130 荒ぶるもの
アルゲンエウス大陸。
ニヴァリス帝国が首都、ガラッシア――。
帝国を護るべく覚醒した機神“灰のギガス”。
狂った現皇帝ヴラドと一体となった巨神は咆哮を上げた。
神像の彫刻の名残は僅かばかりで、今や禍々しい兵器となって君臨する。
赤黒い人工筋肉の隆起は変わらない。ただし体の各種に赤い結晶体が生え、頭部の獅子の如き意匠も冠までもが、背部の神の宝玉と同じ赤い結晶物となっていた。背部のバックパックに格納していた大結晶は、内側から一部突き破り、“灰のギガス”を侵食している。宝玉は元々、この巨神用ではない、赤い戦神のコアである。ゆえに今、益荒男の如き風体に変わったのだろう。
大陸中に轟く雄たけびは天地を揺るがすのは勿論、周辺の雪山や木々に降り積もる雪まで震えて落下させ、生命は脅え、逃げ惑わせる。
ヴラド帝は狂気に呑まれ、怒りに我を忘れたように振る舞うが、実のところ冷静であった。冷静に、困惑していた。
――……一体、何故か
羽虫の如く襲い来る者たちを見やる。
片方は“魔王”――ヴァーミリアル大陸からやってきて、世界全土に宣戦布告をやってのけた愚か者こそがこの者なのだろう、とヴラドは考えていた。
空を貫く光の柱を立て、己が力を誇示しようとした愚物と侮っていた相手であったが、かなりの手練れであると認識を改めるに至る。
もう片方は――何者かわからない。
見た目こそ若い女子のそれであるのだが、その苛烈さは鎧――《王権》を纏う魔王よりも強く感じさせてくる。その瞳、表情が恐ろしいものである、と皇帝には映っていた。
――あの者は、余の“呪い”に触れ、左腕が機能しなくなった。というのに襟巻きの布で腕と武器を固定してまで喰らいかかる……正気ではない。魔王ではないのは確かだが……よもや勇者……いや、あり得ぬな
勇者であるならば、魔王と肩を並べる道理がない。むしろ自分に味方をしてくれるとまでヴラド帝は考えていたのだ。
凄まじい爆発が起きた。
赤黒い呪いの粒子を巻き込み、爆ぜた中から紅蓮の魔王が躍り出る。
巨神の各部位から開いた砲門から放たれた弾が紅蓮の魔王を直撃したのだが、紅蓮は止まらない。悪鬼羅刹、破壊の権化たる魔王はその身を崩しながら身の丈ほどある星剣を振るう。
――何故だ……?
“黒鉄の呪い”により魔力も精気も吸い出され、生命活動が非常に困難な領域と化しているというのにだ。紅蓮の魔王は、自身が纏う《王権》も著しくダメージを負い、破損している中で果敢に攻める。背中の赤い外套も殆ど崩れ、鎧の各種に亀裂が入っている。形を保っているのがやっとに見えた。それでも、両腕で大剣を振り下ろす。
皇帝が赤黒い呪いの粒子を操り、紅蓮の魔王を葬ろうとするが、紅蓮の魔王はあえて高密度の下級魔法を放ち、それを餌にして逃れるという真似をやってみせた。呪いの粒子が生き物のように、火炎弾に群がっていった。
魔法が爆ぜることなく魔力に転換されて消滅する中、風を操る女が来る。
――何者、か
紅蓮の魔王は攻め入る姿勢を見せつつも、呪いの粒子が濃い箇所は危険と判断して回避するように動くが、女の方はまるでお構いなしに突撃してくる。風の魔法によってある程度は吹き飛ばしているようだが、それでも呪いは毒となって効いている。一度左腕を蝕まれたというのに、恐れを知らずに立ち向かってくる狂人、と皇帝は思った。
実際のところ、不可視の双鎌剣の担い手たる闇の勇者であるリズは、恐れを抱きながらも、勇気を振り絞っていた。
途中までは、だ。
彼女は絶望に呑まれかけていた。
子栗鼠が象に戦いを挑むという発想が生まれぬように、見上げる山よりも大きなヒト型兵器に対し、戦うという選択が自然と排除されていた。荒ぶる神を見上げる小さき子が、恐怖を感じるのはごく自然のことだ。この点だけは彼女は真っ当な生き物らしい考えであった。……このときまでは、だ。
彼女は見てしまった。
希望の蒼い流星が落ちる瞬間を――。
そうして彼女は、勇気を胸に立ち上がる。絶望にへたり込んでいる場合ではない、と自身を鼓舞した。
そこまでならば、彼女の踏み出した一歩の勇気に称賛が浴びせられるか、あまりの蛮勇さに心配の声が上がるか、のどちらかであろう。彼女の異常さは、ここから加速度的に増していく。
《わたしは死なない》
それは祈りに近い何かだろうか。
自己暗示だとしても、外的要因によって傷つく肉体が、通常は苦痛に耐えきれるものではない。もしも暗示で自らを偽れるのであれば、敵国の捕虜等を拷問し情報を聞き出そうだなんて、はじめから無意味な行為となるだろう。正常な人間は痛み……つまりは暴力に屈するようにできている。己が生命を守るためにだ。
《だってわたしは――》
烈風の中を翔け抜け、機神の各砲門からの射撃を肌に掠め、直撃を剣で弾いてでも接近する。
装甲を削る斬撃。
可憐な乙女は、剣鬼と化して神を斬る。
皇帝は叫びながら巨腕を叩きつけるが、その拳が生んだ風圧に飛ばされ巻き込まれながらもリズは巨神の腕に乗り、腕部を斬りつけた。
――死を、恐れていないのか
だが所詮、羽虫だ。
理解を示す必要もない。
何度も死に物狂いで攻められてはいるが、確実に相手の消耗の方が早い。周囲の魔力を吸い、増幅し回すことによりほぼ無尽のエネルギーを得て、さらにナノマシンによる自己修復機能がある分、皇帝の優位は揺るがない。
『少々長引いたが、幕引きだ』
腕部の各種の装甲が開き、砲門が出てくる。
空中戦を仕掛けてくる相手を想定している機銃が唸る。直接登ってくる人体に向けて撃つことは果たして想定されてはいなかったであろう銃口がリズを捉える。
激しいマズルフラッシュ。
弾丸の雨を捌き切られることまでも、想定はしてなかっただろう。ただ幾ら勇者とはいえ、挟み込むような多方向からの攻撃と呪いの粒子が殺到されるとなると、すぐさま飛び降りて去ることを選ぶ。十全じゃない傷だらけの身体なら尚更だ。
そういった姿を見ながら、紅蓮の魔王は思う。
――『危ういな』
ブーメラン発言に思えるが、彼はリズの精神性に対してそう感じたのであった。だから息を整え、彼女に警告する。
『昂っているところ悪いが、そろそろ潮時だ』
これ以上時間が経てば、彼女はアルゲンエウス大陸東部・シルヴィア公国へ攻め入った軍団を全滅させた“力”を使いかねない。
未だコントロールが難しい能力をこの場で使うことはリスクとなるのは明白であったし、何よりも彼女の名誉を、彼女自身の行動で傷つけてしまうおそれがあった。
潮時というワードに訝し気に思った皇帝が、ハッと気づく。己が生まれ故郷――ガラッシアからそれは飛び出してきた。
帝都上部、都市を覆うスノードームのような球体の上に降り立つ影。
巨神がぶち壊した大穴を、氷によって塞いでいく。魔法を無力化するほどの濃度の呪いを風で散らしたのと、紅蓮の魔王とリズの尽力によって皇帝を少しでも帝都ガラッシアから離したおかげだろう。
「さっき話した作戦どおり、頼むわよ。それじゃ、行きなさい。援護もするけど、あまり効果は期待しないように!」
『応っ!』
王錫の石突を突き立て音を鳴らし、氷を操る女魔王は、立花颯汰に命じる。
帝都を真っすぐ飛行して昇った際に、情報共有を兼ねて話し合い、作戦を練った。
ほんのわずかな時間であったため、作戦とはそこまで質のいいものではない。
「もしダメだったら正面から倒しなさいね」
『そうならないと良いなぁ!』
背部ウィングユニットを開きながら、颯汰は飛翔する。
皇帝ヴラドは最大限に警戒する。
光となって迫る者が、もっとも危険であると認知した。何故ならば――、
『――決着をつけるぞ……!』
『立ちはだかるか、旧き世界の王! 我らニヴァリス繁栄の道を、阻ませはしないぞッ!!』
皇帝の戯言に耳を傾けやしない。
皇帝の結晶が突き出た部分から、赤黒い粒子が噴き出て、それが颯汰のもとへ殺到する。眼前に迫る呪いの壁を、蒼銀が照らした。
誰もが、その光景を見つめていた。
飛んだ先に蜘蛛の巣が展開されていたような状況だ。粘性はなくとも、触れれば魔力をも吸われ、死に至る呪い。
それでも、誰もがどうなるかわかっていた。
『何故だッ――!』
皇帝が怨嗟の声を漏らす。
粒子群を操る皇帝ですら、理解していた。
なぜなら、最初に戻ってきたとき既に、無敵のバリアである“黒鉄の呪い”を立花颯汰は突破したのだ。そして、先ほどと同じ結果をもたらす。
あり得ないことだ、と皇帝は困惑する。
『背部ウィングユニット:アクティブ――。』
『フル、ブーストッ!』
蒼く明滅する左腕から響く音声アナウンスに、応えるように颯汰は叫ぶ。
魔力と精気を奪う呪詛の帳を、立花颯汰は最速で突き抜けていく。
衝撃で赤い粒子は、円を象るように散り、蒼白い光の軌跡が一直線を描きながら、皇帝の右拳と正面衝突する。
再度、目に見える衝撃が空気によって伝わっていく。重々しい金属同士が激突した音までもが響き渡っていった。
体格差が瞭然であり、ハエ一匹が拳に衝突したくらいで人間の指にダメージは然う然う入らない。だが、もしもその小さな羽虫が明確な殺意を有していて、さらに金剛石を思わせるほどに堅牢だった場合では異なる結果を生み出す。
『ば、馬鹿な……ッ!』
巨神の中指の装甲が捲れ、隙間からバチバチと、部品がショートしているのが見えた。
直撃した箇所を中心に衝撃が走り、右手全体にダメージを負わせてみせた。
では、小さな立花颯汰はどうだろうか。
『――……っぅぅ……、……ど、どうだ……!』
強がってみせるが、全身が痺れるうえに、尋常じゃないほどに左腕が痛い。強化を施していなければ全身が粉々に砕けていたであろう。真正面から殴り合いは不利だというのはおそらく小学校低学年の男児でも判別つきそうなものだが、ノリと勢いでイケるのではないか、と颯汰は少しばかり過信してしまっていた結果だ。
腕を引く巨神を、逃がすまいと颯汰は痛みを我慢して突撃していく。
巨神の手首をすり抜け、右腕の肘部分にある結晶体の破壊を敢行する。
『くっ……!』
迎撃用の機銃の一斉射撃が襲い来る。腕や脚の装甲が開き、砲弾が雨あられのように降り注ぎ、颯汰を襲う。先の勇者たちを襲ったものよりも、明らかに数が増していた。
巨腕の右肘に接近する。結晶物から噴き出す呪いの粒子ごと、颯汰は炎の槍で消し飛ばす。
赤い魔法陣から飛翔する槍は、解体されることなく形を保ったまま結晶に直撃し、爆ぜた。
『ぐぉおっ……! おのれぇええッ!! 何故だぁぁああああッ!!』
慄く機神。全く同じものを紅蓮の魔王が放ったとき、確かに表面装甲に当たる前に消滅していた。だというのに颯汰が放ったものは衰えることなく真っすぐ突き進み、刺さっては爆発的に炎上しながら、結晶を破壊した。
そして次、動揺している巨神の右肩に回り込むように背後から斬りつけようとした。
ぶわっと溢れ出す呪いが阻むように展開されたが、シロすけが羽ばたく。風の刃が二本ずつ両翼から発生してはあえて拡散させ、それぞれを追うように粒子が追いかけ始めた。“黒鉄の呪い”は正常に機能している証左である。
視界を邪魔する粒状の幕が消えた一瞬の隙を逃さず、颯汰は落下しながら剣を突き立てた。
両手で柄を掴み、白銀の光を放つ刃は赤の鉱石に突き刺さり、亀裂が入った後に砕け散った。
『ぬぅぅぅうッ! おのれ、羽虫風情が! ぬうぉおおおおっ!!』
鉱石を砕き、飛びあがった途端に反撃が迫る。
ダメージを追った巨神の右手であるが、そのまま裏拳で殴り掛かる。
空を切る破砕鎚が生み出した風で颯汰は巻き込まれる。ぐるりと回転し、頭が地面へと向いた。裏拳の直撃は免れたが、第二波が来る。
『あ、それやばっ』
直撃しなくとも態勢は一瞬崩れる。これこそが皇帝の狙いだったのかもしれない。巨拳の風圧によって舞い上げられたところに、皇帝は巨体に見合わぬ俊敏な動きで、左手の指を開きながら叩きつけてきた。
回避が間に合わず、颯汰は咄嗟に防御するように両腕を盾にしたが、神の鉄槌が直撃する。
ハエたたきで潰されたかのように地面へ猛スピードで落ちていく颯汰。
一瞬であるが、気を失ってしまうほどの強力な一撃であった。
シロすけが鳴き、懸命に追いかける
地上にたどり着くまで猶予はまるでない。先ほどのフルスピードと同等ぐらいの速さで地面へ向かう。衝突すれば、雪の上とて容易に身体は潰れてしまう。
意識を取り戻すまでも早かったが、その僅かな時間が命取りであった。すでに地上まで十数ムート。一般的な学校の校舎よりも低い場所で、しかも加速して落ちているのだ。残り、一を数える間もなく、最悪の結末が待っている。
だが絶望はしない。
両翼を展開しながら、颯汰は地面を背に向け手を伸ばす。見上げる先に追いかけてきた白き竜種の王者では間に合わない。
だが、二つの星はどうだろう。
光と闇の勇者が、伸ばした手を掴もうと、全速力で呪いを風で掻き分けながら進んでいく。
空を切る手。
粉々に砕けた籠手から伸びる手。
その二つが見えて、颯汰は両手を差し出した。




