132 雷帝、再び
吹き荒ぶ冬の大嵐は止みはしたが、世界は赤い呪いに満ちたままであった。
吹雪が消えたあと、大いなる機械神は未だ残り続けている。
神と一体となったヴラド帝は、機械の目で辺りの捜索を続けていた。
身も心も機械となったヴラド帝は冷静に考え、巨神内部のデータベースにアクセスし、情報も並行して探っていた。
用済みとなった狂犬が放った氷塊、その正体が自然現象であることは見切った。無機物だからこそ“黒鉄の呪い”では分解できず、その身に直撃を受けたとも理解できた。
では、奴は一体何なのだ。
溶けた精神が、無数の「0」「1」が並ぶ電子空間に潜り込み、シルエットとして仮初の肉体を形成する。以前と違い、深海のような濃い青の底から赤黒い色が侵食して見えた。
ヴラド帝の前に現れるホログラムのウィンドウ。既に神と一体となっているため操作に迷いがない。溢れる膨大な情報の渦を読み込んでいく。
『バカな……、あれは魔法ではない、というのか……? では何だ。何が起きておるのだ』
敵対した大剣を振るう魔王が使ったものと同じ炎の槍を、立花颯汰は飛ばしてきた。その魔王が放ったものは難なく“黒鉄の呪い”によって分解できたというのに、立花颯汰が放ったそれは巨神の右肘の結晶を破壊してみせた。
『正体が掴めぬ攻撃……。幻覚の魔法、手妻のような奇術の類いとも違う。センサが狂っているわけではないのは他の魔法には正しく反応していたことから確かだ』
表示される赤い文字列。この時代のものではないため読めないが、内容はすんなりと頭に入ってくる。何か根本的に、魔法とは異なる何かだ。
『まさか……そんな、バカな。魔法という体系を侵し、世界に顕現させているとでもいうのか? なぜそんなことが可能なのだ――』
皇帝が言葉を詰まらせたのは、その解答が画面に表示されたからだ。目も鼻も口もない光のシルエットだけとなった皇帝であるが、その身の震え方から怒りを表していることが伝わる。
『……認めぬ! そんな、そんなこと、余は認めぬ……! 否、誰であろうと関係ない……!』
戦慄き震える皇帝。
『今や、余の、……否、我らの時代ぞ! 認めぬ、今さら、そんなもの!』
そして、見上げて絶叫し、現実へと戻った。
巨神が吠える。
その叫びに大地が呼応したように震える。
帝都ガラッシア周辺――雪や氷で隠れていた発着口が開き、それは現れた。
ザッザッと一糸乱れぬ行進と共に現れたのはヒトの形を模っている兵器。
巨人だ。
大きさは巨神に比べると矮小と言えるほどであるが、鬼人族であっても見上げるほどの巨躯だ。見るからにアンドロイド兵器――機械人形だとわかるビジュアルをしていた。
ヒトに近しい造りであるが形成しているのは肉や骨ではなくフレームなど金属の部品だ。ただ、顔こそはヒトのそれに近いように作られ、肌の色までつけて表情も変えられる。のっぺりとした顔が非常に不気味で悪趣味なのは、敵対する相手の士気を挫くためだろうか。
腕部が地面についているタイプや、両腕を棘付きの鈍器として扱うもの、槍など武器を携えるタイプなどがいる。
それらが次々と現れ、行軍を始めた。雪を蹴散らす鋼の波となる。
皇帝は立花颯汰一行を見失ったとはいえ、予想経路などすぐに割り出して、そこへロボット兵団を向かわせる。
敵対勢力が逃げ隠れた森の包囲は難しくとも、しらみ潰しに丁寧に行軍するだけだ。飛べば見つかる、地面を掘れば痕跡が残る、それを見逃すような機械人形たちではない。
数としては百ほどか。森にいる敵を追い詰めるのにヒトよりも大きく頑丈な兵器であれば、充分すぎる戦力と言える。
ただし、それは相手がただの人間であればの話だ。
まるでヒトの顔の皮だけを被ったような巨人たちが隊列を変え、森へと踏み込もうとしたとき、烈風が巻き起こった。
粒子が遠いため、機械人形たちを守る術はなく、竜種のシロすけが放った風の衝撃波で数体が宙を舞った。
天地を揺るがす大いなる神が睨む。
二つの影が森から出てくるのが見えた。
巨神はその左手を、その小さな影たちではなく奥の森に向けていた。左手の平から照射されたビームが森を焼く。撃ち放った光の砲弾が直撃し、着弾点で木々が吹き飛ぶ。
その出てきた影は見向きもせずに前を歩いていた。
機械となった皇帝が表情など変えられないが、おそらく元のままであれば目を細めて怪訝そうな顔をしていただろう。
――仲間は他の場所か
ご明察だ。
やってきたのは立花颯汰とシロすけ。紅蓮の魔王はリズを抱えながら移動した後だ。
恐れず前へと進む颯汰は幼い子供のような姿に戻っていた。エネルギーが尽きたわけではない。初めて見たはずの幼い姿であったが、皇帝の目には同一の存在であると表示されていた。
子供の姿であると侮ることなく、左手を向けていた。ターゲットをロックした。あとはいつでも滅却できる。しかし、一向に逃げる気配も脅える様子もない。そこに皇帝は疑念を抱く。
無策で爆風も熱も届いているはずが、悠然と進んでくるとは思えなかった。
――あの余裕は一体……罠? 誘っているのだろうか……
頭に乗っている竜種の幼体が何かしらの術を展開するつもりなのだろうか。
例えるならば、エネルギー弾を来た方向に弾く防御壁などの魔法も存在するという――それでカウンター狙いだろうか。
竜種自体に“黒鉄の呪い”が効かないという知識も得ていたが、非常に厄介なものであるとも皇帝は感じ始めていた。
竜術及び魔法による攻撃は粒子による自動防御で巨神に届くことはないが、風を操る能力は侮れない。風の刃などであれば分解できるが、翼部を強化しての羽ばたきが生んだ暴風は自然現象と分類されるため分解ができないのだ。
そして幼くとも竜種が有する魔力量は人間の比ではない。
そんな竜種を従えている敵対者の得体の知れなさに、皇帝は思わず問うた。
『――貴様は一体、何者なのだ』
数百ムート――吹雪が止んだとはいえ小さな子供の返答が届くとは思えない距離である。しかしながら巨神は確かに声を聞き取った。
小さき子どものたった一言に、皇帝は明確に恐怖を抱いた。機械の心に重く圧し掛かるは――“死の宣告”。
「お前の、敵だよ」
強い敵意、瞋恚に燃ゆる瞳に囚われ、心が揺さぶられるのを皇帝は感じた。
そう宣言した颯汰少年は、左手を前にかざす。
左手だけが黒い鋼鉄の籠手に包み込まれた。蒼く明滅する光と共に声が響く。
『再生完了――。
展開準備:実行――。
並行作業:仮想シミュレートの試験終了――。
試験結果:着装に不備は認められず――。
警告:着装時にかかる精神への多大な負荷により暴走の危険性――。
着装による作戦行動は非推奨――。
』
「いいや、ここでやらないとダメだっ!」
颯汰が叫ぶ。
勝利への切り札を、ここで使わねばならない。
その重いリスクを承知したうえでだ。
そのために変身を解除して寒さを我慢しながらも、全リソースを“切り札”の再生に注いだのだから。
――あの巨神は、常にではないが時折、俊敏に動ける。もしも次、一撃を貰えば……今度こそ絶命しかねない
一瞬の事故も許されない。
そのためには《素早さ》が必要だと考えた。
敵の攻撃を防ぐ絶対の防御ではなく、すべてを躱し、一方的に攻め込む速さを――。
――レイディアントウィングスでの三次元機動は優秀だが、やはり瞬間的な加速では無影迅が上――でも、足場が無ければ使えない。それに、移動距離の短さも考慮しなければならない
背部のウィングによる高機動は、長距離および三次元的立体機動にこそ真価を発揮すると颯汰は知った。皇帝の周りを飛行するにも常にフルスピードを意識しなければ、いずれかの攻撃(砲撃)に捕まってしまう。
無影迅の一瞬の超加速による移動は足を使うのもあるし、加速し続けるわけではない。短距離を爆発的な加速ですぐに最高速度に達するが、一定の距離で限界が来てしまう。人間相手では充分であるが、規格外の大きさの敵相手ではそれで攻撃を躱しきれない。
どちらも有用であるが、その小さな弱点が致命傷となるとは、凄まじい痛みで学習した。
ゆえに――……。
「やるぞ。《デザイア・フォース》!」
掛け声とともに颯汰を包む黒の嵐。
球状に包み込んだ闇から白銀の光のヒビが迸り、立花颯汰は再誕する。
今回はメットなしで顔の目から下を覆う装甲と手足に黒のガントレットとグリーブ。背中にある白銀の大きな亀裂が光り輝いている。
『左腕リアクター;フルドライブ――。
命令の実行――。』
そして、その左手のひらの上に蒼い光が収束しモノを模り、創り上げる。厳密にいえば“獣”が内部で復元した切り札を、物質界に送り込んでいる形だ。
完成したそれは、手のうえに浮かんでいた。
みすぼらしい汚れた贋作ではなく、真実の姿を形作る。
立花颯汰の手に、王冠が生じた。
銀と紫の宝玉が埋め込まれた金色の王冠。
それを見て、皇帝が察した。
計算ではなく、予感だ。
ここで殺さねばならぬという強い予感。
巨神であるヴラドは巨大な左手を向け、光線で消し炭に変えようとした。
『再生完了:ルクスリア・レガリア――。』
それは紛れもない、魔王の証であった。
本来、招かれざる者である颯汰が持っていてはいけない代物が宙に浮く。
そして、祈りのように呪われた言葉を紡ぐ。
『来いッ!《王権》――ッ!』
王冠は大きさと形状、色まで変える。
額から落雷のような角が一本伸びる仮面。
破滅の光が届く前に、白銀色のそれを被った。
雷鳴が轟き、すべてを焼き払う音を覆う。
赤い光ではなく、颯汰を包んだのは蒼白い稲妻で、周囲に装甲板が幾つもパーツに分かれて出現した。そして現れた装甲が颯汰の身を包む。
数瞬後――、立花颯汰の姿は無かった。
『……!』
皇帝が放った光線が直撃した跡には白い雪や氷は消し飛び、大地は黒く焦げていた。
恐るべき敵を葬ったという安堵よりも、見失った恐怖の方が大きい。周囲を見渡し、『どこだ』と声を出している最中に、それを視認する。
左手を貫く雷光――。
真下から突き上げる脚。
ビーム発射口があるとはいえ、並みならぬ分厚い装甲を突き抜けた猛き雷。
カメラアイに捉えた全身は、怪物を映し出す。
左手を貫いた後、それは宙を連続で蹴って距離を詰めだす。白銀の“獣”が吼える。
『ルュウウウウシャアアアアアッ!!』
声にならない叫びと共に、巨神の右頬辺りに回し蹴りが叩き込まれた。
青白い雷撃と共に落ちた蹴りの威力は凄まじく、皇帝は大きく仰け反った。
『ぬぉおおおおっ!? き、貴様ぁあ!!』
全身の白銀の装甲に、蒼いクリスタル状の結晶が胸にX字を描いている。左右の腕についている――三本の鉤爪として手先の方に展開できるような武装も、見覚えがあるものだ。
異形の顔に、後方へ伸びる繊維質の集合体の幾本のドレッドヘアの先端には三それぞれ角形の飾りがある。脚部に鋭い三本の爪と踵部にも一本付いていた。
『――……ゥゥゥウ……!』
ケダモノのような低い唸り声。
残響が耳朶を超えて脳へと届く。
それは色は違えど紛れもなく破滅の王者たる姿――《神滅の雷帝》であった。
光の柱――すべてを滅ぼすかに見えた光は、確かに迅雷の魔王を討った。しかしそれだけではなかったのだ。
そして、今――喰らって、己が物へと変えた《王権》を再構築し、ここに呼び出した。
あろうことか……魔王ではないものが、迅雷の魔王の王権を纏ってみせた。
見たことのない姿に皇帝は慄き、次の瞬間に熱を失う。元より機械の身体であるが血の気が引いたような感覚を味わった。
そこにいたはずなのに、影ひとつも見当たらない。見失った瞬間に、再び雷撃が奔った。
右カメラアイに大きなヒビが入る。
展開した爪を突き立て身体を固定し、雷が迸る右拳を捻じ込む。 雷鳴の如き一撃により、飴細工のようにレンズは砕け散った。さらに込められた雷撃が内部の機能を侵す。
『おのれええええ!!』
迫る手から逃れ、今度は上空からかかと落としを食わらせる。まさに落雷そのものであり、巨神は大きくガクリと頭を下げてその勢いに負けて膝を突く。
ルクスリアの“獣”はそれを眺めて遠吠えをする。月も出ていない、同種の仲間もいない孤狼が天に向かって鳴いた。
そこへ、機械人形たちが殺到する――。
◇
戦況は一気に優勢に傾いたように思えた。
しかしながら、
――『ぐ、……なんて、こった……!』
飛び跳ねては、空中に蒼い雷のエネルギーフィールドを形成し足場にし、“雷瞬”と呼ばれる光速移動を使いこなしながら、戦う怪物。だがその内面――立花颯汰の内側では別の戦いが始まっていた。
気が狂いそうになる。全身の血が湧き立ち、逆方向に流れていくような怖気のする気持ちの悪さでありつつ、酷い熱が襲い来る。
少しでも気を抜けば、理性が溶ける。
欲望の海に身を投げ出したくなる衝動。
切り札であった《王権》を身に纏ってから、颯汰の精神と肉体を苛み続けた。
――『魔王は、誰もが、こんな、ものに……、耐えて、いるのか……?』
脳には甘美な囁き。
血走った目は果実に向けられる。
渇きがひどい。
身体の激しい痛みは副次的なものに過ぎない。
誰も他人がいなくて安堵する。
欲しい。欲しい。欲しい。
自分が自分で無くなっていくような感覚。
何が本音で、何が願いか、わからなくなる。
颯汰にとって“獣”に自分を奪われそうになったときよりも、嫌悪感を強く感じていた。
他者の強い欲望が入り込んでくる――否、誰もが持っている根源的な本能を刺激してくる。それを、颯汰が認めたくないだけとも言えた。
『ア゛、ア゛ァアア……!!』
醜くも、抗う声。
獰猛なケダモノに成り下がりたくないという理性が、たった数分も満たない時間で折れてしまいそうになる。
舌を噛み、肩や手首を裂く自傷行為で何とか思いとどまろうとしても、その傷すら消えてしまう。
生命にある欲望を刺激し続けているそれは、今の颯汰にとって絡みつく呪いに等しかった。
呼吸が荒く、肩を上下させる。
その欲に流されまいと、颯汰は『破壊』で発散しようとしていた。
機械人形を惨殺するが如く、破壊する。両の爪で貫いては、真横に広げるように手を動かして機械を真ん中から裂いたりするのも、不要に駆け回るのも、全部衝動を破壊で誤魔化したいがためだ。
吠えて、機械人形たちを蹴散らしながら、解消していく。否、暴力により発散していると、満たされていると思い込んで、欲望を抑えつけようとしていたのであった。
機械の兵団は無残にも引き裂かれ、玩弄されて散っていく。叫び、壊し、喜び、狂ってしまいそうになっても永遠に満たされることがないように思える。
気色悪い機械仕掛けの巨人たちの存在に、颯汰は礼の言葉が出かけた。実際に頭の中に浮かんでしまうほどであった。
今夢中になって壊し続けなければ、命を狙ってくる敵を排除することに集中できなければ、精神も肉体も保たなくなる。
限界はとうに過ぎていたのだ。
それを彼の精神の中――王権の本来の持ち主はニタニタと下卑た笑みを浮かべながら眺めていたのだ。
真っ白で広大な世界にポツンとある家具の類い。ソファに腰かけブラウン管テレビで外の世界を――最も愉しい娯楽である立花颯汰の観測をしていた迅雷の魔王が、楽し気に手を叩いて言う。
「ハッハー! さぁ、兄弟! お前の実力、見せてくれや! 負けるな負けるな、足掻け足掻け! その無尽の欲望の渦に果たして、お前は正気でいられるのか!」
とても応援している様子には見受けられないが、どちらに転ぼうと彼にとっては娯楽に過ぎない。終わってしまった世界の趨勢など、迅雷の魔王にとってどうでもいい。自分を終わらせた存在の末路を呪うのでもなく、劇的な娯楽として鑑賞する。
常人では耐えられないほどに強い、ルクスリアの欲。
激しい欲に身を焦がすと知ってなお、勝つためだけに地獄の道を進まんとする颯汰を――その生き方を否定するのではなく、肯定もせずに「画面の奥の出来事」と嗤っているのだ。
頭も沸騰しそうになる。
一か所に集まった血液が痛いくらいに燃える。
息が荒い、唾液が溢れる。
耐えるのがやっとではない、耐えているのが奇跡といえる状態であった。
理性との戦い。
人間としての尊厳を保つために勝たねばならぬが、毒のように染み渡る衝動――快楽への誘いに、ただの人間が勝てるはずがない。
立花颯汰も、例外ではなかったのだ。




