119 再戦
真なる神へと至るため――。
巨神と一体となった皇帝は、さらなる力を求めた。
ここ数十年程度であれば、巨神だけで世界を制覇することは夢物語ではなかっただろう。
飛びぬけた技術力から生まれる――抗うことをかなわぬ絶大なる暴力にて、ニヴァリス帝国こそが世界を統べるに相応しい、そのように歴史に刻まれてもおかしくない強国ではある。
しかし魔王の登場で、これでは足りぬと皇帝ヴラドは考えた。
転生者というイレギュラーが、正しく歩むはずであった歴史を歪ませた。しかし今でも皇帝は、魔王なぞ乗り越えるための障害に過ぎないと笑んでいる。
でもヴラド帝は魔王を侮っているわけではない。
乗り越えるために、努力を惜しむつもりはない。そして、小さな痛手を被ってでも、倒すべき敵であると認知していた。
大事な家族である民を、力と欲に溺れた転生者なぞに渡れば、惨たらしく殺されるに決まっていると思ったのだろう。だいたいは間違っていないため、耳が痛くなる話ではある。過去の魔王たちは、非道の限りを尽くしていた。
時は巡り、新たな魔王がこの星に降り立った。
その厄災の化身たる魔王を鎮め……沈めるためには、同等以上の力が必要である。
だから皇帝は自ら、帝国の心臓部にあたる巨大な結晶――大気や地中の体外魔力を集め、増幅し、外に放出する機能を有する神の宝玉を巨神に搭載し、そこから得る凄まじいエネルギーを用い、世界制覇と魔王の掃討を同時に実行しようと画策したのだ。
机上の空論で終わらぬ。
現実が、もう目の前のすぐそこまで来ている。
この時代は、過去の者たちではなく、異界から現われし者たちでもなく、――今を生きるこの世界の住人たちのためにあるべきだと、強くその想いを掲げて。
過去の遺物に頼っているという矛盾なぞ、気にしない。世界の歩んできた歴史とその先の未来もすべて、そもそも過去が創り出した積み重ねによって生じるのだから。
ただし古い時代に生きてきた人間は、常々邪魔な存在となるのが必定だ。新しく続くもののために、本来は古きものは去らねばならない。
『現れたか。逃げずに。我らのもとへ』
皇帝が目を光らせる。赤い光が迸る。
気配は後方、転生者と異なる存在が来る。
『性懲りもなく……、黙っていれば死なずに済むものを』
冷たい言葉と魔法が女から放たれる。
冷気が刃となって対象を切り刻む――白刃が囲うように出現し、敵を容赦なく攻め立てた。
蒼き焔火を解き放ち、赤の爆炎を操る、異端なる者が躍り出る。背部のエネルギーの翼を展開し、脚部のスラスターも青白い炎を吐き出させ飛翔する。異端なる者――立花颯汰が再度襲撃しに来た。白い冷気の凍刃を、拡散する無数の火矢で打ち消してみせた。
突き出した両手のひらに発生した手に納まるサイズの小さな魔法陣から、夥しい量の火が、驟雨のように放射されたのだ。
それを見て、女は大きな舌打ちをする。
残った火で出来た矢が、追尾してくる。
女が指を鳴らすと氷の壁が出現し、矢は通らずに壁を溶かすこともなく消えた。
ただ凄まじい蒸気が発生し、視界が遮られた。
女は直感で気づく。
――まずい
その数瞬後、剣身を白銀に煌かせた剣が氷の壁を真横に両断し、本来の剣の攻撃範囲を倍以上超えた斬撃が女の元に迫った。あと少しで鼻先を斬り裂いたであろう斬撃が通りすぎていく。
『どこからその余力が……? あぁ、契約か』
宙を蹴って加速するのにも、魔力が必要だ。
敵であるアンノウンは、魔王を名乗ったが絶対に魔王ではない。つまりは無尽の魔力はあるはずがない。契約者として繋がりのある、紅蓮の魔王が手を引いていると断定できる。
『だがいいのか。こちらに感けていれば、目の前のことを疎かになる――魔王当人ではなく、貴様を寄こしたのは過ちだったな』
女は不敵な笑みを浮かべる。
颯汰は背後から寒気を感じた。
振り返る必要はない。
やってくる氷の『死神』の彫像が二体。口を開きながら大きな氷鎌を振るおうとしていた。
右手に持ち替えた剣に、左手を剣身の前にかざす。赤い炎が剣を包み、そのまま剣を振り回し、一回転。ベイ独楽とまではいかないが、回転ブレードで氷の死神たちを一太刀で消滅させた。
戦いが始まった中、颯汰はふとつい先ほどまでのやりとりを思い出していた。
――『……というか、その固有能力、食らったら俺、終わりでは?』
相手の能力に対しての当然の疑問だ。
(大抵の場合)どんな相手も魅了し、操るという凶悪な能力を前にして、勝てるわけがない。
最悪の場合、皇帝の配下にさせられる。真正面から立ち回るのはリスクが大きすぎるだろうと颯汰は考えた。
しかし、それに対しソフィアは手を横に振って言ったのだ。
――「ないない。仮に効くとしたらさっきの戦いの中で操られているだろうし。それに効かないことは実証済みだから」
――『ねぇ待って。急に怖い話するのやめて?』
身に覚えがない。端正な顔立ちでいい笑顔で言われても、余計に恐い。実は初対面――皇居のある空中庭園の食糧庫で会ったときに既にやられていた。不発であったゆえに、魔女は颯汰に興味を示したようだ。褐色肌童女のどや顔が浮かぶ。いや、颯汰の眼には一瞬姿が変わって映った。
そんなやりとりもあったが、相手の必殺技とも呼べるカードを封じ込めたとポジティブに考えれば、僥倖だろう。
だから、改めて正面切って戦える。
横一閃で死神たちを屠り、その勢いで正面を向きなおし、女帝を攻める。
しかし背景レベルの巨大さを誇る皇帝が、ただ黙って見ているわけがない。
目障りな蚊を、手で潰しにかかる。
巨神の手のひらについた発射口から、光が放たれる。熱を帯びた光線が放出されている。範囲はさほど広くないのは、一応都市部への配慮だろうか。放射された高密度のエネルギーの突起が複数形成された。スパイク状に波打つ緑のレーザービーム、触れればただでは済まないだろう。出力を抑えていても、熱により溶かされ、跡形もなく消し去られる。
颯汰の背面に生成された双翼から、放出されるエネルギー量が増したのがわかる。大きく展開されたエネルギー状の光の翼。脚部のスラスターから放たれる炎の出力も上がり、全速力で回避運動に努める。必死となれば、高いところが恐いなどと言っていられない。無我夢中で飛び回り、死から逃れる。
手から逃れた先に、当然氷魔法が待っている。
罠のように、飛んだ先に氷塊が降り注ぐ。
空のものと比較すれば小さいが、十数ムートほどの大きさがある暗雲を出現させ、そこから絶え間なく絶望を降らせる。触れれば危険だと本能で察知できる。指向性のある雲の真下へランダムに降る氷塊は、重力に従って降下していく。
複数の氷塊が、煌びやかなシャンデリアを思わせる美しさを有していた。光を受けては返し、きらきらと粒子が舞う。
ただそれに触れれば確実な終わりがやってくるため、鑑賞する暇はない。状況や帝都の惨状がなければ、足を止めていたかもしれない。……そういった動きを止める呪詛の類いが含まれているかどうかは、今は確認しようがない。颯汰は受け止めることはせず、さりとて大回りして避けることもしなかった。
颯汰は最短距離で目的地に向かうため、頭上から絶え間なく落下する氷――人体よりも大きな塊が幾つも降り注ぐ中で、見上げる。
機神皇帝の内部に入り込むために、大きな障害が立ち塞がっている。
視線の先に氷塊は無い。
もっと先の術者を捉える。
氷を操る女、皇帝から女帝と呼ばれたモノ。
その正体は――……。
……――
……――
……――
『で、あの偉そうな氷のひとの正体ってウェパル・ファミリーなんでしょ? どうするんだ。また魔弾になってもらって撃ち込む?』
「なにその呼び名。言いたいことはわかるんだけど……」
ファミリーどころか自分自身。元は一柱の魔王が「ウェパル」や「ソフィア」、「魔女」に「地下で出会った海鱗族のお姉ちゃん」と肉体を分けた。その意図は聞いていないが、もう一人いることは、彼女たちの心の領域にお邪魔した際に示唆されていた。だからストレートに颯汰は、魔女と同じ性質の魔法を操るところから、敵対するきつい顔した氷女が最後の一人だと思っていた。
「でも残念ながら違うんだ。撃ち込んでも無駄だよきっと」
『あ? え? うそだー』
「きゅきゅー」
颯汰の意見と同意するように、颯汰の肩に半身を預けつつ乗り出したシロすけが鳴いた。
ここにきて対話するのが嫌になった、あれを自分として受け入れることが嫌になってしまったのだろうか。そういう理由で嘘をついたのかと疑いの視線を向けられたが、まったくの誤解であるとソフィアは真実を語り始めた。
「いい? アイツの正体は――……」
分かれた人格のひとつである魔女と和解するために、精霊化したソフィアを魔弾に変え、暴走する魔女に撃ち込んだ。
説得の成否は彼女たち次第ではあるが、同じ手を使えばきっと攻略が可能だと颯汰は思っていた。
それに少し格好つかないが、闇討ちのように遠距離で狙撃し、それでラクできるのではとまで踏んでいたが、事はそう簡単にいかないようだ。
ソフィアが語り終える。
彼女の正体を聞いた颯汰は固まり、シロすけは首を傾げていた。
颯汰は、詰まった言葉をどうにかして吐き出した。
『……――いや、もう、なん、……なにそれ。もうなんでもアリじゃん?』
「と言われましてもー」
仮面の下で困惑した顔を浮かべた颯汰に対し、当事者のはずなのに困った顔で返すソフィア。彼女自身の問題ではあるのだが、自分に聞かれても困るというのが正直な感想のようだ。
『……まぁ、それなら逆にやりようがあるか』
声音で得意げな顔をしていることはわかる。
どうやら颯汰には何か策があるらしい。
「? というと?」
『良い物を貰ったんだ。それを使えば……――』
――……
――……
――……
氷塊が落ちる中、迂回するのではなく、弾幕の隙間を縫うようにして接近する立花颯汰。
『接近すれば勝てると思ったか。舐めたものだな、小僧!』
氷の女が凄まじい形相で、両腕の先から発生させた氷柱の槍。冷気が周囲に満ちる。
遠距離戦しか能がない魔術師タイプではないと、証明するように接近戦を挑んでくる。
氷を操る魔王であるが、やはり冷静さが足りない。
巨神の頭からぐるりと落下しながら、両腕の氷を交差させ、眼前に迫る火球を払いながら、氷塊と共に降り注ぎ、死を与えんとする。
その迂闊さこそ、過去の多くの魔王が足を掬われ亡んだ理由だ。
視界を狭まったのは互いに同じであるのに、自分は術者であるから――制空権を握ったから有利だと断ずるあたり、まだ戦の経験が不足している。最強であり続け、戦いの日々が退屈に感じ始めれば、たとえ何千何百の夜を超えて戦場にいようが、経験となり得ない。
その点、この男は違う。
立花颯汰は常にギリギリを生き、死の中で生を見出しながら戦い続けてきた。
そうしなければならない状況ばかりが続いていたし、だからこそ今がある。
その生き方が正しかったとは傍目からも言えないほどに命の危機や大怪我を負う日々ではあったが、この差があるからこそ、地力では到底かなわない相手に、牙が届く。
『行け!』
呼びかける声に、氷の女帝が一瞬、視線を右に向けた。敵から目をそらすのも悪手ではあるのだが、危険に対して反応することは誤りではない。
己が出した氷の塊は透き通っているものの、無色透明ではなく水色であり、クリアな視界とは言い難い状況。数瞬、遅れて気づいた女帝は、腕の氷を用いて防御態勢を取る。
直後、氷を消し飛ばす勢いで緑の光弾が迫る。
回避が間に合わぬ速度、大きさはサッカーボール大ぐらいであるが、危険性は爆弾以上にあるもの――竜種が放つ竜術にして最大の破壊力を持つ神龍の息吹だ。
形状や性質は術者によって異なるが、シロすけのそれは風と雷のエネルギーを内包した光弾。
氷塊を跳ね除けながら突き進む光が、女帝に突き刺さる。下から眺めていた颯汰ですら、痛そうどころか『アレ死んだろ』と思うほどの一撃。カッ飛んできたジェット機に撥ねられた人体は、きっとあのような挙動で吹き飛ぶんだろうな、と学べた。
しかし、それで終わるほど軟な存在ではない。
氷塊が降る中、颯汰は再度、炎の魔法を用いる。厳密にいえば契約者たる紅蓮の魔王が遠隔で放つ炎の矢。何十もの、炎で形成された矢が拡散していく。狙いに向けて集中させるのではなく、逃げ場を封じるために囲うように、矢を迂回させながら、白煙舞う建物にめり込んだ外敵へと飛ばす。
『小癪な……!』
怒りをあらわにし、ひびの入った建築物の壁から飛び出した女帝。顔が非常に恐い。しかし颯汰は退くつもりはなく、むしろ立ち向かう。
炎の矢のいくつかは壁に刺さって爆ぜて消滅したが、何本かは壁ギリギリを沿うように曲がり、女帝の背面を追いかける。
女帝は周囲に此方と似たような術――氷柱の弾丸を発生させた。それは弾丸と称していたが矢よりも一回り二回りは大きく、全弾が颯汰の方を向くのではなく、彼女を守護するようにリング状に展開している。背面から迫る攻撃も、振り返ることなく射出された氷の弾丸――三つの弾丸が追ってくるいくつもの炎にぶつかり、爆ぜて消える。
細く白く病的であり、しかし骨張っていて女よりの顔つきではない女帝は、再び腕部を氷の槍として突っ込んでくる。戦士の顔ではなく、蒸発した死神たちのそれに思えた。正直恐いが目をそらしていられないし、注意を惹く必要がある。
そこへ降らんとする破壊の光球。
二度は食らわぬと女帝はブレスを吐こうとするシロすけ目掛け、待機させていた残りの氷の弾丸を殺到させる。
『王さまッ!!』
颯汰がここにいない契約者に呼びかける。紅蓮の魔王は返答代わりに、望んだ魔法を放つ。
颯汰の手のひらから赤い魔法陣が出現し、凄まじい速度で大きな火球が三連射された。颯汰の頭上を真っすぐ飛び、氷の弾丸と接触し、爆ぜる。辺り一面は白く染まり、先ほどと同じく白煙となって両者の攻撃はまたもや相殺された。
その白い爆発なぞ気にせず、颯汰は飛翔し接近する。一瞬遅れて女帝も動き出した。
リーチは槍の方が長いが、間合いは充分に詰めた。明らかな自分よりも格上の存在、まともにやりあっては勝てるはずがないのは颯汰は痛いほど身に染みている。闇雲に攻めるのは場合によって悪手だが、ある程度手の内が読めた相手であれば――後手に回るより先手で攻め続けるべきだ。
斬撃の応酬、だが圧倒的に攻め立てているのは立花颯汰の方である。女帝の方は時折反撃に出るが敢え無く交わされたり、返す刀で一撃を受けたりと攻めが続かない。
傷を即座に凍らせ、出血を抑えるが、募る苛々が手に取るようにわかる。
肉薄しすぎていて、巨神たる皇帝でも手が出せない。颯汰も仮に皇帝が殴りかかってきても、彼女を掴んで皇帝の拳を直撃させようと画策していた。
冷静に反撃を捌き、隙を見て一太刀を入れる颯汰。攻め続けるが、危機を察知すると即座に離脱し間髪入れずに反撃から攻勢を続ける。剣だけではなく、使えるものをすべて使っていくスタイルが、彼が最も得意な戦術となっていた。黒獄の顎を用いて手数を増やし、投擲したクナイをわざと防がせそのまま攻めへ続け、時折炎の魔法を混ぜ反撃を許さない。ライフル銃を精製し援護射撃をセルフでやり、ついには氷塊を掴んで女帝の頭をカチ割ろうとするなど、攻め手が多彩である。勝つための立ち回りは敵方にとってかなりいやらしいもので、鬱憤はどんどん貯まっていく。
意識を前にだけ集中してはいけないと女帝は学習していた。真っすぐな剣戟では終わらず、全方位から攻撃が来るうえに、油断すれば非常に危険な光弾が放たれる。瞬時に放てる程度の魔法はすぐに攻略され、規模の大きいものを唱えようとすると手の内がバレているためか、即座に邪魔される。
しかし、この状況でも優位なのはまだ自分である、とこの女は愚かにも思い続けていた。
時間を稼げばそれだけで勝利する。防衛戦は不得手なのだと今この場で思い知ったが、敵方も勇者でもなければ魔王でもない、つまりは自分を殺すに至れない。
もうすぐ大願が叶う。
笑みを隠し、自分が自暴自棄になったふりを続ける。そうなれば敵方も躍起になって攻めるか、優位に立ったと勘違いして隙を見せるだろうと、浅ましく考えていた。
女は顔に飛んできた鉛の弾を薄い氷の壁で防ぎ、隠した顔で舌を舐めずった後、狂ったように叫んでみせた。釣られろ釣られろ、もしくは逃げろ逃げろ、と相反する願いを心内で唱えた。
しかし現実はそう簡単に思い通りにならないのはご存じの通り。
選び取られたのは、異なる選択――退くでもなく、迫るでもない行動であった。




