129.5 狂惑
目を覚ます。
意識を取り戻したと同時に、飛び跳ねるように起き上がって軍刀の柄に手をかけた。職業軍人として、この一瞬の行動は組み込まれたものである。何かを意識する前に、武器をいつでも使えるように手で握った。
目を覚ます直前、酷い耳鳴りがしたような気がした。痛みも不快感もあまり無いが、一瞬だけ周囲を覆う甲高いキーンとした音。
眠っている内に、鼓膜へダメージがあったのだろうか。周囲を見渡し、状況を確認する。
しばらくして落ち着き、環境音はするものの、他に大した関心を示すものは聞こえてこない。どうやら耳は完全にやられてはいなかったようだ。
視覚にも少し違和感を覚えるが他に比べると些細な問題となるだろう。片腕の自由が効かないことに気づいたからだ。
左腕から少しボタボタと零れているが、手当てをするための道具であったり、清潔な場所を見つける必要もある。感覚がないが大した量ではないため、今すぐにでもなくて大丈夫だろう。
それよりも目につく大きな情報がある――。
周囲に戦った形跡と倒れる“敵”だったもの。蒙昧で、まだ眠りの内にあった意識が覚醒する。何が起きたのかが、一気に思い出せた。
「……そうか、気を失っていたのか。情けない」
横たわるは、自分にそっくりな偽物。ニヴァリス帝国の第三皇子・ヴィクトルにしか見えない。
見るからに、もう動きはしそうにない。
あまり長く見ていて気分が良いものではない。生涯かけても、自分にそっくりな亡骸を見るような機会は無いだろうし、他人も経験することもない出来事であるが、正直体験したくなかったし、気が滅入るものがある。
目を瞑り首を振って意識を切り替える。
ほかにも重要な手がかりがないか――気絶している間に何が起きたかを把握するために情報を集めるべきだ。
「霧が、晴れている……」
帝都を包んでいた煙霧が消えていた。
清浄な空気で、淀みが消えたように思える。僅かに感じていた甘い匂いすらなくなっていた。
「一体誰がやった?」
誰かが送風装置のある制御室を制圧したのであろうが、見当もつかない。下手に叛逆の姿勢を見せれば、その者もただでは済まないはずだ。
ただここで考えても仕方がないことである。
向かうことを視野に入れながら、遮るものがなくクリアになった都市を見渡す。
観察すると眠っている間に何かが起きたのは明白であった。潰れた歩廊。煙を吐く建築物、倒壊した施設、炎上する街。防火システムが機能していない箇所もあるのだろう。
激戦によって生じたのであろう砂埃も落ち着き、淀みは送風装置によって除去されたのか。
景色を見て、心が痛んだ。
ほんの少し前までは建国祭の準備やら、開催で賑わっていたはずだというのに。
悔しさで気が狂いそうになる。
「くっ……、行かねば」
重たい身体を引きずりながら歯を食いしばって進む。目的があった。こんなところで時間を潰している暇はない。今は自分がすべきことは、決して横になって眠ることではない。
荒れる呼吸。左腕の感覚がない。
覚束無い足取りで向かおうとする。
ただ、最も目につきやすく状況を知っているであろう当事者――巨神と一体となった父の姿が見当たらなかった。
「住民の避難は完了したようだな。街の様子から気を失っている間に、魔王と一戦交えたと見た。どうなっている……? ……さすがに、終結はしたという雰囲気ではなさそうだが。とにかく状況を、把握せねばな」
見渡す限り、見当たらぬ人影。おそらく住民も兵もすべてがシェルター内に避難が完了したのだろう。しかしいくら頑強なシェルターとはいえ、父の一撃が当たれば容易く崩壊するのは目に見えている。それにあの巨体を活かすのならば、やはり外で戦うのが道理だ。
今もなお、戦っているのだろうか。
少なくとも、一度ここが戦場となったのは明白だ。寒さを感じ見上げる。天井部分が崩壊していた。敵である魔王が攻め込んできたのだろうか。
万が一、巨神が負けたとした場合はもっとわかりやすい変化や、残骸が転がっているはずだ。
だからおそらくは、父が魔王を外に追い出したうえで、追いかけたのだろう。
ガラッシア内で戦えば巻き込む可能性があるし、敵に民を人質にされかねない状況でもある。
伝承通りであれば、魔王とは卑怯千万。
民が幾人死のうが、心を痛めない存在だ。
「ぐっ、……民は、部下たちは、無事だろうか」
霞み歪んでいく視界。
思考している内に、意識が深い眠りへ落ちてしまいそうになる。この状態で、果たして自分にできることがあるのだろうか。
そんな弱気になっていた魂に火を着けるものが見えた。
ふと見たところ、下層にそれらを見つけた。
「あれは……!?」
人影を見つける。
気のせいではない。
瞬間、不思議と身体に活力が宿った気がした。
無我夢中で、追いかけて出会った。
頭の中で警鐘が鳴りやまないが、この国の為に挑まねばならない。
「そこの者たち、止まれ――!」
見知らぬ影たちへと声をかける。
生存者ではあるが――帝国の民では決してない。加えて、各国からの賓客にしてはそれらしい感じがしない。無駄に豪奢に着飾っているようでもなければ、年齢もやけに若い。さらに小さな竜種の姿まで見える。いやに警戒したような声をあげて黒い鎧装の戦士の肩から飛んだ。
一人は全身を鎧う戦士に見える。
一人は異人、だろうか。たしかフォン=ファルガンなる小国ではこういった装いが一般的であったような、違ったような……。
ふたりとも、佇まいが只者ではない――。
最悪が頭を過る。
だからこそ、ここで退くわけにはいかない。
臨戦態勢を取った戦士。左腕に右手を当てている謎のポーズであるが、何かをしようとしているのはわかる。それを制するように少女の方が左手を横に伸ばした。
彼女が主人だろうか。
こちらを心の底から軽蔑するどころか、一切の興味関心の無い冷めた目線を送る少女にも、なにか“異形”なものに感じた。
「――……なに?」
少女が訊ねる。
本来であれば皇族に対し非情に無礼であるが、そこに一々反応していられない。
「俺、……私はニヴァリス帝国第三皇子、ヴィクトルだ」
聞きたいことがあったが、武器を取る。
女が数瞬、大きく目を見開き、まじまじと見つめる。剣を抜いたことに驚いた様子ではない。そのような若い女の子らしい反応であれば、どれほど良かっただろうか。
仮にこの地に住んでいなくとも、名ぐらいは知っているであろう。例えば刺客の類いであれば特徴ぐらい把握しているはずだろう。
この者たちは、この帝国の“敵”だ――。
「……ふぅん」
そういった少女の姿をした何かは姿を消した。
視覚に何か異常があったのだろうか。
直後、重い音が響く。
次に視界が勝手に移り変わり始めた。
飛びあがりながら、ぐるりぐるりと視界が揺れ動く。常人であれば見ることが叶わない光景だ。
取り残された身体が見えた。
「――な、に……!?」
続く言葉が出てこない。
最期に、女と目が合う。
既に、動き出していた。
ぐるぐると回転しながら落ちていく。
そうして、意識が途絶え――……。
◇
一瞬で“敵”の背後を取り、首を手刀にて切断した女魔王は止まらなかった。
宙に浮かんだ敵の頭部に目掛け、人差し指と中指の先に魔力を込め、撃ち放つ。
蒼白い雷撃のような光線が斬り飛ばした頭部に直撃すると、そこから氷が広がっていき、浸食されて氷塊が出来上がった。
ゴトンと大きな音を立てて落ちる頭部。
呆気ない最期であった。
「……私が世話になったようね。代わりに言うわ――ヴィクトル、あんたの仇はとったわ」
横たわる遺体を前に、女魔王は溜息を吐く。
それを眺めていた颯汰が絶句していた。
『一体、なんだったんだ……? 腕も無くて傷の奥は金属のような色で、まるで――』
「機械人形の類いよ。……自分の息子を、思い通りに動く人形にすり替えようだなんて悪趣味の極みね、ヴラドは。しかも自身を人間、本物のヴィクトルだと思い込ませるなんて」
『本物の第三皇子は……?』
「まず、無事では済んでいないでしょうね。……――それの左腕を断ったのが本人かも」
『……ここまで、精巧なロボットが作れるのかニヴァリスは』
残された体を颯汰は見る。
首からの出血量が少ない。噴き上げるはずの血潮の勢いは弱く、切断面からだらりと零れる。色合いは近いが別物だろう。
颯汰が背を向け、彼女の方をみたときだ。
シロすけが鳴き、颯汰はその意図を瞬時に気づく。『しまった』――そう心の中で叫んだ。
「地下の設備のおかげでね」
『――!』
それはまるで、変わらぬ日常が如く。
声音は平静で雑談のような軽快さ。
だが突き抜ける殺気が鋭く、異質であった。
颯汰の右横を通り過ぎる氷の剣。
それが突き刺さるは肉体だけの機械人形。
機械人形は頭が無くなったというのに起き上がり、一番近い敵を排除しに動こうとした。が、女魔王によって放たれた魔法により、再度先手を取られた。
「はぁ。今、機嫌が悪くなったわ。さっさと眠りなさい」
氷の刃が金属すらぶち抜く。
さらに人形の周囲を逃げ場無く、氷柱の弾丸が展開され、嵐のように降り注ぐ。
明らかなオーバーキル。どんな生命であれ、あの攻撃を受けて生きてはおるまいと確信できる。一度喰らった身であるからこそ、その苛烈さを知っていて、さらに魔法の質が天と地のほど変わっていることに颯汰は気づいた。超恐い。
凄まじい冷気が満ちる。
生じた白煙が消えると、もはや動くわけがない残骸だけが取り残されていた。
穴ぼこだらけだった金属が凍っては砕け散り、原形が留めなくなった。
女は溜息を吐いて、颯汰は内心ビビる。
分けた人格の内、ヴィクトル皇子を知る者は多い。ゆえに彼女の怒りは理解できたが恐いものは恐い。同じ顔であろうと、躊躇いなく誅戮した。その不機嫌さが飛び火する可能性を颯汰は恐れた。
ただそれを表に出すのは失礼であるし、かえって怒らせるに至ると察した颯汰は努めて平静を装う。咳払いをして氷漬けとなった頭部を見やる。
女はその場に動かない。右手の先が刃のように氷柱が伸び、剣のように煌めく。
振るっても届かないというのに、弾かれたように氷塊が滑り出し、吹き飛んでいく。
街の中心の大穴へ吸い込まれていった。
スーッとカーリングのストーンのように滑っていき、落下して視界に消えた瞬間にその上から氷柱が落下して追い打ちしにいったのが見える。まったく容赦がない。(うっわ……)っと颯汰は思いつつも、当然の処理ではあるとも同時に感じた。
『しかし、本人そっくりな偽物か。もし知らぬ内に誰かが入れ替わってたりでもしたら……』
そんなものが跋扈すれば、秩序は忽ち乱れる。
いつの間にか同じ顔をした別人が密偵として送り込まれる危険がある。“獣”や魔王らは見抜けるだろうが、目が届かぬ範囲でやられれば、いつか致死となる傷が生じてしまう。
「他の大陸でも同系統の設備があって、ガラッシアみたいに生きているならあり得る話だけど、今それは余分な思考じゃない?」
『……たしかに、そうかも』
今、帝都の外で紅蓮の魔王たちが懸命に皇帝を抑えてくれているに違いないのだから。
そして此度の戦い、自身が切り札であり唯一通る戦法だという自覚があり、皆もそれを理解している。些末なこととは言えないが、戦いの最中にそれを気にしてやられては台無しだ。
決戦に向けて、意識を切り替える必要がある。
呼吸を整え、空を見上げる。
ここからが本当の戦いとなるのだ――。
「……ま、まぁ。私は機械人形が紛れてもお見通しだし? いざとなったら、護ってあげてもいいのだわ。光栄に思うことね!」
『? あ、あぁ。うん、それは――、心強いよ』
急に。と颯汰は心の中で言った。
義理や恩情というものが、分かれた人格の記憶を読み取って蘇ったのだろうか。
協力してくれるならば有難い、と本質から目を逸らしつつ颯汰は思う。い、今は無駄なことや勘違いに意識を奪われている場合じゃない。
『よ、よぉし! 今度こそ行こう!』
背部のウィングユニットを展開し、空を目指す。もはや飛ぶことへの恐怖は無い。
ニヴァリスが皇帝、巨神となったヴラドと決着をつける時だ。
「本物のヴィクトルなら、最初の一撃は防いでいたわ」
『いやもうそれ人間じゃないよ』




