128 麗しき氷の魔王
「どうやら、迷っている暇はなさそうね」
「最初からそうなのよ」
街の外へ目を向けて呟くソフィアに、呆れたようなムスッとした声でイリーナが答える。
振り返る第四皇女。世間知らずの傍若無人の十歳であり、態度は以前と同じ尊大なままである。しかし子どものまま様々な知識を有したためか、若干だけ大人びている印象を与えてくる。
年の差のある姉妹にも見えなくもないが、見た目の種族も一致していない。先ほどまで表情も正反対で、迷いの有無が出ていた。
それを断ち切ってみせたのは皇帝の叫び。敵方の怒りに満ちた声によって、かえって何かを選んでいる余裕がない状態となり、彼女は賭けに出られた。ヴラド帝の叫びが思わぬ形でアシストとなったのであった。
イリーナが颯汰に近づき手を差し出して言う。
「ヒルベルト、私が預けた霊器を返しなさい。それらが封印を解く鍵になるから」
『……そんな大事なものを』
颯汰は少し動揺する。ソフィアがそんな大事な品を預けてきたとは知らなかった。精霊が宿り、魔法を放つ道具自体かなり貴重品ではあるのだが。もし破損でもしたらいよいよ大惨事だろう。
颯汰はソフィアの方を見やると、ソフィアは肯いた。今文句を口にしても時間の無駄だ。
溜息を吐きたい気持ちを抑え、準備に取り掛かる。颯汰は左腕から一時的に借りていた霊器たちを現出させた。
斬撃の籠手「ロサ・ムルティフローラ」。変装の垂幕「ディスフラース」――それらをイリーナに渡す。
ふと見るとソフィアの方も片腕に布を抱えながら、右手の平に指輪があった。宝石がついているそれもまた霊器。ウェパルが使っていた撃輪を出現させ、それを遠隔操作する指輪型の霊器。
どれも高価そうな品々であり、見た目以上に価値があるものだ。
籠手を渡す際に少し重量があるため、颯汰は少し気を遣って渡す。
『ちょっと重いぞ』
「わかってるわよ。子ども扱――……いや、淑女扱い?」
『そうともいう』
「――……ふん。良い心遣いじゃない」
勝手にご機嫌になっている少女。何故かジトっと重たい視線を向けてくる女の眼力を、颯汰は目をそらしてその意図に気づかないふりをした。だが、彼女を完全に無視はできない。上機嫌なイリーナに霊器を渡し、次はソフィアから「ディアブロ」を受け取る。無言で圧を放っているが、努めて気づかないふりをする。『わー、ほんとうに人が浮いてる~』などと、赤い糸から伸びて垂れ下がっている人体たちを見て言う。彼らの処遇も決めねばならない。
――まだしばらくは起きないはずだが、どこかでロープで縛っておくのが妥当か? いや、こいつらの筋力で振りほどかれる? 呪いの流入も止めてもらわないと……
締め切った屋内であれば、多少保つかもしれない。隔離された避難所などがあればもっといいが探している時間はない。
『と、とりあえず、こいつらをあそこにでも置いてくるわ』
あの建物がいいだろうか、と近くを探していると、ディアブロが勝手に動き出し、右腕巻き付いてきた。ちょっとしたホラー感はあるが、あえてそこに意識を向けて深く考えずに走り抜ける。
――そういった特性の霊器なのか、よほどすごい精霊が中にいるのか……
協力的なのはありがたいことだ。
今も現在進行形で吸血兵たちを保護してくれたあたり信用してもいいのは間違いない。
移動するに合わせて、ふらふらと飛んでいた龍の子が頭部に乗っかった。
呪いの波はまだ遠いが、うかうかしていられない。
すぐに建物の中へと入ろうとする。
『あっ、……扉に鍵か』
「きゅ~……」
閉店中と書かれた札が扉の前にぶら下がってあり、ドアノブに触れて確信する。開かない。
残念そうにシロすけが鳴く。
すぐにどこか他に探そうとした矢先に、赤い糸が伸びてドアの隙間に入り込み、ガチャリと物音。鍵を開けたのだ。『わぉ、犯罪者』とボソッと漏らしながら、颯汰は侵入する。一方龍の子は歓喜の声を上げていた。教育によろしくない。
『今は、緊急時だ』
首を振って自分とシロすけに言い聞かせてようにしてから中へと入る。
中は飲食店ではあったが、当然誰もいない。
式典の途中で店を閉めていたと思われる。
開店準備はできていて小綺麗ではあった。
颯汰が右腕を前に突き出すと、赤い糸が吸血兵たちを下ろす。衰弱はしていないが、目を覚ますのはかなり先になるだろうと予想する。自分で撃ち込んだ魔法弾もどき――魔力が煉られたゴム弾の威力は常人では骨が砕けて重傷を負わせるものであるが、人外となったかれらがギリギリ気を失うレベルに調節して撃ち放ったもの。少なくともすぐに動き出せるものではない、……はずだ。
颯汰は少し見ていて心苦しく感じていた。
ソファの席に女性を横にし、男性は我慢して床を舐めていてもらう。そうして彼らを置いた後、すぐに店を出た。
彼らを吸血兵を匿うのは、ここに来る皇帝を迎え撃つためと――、
「――始めるわ。私」
「えぇ」
もしも、最悪な事態が起きてしまった場合に巻き込まれないがためだ。
ソフィアとイリーナは少し距離を詰め、片手に件の封印を解く鍵となる霊器を持ち――イリーナが再度出現させた“鞘”――棺桶型の霊器までも立っていた。
やはりこの棺、結構な迫力がある。
霊器の中に魔王としての要たる王権が格納されている。その封印を解くと同時に、彼女たちは融合して魔王となるつもりだ。
同時並行でやらねば時間が足りない。
外から何かが爆ぜる音が響く。おそらく紅蓮の魔王が皇帝の足止めをしてくれている、と颯汰は気づいた。
「時間が無いわ。みんな、頼むわよ」
イリーナが指輪とソフィアの持ったふたつの霊器に声をかけた。ソフィアも同じく声をかける。
「お願いします。――とくに姉様」
名指しするときに鋭い声音。フェイスヴェール型の霊器「ディスフラース」が抗議するかのように揺れ動いた、ように見えた。
ふたりが息を吸って吐いたとき、持っていた精霊が宿る武具たちが煌めく。霊器から光が溢れ、棺へと照射された。導かれるように光の線を通って霊器が流れて行った。
封印を解く行動と並行して、融合を始める。
イリーナとソフィアが互いに向き合った。
「あんたは私。怖いのはわかってる。でも――」
颯汰が見てきた光景、結晶から伝わった内面の世界。その苦しみと叫びの先――希望をイリーナも知った。
「――ここで巨神を止めないと、もっと怖い。みんな死んじゃうもの。兄さまたちも姉さまたちも……そんなの、イヤ」
偽りの関係であっても、築いたものまでは嘘じゃない。彼女は確かに現ニヴァリス家の人間として過ごしていた。
勘当同然にテュシアー村に送られたのも、皇帝ヴラドが娘を案じたためであった。融合させずに半端なまま、亡霊の知恵だけを盗み、帝国の未来を照らすために利用する腹積もりであった、とイリーナも理解している。
イリーナの中に王権が格納されているとは、彼の皇帝もずっと気づかないでいたのだ。
「……皇帝がしてきたことは許されない。それに、私たちには責任がある」
己に与えられた役割を自覚ないまま演じながら生きてきた女。客員騎士を偽った、真なるニヴァリス帝国の後継者――それすら紛い物であった。けれども、もうその必要がなくなる。
ただ、やはり唯一の懸念は暴走し、颯汰を攻撃する可能性だ。でもこのまま逃げても、どん詰まりとなることだろう。
嫌なギャンブルだが、シンプルなものだ。
危険を顧みずに挑戦するか。
それとも戦わずに、みんなが死ぬのを怯えながら、戦わなかったことを後悔しながら死ぬか。
少女は目を瞑って息を吸い、静かに長く吐いたあとに、キッと目を見開いた。
横目で見る年上のように見える女も、同じタイミングで呼吸をし、覚悟を決めていた。
言葉は要らなかった。
見た目年齢的にも身長差のあるふたりが、互いの手を握る。瞬間、光が立ち昇っていった。それは先ほど霊器が照射したものと比べ物にならないほど強く、ふたりのシルエットすら見えなくなるほどの青い光が屹立した。
思わず顔を庇った颯汰であったが、光が消えるのもわりと早かった。青の燐光が散っていく。
颯汰が左腕を退ける。
そこに立っていた影はひとつ――。
『――……』
息を呑む。
緊張が奔る。
信用はしている。
だが油断はできない、と認識を改められるほどの気配を、感じさせてくるのだ。
それが“魔王”という怪物。
背を向けたまま佇む女人。
動くことも、声をかけることも憚れる。
物音ひとつ立てたら、何が起こるかわからない。そんな張り詰めた、冷たい空気を感じる。
儚げに消えるのは、果たしてどちらか。
女は皇族の白い外套と同じように見えたが、水色と白の長羽織を纏っている。
長い髪が揺れる。色は白い。
永遠のように間延びした時間が終わりを告げる。息をするのすら難しいままに、女は語りだす。
「……ここは、ガラッシア……? この惨状は……、それに“呪い”がこんなところに……」
独り言は風に流れる。
上から垂れ下がるように勢力を伸ばし続けている“黒鉄の呪い”を見つめているようだ。
「どういうわけか、説明してくれる?」
振り返った女。雪のように白い肌に睫毛までが真っ白であった。美しさはあるが、この世のものとは思えないものであって、息が詰まる。
印象は『雪女風の女子高生』。
上は紺色で首下のリボンは白。チェックのスカートの下から伸びる長い足、包む黒いタイツ。
日が暮れた雪景色、あるいは冬の海を思わせる昏い色の双眸に捉えられて、動けない。
『…………』
緊張はあるが、それは憧れとか好意から生まれるものではなく――颯汰が感じたものは自己の生命が、たった一瞬の選択次第で失われる危険性があるという意味での緊張であった。
下手に動けない。
常ならば武器に手を伸ばしているはずが、その反射すら阻まれるほどの威圧が身を固める。氷の魔法を放たれたかと思ったが、どうやら違う。
「私は、魔王。…………と言って、伝わるのかしら。何年……きっと随分経っているわけだから。……むしろ、この帝国を真に治める女帝といった方が伝わる?」
基本的に同じ人間だったとわかる発想からして、彼女はウェパルであり、ソフィアでもあり、バーバヤガだってことがわかる。そこは少しだけ安堵を覚えたが束の間だ。
ゆらりと揺らめく影に、明確に恐怖を覚えた。
「……なるほど」
何一つ答えていないが、彼女はそう呟く。
颯汰は目を開けたまま、閉じることさえかなわないように思えた。しかしながら、捉え続けていた女が、目の前から一瞬で消えた。
『!?』
右方向に身体を倒したと思った瞬間に、目で追えなくなり、気づいたときには彼女が、手で触れられる距離まで詰めてきていた。
この身のこなしには覚えがある。
『ふぁ、無影迅……!』
自分のより、もっと早い。硬直したせいでより一層、対応ができなくなっていた。
後ろから、声がする。ワープではなく、超スピードによる高機動で後ろに回られたのだ。
「なんだか人気がないけど、まだ滅びていないわよねニヴァリスは。……たぶん」
顔だけがわずかに動き、目で後ろを見ようとする。颯汰は何とか呪縛を解き、彼女を見据え、距離を取るようにバックステップをし、武器を取ろうと左腕へと右手を運んだ瞬間――、
「質問、しているのだけれど。紅蓮の魔王の眷属」
逆鱗にわずかに触れた。
いや、勝手に地雷が爆ぜたと言っていい。
存在そのものを罰する理不尽さの極み。
女魔王の表向きには感情の起伏を感じさせなかったが、赤くなった瞳が激情を物語る。
彼女が憎む紅蓮の魔王と契約している事を、女子高生魔王は即座に看破したのだ。
瞬時に右手が凍り付く。
手を覆う大きな氷が一瞬で生成された。
寒気がした。
無論、氷によって体温が奪われたのもあるが――命が危険に晒されているという状況により、生じる身体の反応だ。
命の危機を回避すべくために――交感神経が活性化して血流の変化と心拍数が上昇し、皮膚表面へと流れていく血液が心臓や筋肉へと集中される。さらにリラックス感を与える副交感神経系が抑制されるがために、寒さを感じやすくなる。
そんな理屈よりも、物理的に凍っているのが一番寒さの要因か。
――あ、これ死んじゃう
静かに荒れ狂う女魔王に抗う術を持たない。
それはまさに自然の摂理を思わせる。
今まで相手してきた“魔王”は不完全なものばかりで、颯汰如きが多少パワーアップした程度では太刀打ちなどできない。
現実は非情だ。――どんな強い願いや想いも、力によってねじ伏せられてしまう。
近づくきれいな白い手。
指先に冷気を纏っているのがわかった。
触れられた途端に凍り付き、そこから粉々に砕け散るのは明白であった。伸びる女魔王の手は颯汰の首へと向かおうとしていた。
絶体絶命、回避不能。
望まない最期であっても、仮面の奥――颯汰の瞳は開いたままであった。




