133 凶獣
砕き、引き裂き、叩き潰す。
見上げるほどの体躯の奇怪な巨人たちを、次々と葬るは――白銀の魔神。
破壊せねばならぬ兵器たちであるが、それよりももっとシンプルな理由で壊していく。身体を動かさねば、脳が支配されてしまうという強迫観念に駆られていたのだ。
実際、甘美な誘いは強烈であり、破壊行動を取らねば正気でいられない。
否、正気などとうに失われているに等しかった。
もはや暴虐で癒せるような飢え渇きではない。
欲望が人間性を捨て去れと囁く。
その音ならぬ声を掻き消すために絶叫し、襲い来るすべてを粉砕していく。
ルクスリアの獣――。
颯汰は《王権》――迅雷の魔王が所持していた王冠型の魔王の証を復元し、その身に纏った。
“雷瞬”と呼ばれる独自の移動手段はまさに雷と見紛うほどの加速を生む。
もう巨神となったヴラド帝であっても、《神滅の雷帝》に追い付けない。
魔王が相手であれば絶対的な防御・迎撃性能があった巨神であるが、それをすり抜けるイレギュラーたる立花颯汰が、雷霆の如き疾さを得た場合は手を付けられなくなるのは当然の帰結である。だが一つ、懸念していた事が起こる――《王権》もまた、ヒトの身に余る力だったのだ。
欲望の化身――“魔王”とはかつて異なる世界に生きていた者が、欲界を経て再臨した――転生者の総称だ。魔王たる証とも呼べる《王権》を、魔王の固有能力により、転移という形で召喚された颯汰では、耐えることなど土台無理な話であったのだろう。
己の内側から欲望を激しく刺激される。
感覚が狂う。全身に重く圧し掛かる見えない粘液状の欲望が、肌を突き刺し焼き続ける痛みすら小さく思えるほどに、人間性を捨て去れという甘い甘い囁き――強すぎる刺激が脳を侵さんとする。
群がる機械で出来た巨人たちであるからこそ、まだ壊すという選択を選べた。もし仮にこれらが人間であったならば、果たしてどうなっていたのか颯汰は自分でもわからない。
両手で自分自身を抱きしめるようにして肩に爪を立てる。加えた自傷のさらなる痛みで正気を保とうと試みていた。だが、その損傷はすぐに再生する。
甘い汁でも溺れるほどの量であれば呼吸が出来ずに死んでしまう。颯汰はまさに蜜の中の蟻か蠅のように藻掻き続けていた。
巨大な腕部や武器を振るう機械の巨人――機械人形を破壊し、蹂躪し尽くす。
小枝でも扱う感覚で腕部が折れていった。
幼き龍の援護など必要としない速さで戦場を荒らしていく。羽ばたきによる風の魔法であれば、皇帝の周りに漂う“黒鉄の呪い”が動き出すし、ブレスによる竜術であれば颯汰であったモノを巻き込む可能性がある――即ち敵対行動とみなされる危険があった。幼き龍の悲し気に鳴く声は誰にも届かない。ぶつかり合い壊れる音が雪原を覆う。
雪を蹴り、跳び付いて巨人の頭をもぎ取り、着地。頭部をボールに見立ててすぐさま放たれた雷の足蹴が、離れていた巨人たちの胴を貫き、その余波で十数体を巻き込んでいく。
面白い。面白い。
しかし、これでは足りない。
すぐに巨人が全滅してしまう。
敵の腕ごと引きちぎり、武器として振り回して敵機を破壊する。
真に苦しみが快癒することはない。
なおも足りない。
一機で数百の兵に匹敵するほどの戦力など、王権を纏った怪物にとっては、造作もない鉄屑に等しい。
巨人たちは作戦を変え、ルクスリアの獣を囲い、遠距離からの射撃で削ろうとし始めた。それぞれの腕部が変形させ、銃砲の形を取る。その腕で狙いをつけ、銃口から火が噴いた。
連射された弾たちはそれぞれが等間隔に放たれ、獲物目掛けて殺到する。死を与えんとするが、雷の魔神にとって鉛玉など止まっているかのようにすり抜けられるものであった。
一瞬で距離を詰められ、巨人一機の両腕が引き抜かれ、残ったボディをそのまま盾にされる。
絶え間なく鳴り響く、狂おしい哄笑にも似た――けたたましい金属同士がぶつかり合う音。弾が頭部に直撃し、配線や何やらが引き千切れ、漏電する音と共にガクリと項垂れた。命など最初から無いというのに、すべてを諦めたかのように力が抜け切っている。
ルクスリアの獣は嘲笑うように声をあげ掴んだゴミを投げつける。銃弾を弾く壁として使いつつ、そのまま追い打ちをかけ、敵ごと蹴り抜いた。
吹き飛ぶ鉄塊の盾の下敷きとなった敵機ごと、その雷撃を込めた魔爪にて打ち抜く。掲げた右腕を、雷鳴と共に振り下ろした。
口から漏らす唸り声――しかし、余韻に浸る間は与えられなかった。
そこに目掛け、放たれたのはグレネード弾。次々と後を追い弾けたのは七発。爆ぜて赤黒い炎が広がってみせたが、その程度で絶命するわけがない。黒煙の中から躍り出たルクスリアの獣は、新しい玩具を見つけたかのように歓喜していた。
大きく飛び出してきたのを展開した爪で着地の勢いを殺し、即座に雷光の如き機動性を発揮する。同じ装備の巨人にサッと一瞬で近づき、背後に回り込み、頭部を肘鉄で砕いた。ジャンクの頭がひしゃげ、人間でいうところの目にあたる部品のカメラのレンズが粉々に砕けて飛び出す。そして、指先から流し込まれた雷にて、機械の巨人は自らの肉体のコントロール権を剥奪される。
颯汰だったモノが背中に飛びつき、正面からの攻撃を当たり前のように鉄屑で防ぎつつ、腕部からグレネードを放つように命じる。右腕から擲弾が飛び出し、着弾地点で爆ぜた。敵を大勢を巻き込み、自動装填機能により連射させたが、四発ほどですぐに弾切れとなる。カチッ、カチッと空撃ちの音がして弾が出ないと知るや否や、ルクスリアの獣は後方に飛び降りながら雷を手から発した。その電撃が、もう用済みのガラクタが持ち上がた。ガラクタを鉄球と見立てると、電撃は綱や鎖の役割を担い――全身を大きく使ってのハンマー投げの要領で機械人形を振り回し、他の敵機を薙ぎ払っていった。
破壊衝動で解消しきれなくなっているというよりも、はじめからそうであったのを、無理に誤魔化そうとして敵を破壊し続けていたのだ。身体を動かすことで無心となる……的なものも期待していたが、限界に達していた。
溶けてしまうほどに熱い。
沸き立つ血が、肉を求めて止まない。
壊しても壊しても、なおもはち切れそうなほどに欲望は肥大化を続けていく。
声も精神も嗄れ果てるのではないかというほどに叫び、破壊を楽しむように玩弄していく。仮にそれが生命であっても、嗤うように吠えていられたのだろうか。
己が乖離していく。
自我が遠退くのではなく、欲望に染まって自分を上塗りされていくような――恐ろしいことに、身を委ねてしまいたい感覚であった。
――あぁ、ダメだ
諦観の念。
これはどうあってもヒトが対抗できるものではない。ある意味でヒトであるからこそ強い欲望に支配されてしまう。鋼の自制心があろうとも、知性のある生命である限り、決して抗えない類いだ。
制御が効かない。
既に身体が、自身の意思で動いているのかどうかも定かではなくなっている。
振り回していたジャンクのハンマーはすぐに砕け、文字通り使い物にならなくなった。
するとルクスリアの獣が遠吠えの後、両手を掲げ始めた。両手の先――頭上に形成される大光弾。中心は蒼白く、外は紫色の電撃がバチバチと強く迸る雷の大玉が形成された。
ルクスリアの獣はその場で跳躍し、収束した光弾を一帯にいる敵の方へと叩きつける。爆発する雷は直撃した地面からドーム状の円を描いて周囲を巻き込む。十数ムートもの大雷球が、残っていた敵機を一網打尽にした。
赤い空の下、雪原を穢すように廃棄物が散らかっている。相当な数がいたはずの巨人たちの骸と呼ぶべき残骸が辺り一面に転がっている。
本来、皇帝の号令の下に機械の軍勢が各地へ侵攻し、その予備戦力として造られた兵団。隣国シルヴィアや、疲弊したヴェルミやアンバードを制圧できるほどの戦力を有していたはずだった機械の巨人たちは、僅かな時間を稼ぐ以外に、役に立たなかった。
だがその僅かな時間が皇帝を再起させ、反撃に移すチャンスを与えた。
影が濃くなる。巨神は再び天高くから叩きつけようと手を挙げ、振り下ろしていた。
膝を突きながら、貫かれていない右拳を握り締め、鎚の如く神の裁きを下す。
巨腕が凄まじい速度で迫るが、“雷瞬”であれば容易に脱出できたはずであった。
荒れ狂い、猛る雷の力――。
自在に操れれば、皇帝を圧倒できるだけの力であるが、このまま早晩に悲劇が起こる。生涯に汚名を残し続ける羽目になるであろう。
勝利の暁に、尊厳は失われ、“全生命の敵”として定められる。もっとも最悪なのは、自分の意思を無視して皇帝を放置し、帝都に向かうことだ。そうなれば間違いなく、この世界で最も不幸で悲劇に満ちた都市はガラッシアとなる。
――しかた、ないか
全身を蝕むような快楽と痛みで脳がやられる寸前に、颯汰は決断を下す。
どんな結果が待ち受けているかわからない。制御不能となる前にその行動を取るのだが、今度は別の手綱を強く握っていなければならなくなる。賭けに近い行動だ。それもかなり分の悪いモノであった。
『着装解除』
静かに告げると、颯汰が身に纏っていた《王権》が左手に収束し、元の王冠の形に戻る。颯汰は、巨神から攻撃が始まっている最中に、デザイア・フォースの変身状態に戻ったのだ。背部ウィングユニットは無く、頭をすべて覆う仮面すらない姿。誰が見ても自殺行為――多くの者、敵も味方も、観客のほとんどがその瞬間にそう思った。
加速する巨大な手。迫るそれを見ても颯汰は平静に次の一手を打つ。左腕を前に突き出し、右手で支えるように置いて、叫んだ。
『限定行使――幻霊召喚・ルクスリア――!』
王権を握ったままの左手。左腕の黒鉄に煌めく籠手が変形し露出したリアクターユニットが内部で回転し始め、蒼銀に輝きを放つ。
放出された光が魔法陣を形成し、雪の上に投影される。そして魔法陣も同じ光を強く放ち、呼び出すは――蒼白い光のシルエット。
奇しくも、ヴラド皇帝が巨神の内部情報をサルベージするために電子の海を潜ったときと似たような、ヒトを模る光の集合体が形成された。
すかさず、颯汰はさらなる命令を実行させる。
開いた左手から王冠が上に少しだけ浮かび、光になる。収束して生まれたエネルギーを、掴み取るように颯汰は握りしめた。
その眩い光が漏れている手を掲げ、叫ぶ。
『限定鎧装――レガリア・フォース!!』
地を蹴り、全霊を込め、蒼白い光と迸る雷撃の紫――溶け合った光を放つエネルギーの塊を、召喚したシルエットに捻じ込んだ。
ぬっと突っ立っているヒト型の背中に突き刺さり、内部へ溶け込んでいく。
微動だにしなかった召喚されたモノが、仰け反ったと同時に、シルエットから凄まじいオーラが迸り、慟哭にも似た叫びを放つ。
解放された颯汰はその場で倒れ込み、天を仰ぐ。その左腕が放つ光が異なる色となっていたのだが、それすら身体を動かして見てやろうという気持ちにすらなれない。それほど消耗していた。
ただ、空も見えない。
雲は消えても、赤い視界をも埋め尽くす影。
光を覆うような黒い物が上から迫る。
皇帝の握り拳が振り下ろされていた。
ズン、と大きな音がする。
雪原に叩きつけられた拳から、衝撃が波を打って周囲に伝播する。
余波で雪は舞い、散らばった残骸も吹き飛ぶ一撃。
『……?!』
巨神と化した皇帝が動揺する。
呆気ない幕引きだと願いたかったが、その拳が地面には触れていないと知る。
『はあ!? ――っ、ち、っくしょうがぁぁあああああッ!』
ヴラド帝の巨拳の下から声がする。それは立花颯汰のものではない。
ヴラドの巨拳は受け止められ、力を入れても圧し潰せない――それどころか、じわじわと上に持ち上げられているではないか。
声の主が、一瞬だけ触れていた巨拳を両手にて弾くように押し飛ばす。そして、構えを取る。下方向に握り締めた右拳を運び、降りてくる巨拳に合わせて殴り掛かった。
『――ッァ! 雷閃拳ッ!!』
振り上げた拳が巨拳をさらに浮かび上がらせ、右足の膝から爪先にかけて帯電させて蹴り抜く。
『吹き飛べ! 光波刃ッ!』
宙返りをしながら放った足蹴は、まさに光の刃と化していた。巨神の右手に切れ目が入り、金属が赤熱して橙に燃えている。
さらに雷を纏った蹴りを空に放つ度に、電気の衝撃波が発生する。
引っ込めようとした手が押し返されるどころか――後を追う三つの衝撃波、さらに一瞬で跳び付かれて再度放たれた雷撃が込められた拳により、皇帝は再び態勢を崩された。
野太い叫びと落下する轟音を気にせず、技を繰り出した魔神が雪の上に着地をし、振り返って問う。
『オォイ! どういうことだぁ、これは!?』
その姿は細部は異なれど、紛れもなく魔神――『神滅の雷帝》』。その首に輪がかけられ、鎖が伸びている。紫の光で作られた首輪と鎖の先は、ずっと寝転んでいる立花颯汰の左腕に繋がれていた。
『どうなってやがるんだ兄弟!』
それなりに動揺しながら颯汰を呼ぶ。
繋がれた怪物は既に舞台から去った者――。
観客としてあとはどう転ぶか、演目をただ見ているだけを決め込もうとしていた。
『誰が兄弟だ。――迅雷の魔王』
颯汰が召喚した怪物の名を呼ぶ。
怨敵として誅戮した王者の名を。
本来の王権の持ち主が、その鎧と化した装備を身に着け、現世に現れた。




