117 狂える巨神
激しい振動が帝都を揺るがす。
都を覆う白い闇は晴れ、空いた天蓋から紅い陽光が差し込み僅かに照らす。
それは天から祝福を受けた神の降臨と呼ぶよりも、呪詛を帯びた悪しき機械への戒めに見えた。
その腕にて、己が都市を破壊してまでも颯汰に攻撃をした皇帝ヴラド――機神“灰のギガス”。
神が下す裁きの如き拳は、一撃で都市の機能を歪ませる。ドームを沿って螺旋状に展開する奇怪な都市の、攻撃目標のいる地点とは余分に上下の二層を巻き込んで破壊した。
柵と蒸気機関で動く路面馬車用のレール、多くの建物が粉々に砕け、下へと落下する。
祭りの装飾で普段と異なる街の姿を晒していたというのに、それを無慈悲な一撃で崩壊した。
『……あぁ、なんたる……なんたることだ』
機械仕掛けの神と一体となったヴラドは、心から悲し気な声を出した。
外敵を叩き潰したことではない。自分の住まう都市を自ら破壊したことへの後悔ではない。民が傷つき倒れていることに、彼は涙している。
『あぁ。我が民よ……』
直後、周囲を揺るがすほどの大声を上げる。
凄まじい慟哭がガラッシアに響いた。
ビリビリと空気を震わせるほどの泣き声。絶叫である。
『すまない。我が不甲斐ないばかりに――』
この世の終わりかと思われた轟音が次第に止んでいき、やっと平静な声を出す巨神。
メソメソと散々泣いた後、猛省をしているところに、光の柱が伸びた。
煙の中から真っすぐ、エネルギーの塊が突出して巨神を狙う。
皇帝は咄嗟に、太く逞しい腕でそれを防ぐ。
紫色の魔力そのものをエネルギーの巨槍として突き出してきたのは勿論、立花颯汰だ。
この技と呼ぶべきか迷う、暴力を過去に何度か使ったことがある。
不可視である魔力を圧縮し、可視化するほどの濃密な塊を練り上げ、放つ。今回は砲撃ではなく、投槍として。
生み出された凄まじい槍状のエネルギーは、皇帝の身体を焼きながら貫通するはずが、水のように拡散していった。例えるなら、蛇口につないだホースから受けた放水を、車体のボディが弾くようなもの。艶やかな装甲の上で、エネルギーが拡散していく。
『まだ息があるか……』
皇帝はもう片方の腕を加えて交差するようにビームを受け止め、腕を押しやって弾き返すようにエネルギーを消失させる。光は霧散したあと、煙の中から声がする。
『てめえ。何をしてやがる……』
声音こそ平静であるが、言葉遣いは既に激しい怒りをあらわにして、煙が流れて消え去ったところに、魔王を僭称した青年がいた。
『我が帝国を侵さんとする旧き世界の王なぞ、……必ず! 神たる我が滅してくれようぞ!』
皇帝は何故とは問わない。その答えは演算済みである。この地を治める皇帝であり守護する機神となった今、言葉を長く交わす必要はない。すべては対象を排除するために使う。
一方、普段の颯汰なら思わず「誰が王だ」などと不用意に言ってしまうところか、あるいは今の発言に引っ掛かりを覚えたことだろう。だが、そんな状況ではない。
それ以上に、燃ゆる感情に理由があったのだ。
『ふざけるのも大概にしろ』
颯汰の周りに浮遊する影。
ライフル銃の代わりに、六つの人影――己が屠ったはずの吸血鬼化した兵たちである。
全員、颯汰の手で身動きができなくさせた者。
皇帝は彼らを死んだものであると認知していた……としても、その亡骸――家族だと称した民草ごと巻き込んででも、颯汰に攻撃をしたのだ。
『まだ、こいつらがいるんだぞ。正気か?』
都市の一部が粉砕される瞬間、颯汰の目に危機察知のヴィジョンが映る。無明の闇の中、己が取るべき行動を示す多岐にわたる光の筋が煌めく。答えを掴み取るには、多くの手が必要であった。
颯汰は伸ばせる分だけ、外套型の霊器『ディアブロ』を操り、糸一本一本に強化の魔法を掛け、束ねて伸ばす。届く範囲のニヴァリスの民を保護しつつ、皇帝の鉄槌を回避した。
だが……数瞬の出来事であり、飛距離も有限であるから、すべてを救うことはできなかった。瓦礫の下に埋もれた者や、地下深く大穴に落ちた者もきっといるだろう。
悔しさがどんどん込み上げていく。
そこへ女が嘲るような声で、己の身体の下にいる巨神へ問いかけた。
『ヴラドよ。仲間がいてもお構いなしなのか、と問うておるようだぞ?』
『………………』
機神は答えない。
無視された氷の女は憤ることもなくクスクスと嫌味に笑う。
その沈黙に答えがあった。
『……お前やはり、わかっていて、巻き込んだのか……?』
颯汰の掠れて、絞り出すような声。
それに対し皇帝は、機能不全を起こしたように黙りこける。
信じられないものを見た、という目をして皇帝を見つめる颯汰。
すると機神たる皇帝の瞳に光が奔る。先ほどの問いを行った僅かな時は、機能を停止させ、今、再起動したかのように――。
『! 貴様、なんたる卑劣か! 我が民を――家族を盾とするつもりか!!』
『…………何を、言っているんだお前は』
颯汰は体温が著しく下がるのを感じた。
嚥下するのを拒みたくなる、舌先に残るザラついた嫌な感覚。
颯汰はあくまで彼らを殺したふりをした。大群を一時的に撤退させる意図でやったことであり、それは大いに効果を発揮した。だがヴラド帝は何の躊躇いもなく、右腕を下ろした。その上で傷ついた民のために涙を流している。
寒気を覚えるほどの嫌悪感。
その歪みに苛立ちは加速する。
感情を剥き出しにして吠えようとした颯汰に、極めて冷やかな声で返すものがいた。
皇帝の頭の上で座する女だ。
『ほぅ。責めるような視線をヴラドに送っておるようだが、まこと奇異なことをしておるぞ』
仮面の奥の蒼く燃ゆる瞳とかち合うが、女の目が永久凍土の氷を思わせるほどに冷たく厳しいままである。
『貴様がヴラドを責める資格も、憤りを覚える資格も無いぞ。虫ケラ故にではない。まずは、そうさな……己の所業を見つめ直すとよい』
錫杖を片手に、懐から取り出した扇であおぐ。険しい瞳が少し和らぎ、挑発的で相手を小馬鹿にするような感情が容易に見て取れるものとなった。
『すべては――貴様がここ、帝都ガラッシアに足を踏み入れなければ起こらなかった事よ』
『……なんだと』
『よくよく考えてみよ。貴様がここに現れ、この地を蹂躙し手中におさめようなどと、浅ましく下劣な行為をしなければ――、そやつらは立ち上がらなかった』
『…………は?』
口元を扇で隠しているが、目は細めて嗤っているのがよくわかる。
あまりの言葉に、颯汰の感情が凍り付いた。
凄まじい激情が、一気に冷え切った。
言葉を受け取ったうえで、理解できなかった。
耳朶が、脳が、感情が、拒む。
そこに、皇帝が追い打ちをかける。
『我と同じく、帝国と住まう家族たちを護るために、そのような姿となることを志願してくれたのだ。あぁ、平和なままであったならば――民は祭りの夜を迎え、帝国の平和を謳い、喜びに満ちて眠りについたことだろうに』
巨神たるヴラドから――心から悔しく、他者を思うような声が聞こえた。
仮面の奥で鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた颯汰――その静止した佇まいから動揺していると判断した氷の女は笑っていた。
『ははははは! 全部、全部、貴様のせいだ』
さらに、下品に高笑いをしようとした女。
しかしそれを阻み、破るように閃光が奔る。
女の腰から肩にかけて発生した光――斬撃が直撃する。ただ氷のような女はそれをかざした腕だけで防ぎ、涼し気に、嘲笑するように言う。
『ほうほう。そこにいたか。矮小なるもの』
本来は軍刀の柄を持ち、まるで「最速の居合抜きが間合いを飛び越えて対象を斬り裂く」と錯覚させて放つ斬撃の籠手による不可視の斬撃を、彼女は堂々と籠手を出して発動させた。不完全なる魔王――ソフィアが見上げて言う。
「随分と、大きな顔するようになったじゃない?」
互いを深く知るからこそ、激突する。
ソフィアの中にあった疑問の一つが解決する。
冷めた視線と、熱い視線がぶつかり合い血で血を洗う激しい抗争が行われる……はずであった。
「魔王!」
ソフィアの方から、視線を外して声をかける。
『なんじゃ?』
「――ッ、お前じゃない! 魔王ヒルベルト!」
馬鹿を放っておいて、立ったまま動かなくなった偽名ヒルベルト――颯汰を呼ぶ。
自分で名乗った偽名であるヒルベルトや僭称した地位にすら反応を示さなかった男に、ソフィアはなおも声をかけた。
「聞いて! アイツの正体は、わかるでしょ!?」
『…………』
「アイツの、アイツが使っている固有能力は――」
瞬間、無言で氷女は魔法を発動させた。
女から放たれる氷の弾丸。ソフィアの足元に霜が発生する――それは発動の予兆で、上下に伸びる氷柱は対象を包む檻であり、そのまま噛み砕く顎へと変わる魔法だ。
周囲に展開した氷を斬りかかって破砕したが、三連射の氷弾は迫り来る。サイズは大きくないが、速さはまさに弾丸の名を恥じぬ。ソフィアは抜刀し、正面からなんとか斬り伏せる。剣技の冴えは相変わらず上位レベルである。
『甘い』
しかし、それすら意識を移させるブラフ。
ソフィアは足首まで凍り付き、動けなくなる。
「――っ!?」
既に“死”は形成されていた。
背中から凍えるような冷気を感じる。
その悪寒は肌で感じるものだけではない。
内側から悟る“終わり”の気配によるもの。
『“侯爵”も同じことよ。貴様さえ現れなければな。今頃は愛した女と妻によって仲良く半分分け合いとなり、腹の中だろう。可哀想に』
明確にソフィアを責める言葉。疑問に対する答えに、どんどん補強がされていく。
ソフィアの背後、氷像が生まれていた。青色の氷で出来ている髑髏の顔に骨の身体を覆う大きな布――それは紛れもなく死神であり、その手には大鎌が握られていた。
氷像でありながらも動いている。既に氷鎌を振るい始め、刃が届くまで一拍の間も無かった。
氷鎌は風を切って首を刈り取りに動く。
回避はできず、軍刀で防ぐにも動けず、霊器も無限に連射できるわけではない。氷の女は特性を知っていて僅かな猶予を狙い確実な“死”を与えようとした。
しかし、死神の鎌はまだ彼女を冥府へと導くには、僅かばかり早いようだ。
声もなく、倒れる死神の氷像。
赤い熱を帯びた魔槍が、死神の頭部に突き刺さり、頭蓋を砕き、溶かしていく。
『――貴様っ!!』
氷を操る女が、元よりも険しい顔つきで吼える。
その目線の先に、立花颯汰がいた。
赤の魔法陣から、契約者たる紅蓮の魔王が放つ灼熱の槍が飛翔する。
通常は融けぬ氷の像すら打ち砕いたのち、迷わず第二射を女に向けて飛ばした。
空気を焦がし、骨をも焼き尽くすほどの熱量を持つ、赤い炎でできた槍は金色の火の粉を散らしながら女に迫る。
女の顔は怒りに歪んでいたが、焦る様子はない。巨神たる皇帝が、この槍をも受け止めた。
燃え上がる赤い火は届かない。
いくらサイズ差があるとはいえ、一振りどころか触れただけで掻き消されるはずがない。
『あれが、巨神の力か……』
呟く颯汰に皇帝は怒りの声を上げ、
『我が民を、返せぇええッ――!』
再び、その腕を振り上げ、降ろした。
五本の指――ひとつひとつが巨大であることは当然であり、問題はその手のひら――基節、中節、末節のそれぞれ一つにつき円が付いていて、その円の中にドリル状の突起が回っている。
確実に殺すつもりだ。
民など、救うつもりなぞ、無い。
本当に彼らを盾にしようが、潰しにかかるその手を止めるつもりはないのだ。
颯汰は息を呑む。
影が濃くなっていく中、巻き付いた赤い布を手に持つと、左方向に投げる。そして間髪入れずに左腕から華美な装飾が付いた金色の宝槍を出現させると、それを真っすぐ布を狙って投擲する。
直撃を見る前に颯汰は離脱するために反対方向へ駆け出し、直後に災害が再び墜ちる。
石材と鋼材を削り取る、耳障りな音を奏でるのは最初だけで、すぐにバゴンと階層を手が貫く轟音を鳴らす。
投げ飛ばされた布は槍に巻かれ、少し離れた建物の外壁に突き刺さっていた。一緒についていた吸血鬼化した兵はぐったりとしたまま気を失ってはいるものの、おかげで死者はいない。布ごと槍で撃ち抜いて運搬させ、回避したのだ。このように世界の法則を無視した芸当ができるのも、様々な条件が重なったゆえである。
腕が通り過ぎた後に布と吸血鬼化した者たちが健在であったことに、颯汰は初めて宝槍を押し付けられたことに感謝の念を抱いた。
そして、同時に駆け出す――。
今、最も都市部に接近したこの瞬間を見逃さない。縦に振った腕に、急速転換し飛びついたのだ。腕一本ですら、ヒトが横になって寝ても余りに余るほどに大きい巨神の巨腕。
『まさか、まだ立ち向かう気概があるとはな。罪悪感はないのか』
未だ余裕を崩さない女。
大抵の生物の腕や足は複数あるものだから、当然空いた手が颯汰の元に迫る。
『ハッ――。元はと言えば、お前たちが始祖・吸血鬼化の研究なんぞおっ始めたせいだろうが!』
話通じな過ぎてびっくりしたわと付け加える颯汰。ある意味、敵の言葉に動揺していたがそれは罪悪感からではない。
『気味が悪い。まるで言葉が通じてないんだから!』
颯汰にも少なからず負い目もあった。だが、事の原因たる皇帝には、その意識は無いようだ。
狂気に満ちた皇帝と支配者気取りの女――異常者を相手に考えすぎて固まっていただけだ。
『だったら話は早い。……付き合わずに、叩き潰すのみ!』
先ほどの飲み込むのを拒んだ感情の正体はわかった。同じ言語を使っているはずなのに――伝わっていない、認知のズレによる意思疎通ができていない気持ち悪さである。
『滅びよ、旧き世界の王よ』
巨大な柱を駆け上がっている最中、前方からガリガリと装甲の表面を削り取るように、擦ってまで外敵たる颯汰を排除しようとする手が近づいてくる。
動く壁は飛び越えることは難しい。
突き破るのなら尚の事だ。
指にはエグい形のドリルが回転する円が節ごとにあり、手のひら部分にもビームか何か飛ばしそうな発射口らしきものがある。指の隙間を掻い潜るのも危険だ。挟まれて絶命してしまうだろう。
『………………まずいぞ』
颯汰から気の抜けたような声が出てしまう。
石材のような外殻のツルツルした部分では掴んでいられない。空いた装甲の隙間、露出する赤い人工筋肉部の隙間であろうとも――、もし、そこへ踏み入れると完全に逃げ場がなくなり、おそらく皇帝は自身の腕ごと殺しに掛かる。
だが迷う時間はない。一瞬で壁は到達する。
そして――、皇帝の手が左手の甲まで払い終わる。すると、過ぎた地点に人影はなかった。




