134 折衝
轟く雷鳴の如き衝撃。
欲界の魔神が三度姿を現した。
《神滅の雷帝》――迅雷の魔王。
この世界において『シドナイ・インフェルート』と名乗っていた混血の転生者であった。
『オイオイオイオイ兄弟よぉ! どういうこったぁ? これはよぉ!?』
威勢よく問うが、状況を一切呑み込めずにいる迅雷の魔王は当惑し切っていた。気づいたら眼前に迫る、まさに天から降る神の裁きたる巨拳。このままではペシャンコに潰されると思い、反撃して追い払った。そして、事態を知っているであろう召喚者の方へ振り返って問う。
その凄まじき雷撃により、機械系統に深刻なダメージを負わせられる。巨神とて例外ではない。神と一体となったヴラド帝は右腕部が吹き飛んだのかと思うほどの衝撃を受け、力無くその場で伏せる。巨神の全身が痺れ、思うようにボディを動かせないでいた。
『誰が兄弟だ。……こっちはすごい疲れてるからちょっと休憩させてくれ』
『いや状況見ろォ! 絶対に説明が必要だろこれ! なんで、俺様が、ここに、いる!?』
迅雷の首に繋がれた鎖の先にいる――己を全身全霊で討ち取った異端者が、今は横になって気だるげに溜息を吐いていた。
『…………俺が喚んだ』
迅雷の魔王の耳障りな声量と馴れ馴れしさに、少し辟易していた颯汰は耳を塞ぎたかったが、少しでも動くのが辛くてそのままの状態で返答する。外敵よりも厄介な者を呼び寄せてしまったという後悔は多少なりともあった。
『いやそういうのも……、実際そうなんだろうけどよぉ。まず、俺はお前に殺されたはずだろ?』
『あぁ。この手で灼き払った』
大前提として自分は殺されたはずだろうと、殺した張本人に問うという通常あり得ない状況で、さらに張本人は寝転がりながら悪びれもせずに答えていた。
『だよなぁ? 俺も自分が幽霊か何かだと思っていたぜ。どうせ転生した魔王なんぞ、天国や地獄でも追い出されるもんだろうって。だが今は普通に触れる、空気のにおいもわかる。肌寒さも感じる――“生きてる”ってかんじだ』
シドナイは自分の身体を見て、その手で触れる。全身を鎧で覆っているとはいえ、物質的な感触が確実にある。彼は自分が死人という認識はきちんとあった。最期の瞬間――シドナイは自分の身が膨大な量の光に焼かれ、肉体が崩壊していく様を恐怖を抱きながら見ていたのだ。
たとえ狂気に呑まれ、正気を失っていた末の最期だとしても、強烈に脳に焼き付いている。
颯汰の精神世界……と便宜上呼んでいる異空間でも物に触れていたが、それこそ彼が言った通り、天国にも地獄にも行けない理から外れた亡霊であるからこそ、一時の間、その特異な空間に存在することが許されたのだろうと彼は解釈をしていた。再現された物は物質ではない“何か”。飲食の必要も欲求も生まれない空間であったが、外の世界を覗ける“窓”を担うブラウン管テレビ型のそれから流れる映像だけを楽しみに過ごしていた。できれば最後まで観客として物語を楽しみたいが、いつか何かの拍子で消滅してもおかしくない曖昧な、まさに幽霊であると彼は自認していたのであった。
『兄弟、お前なんだ、いわゆる霊媒師的な魔王だったのか? それとも死霊使い?』
『違うよ。というか、それ纏ってアンタは大丈夫なの? 持ち主だから?』
雪の上に大の字で寝ても熱い。いやさすがに凍土、少し寒くなってきたので、颯汰ようやく、上体を起こし、話しに応じる姿勢を取り出した。
しかし、身体のあちこちが痛む。
迅雷の魔王は《王権》を使ってもまったく平気そうであるから問うことにした。
『あ? この程度はな。最初はむず痒かったが、慣れるもんだぜ?』
『えぇ……』
そんな馬鹿な、と困惑する颯汰。自身と彼との痛みの閾値の差だろうか、それとも所持者である迅雷の魔王はそこまで《王権》の影響を受けないのだろうか。迅雷にはちょっと違和感がある程度で、魔王以外が使えば「ヒットポイントに秒間十数のスリップダメージを受け続け、また精神が汚染され続け混乱状態となり、長引けば戦闘終了後に一生消えないデバフが残り続ける」ぐらいの差があるのではないだろうか。
『ま、長時間付けてたらやっぱマズいのかもなぁ。こればかりは、たぶん本当に慣れだぜ。数と時間を熟すしかねえだろう。……なんなら、また挑戦してみるか?』
『お断りだ。そんなもん、身体も精神も保たん』
元の所有者ではない単なる一般高校生が身に着けたからこそ拒否反応が起きたのだろうかと思ったが、彼でも一応欲望を刺激されているようだ。何事もヒトによって耐えられるものの限界だって異なるが、慣れるまで使うのは御免こうむる。
『それで、俺を喚び出してどうするつもりだ?』
背景で、電撃を浴びて一時的に行動不能となっていた巨神が動き出し始めた辺りで迅雷の魔王はそっと正面を見据え始めたながら続けた。
『兄弟、素のお前程度の早さだとちとキツイよなぁ? だから俺様の《王権》を使った。あぁ、正しい判断だぜ。イカれててサイコーだ』
こんな言い草であるが、この悪鬼の如き男、心の底から称賛している。
リアリティが高まれば高まるほど娯楽も味が増すものだ。それが真に迫れば尚の事、ただ観ているだけでも、同じくドキドキもワクワクもする。
毎度ながら他者のために自分の命を天秤にかけ、リスクを承知の上で行動する姿は刺激的である――見世物として本当に命を差し出すような暴挙を、苦痛に悶え、喘ぎながら足掻く姿を、現実ではおいそれと味わうことはできない。
これでもシドナイにとって見下しているという気持ちは無く、思うところはあっても恨みも無い。
それはそれとして――本題へ移ろうとする。
『それを脱いじまったまではわかる。思ったより頑張ったが、今の限界はそこまでだ。そんで、まだあのデカブツはぴんぴんしてるぜ?』
仮面の奥でニタニタと笑いながらも、どこか空気が変わった。元より極寒の地であるが、やけに風が冷たく感じる。きっと、悪魔を目の前にしたときはこのような寒気を覚えるのだろう。
『まさか俺様が素直に言うことを聞いて、あのデカブツと戦うなんて、甘い見通しじゃないだろうなぁ?』
仮面の奥、狂犬染みたの瞳がギラついている。
油断すれば首元へ喰らいつかんとする猛獣の気配を滲ませている。背を見せているというのに隙がなく、圧倒的な強者の風格を漂わせる。今の颯汰であっても、きっと一瞬で敗北する。
『こんなチャチな首輪と鎖で飼いならそうなんて百年早え。……なんたって、俺様はお前に殺されたんだ。しかも死んだと思っていたら、生きていただったら叛逆してでも自由を掴み取る! 魔王ってのはそういう生き物だ』
振り返って両手を前に出し爪を立てるように向けてきた。脅しているのと同時に、子どもを相手取るように小馬鹿にしているのがわかる。指先で引き裂く虎爪の構えでガオーとか口に出して言いそうな雰囲気さえある。それに対し、颯汰は冷静に立ち上がり、付いた雪を払いながら返す。颯汰は、彼の態度から特定の『答え』を待っているものだというのは見抜いていた。
『もちろん。ただで言うことを聞くとは思っていない。無理矢理従えるのはたぶんできるけど、それは絶対に疲れる。それに、コントロールしたら、アンタの良さを活かせない』
『ほぉ。だが俺が自主的にいうこと聞くかな?』
召喚した怪物を無条件で使役できたならば、颯汰も最初から自分で《王権》を纏わなかった。この人語を話すが心を通わすなど無理難題である転生者を、この僅かな時間で説き伏せなければならない。
他者の肉体を動きながらコントロールという芸当は、とてもじゃないが厳しい。まず間違いなく迅雷の魔王【傀儡】では持ち前の最速を発揮できず、コントロールしている“獣”の負担も大きくなり、結果的に颯汰自身の速度も低下するだろう。それでは皇帝の攻撃を躱せなくなるので意味がない。
ゆえにある程度は自主的に動いてもらう必要がある。
だが、何事も他者を動かすには相応の理由が要る。それと飴を与えるか鞭を打つかだ。そこで颯汰はまず、餌を用意する。食いつきたくなる餌をチラつかせ協力を仰ごうと考えたのだ。
もう、巨神も起き上がり始めようとしている。すぐに行動してもらわねばならない。
敵の動きを見て、ふたりは自然と早口で言葉が短めになっていった。いつまでも休んでいられなくなり、非常にしんどいが戦いは終わっていない。立ち上がっても膝が震え、颯汰は何とか正面に屹立する山のような機体を見据えていた。
『お前を裏で操ろうとした奴らの――』
『――興味ねえな。やられっぱなしってのも好きじゃねえが』
『――……は? え、嘘ぉ!?』
戦慄が奔る。こうもキッパリと断られてしまうのは想定外であった。
自らを暗愚の王となるように仕向けた集団の影がこの地にもあると示せば、復讐に駆られて協力を惜しまないだろうと思ったのだが、迅雷の魔王は興味がないと言い放った。
颯汰には、黒泥を生み出すベルトは間違いなく“奴ら”の仕業だという確信があった。一連の裏で糸を引こうとしている正体不明の真の敵――ヴラド帝もまたその黒い手に捕まり、操られるように唆された結果の暴挙であったのならば、既にガラッシアから撤退していたとしても、何かしらの痕跡が見つかるかもしれない。
……という都合のいいストーリーを説明する前に一蹴されてしまう。
颯汰には信じられない事だ。自らを狂気の王に変えた集団など、一族郎党皆殺しにしても足りないぐらいのはずだろうに、と。
『あ、えー、えーと……』
『オイオイ時間が無えぞ?』
『急かすな! あー、えーっと……そうだ! ……シャウラ・ディアンヌという女が来たぞ』
『――……!』
『先代アンバード王との息子を連れてな。良いのか? お前のアンバードが『エルフ』に奪られるぞ』
どういう事情か混血の王者は、己の半分たる耳の長い美形の種族を恨んでいる。さらに自分が治めていた国を奪われるなど堪ったものじゃないだろう、という狙いだ。
シャウラ当人を殺せと言われれば「お前が勝手にやれ」と言い捨てるところだが、颯汰は王位を一時的に預かっている身だということを思い出した。簒奪を防ぐために少しだけ抵抗することは可能だ。
『――! ……、……くだらん、別に俺はアンバードに固執はしてねえ。あの国は、力を持っている奴が支配するもんだ』
明らかに反応があった。シドナイの声が少し裏返るくらいには動揺がみられた。颯汰にはただエルフを毛嫌いしている拒絶の反応には思えなかったが、ここからの詰め方が思い浮かばなかった。
山を超える機械仕掛けの神が上体を起こしていた。シドナイに王位に対する脅しが通じないならば、と颯汰はもう一枚カードを切る。
『ビム・インフェルートが瀕死の重傷を負っているのは知っているな』
『――! ……いいね。悪辣になってきたじゃないか』
未だ意識を取り戻していないはずだ。
シドナイにとって彼は単なる側近ではなかったし、ビムの方も単に友や支配者としてシドナイに尽くしていた訳ではなかった。彼は、何か裏がある人物だ。
『ビム・インフェルートが殺されたくなければ協力しろ。シドナイ・インフェルー――』
言葉を言い切る前に、身体が浮かび上がる。
左腕から引っ張られ、舌を噛みそうになる。
視界が一転二転とする最中、自分たちがいた地点にミサイルが四発落ちて爆ぜたのが見えた。
ヴラドはすぐに立ち上がらず、満足に動けない――ふりをしながらその巨体で隠した背部からミサイルが放たれ、死角である頭天から降りてきたのだ。
爆発して雪原を焦がす。熱が爆風によって運ばれるが、追い付く前に上昇していく。巨神の脚部という壁を垂直に駆けていく。
『……ま、時間も無えし、もっと悪~い脅し文句を一つや二つ聞きたかったが、いいぜ。ただし条件がある!』
大声で叫ぶのは後方で腕の鎖で宙ぶらりんになっている颯汰に届かせるためだ。
巨神の左足の膝下から対空用の砲門が開いた。
昇る壁面から展開された、三つの迎撃用の二連装の対空砲の照準が外敵に向かう。
『シャウラとはふたりだけで話しをさせろ! ビムとシャウラのせがれはお前も同席してもいいぜ!』
『さらっと全員と会って話すってことが決められている!?』
交換条件を提示しながら男は減速せず、交差した手を広げた。両手の指先から雷の矢を無数に放ち、それらは展開された各砲の中に吸い込まれ、次弾を放つ前に内部で爆ぜ、二連装砲は使い物にならなくなってしまった。
『遅えぜ! 雷撃の魔槍――ヴォルト・ジャベリンッ!』
雷の魔法で形成した槍を、右手で投擲する。
機神の膝部分にある赤くなった結晶体に向かって、魔槍が吸い込まれていくように突き進む。赤黒い粒子群が、雷槍の行く手を阻もうと円を描いて壁となったが一瞬すら防げず貫いていった。
『ひゅ~。本当に兄弟がいると魔法が無効化されねえようだな。……少しばかり威力が減衰しているが……ま、いいハンデだろ』
魔槍が直撃し、結晶体が大きく破損するが、まだ完全に壊しきっていないのが色味や溢れ出す粒子から察することができる。
そのままキーホルダーみたいにぶら下がっている颯汰の動揺の声を無視し、魔神は追撃する。
『ぶっ壊れろや!』
両腕の鉤爪を展開し、左右で切り裂くように叩きつけていく。右左右の連打の後、引き裂くように両手を振るう。人体より遥かに大きい――膝部分から飛び出た結晶を砕いていく。
『ダメ押し、行くぜ兄弟!』
鉤爪を折り畳み、ステップで一旦、ターゲットから距離を取る。シドナイは己の首から伸びる鎖を両手で掴み取った。強引に鎖を引っ張り、叩きつける。鎖の先の分銅が落下する。
『――くっ……ウゥォオオッ! 雷覇猛襲落!』
立花颯汰が放つ赤い雷を帯びた踵落とし。ただのお荷物ではなく、繋がった鎖の先――叩きつけられる勢いを利用しての攻撃を繰り出した。落雷と見紛う威力で振り下ろされた一撃が、侵食していた結晶を粉々に砕く。
『ひゅ~。俺たち息ピッタリじゃねえか兄弟』
『うるさい。俺がアンタに合わせているだけだ』
垂直に立ちながら憎たらしい拍手をかましてくる相手に、颯汰は若干苛つきながら返す。
そこへ、攻撃を受けた機械神は怒りの雄叫びをあげ、小さき者どもを排除しに手を振るった。
『おう兄弟、ついてこれるか?』
『……次は俺が引く番だ』
『ハッ――そいつは頼もしいな』
ふたつの小さな点のような存在は、降りかかる災害の如き質量に対し、まるで恐怖を抱いている様子ではなかった。




