134.5 魔女の儀式
カツン、カツンと音がする。
床を踏み、迷いない歩行の音。
巨大な金属製の扉の前で止まる。
手を扉の前にかざすが、触れることはしない。
女のかざした手の前――扉との間に青い魔法陣が浮かび上がった。光の円の中に文字や図形が描かれたそれは、広がるように消えていった。
すると、扉がひとりでに動き始める。
厳重な施錠をすべて外し、自動で開いていく。
本来そこは、どうあれ話し声が響いていたはずだ。
幾つかの区画――同じタイプの設備が十数か所あり、ここはその中のひとつである。
帝都ガラッシアに住まう住民の殆どがこれらの避難所たる、各シェルターの中にいた。
にも関わらず、中は異様な雰囲気であった。
侵入者を警戒している……という空気ではない。
息を潜めようとしているならともかく、呼吸の音――緊張した様子が欠片も感じられない平時の呼吸音が響く。また赤子のような声にならぬ小さな呻きは聞こえてきても、感情を訴えて大騒ぎしているわけでもなかった。
再び、帝都に侵入した魔女――氷麗の魔王はある目的でこの地に訪れた。
異世界住民の衣を纏っている――いわゆるセーラー服に長羽織という格好の女魔王はそういった素振りを見せぬが、内心驚いていた。
シェルターを魔法にてこじ開けたのだから、入った瞬間に騒ぎが起きたり攻撃の類いが飛んできたりすると予想していたのだが、異なった。
「………………」
広大な帝都とはいえ、シェルター内部は住民ひとりひとりの個室が与えられるようなモノではない。おそらく並み大抵の攻撃には耐えられる設計であるし、結構な人数の食料や飲み水の類いも備えられているだろう。しかし長期間立てこもるには向いていない。明らかに人数が本来の想定以上なのだ。帝都に住まう民を十数か所も分けて入れても、窮屈なほどだ。
だだっ広いスペースにヒトが敷き詰められている。寝食は辛うじて出来たとしても、生活するとなるとかなり厳しそうな場所となっていた。
そんなシェルター内部に避難を命じられて押し込まれた民たちは皆、座りながら呆けていた。
眠っているわけではない。
座りながら口が半開きで、目は虚ろなままで侵入者を見向きもしていない。
「シェルター内まで高濃度のガスで満たしていたというの? ……今しがた、止めたようだけど」
帝都中にばら撒かれた民の正気を奪う毒を、高濃度で室内に散布したようだ。中毒死に至らないが、騒いだりするどころか、立って動く気力まで奪うほどのものだ。――ある意味、匙加減が絶妙と言える。おそらくシェルター内での暴動などを予見し、鎮圧するために投入したのだろう。
帝都の外――国外から来賓の者や子どもたち、要人は、帝都に満ちた毒素から身を護るためにマスクの着用を義務付けられていた。国外に帰った者たちが体調不良で倒れられたら面倒であるし、子どもは幼少から帝都在住であれば問題は無かったものの、それ以外は“実験”の結果、亡くなる割合が多かったために都入りの際に、防塵マスクを配布していた。……それで防ぎきれない濃度をここで満たしていたわけである。「外からやってきた方は、極寒の地であるアルゲンエウス大陸内であっても薄着が許されるほど暖かい帝都ガラッシアを支える暖房の空気が合わない」等々と雑な理由をでっち上げていた。
どうやら、今は毒の散布は停止している様子であった。
「……おかしいわね」
毒で人民の正気を奪うことについてではない。
こじ開けたときにすら現れなかった、守衛らしき武装した人物たちまでもが顔を覆うマスクを装着しているというのに、同じ状態で呆けていることだ。調整をミスしたなど間抜けた事をやらかしたとも思えない。他にも軽く武装した憲兵たちもいたが、全員がぼんやりとした死人のような状態であった。
あまりに、都合が良すぎる。
だが――、
「…………時間が無いわ」
意識が朦朧としている者ばかりだが、眠っている者はいない。ならば、彼女の固有能力が効く。
これからやる行動は、彼――立花颯汰を確実な勝利に導くために必要なプロセスである。
この行動が、彼にとって心の底から不愉快極まりないものであっても、絶対にやるべき行動だ。
すべての避難所に巡らなければならないため、すぐに行動を起こすべきであった。
今この瞬間でも戦い続けているであろう颯汰を死なせないためにも、覚悟を決めた矢先だ。
逡巡し、瞑っていた目を開けたその時――何かが動くのが見えた。
「……あいつの使い魔たち」
紅蓮の魔王が使役している害獣を捉える。
他の魔王がどのような形状の使い魔を操るかまでは把握していないが、魔王であれば、使い魔だということは見た瞬間に直感的にわかる。
壁面のパイプラインを駆けた――見た目こそ愛くるしいハリネズミ型の害獣だ。それに、今姿を隠したコウモリ型のもそうだ。
氷の塊をぶつけて抹殺したい衝動に駆られたが、氷麗の魔王はここで閃く。
パンと柏手を打つ音が響き渡る。
「……その方が“効率”がいいわね」
今回のこの行動も第二プラン――本来、颯汰が独りで巨神を圧倒した場合に不要だった行程である。女魔王が、あとは待つのみであった状況が変わってしまった。
――彼のあの“力”の正体はわからない。でも巨神に勝てると断言した。だから私は彼に《王権》を貸し与えた
あろうことか彼女は、自身の命と言っても過言ではない《王権》を颯汰に手渡した。僅かな時、退避した森の中でわざわざ彼に近づいて。
『足しに、なるでしょう?』
『いやそれは、もちろん、そうだが……』
元より“契約”を交わした身であるため、互いの命は一蓮托生であるが、魔王が自ら《王権》を他者に譲るなどあり得ない行動だ。他の魔王が聞けば普通にドン引きするか、理解が追い付かず、頭が真っ白になるぐらいのレベルの。
しかし彼女は効率を選ぶ。――“契約”を通して魔力を颯汰に与え続けるよりも、「竜種の心臓」と同じく無尽の魔力を生む《王権》を直接、颯汰に持たせた方がいいと判断した。
そもそも“契約”を通した魔力の譲渡は、距離が離れれば魔力の供給に遅延が生まれるし、距離に応じて供給量も少量とはいえ減衰してしまう。そういったロスをカットすると共に、シンプルに颯汰が直接、《王権》を持ち、魔力を受け取った方が供給量も多く取れる。
女魔王自身が必要とする魔力こそ、“契約”の繋がりで補えばいいと考えた。
だがそうすることで、彼女が立てた対巨神作戦の『最後の要』が成立しなくなってしまった。
王権が無尽の魔力を生み出すとはいえ、供給される量を超えれば、当然足りなくなる。
この問題を解決することで颯汰は巨神を余裕をもって打ち倒し、女魔王が最後の仕上げを行えるのだ。
――《王権》の性能を引き上げて、魔力の供給量も増やす。そのためには……
《王権》の全性能を向上させる手段があり、そのために、彼女は再び帝都に侵入する。さらに彼女は、その第二プランを『確実』なものにするために、憎き敵が操る害獣さえ利用することを思いついたのだ。
「来なさい」
ハリネズミ型の害獣を呼ぶ。
その奥にいる人物と会話はしたくないので端的に言葉を続け、命じた。
「彼を勝たせるために協力しなさい。他のエリアの様子は?」
氷麗の魔王がそう口にすると、使い魔はその短い四肢を懸命に使って近づいてくる。その背の針は鋭いがすべて赤い結晶で出来ている。魔王の使役する使い魔の類いは、動きはするが生き物ではない。
針を背に、仰向けとなった害獣の腹部から光が放たれた。光が伸びた先――立体映像が複数並ぶ。女魔王は躊躇いなく使い魔を手に取り、映像を見やる。手のひらに収まる大きさの物体から、スマートフォンの画面大の大きさの映像が複数個、転写されていた。
切り替わる十数の映像を流し見をして女魔王は顔色一つ変えなかったがさすがに訝しげに思った様子だ。
「守衛までもが、全滅……?」
色々と手間が省けるが、全てのシェルター内で全員が一斉に気を失っているのは不自然だ。全員がここと同じように毒でやられている。騒ぎを鎮圧、もしくは事前に対処するために民を昏睡させるのというのは乱暴であるが、まだ納得できる。
誰彼構わず倒れている――明らかに厳重そうなガスマスクを装着している者までもが。
「…………」
ふと自然と手が顎の下に運ばれる。
考えたが迷っている時間は無い。
「手間が省けたと前向きに捉えましょうか」
そして女は、手に持った害獣に小さく囁く。
その話した内容から、彼女はどう捉えられても良かった。前提として、この戦いを勝利に導くための行程であるし、使い魔を操る憎き相手に今更どう思われようと気にもならなかった。
「――…………できるわね」
『無論だ』
「返答は要らないわ」
手に篭る力が増す。ハリネズミの針側を握っているというのに、凍った手には棘が刺さることなく使い魔の方がミシミシと音を立てるほどであった。
『…………』
使い魔越しに言われた命令が了承され、作戦が実施される。そして突如、女魔王は目の前のディスプレイが現れた。下から迫り上がった機械――ではなく、彼女の魔法により生成されたモノ。氷の魔法に長けている女魔王であったが、全部が青い光のホログラムで出来ていた。テーブルにディスプレイ、宙に浮かぶ円形のパッド、さらにキーボードまでもが立体映像として現出させる――そういった芸当まで“魔王”であれば可能なのだ。
ニヴァリス帝国の首都ガラッシア地下に広がる、太古の遺産でありながら現代のものより遥か未来へと突き進んでいた技術――それらを発掘し、研究していた技術顧問の者でさえ、理解できるか怪しい。
カタカタと(実際に音は鳴っていないが)光で出来たキーボードを叩き、各モニターに目を移しながら操作を続ける。時折浮かび上がっているモニターを指で動かしていた。見た目こそうら若い乙女である魔王は無表情だった。たまに時間が止まったかのように手を止めてジッと画面を凝視していたが、ハッと我に返って作業を再開した。
所要時間で言えば本当に僅かな時であった。
凄まじい速度で読み取り、最速で構成を練り、驚異的な集中力により編集し、遂に完成させる。機神に対抗すべき『切り札』――《王権》をパワーアップさせるためのものを、彼女は作り上げてしまった。
「急ぎましょうか」
準備が整った。
彼女が指をパチンと鳴らす、それが合図であった。
この場にいる全員が急に立ち上がり、自我を失ったような足取りで外へと出ていき始める。全員ではないが大勢の大人が松明を手に、行進していく。油で燃え、揺れ動く炎が闇の中で生き物のように踊る。
女魔王は作業をこなしつつ、片手間で能力を使ったのである。
固有能力――『偶像大姫』。
分けた人格を統合して完全体となった女魔王のそれは、幻霊分体が使っていたモノとは比較にならない性能を誇る。この区画に集められた何百何千もの知性ある生き物全員に『愛による洗脳』を施した。
だから彼らは文句ひとつ言わず、疑わずに歩き出す。愛している彼女の“お願い”を叶えるためなのだから、たとえ命が危うくなろうとも大して問題ではない。
これから始まる一連の行動は紛れもなく颯汰の支援となるものである。その過程が、颯汰が決して望んでいる形ではなくとも、“大いなる犠牲”が伴ったとしても――。




