
膝、肘、肩それぞれ左右にある大結晶を砕き、所々にある同じ色の比較的小さい結晶物まで破壊していく中で、いよいよラストスパートとなる。
抵抗するように別の箇所――腰部や二の腕やらにも生やそうとしたが、雷撃の槍が突き刺さり、爆ぜていく。再生が始まっていた箇所も、両腕の砲を放つ際にそちらにリソースを割いたがために完全に直り切らずに壊された。
大本である背部の神の宝玉以外の残りは、左腕の二か所となる。
――『今だ!』
残り一か所よりも、二か所の時にヴラド帝は実行した。
一瞬で二か所を破壊される可能性もあったし、何より最後に一か所だけだと敵も集中して取り掛かるかもしれない。
皇帝ヴラドは瞬間的に動作速度を極限を超えて高めた。右腕――既に中破して使い物にならなそうな砲を向ける。右腕部だけ普段よりも数倍、異常なほどの早さで動いた。内部のシリンダーのパイプが軋み、亀裂が入っており、砲だって黒く焦げている。この一撃で右腕はもう使い物にならなくなるであろう。
壊されて不自由となった視界――巨神各所に設置していたサブカメラも破壊されたが、それがなくても計算で敵の位置を割り出し――向けたと同時に、砲を放つ。
溜めの時間も必要ないほどに早く、ほとんどノータイムで撃てた。出力はある程度抑える羽目となったが、先ほど迎撃したときの光の束とだいたい同じ太さと威力はある。
『――っ死ィィねェェええ!!』
皇帝の殺意を込めた叫びと共に――。
黒く焦げた砲から、ありとあらゆる生命も金属も融解させるビームが照射された。
熱線は寸分狂わず、敵の予想地点を射貫かんと伸びていく。自身の左肩と装甲、及び結晶物がたとえ焼き尽くされようとも構わない。
『!』
颯汰は、光の照射に気づいた。
魔法で造られた投げ槍を掴んで投げつけようとした直前で、固まる。迫る光の前に、驚いて目を剥いた。
ヴラドは最高のタイミングで、ビームを狙い撃った。計算尽くされた必殺の一撃――。
回避は、間に合わない。
颯汰の視界が黒い闇に包まれたが、死を避けるための光の道標は現れない。
『兄弟っ!』
直撃コースを僅かに免れた迅雷の魔王が、颯汰を引き揚げようと鎖に手をかけた。
しかし、颯汰の視界は黒に染まったままだ。
完全なる不意打ちに、ヴラド帝は勝ちを確信した。痛みさえ消し去っていたならば、笑んでいたであろう。
だが――。
狙いを定めていたのは彼だけではない。
収束した光のエネルギーが伸びきる前、それは着弾する。
唸る新緑の風――。
荒れ狂う烈風の剛矢が皇帝の右肩を射貫く。
エネルギー弾が右肘に直撃し、爆ぜることなく表面装甲を削りながら数瞬留まり、そして突き抜けていった。その衝撃で腕が勝手に動いてしまう。
『ぬぉぉおお……! ば、バカなぁあああ!?』
腕の位置が変わり、放射される光線は皇帝自身を焼く。しかもそれは頭部の飾りどころか、頭そのものを吹き飛ばし、背部のユニット――神の宝玉と本体を繋ぐバックパック自体と接合部分までもを、熱で溶かしていった。
背中の、大本である特大結晶はエネルギーを増幅し循環していく機能を有するため、巨神本体と同様に、下手に攻撃すると何が起こるか予測できない。すべてにおいてギリギリの綱渡りであったがそれを制したモノがいた。
仮に頭部が健在であったならば、皇帝は忌々し気に睨めつけていたであろう。
白き竜種――次代の王者が漂うように宙に浮かんでいた。
幼きシロすけは、巨神の行動を察知、あるいは予想して見抜いていたのかは定かではないが、確実に巨神が右腕を向ける前にそれを放っていた。
風の竜術――竜種の放つ最大出力の『神龍の息吹』では、颯汰たちを巻き込む可能性があった。
ゆえに、貫通力を重視する。
両翼から生み出されたうねりをあげる二対の風が混ざり合い、その集合させた暴風を操り、押し込むように威力を抑えた神龍の息吹を加える。
機を窺っていたのは皇帝だけではない。
シロすけもまた、敵に付け入る隙を逃さずに狙い撃ったのだ。
膝を突いた皇帝。
二対の光はすかさず、巨神の左肩と左肘にある最後の結晶を一瞬で破壊する。
『――ありがとう。シロすけ』
『ハッ、やるじゃねえか』
巨神の打てる手段がこれですべて潰えたかの判断はつかないが、これにて決着をつけるべく――、
『廃滅の魔導剣で決める』
すべての発生機関を潰し、皇帝の真上で佇む光が二つ。それが、再び一つとなる――。
『着装解除――』
立花颯汰が身に着けていた手や顔の装具が外れ、身体を覆う黒の表皮たる装甲も消え失せる。
外れた装具の鎖の先にいた迅雷の魔王は、纏う王権はバラバラになり、中身であるシルエットは同色の光となって刃に収束する。
「英雄の剣ならば、……耐えて、みせろ!」
颯汰が左手首の上から――鞘のような棺型兵装から飛び出した黒い柄を握り、引き抜くは輝く白刃。
アンバードのグレンデル家に伝わる秘宝、本物の(?)義姉から押し付けられた最高の一振り。
ボルヴェルグ・グレンデルの剣だ。刃以外は漆黒であり、飾りのような赤い宝玉――精霊が宿る霊晶が颯汰の叫びに応えるが如く燦めいてみせた。
『接続完了――。
システム:正常動作を確認――。
第五拘束、限定解除――。
リアクター起動開始――。』
響く左籠手からのアナウンス。宙に浮かぶ鎧装たちが一人でに動き始める。
巨神の上、上空にて颯汰は英雄の剣を両手で握り、天に掲げた。
迅雷の魔王であった光は刃に溶け込み、バラバラとなった二人分の装甲の、大部分が剣を囲い、残った一部が颯汰の脚部と一体となる。
「行くぞ! 合体王剣――」
剣は新たな形を成す。
颯汰がその剣を振るうと、剣身を覆うように青紫の雷光の力を宿した結晶の刃が形成される。
「廃滅の魔導剣――!」
この刃は、敵を仕留めるために振るったのではない。解き放つために造り上げたのである。
「いっ、けぇぇぇえええッ!!」
身の丈を優に超える長さを誇る大太刀となったが、それで事を解決ができるほど単純ではない。
颯汰は思い起こす――。
一度振るった昏き焔火の剣『カーディナル・ディザスター』。紅蓮の魔王が持つ星の加護を受けた大剣を使った時の記憶を、だ。
柄を握った両手が爛れるほど熱かったことではなく、振り回した際に発生した飛ぶ斬撃の方だ。
感覚が覚えている、今ならば放てる――!
全身を使って振るった大太刀から、刀身の数倍ではきかない特大の斬撃が放たれる。武器に込められたエネルギーだけではなく、三つの《王権》から受け取った魔力までを上乗せし、刃から放たれた真空波の斬撃は飛翔する。
刃と同じく透き通る青紫の光が三日月のような弧を描いて飛んでいき、機神皇帝の背中にあるバックパックを完全に切断することに成功する。
一刀にて決着をつけた颯汰は、叫んだ。
「――今だ!」
機神は完全に沈黙し、ナノマシンを生産し排出する機関は潰し、さらに神の宝玉と分離された今こそ、待ちに待った瞬間が訪れる。
事前に話していたわけではないが、その言葉で強風が吹く――ヒト同士の争いに介入させないがために待機させていた世界の守護者たる四大龍帝が一柱、“颶風王龍”――彼女が驚くべき速さで飛来し、外した赤い大結晶を両手で掴んで飛びあがった。
白い羽毛の柔らかい、天国の心地のある雲海の背に、颯汰は気づいたら乗せられていた。
飛び込んできた彼女が上昇した際に、颯汰を一時的に離脱させるために乗せたのだ。
「本当ありがとう。助かったよシロすけ。それにペトラ……さんも、ありがとう」
シロすけも無邪気に鳴いて母の後を追い、すぐに並んで飛んでいる。先ほどのこともあり、まだ気を引き締めるべきなのだが自然と颯汰の表情が綻ぶ。
長い龍の背中に乗って空へと上がったところで、世界は変わる――。
『――閉じよ……!』
どこか遠くから響く、女魔王の声――。
元より寒々とした空気が引き締まるように澄んだのを感じる。赤く染まっていた世界が、夜明け前の暗い空のように変わった。
明確に世界に変化が起きたのを認識した途端、雪が舞う。
白銀の煌めきを連れた風が巨神を包囲するように、上から下へと全身をくるくると右回転で回りながら降りていく。
雪の結晶を模った白銀の光が、巨神の足元まで降りた途端、光が広がっていく。
巨神を中心として、足元に巨大な陣が敷かれたのだ。
巨神をも超える巨大な、青白い氷を思わせる色の雪の結晶が中心から広がるように展開される。木々のように枝を伸ばし、あるいは華のように開いていった。
雪の結晶が巨神を超えて広がっていき、中心部からおよそ巨神二体分の長さで止まる。すると結晶がぼんやりと光が灯ったと思った瞬間に、光の柱が屹立する。
『ぐ、ぬぉおおおおおッ――!?』
顔のない巨神から悲鳴があがる。
凛冽なる白銀の抱擁――巨大な雪の結晶から発生した白銀のベールに包まれ、巨神――ヴラドが爪先から凍り付いていく。
侵食する凍結は止むことはなく、ヴラドは光から逃れようと、必死に動こうとしたところで無駄であった。すでに氷が全身を包み、光の外側へどうにか出た手の指先さえ、凍り付いていた。
巨大な氷塊は、既に墓標で相違ない。
皇帝はもう、動くことすらかなわない。
なぜなら巨神を守護していた“黒鉄の呪い”は発生しないからだ。本体の動力源となっていたエネルギーを供給していた神の宝玉は離れ、本体のナノマシンを生産し放出する機関も潰された。
そして彼の身に降りかかるは“魔女の呪い”。
危険な兵器と判定が下った一切合切を、文字通り凍結させ使えなくさせる、一種の“封印魔法”が発動させたのだ。
王権を颯汰に譲渡し、準備を整えた氷麗の魔王がそれを放った。
『敵機:機関、完全停止を確認――。』
その声を左腕から受け取り、大太刀を手にしたままの颯汰は颶風王龍の背から飛び降りる。
高所への恐怖は無い。
地下から伸びる巨大な鎖に巻き取られ、地の底へ落されるという過去の恐怖さえも乗り越えた。
であれば、あとはやることは一つ。
破壊した際、暴走して爆発する危険性が消えた今、裁きが――刑が執行される。
「これで……――終わりだッ!!」
颯汰は、極限まで強化された二ムート(約二メートル)を超える大太刀を振り回し、斬りつける。空中落下の速度を合わせ繰り出された刃は鋭く、氷塊ごと巨神を、両断した。
狂える巨神は、通り過ぎた閃光の跡――真ん中からぱっくり割れ、氷ごとズレ落ちていく。
叩きつけれた金属塊により白い雪が舞い上がり雪は煙る。
赤く染まった地獄みたいな景色は、いつしか青い静寂を取り戻していた――。




