136 光の線
迫る終末――。
ニヴァリス帝国が皇帝ヴラド――“灰のギガス”と一体となった機械神は何も言わない。
その震えは恐怖によるものではなく、外敵をこの地上から逃さず葬り去るためだ。
全機関をフル稼働させ、砲となった両腕を前に突き出す。かつて多くの敵を焼き払い、多くの命を奪った終末兵装が再び起動した。
アルゲンエウス大陸を今後数百年、死の大陸に変えるだけのエネルギーが、その双砲に収束していく。
機神の背部に増設したバックパック内に収めた巨大な結晶――大地の恩恵を巡らせ増幅し、ヒトの生活を豊かにする『神の宝玉』が暴走を始めた。
暴走とはいえ、意思を奪い取られるようなことではない。その大きな玉石がさらに大きくなっていっている。バックパックを突き破り、巨神の背中から刃を思わせる大結晶が暴れ出す。際限なく増殖し、膨らみ、どうなるか予測できない。皇帝にとってそのような問題など瑣末に過ぎない。今、目の前の敵を消し去らねば、ニヴァリスの未来が失われる。
紛れもなくヴラドは――、巨神は狂っていた。その砲撃で己が帝国諸共が消し飛ばそうとしている。
迅雷の魔王から笑みが消えた。
軽口を言う余裕はない。
巨大すぎて距離感が一瞬、掴みかねる状況だったが、かなりの距離を離された。そして、その皇帝はこの一撃にて決着をつけるつもりだ。
周囲一帯を灰燼に帰すことにより――。
真に魔王であれば、巨神の全霊の攻撃であろうと死ぬことは無いが、今の自分は立花颯汰と名乗っている正体不明の怪物が造り上げた“再現”でしかない。本体が死ねば確実に自分も巻き添えだろう。元より死んだ身であり、今さら生に執着なんてない、だが――約束はある。
死した精神だけの身に、未練が生まれてしまった。
『必ず、アンバードに帰る――』
そうボソッと呟いた声など、巨神の砲から響く轟音と自身が起こした暴風の音で掻き消える。それは大気の悲鳴に思えた。決して荒ぶる悪神デロスの哄笑とは程遠い。星自体が嘆き、悲鳴を上げている。
この悪魔にとってこの星の趨勢などドウデモイイ問題だ。異なる世界の記憶を有しているからではない。そも前世の記憶が蘇る前に、この世界の住人として過ごしてきた。
大きすぎて目に入らない“世界”など、扱えないからこそ取るに足らない――たとえ自身が魔王であってもだ。
『――だから、邪魔をするな』
強い決意を胸に、偽りの王者たちは駆ける。
目を合わせる必要は無かった。
ニヴァリス帝国がどういったものかなど、迅雷の魔王は深く知りもしない。どういった歴史を紡いできたのかも興味については無くはない。噂を少し知った程度だ。きっと深く調べればそれなりに楽しめるとは思ってはいる。
ただ、あの巨神が今は邪魔だ。
野心に溢れるのはいい。老齢にしてはギラついていて、版図拡大・ニヴァリスの繁栄のためにどんな汚い手を使う姿勢は好感すら持てるほど。
ニヴァリス帝国が皇帝ヴラド四世、個人については恨みも無い。特に他の魔王と戦争が始まった際に、どこまで足掻き、戦い抜けるのかどうかは眺めていたいとさえ思っている。
だが――、
立ちはだかったのならば殺すしかない。
老いて賢人になるのではなくただ腐っていくだけの精神が、不老で強靭な鋼の身体を手に入れてしまった。支配者面で君臨し、仮に世界を彼が掌握した場合の未来は、きっとディストピアが広がる。
それに関しても、迅雷の魔王は嫌悪感を抱かない。むしろ自分が逆の立場ならば同じ道を歩んでいるだろうとさえ思っている。
何より――、勝った者が正義だ。
後年では見直される機会も増えるだろうが、基本的に歴史とは勝った者が正義として刻まれていくものだ。当然、勝った方が主導権を握り、有利に事を進められるからこその言葉である。
つまり、皇帝ヴラドが勝利した世界であれば、彼が正しいのだという認識。ゆえにその起こりえるかもしれなかった未来に対し、厭悪の感情を馳せることもない。誰が批難しようとも、歪んでいたとしても正そうとも思わない。勝った者がすべてを決める――それこそが世界のあるべき姿だとシドナイ・インフェルート=迅雷の魔王の心に深く刻まれている。
『行くぞ! 遠慮はするな!』
『ふっ、……アイアイサー!』
だから、ここで決まる。
勝った者が正義なのだから、ここで雌雄を決する必要がある。迅雷の魔王は最速で、敵の切り札を潰しにかかる。ご命令も下ったことだし、首輪の先に繋がれたモノに対する配慮など一切しない。元よりそうであったが、無意識の内に抑え込んでいた……のかもしれない。「美しい女性に対してならともかく、野郎にそんな優しさを向けるわけがないと思うんだけどな」と、迅雷の魔王は自分で評するほどであったが――、さらに遠慮はいらなくなった以上、本気の走りを見せる。今までより一層、力を込めた。
その身は雷霆であり、光だ。
稲光となって敵に近づく。
通り抜けた雪原は風圧に抉れ、雷の熱に溶けていく。長い年月をかけて生み出された分厚い氷によって大地は守られていたが、後からやってくる砲撃による爆炎がすべてを砕いていく。それが赤く染まった世界で暗い影を残す。爆発による影響か、それとも単に光の具合なのか黒く映る。
それに反し、突き進む光は青く澄んでいる。
切っ先の煌めきのような、紫電を帯びた雷光。
輝けるこの光を、何人たりとも遮るものなど居らず、突き進む。
皇帝が最大火力を発揮するために撃ち続けていた足止めの迎撃は、至近距離にいた頃よりは少しばかり弱まっていた。
進行方向を予測した正確な射撃に対し、先んじて雷の魔法を放ち迎撃する。迂回や足を止める時間が勿体ないものだと認識してでの行為であり、やろうと思えばやってくる弾丸など掠めることすらない。
かなりの距離を置かれたが、ガラッシア周辺の山々の奥まで逃げ遂せなかったため、すぐにたどり着ける遠さではある。……ただ、強いて言えば――多少とはいえ重荷があるがため、最速で動いたつもりでもほんの僅かに遅くなっている。皇帝による必殺の波動砲撃が始まる前には辿り着けても、止めるに至るか怪しいところだ。重荷とは迅雷の魔王を再び世界に召喚せし者――立花颯汰。ほぼほぼ“雷瞬”の速度について来れず、ストラップみたいに吊るされた男状態であった。
いくら魔王とはいえ、後方に伸びる鎖のリード付きでぶら下がっている等身大キーホルダーがいては、その速度を完全に発揮し切れていない。それに気づかぬ魔王ではないが、文句や小言をいうつもりもなかった。自分の速さについて来れないのは当然のことであり、“光速”を持つ光の勇者ぐらいしか並べる者はいないのだから。
さらなる加速――。
瞬く星、夜空を翔ける一条の光となる。
景色が溶けて歪み、風が切り裂かれる音だけが耳朶に届く。
そして、《神滅の雷帝》は一瞬、寒気を覚えた。
敵の攻撃ではなく、首筋の悪寒――異様な軽さを感じ取る。ずっと首に掛かっていた負荷がなくなっていた。己の最高速を出す前に、繋がれた鎖の先の重みが失せる。それは最悪を予見させるに充分な情報だ。
言葉や頭、行動では「勝手について来い」「振り切られても責任など取らん」といったスタイルであったが、いざ自分を召喚せしめた立花颯汰というモノに死なれたり、自分と繋がっている鎖と左腕が引きちぎられたりしたならば、魔力的な繋がりも断たれて自分はたちまち消滅する可能性があるため、非常に困る。
加減を知らぬゆえの自爆、そして退場――。
もっとも馬鹿らしくて愚かな幕引きだ。
穴があったら入りたいほどに羞恥の極みとなるだろう。
迅雷の魔王は息を呑み、ふと横目で見た。
『……!』
言葉を失う。
決して表に出さなかったが、目を見張る。
迅雷の魔王のとなりに、並び立つ颯汰の姿に。
――……オイオイ、マジかよ
彼は《王権》を迅雷の魔王に渡した。ゆえにこの本物の速度について来られるはずがなかった。
普段通り目から下を覆う面頬に手足に装具を身に纏ったスタイルで驚異的な速度で駆けている。どうにか喰らいつくように並走していたのだ。
――? ……あれは一体……?
だが、単にいつも通りの姿ではないことに迅雷の魔王だけが気づいた。
立花颯汰の全身を包み込む光……だろうか。薄っすらと纏っている透明な殻。一瞬だけ見えた虹色の煌めきが確かにあった。光の屈折によりその姿を隠蔽しているのだろうか。
颯汰の表情は真剣そのもので、内と外の変化に気づいている様子はない。
その力の出どころを、迅雷の魔王は気づいた。
己が纏う《王権》と、遠方から送り続けられる王権の魔力、さらに――。
――……マジかあの女
事態が事態でなければ、目を剥いて驚愕し大声を出していたであろう衝撃。
颯汰の左腕に追加された兵装――縦長の盾にも見える棺型の霊器の内部から溢れ出す膨大な魔力エネルギー。異空間と化した棺に収納された「氷麗の魔王の《王権》」から生じている。恐ろしいのはその所有権までを譲渡していることだ。そんなことが可能なのかという驚きと、そんな馬鹿な真似をする狂気という二重のビックリにより、迅雷の頭が一瞬パーになるところであった。
そのうえで今の所持者――つまり颯汰を強化すべく、彼女は何かを帝都で行ったようだ。端的に言えば、かなりイカレた女だ。ただ、そういうのは彼にとって非常に好みなので、戦いが終わったら一言ナンパでもしなければ失礼にあたると真顔で思案していた。死亡……否、消滅フラグが立ちました。
迅雷の魔王は両手を叩いて称賛したい気分であった。一周回って、激おもろ女すぎる。
颯汰当人はそれすらも気づいていない。無我夢中なのだろう。それの加護により“雷瞬”を再現し、肉体へのダメージを無くしている。
悪鬼の面の奥――自然と口角が上がる。
『おもしれえじゃねえか』
まだまだこの娯楽は楽しめそうだと邪悪な笑みを浮かべていた。
三つの王権による莫大なエネルギーを供給を受け、それに見合う肉体を構築するという異常な怪物は、この瞬間だけ影を消す。
光が二つとなったことに、ヴラドは慄かない。
既に機械的に敵を葬り去ることを選んでいた。
予想外が起きたところで、今さら発射シーケンスを止める道理もなかった。
破損したカメラアイ越しでも敵の位置を常にロックをかけて追い回す。速度を計算し、予想地点に置くようにして射撃を続けるが、捉えることはかなわない。
颯汰と迅雷の魔王は電撃を踏み締め、宙を駆ける光となり、破壊の雨の中を突き進んでいく。
敵にどんどん近づいていくたびに、抵抗は激しさを増していく。だが乱気流を思わす豪風と稲光が奏でる音が、銃弾が空を裂く音や砲弾が空気を焼いて爆ぜる音を遠ざけて消していく。二つの光は時に交差し、見えない壁を跳弾するように飛び跳ねながら、飛来する殺意を超えた速度で巨神へ迫る。
ヴラド帝は腕部の大砲を、フルチャージを待たずに撃ち放つ。最大溜めよりも威力は減衰するし、放たれる波動も細くなるが、構わない。
腕を交差した巨神は伸びる光の束を剣、あるいは鞭のように振り回す。放たれたビームの太さは巨神の腕部と同じくらいだ。放射されたエネルギー波を巧みに使った。触れれば羽虫を焼き払う殺虫蛍光灯のようなビームを広範囲に振るうのはそれだけで脅威となる。
冷徹なる機械は外敵をきちんと捉え、逃げ場を無くすように両腕で颯汰たちを狙う。
遠くの山々の雪や氷、岩肌の表面を削る――照射された光線。
麓で管理を担う小屋や、駐軍基地にいた兵たちも消し炭となる。
地面に広がる雪原まで、届く光が地を、木々を、森まで焼いていった。
巨神が腕を広げたとき、敵の姿は消えていた。
『――ッ!?』
機械となった身体に肌を焼くような冷たい恐怖は感じないはずであったというのに、流れる血すらない機神ヴラドは青ざめた。
そして直後、巨神の各所にある血のように赤い結晶体が次々と崩壊していった。
巨大なモノだけではなく、一見飾りのように見える右肩の付け根付近の丸い玉石を基点として貫かれ、連鎖するように次々と破壊されていく。
通り過ぎる光の線を機械の目で追おうが、さらなる追撃として、もう片目のカメラアイまでもが破壊される。雷撃の魔槍と魔力塊を同時にぶつけられ、視界の八割以上がノイズが奔る、機能不全に陥った。覆う硝子は砕け散り、周囲は熱でグズグズに溶けて黒ずみ、赤いモノアイの光がほぼほぼ消えかけて点滅を繰り返す。
目から煙を吐きながら絶叫し、巨神は項垂れるが、二つの光は容赦なく、蹂躪するように機器を破壊していく。意思の持った雷光の嵐が駆け抜けるという絶望感に打ちひしがれる間もなく、決着がつく。




