125 救星の誓い(後編)
遥かなる大空を、龍が飛ぶ。
その背に乗りながら、返答を待っていた。
立花颯汰は一歩も動いていないというのに、景色だけは流れて変わっていくのを眺める。
――さすがにもう、ダメだった、か……?
颶風王龍……彼女がダメだと言ったならば、颯汰はそれに従うしかない。
緊張感が高まる。自然と額に汗が滲み、喉が渇きを訴える。
それを悟られぬ態度を示せたのは仮面のおかげであり、不安は表情にありありと出ていた。そのまま堂々としたふりを続ければ格好つくものだが……、
『あ、いや、その、そりゃあ……、さっきは失敗しちゃいましたケド……、でも、まだ王たちが集まるまで時間はあるんでしょう?』
不安という感情を自ら開示していくスタイル。
挙動不審で声も空回る。彼女から反応がないため、颯汰は焦って早口となっていた。
颶風王龍は既に動き出している。
どうあれ目的地はアルゲンエウス大陸だ。
颯汰はふと遠くの大地を見る。
信じられないぐらい遠くまで、一瞬で飛んでしまっていたのだなと改めて思う。陸地まで遠い。
流れていく雲があっという間に後ろへ抜けていくが、おそらくこれでも全速力ではない。
しばし間、風の音だけが鳴り続けていた。
鋭く、身を切り裂かんばかりの風の音だ。
沈黙が重く、息苦しさを感じた。
もう一度、巨神となった皇帝に挑む――。
颯汰は神となったヴラド皇帝に全力で挑み、そのときはもちろん次があるなどという姿勢ではなかった。そして全力を尽くした末に、失敗したというのが紛れもない事実として残ったのだ。
再挑戦といえば聞こえがいいが、現実ではなかなか認められることはない。
竜種の王者が今の今まで待ってくれたが、巨神は宝玉に接続し、ついに順応してしまった。十二分に手遅れな事態だと言っていい。
だから竜種の王たち、四大龍帝と呼ばれるモノが集結する。
存在そのものが大気を乱すほどの魔力を有し、世界を侵食し、異界化させてしまうほどの絶対王者たち――それらが集まらねばならぬほどに、深刻な状況となってしまった。
であれば、二度目のチャンスなど与えられるはずがない。それが普通である。
――考えれば、俺は責められてもおかしくない。…………それは、ちょっと、嫌だな
颯汰の頭に彼女の言葉が過る。巨神が起動したばかりであれば颶風王龍だけで片付けられた。その話に疑いようはない。
ただ帝都にいる状態で戦えば多勢の住民が巻き込まれて死んでしまう――また大量虐殺を彼女にさせたくなかった。
そのエゴこそが、事態を悪化させたとも取れる。
巨神が大陸の外に出してはならない。そのまま他の国、大陸に渡られると犠牲者は増えるに違いない。すべての大陸や国へ、版図拡大のために侵攻を始めるのだろう。だからこそ、覚醒する前に叩けば、最小限の犠牲で済んだかもしれなかった。
しかし、その僅かな犠牲ですら許容できず、颯汰は巨神を撃破できると大口を叩いた。そしてこの無様な負けっぷりを晒した。次こそは上手くやれるなどと言っても、それを保障するものなど無い。
颯汰の口元がキュッと引き締まる。
罵られることも失望されたくもないという気持ちが強まる。母親に叱られる前の子どもみたいな顔つきだったが、目を強く瞑った後には、覚悟を決めた漢の顔つきとなっていた。
それとほぼ同時に彼女が言葉を口にする。
嘲るのでも呆れるでもなく、先ほど通りのまま変わらず慈愛に満ちた声でだ。
『アナタの覚悟……――。護りたいものの為に、そこまで身を粉にする姿勢、その勇気は尊く、とても素晴らしいものです』
『え、あ、はい。そりゃ、……どうも。(……まだ油断するな。このあとの言葉次第だぞ)』
颯汰は油断しない。
この後に続く言葉なんて、どちらでもあり得る。ゆえに、答えを聞くまでは希望を抱かない姿勢でいた。勝手に希望を持ち、ぬか喜びの末に撃ち落されでもしたら、ショックで立ち直れないだろう。彼はそう自己分析をしていた。
もしも責められたら、崩れ落ちてもうここに住むしかなくなる。……それはそれでいいのでは? などと気色悪い思考をむっつり顔でしているこの不審人物が残念ながら主人公なんです。諦めてください。
顔つきのわりに内面が全然引き締めらていない颯汰であったが、次の瞬間に仮面の奥の表情が変わる。
颶風王龍が「ですが――」と続けたからだ。
『巨神から発せられている領域――“黒鉄の呪い”により、魔法の類いは無力化、吸収されます。それも、中心部である巨神に近づくにつれて強まっていきます』
『あの赤い光が……』
『巨神が起動した際に一度、アルゲンエウス中を覆ったのも“黒鉄の呪い”です。微弱ですが広範囲に拡散させたため、他の機動兵器が運用できる広大な領域となりました』
『なるほど。上乗せで“魔女の呪い”を無効化した――いや、違うな。抑えつけている、か。……だから巨神も他のやつも兵器としてカウントされながら、氷漬けにならないわけか』
ニヴァリス帝国が地下の遺物から発見した技術群は、今の時代で他国を一方的に制圧できるものであったが、それを阻んだのが“魔女の呪い”である。大量破壊兵器や重火器を用意しても“魔女の呪い”によって内部から凍結して壊れてしまっていた。その土台にある忌まわしきルールの破壊に成功したため、帝国はニヴァリス領内各地から機械仕掛けの魔物を出動させ、多方面に侵攻を始めることができた。
そして彼の巨神を中心に発した領域の効果はそれで終わらない。
『……人体への影響は?』
颯汰は続けて問う。
発した光の色合いから、颯汰はなにか嫌な気配を感じていた。しかし颯汰は自分の身体に何か悪い影響があったようには感じ取れなかった。でも他の者たちがどうかはわからない。そもそも呪いと称されるものが、人体に良い影響を及ぼすとは中々考えづらいものだ。
『微量の毒素を帯びていますが、長期的に吸わなければ問題はないでしょう。……問題は、巨神が覚醒したことにより、精密な操作、密度の制御が可能となったことでしょう。“呪い”を自分に纏う鎧として運用が可能となってしまいました』
『……一種の障壁ですか』
颯汰が颶風王龍が竜術で展開してくれた、本来の用途とは異なる風除けを見て呟いた。
『そうです。そして――先も言いましたが、内部に近づけば近づくほど“呪い”は強まっていき、生命を脅かす猛毒となっています。生身では生きていけないうえに、魔力で覆ってもそれすら吸われてしまう、死の結界を纏っているようなものです』
『…………』
呪いを纏いながら動き出した巨神を早急に破壊せねば、取り返しがつかないこととなる。
王龍は中心である内部に近づくほど、危険は強まっていくと忠告してくれている。
もはや、手段は限られている。
近づいて倒すのは命が危ういのだ。だから彼女は真っすぐ進みながら諭すように言う。
『もしこのまま引き下がったとしても、誰もアナタを責めません。それに、アナタの住む国の邪気を払うという約束も果たしましょう。……それでも、アナタは――』
もともとの目的は彼女に子であるシロすけを返し、その代わりにヴァーミリアル大陸のアンバードの首都バーレイを守護する術――未だどこかに染み渡る呪いを払うために訪れたのだ。
颶風王龍の言葉に嘘偽りはないだろう。颯汰がこのまま手を引いたとしても、約束を守ってくれるのは間違いない。
それでも、颯汰は――、
『――戦う』
キッパリと答えた。彼女の言葉を待たずして。
凪いだ心。先ほどまでの揺らぎが演技だったかのように、冷静な声と面持ちであった。
『確かに、シロすけのお母さんみたいな強い竜たちが集まれば、間違いなく事態は収束するでしょう。領域の範囲外から《神龍の息吹》を重ねてオーバーフローを狙う。だけどそれじゃあ結局、その余波でこの大陸は滅び、ガラッシアも更地になる……そうでしょう?』
『……少なくとも、被害はあるでしょうね』
魔法という現象を完全に消し去るのではなく、エネルギーに転換し吸収する闇の勇者と似た性質を持っている。ただしこちらは厳密にいえばプロセスが異なる。発生した現象を逆再生するように分解し、魔力というエネルギーに変える。
見上げてもなお視界に収まらないほどの巨大兵器であるギガスですら、魔法を直にエネルギーに変えるという芸当はできない。
加えて竜術も魔法と似て非なるもの――魔法すらその全貌が解明されないまま大気のマナは減少の一途を辿り、魔人族以外にとって失われて久しいものである世界だ。竜術は竜種が使う大規模な魔法であり、魔王ましてやヒトの手に余るもの、ぐらいの認識である。実態は世界に対するアプローチが異なるのと消費する魔力量の差が膨大であるため竜種ぐらいしか扱えない代物である。
いくら優れた機械であろうと、ヒトの世界において神秘のさらに秘奥の存在である竜術を、短時間で解析はできないだろう。
たとえブレスが巨神の障壁に受け止められたとしても、膨大な魔力への変換に時間が掛かる。
そこへ一度にブレスを複数ぶつけるのだ。仮に変換できたとしても、一度に変換できる許容量を超え、耐えきれずに巨神とて崩壊するであろう。
代償はその凄まじい破壊力と飽和したエネルギーが反応し合うことにより、アルゲンエウス大陸は真っ新な台地に変わってしまうであろうこと。
『だったら、尚更もう一度やらせてもらうしかないだろう』
瞳に蒼の焔火が宿る。
感情が燃える。
『ペトラ、頼む。不要な罪を背負わないでくれ』
颯汰の意思と、重なる存在が声を合わせた。
自然と真なる名に近い愛称を口にしたことに、颯汰は気づいているだろうか。
優しさと強さを感じさせる声に対し、彼女は真っ当に返す。
『でもアナタたち、一度失敗したじゃないですか』
言葉が斧となって頭をカチ割ったように感じた。あまりに重く鈍い一撃が、頭蓋を割って心を砕く。立っていられないほどのショックを受けた。長男でなければ耐え切れずに倒れていたことだろう。しかし十全な事実である。人間という生き物は、自分から語ったり自虐するとダメージは抑えられるものだが、他人に言われたり指摘されたりすると途端に計り知れないダメージを受けるものだ。
『ぐふっ』
颯汰は今、血を吐いて倒れそうな気分であった。内にいる怪物も同じ気持ちであるからダメージが二倍。格好つけた分、さらに上乗せである。ちなみに防御貫通。
颯汰は足が震え、膝をついてから両手足をつき、ついに頭も柔らかい白い肌につく。いい匂い。長男でも抗えない温もりがここある。
連戦による疲労と恐怖心、かつてないほど打たれ弱い状態であるからか、すごい効いていた。
『ぉぉぉぉ……ぁばばばば……』
主人公にあるまじき唸り声である。
というか普通の男子高校生でこの態度と声もドン引き案件であるのだが。
しかし、これまたぐうの音も出ない指摘である。
自ら言っていたものの、改めて言われると何も言い返せない。
このまま、彼女の送られることとなる。
何も為せないまま、終わってしまう。
多くの命が失われ、咎を背負わせてしまう。
そんなの嫌だ。
ショックから立ち直っていないが、その想いで意識を切り替える。
ある種の覚悟を決めたとき、見透かしたように颶風王龍が喋る。
『…………先に言いましょう。いいです。アナタを巨神のもとへ送り届けましょう』
『本当ですか!?』
俯いていた頭がガバっと上がる。
起き上がって、声音からもアリアリと元気が出ていた。
ケダモノじみた唸り声をあげながら、落ち込んでいた颯汰に、恩があるとはいえこの竜種は激甘で、天使のように優しく接してくれる。
『ダメだと言っても、アナタは言うことを聞かなさそうですからね』
クスクスと笑いながら言っているが、彼女の言葉は的を得ていた。陸地から遠い空や海上にでも降ろされない限り、颯汰は諦めるつもりは無かったのだ。
さすがに四大龍帝――竜種の王たちが集合したあとではどうにもならないと撤退を選択するのだが、直前まで皇帝を討ち果たさんと動くつもりではあった。
彼女は真っすぐ進んでいるため、顔を見られたわけではないが何となく颯汰は視線を逸らすように顔を反ける。
烈風が音を立てて翔け抜ける。
景色が歪み、溶けるほどに速度が増した。
颯汰が立ち上がり、彼女は続けて言う。
『だけど、独りじゃダメですよ?』
吹き抜ける風は身体に触れることなく流されていく。
『仲間を信じなさい。それがアナタに足りない要素で、先の敗因です』
颯汰はその言葉を受け止めしばし黙る。
今回は、わりと自分でも積極的に仲間を頼るようなムーヴを決めていたつもりであった。
それに各地に機械の軍勢が出陣し、それの対処でバラバラに動いてもらったのだが、そんな彼らを待っている時間的余裕はなかったから、結局最小限の人数でヴラド皇帝にあたるしかなかったのである。
『…………(と、言われてもなぁ)』
仲間たちには協力を要請して動いてもらっていた。頭の中で仲間たちの顔が浮かぶ。それぞれが必要な戦いをしてくれていたはずだ。今度は集まって戦えばいいのだろうか? しかし相手は魔法が通じない。今さらながら颯汰は自分がかなりノープランで突撃しようとしていることに気づく。だけど、ここで指をくわえて見ているわけにはいかない。颯汰は顎に手を当て考えてはいたが、それを悟られぬよう唸らずにいた。
しかし、母という強い生き物は、物事を不思議と見通す力がある。
『……わかっていないようですね』
これもまたぐうの音もでない。
黙っていると王龍は指摘する。
『アナタはもっと皆を頼りなさい。――そしてせっかく、アナタたちは重なっているのですから協力し合いなさい』
『………………え?』
颯汰は驚いたあとに左腕を見て、再び正面を向く。白くて長い龍の後頭部だけが見えた。
あまりに自然で、日常に流れてしまうような言い方であったからこそ、一瞬反応できず、その後に反芻して驚く。間の抜けた声をあげる颯汰に、颶風王龍は続けた。
『きっと謙虚なんでしょうね。自分の力として振るい切れていない。道具として使うにしては恐れが強いのか動きが少し、固くなっているわね』
『…………めっちゃ見てるやん』
思わず出る慣れていないはずの言い方。
『倒すまで待つという約束でしたからね。じっくり観察させていただきました』
さすがに帝都内部の様子は把握できていませんが、と付け加える颶風王龍。
彼女の言う通りであった。颯汰は“獣”の力をまだ完全に信用しきっていない部分があった。鳴りを潜め、比較的従順のような態度であったが、いつ自分を、自分の人格を食い破って乗っ取ろとするかわからないものという恐れをずっと抱いていた。
『アナタたちに必要なことはそれぞれひとつ。君はその力を信じること。そしてアナタはその子と共に生きるよう努めること。こんなところかしらね』
その言葉を聞き終える前に、颯汰の意識は内側へ向かっていった。
視界は反転し、一面は無明の闇。
己の内面たる精神世界に誘われる。
否――、自ら赴いた。
背景の黒に溶け込む色の半液状の闇。溶かされた腐り落ちた肉だ。そして露出した白銀の骨。蒼銀の瞳。
颯汰は“獣”と向き合う。
従うふりをして何度も内から食い荒らそうとしてきた危険な存在。
己の特別な力の源たる怪物。
どこからともなく降り続けているのか闇を浴びながら、幽鬼の如く佇む。
颯汰は何もしない。
彼の“獣”もまた何もしない。
ただ二体は目を合わせた。
見上げるものと見下ろすもの。
どちらも互いに、願いはひとつ。
静かに肯き、ゆっくりと肯く。
闇は晴れ、白く染まった世界は徐々に色を取り戻していく。
実際に経過した時間は、一瞬であった。
言葉を重ね合う必要も、歩み寄る必要もない。
『だってアナタたちは、ひとつなんですから』
そう。
彼女の言う通りである。
欺き合うのも疑い合うのも無駄であった。
気づくと、現実に引き戻される。
己の胸に手を当てていた。
加速し、吹き抜ける風の音が気にならない。
心に蟠るものが、解けて消えていく。
『恐れることはありません。アナタたちは今や両の翼……――そして、世界で一番強くて、宇宙で一番、素敵なヒトだと、私は信じています』
世辞であろうと構わなかった。
彼女から受けたその言葉が、分かれた心が重なり合うに充分な燃料となった。
戦う気力が無限に湧き出てくる。
そうして、少し彼女と言葉を交わした後、彼女は軌道を変え、天へと昇り始める。
直後、急降下――二十ムートの巨躯が宙で一回転、生じた遠心力により尾から放たれし弾丸。それは空を突き破り音を超え、光となった。
蒼き流星を見守る彼女の眼に、かつて世界の中心たる“塔”を護るために産み出された、一体の守護者の姿が重なる。
鋼の翼で大空を舞う、竜の姿を――。




