121 防御機構
光が吸い込まれていく。
大いなる機械神と一体となったニヴァリス帝国のヴラド皇帝の首部に目掛けて、破滅の光が差し込まれた。
公園の遊具で突撃されるという、油断などしなくとも予想外すぎる行動に虚を突かれる形となった巨神たる皇帝は、凄まじい絶叫を上げた後に、命が尽きたかのように動かなくなった。
帝都ガラッシアの中心で佇む巨神。
宙に浮かんだままではあるが、カメラアイの光すら消え、微動だにしない。
その様子を怪訝そうにソフィアが見ていた。
機械である皇帝の心臓を停止させたにしてはあまりにも早い。それに、宙に浮かびっぱなしというのもおかしい。
嫌な予感がする。
それを言葉にすれば現実になりそうだから憚られたが、ソフィアの目と表情から容易に考えが伝わる。それを振り切るように横に首を振ってから、今自分ができることを実行しに動き出す。
ぐったりと四肢どころか全身に力なく、霊器の衣から出た幾本か束ねた糸によって持ち上げられている、吸血気化した兵や市民を安全な場所まで運ぼうとしていた。
「君も、一緒に行こう」
飛んできた幼き竜種たるシロすけにソフィアが声をかける。
空中で援護攻撃はしていたり、完全に無視されていたが皇帝にちょっかいをかけていたりした王者の血統を継ぐ幼龍は、白い翼をはためかせて上空から降り立った。
返答するように可愛らし気な声で鳴く。さすがに布から伸びた糸で吊るされた人間だったモノを複数名運んでいる中、空気を読まずにソフィアの頭に着地するような真似はせず、横目で動かなくなった皇帝を見ながらも、シロすけは宙を飛んでソフィアと共に行動を始めた。
――しかし帝都のどこに安全な場所があるだろうか
市井の民や貴族がいる避難所に置くわけにもいかない。かと言って瓦礫の上に放置するわけにもいかない。始祖吸血鬼の劣化コピーみたいなものとはいえ、彼らは実験の被害者でもある。眷属のように愛しい対象とはなり得ないが、やはり放っておけない。
「……とにかく、アイツが動き出して巻き込まれないところ、街の奥までは」
ソフィアのこの判断は正しかった。
一刻も早く中心部から離れ、どこか建物の中に避難するのが正しい行動となる。
神の宝玉からのエネルギー供給が断たれ、予備電源で少しの間は維持されるものの、いずれ帝都中の暖房器具などの多くの機械が機能停止に至る。
死が蔓延する前に、もっともっと遠くまで行くのがベストではあった。
◇
一方、巨神内部に侵入した立花颯汰は、心臓部を目指して進んでいた。自分が蟻に思えるほどの体格差があろうと、相手は生物ではなく機械である。
内側から機能停止させることに成功すれば、颶風王龍がこの地を攻める道理がなくなるのだ。
絶対に失敗ることが許されない。
だが、あの竜種の王者たる彼女ですら「今ならば止められる」と断言した相手だ。つまり神の宝玉が完全に馴染んだときがすべての終わりであるがゆえに、焦りが募っていた。
内部はじんわりと暑い。風の流れはなく、周囲はすべて機械で出来ているようだ。少し進むごとに用途が不明なユニットが置かれ、光が回路を駆け巡っている。アニメやゲームで見かけたことのある宇宙船の内部みたいに思えた。ただし全体的に暗い。照明は切られているためだ。
テキトーに魔法をぶっ放して解決すればどれほど楽だっただろうか。引火して帝都中の命を巻き込んでの自爆ショーとなりかねないので、颯汰は自制する。ここまできてすべてを台無しにするムーヴはさすがに取れなかった。
『ファング。索敵しろ』
『承知。システム起動――』
瘴気の顎を現出させ、周囲の索敵や罠の有無のチェックを常に行いながら進んでいく。曲がり角でバッタリ会って戦闘は避けたいところだ。今のところ敵とは出会っていないが、何があるか予想もつかない。機械仕掛けの巨人の内部など未知の領域だ。
『いきなり即死トラップとか無いだろうな……?』
体内に侵入した異物を排除する機構があっても何ら不思議ではない。数歩進み、床の金属から音が鳴って足を止める。ちょっとマズいか、とつぶやいた後に足に赤い雷によるフィールドを形成し、足場として展開し続ける。床に接しないように、少しだけ宙に浮いて走る。
金属を踏むときよりは静かになったが、消費魔力と電気の音が少し気になる。
――速く走る方法は学んだが……。足音を殺す術も学ぶべきだったな
自分の周囲から十ムート弱の範囲を常に索敵はしているし、曲がり角で敵が待ち伏せしている気配はなかった。
――おかしい、妙に静かだ。構造的に巨神の腕を突っ込まれないだろうと、項部分から侵入したケド……
絶対に侵入されないという自信からそういった機能がない可能性も無きにしも非ずではある。ただ楽観視して取り返しがつかない事態になるのはあまりにも間が抜けているため、慢心せず、油断せずに心臓部を目指した。
そして、それは唐突に表れたのだ。
『…………扉、だな?』
暗がりを照らすのは機械が放つ淡い光のみ。しかし、疑問符が出るのは暗くて確かめられないからではなく、その扉の存在そのものに対するものであった。隔壁のような上下で開くタイプの近未来の扉であれば、そういうものだろうと納得がいった。だがそれはあまりにも浮いている。機械だらけの通路の扉は当然、機械で然るべきなところに、不自然すぎる物体がある。
木製の扉にしか見えない。
通路にポツンと置いてあり、普通に横からすり抜けていける。ドアノブも木であるが、特段高級そうな素材を用いている様子も見受けられない。
『なんで、こんなところに……?』
建造中に異物が混入した……とはさすがに思えない。床以外にどこにも接していない木製のドアだけが置いてある状況は、不可解すぎるだろう。
――俺だったら横を通り抜けようとしたところに罠を置くケド……どうだろう
颯汰は自分が横を通り抜けようとした瞬間、鋼鉄の槍衾が出現し、ブスッと全身穴だらけになる画が脳内で浮かべていた。しかし、罠にしてはあからさますぎるような気もしていた。
『いや、……これは逆に、扉を開けて通るのが正解とみた!』
左腕から溢れる闇の粒子の集合体から警告のアラート、および音声メッセージが流れないあたり、危険はないのではと早足で近づいてドアノブに手を触れ、扉を開けた。
何もなく、ただ機械に包まれた廊下が続く。……普通ならそうあるべきであった。
『…………』
颯汰は言葉を失う。
眼前に広がるのは新緑の草原。
青い空に白い雲、陽光が優しくすべてを照らす。扉を開けた途端、景色がまるで変っていた。
振り返ってもどこまでも広がる緑。機械の廊下どころか、触れていた木の扉までなくなっている。
颯汰は舌打ちをする。
何が起きているか瞬時に察した立花颯汰は、静かに腰に帯びた短刀の柄に触れた。
しかし、少しして柄から手を離す。
近づいてくる小さな人影たちが見えたからだ。
「わぁ。きみ、だれ?」
「あそぼうあそぼう!」
「どこからきたの?いっしょにあそぼうよ」
『…………』
子供たちの声。四人の子供が近づいて声をかけてきた。それをジッと見つめたが返答しない少年。
よく見ると他にも何人か子供がいる様子で、原っぱを元気に駆け回っていた。
少年は自分の全身、それから己の左腕を見てから、重い溜息を吐く。そして、他の子どもたちを無視して歩き出した。
どこまでも続く草原を、真っすぐと迷いなく。
遠くの太陽が、急に眩しく見えてきた。
「ねぇねぇどこいくの。いっしょにあそぼう?」
「おにごっこしようよ!」
「えー、おままごとがいいよー」
ついてくる子供たち。阻むような真似も、触れてくることもないが、本心から同じ年齢くらいの少年と遊びたがっている様子である。
だが、外套を纏う少年は目を瞑り、努めて無視して先に行く。子供たちは他に遊びを提案するが、悉く無反応を貫いた。
喧騒は徐々に大きくなる。
無視されていることに憤る子どもはいなかったが、遊ぼうとせがむ声は大きくなっていた。
変声期前の幼い声ばかりで、甲高く騒がしい。人によっては耳障りに思えるかもしれないが、子ども特有の喧騒は、平和で尊く温かい『日常』を感じさせる音だとこの少年は捉えている。しかし、今は妙に不安感を覚える騒がしさであった。どこか無機質で機械的で、無視されていることに怒ることも、飽きてどこかへ行くこともなく、ひたすら話しかけてくるところもまた不気味だ。
少年は静かにただ真っすぐ進んでいた。
一歩一歩、泥濘の中を進むように重く纏わりつく嫌な空気を感じる。
険しい表情で、途方もなく広がる草の上を――それでも、前へと進まなければならなかった。
次第に重くなる身体を、心内で鞭を打つ。
「ねぇ。まってよ」
「ヒルベルトくん」
しかし、ついに足を止めてしまった。
その要因は姿、そして声だ。
知っているものが、複数名も現れた。
わかっていても、身体が動かない。
きっと耳を塞いでも、目を瞑っても無駄だ。
形無いそれは呪いのように染み渡る。
『……!』
この帝都でも再会した村の子供たちだ。
少年は歯を食いしばり、その声を無視しようとした。手を振る姿も、駆け寄ってくる姿も。
五人ほど、集団で現れる。そのすべての名と顔が一致する。だからこそ見ていて心が痛くなる。
『外道が……』
絞り出した声は怨嗟に満ちている。
揺れる影が幽鬼に見えてくる。
だが掛けてくる言葉は皆、子どものもの。
息が苦しくなってくる。
「かくれんぼしようよ」
「かくれるばしょなんてないよ」
「とにかくあそぼう」
「あそぼうよ。また」
無邪気な声は止まらない。
少年の前に現れた子供たちの内の一人の言葉が、決定打となった。
「ぼくはまたきみと、みんなで、ゆきがっせんがしたいなぁ」
『……――』
息が詰まる。心が息苦しくなる。
その少年の名も当然覚えている。
テュシアー村の子どもたち。
「ゆきってなぁに?」
「……あれ、なんだろう。おもいだせないや」
「ははは、へんなのぉ~」
「あれやろうよ。たんけんごっこ!」
「ふだんはおとなのひとがクラーケンやくをやってくれるけど、みんな“たんけんか”だったらおもしろくないんじゃないかな」
「たたかいごっこは?」
「いたいのはいやだなぁ。ヒルベルトくんはどんなあそびがしたい?」
『……幻聴だ』
少年は答えない。囲うほど人だかりが出来ても、構わず前へと進もうとする。
十歩も進まぬ内に、手を打ってきた。
「うっ……」
「あ、れ……?」
「く、くるし……い……」
突然、胸を押さえて倒れこむ子供たち。
少年は一瞬目を見開いたが、歩みを止めない。
すると景色も変わっていく。
風が吹くと、赤々と草原は燃え始める。
黒い煙が空に昇り、太陽も夕焼けと呼ぶより血を流しているかのように赤い。
悲鳴と、苦悶の音が満ちる。
バタバタと倒れる子供たち。
絶望が木霊する。
凄惨な死の世界が形成された。
『……チッ』
足を進めても、倒れた子供たちが倒れたまま視界に残っていた。もはや“敵”はなりふり構っていられない様子だ。どうしても、侵入者を先に進ませたくないようだ。
燃ゆる大地を進む。悲鳴と共に、全身が炭化するほどの炎に包まれた子供たち。
そして突き刺さる、助けを求める声。
足元に転がる今も肉が焼け、頬が爛れた子供が、ついに少年の手を掴もうと手を伸ばす。
熱もなければ臭いもない。この空間が形成されたときから気づいていたことだ。風に運ばれるはずの感触も匂いも、差し込む陽光から温もりは感じなかった。今まで子供たちが少年に触れてこなかったのは、感触まで再現ができなかったからだ。視覚と聴覚にだけ作用するタイプの幻覚。だから揺れる草があっても風は感じず、光は差し込んできても熱は感じなかった。暖かさは心臓から出た熱が伝わっただけだ。
焼け野原は徐々に、死の荒涼の地へと変わっていく。群がる死骸が、足枷のように阻む。
振り払っても無駄だ。互いに干渉はできない。
『悪趣味な幻覚だ……』
少年――立花颯汰に宿る“獣”によって、真実を見通す目を持っている。まやかしの類いは通じない。“獣”の警告が無かったのではなく、聞き取れなかっただけなのだろう。デザイア・フォースを解除していないのに少年の姿になったのも、そう見えるだけ。つまり幻覚を見せられている。
視界に映るは二つの景色。
正常に映るテクスチャの上に、見せられている幻覚が半透明なシートのように被っている――そのように立花颯汰の蒼銀の瞳は捉えていた。
だから真っすぐ歩き続けていた。
その先に、発生源があると理解していたから。
『断ち、斬る――!』
姿が青年のものへと戻る。
敵の幻覚を完璧に打ち破ったのではなく、意識を整えただけに過ぎない。
立花颯汰は敵意を剥き出しにして、重い歩を進め、ついに駆け出せた。
最初から幻覚であることは気づいていたが、それ以外に何か攻撃が加えられるかもと警戒していた。幻覚に耐性、看破する能力を持たない場合はこれだけでかなり強力な精神攻撃となったであろうが、此度は相手が悪かったといえる。ただ幻覚だとわかっていても、心に負荷は掛かる。その目は視え過ぎてしまうのだ。
颯汰は怒りを込めて、剣を抜いた。
もはや幻覚が視界を阻もうと、耳朶を超えて直接語り掛けようと関係ない。
月を映す鏡の如く揺れること無く静止した水面の精神力……とまでいかないが、振り切った怒りが守られた闇の奥にいる存在を斬りつけた。顔は仮面に覆われても、その激情は確かに視認できる。
白銀一閃。
斬撃による一筋の光の煌めきが、奔る。
体調不良のため次話も遅れるかもしれません。




