116 降臨
ほんの少しだけ時を遡る。
偽りの魔王たる立花颯汰が銃撃した女を、ソフィアが眺めていた辺りの頃だ。
「…………本当、甘いね」
倒れている女に近づく。
女の遺体――否、それは誤りだ。
一見、死んでいるように見えたが、外傷は然程大きくない。衣服を抉り破っているが弾丸は貫通せず、消滅している。
撃たれた全員が気を失っているに留めていた。
あれだけ派手にぶっ放しておいて、誰一人として殺していないのだ。
銃声や狂喜と悲痛な叫びにより誤魔化されていたが血飛沫の類いは殆ど見当たらない。全員を無力化――気を失うほどの打撃を与えているが、それ以上に与えたいものを十二分に与えていた。
「“恐怖”という感情……」
立花颯汰は銃を撃ち鳴らしては笑い続け、恐怖を演出し続ける『道化』となったのだ。本来の道化の役割と対極に位置する感情を煽り、最小限の戦闘で敵に退いてもらう。元より市民ばかりの軍勢に、例え優れた指揮者がいて、統率などあったとしても、士気の低下ですぐに瓦解する。
「怖くて戦えない」「命令であろうと従えない」「あんなものと戦うなど馬鹿らしい」……何よりも命が大切であることを思い出させるために、恐怖を与えたのだ。
「もはや対話が不可能だとわかったから、この手段ね。“愛”を制するのは“恐怖”と……。………………なんだか悔しい」
どことなく恨めしげに言葉を吐く。その視線は倒れた女ではなく、己を魔王だと僭称する青年。
溜息の後、ソフィアは身に纏っている外套を払い始める。触られて彼らが汚いというわけではないのだが、さすがにちょっと砂埃やら唾液が飛んだのは、よろしくない。ハンカチを取り出した。
「……っ、いくらなんでも唾はダメでしょー? あとみんなベタベタ触りすぎです! ウチの子たち――亜人の吸血鬼ですらここまでマナー違反はしない……と思う」
亜人の吸血鬼は彼女から見たら人間同様に下等種であるのだが、通常の人間よりもお頭が足りなくても可愛く思えるらしい。
ただ記憶は曖昧なので、誰か特定の個人の顔や名前すら浮かばない。これすらただの情報で、自分自身の記憶だと思い込んでいるかもしれない。……そんなネガティブな思考を、口を動かして誤魔化す。そこら辺の考え方やお喋り好きなところに若干ウェパルの面影を感じさせた。
「あとどさくさに紛れてお尻触られたわ最悪」
少しムッとしていたが独り言は小声で早口である。自分の尻に手を当てて恥ずかしそうに頬が少し赤い。そしてソフィアが溜息を吐いて建築物を背にしてもたれかかった。
離れて演説をしている魔王さまの発言の内容に興味はなさそうな態度に見えた。
そんな彼女の元に白い影が降りたつと、その姿を見て少し表情が和らいだ。今は幼き竜種の王――シロすけがいた。
「お疲れ。キミのご主人様はあの調子だけど……」
「きゅうきゅう!」
「あ、家族ね。うん、ごめんね」
ハイテンションで暴れてる身内から距離を取った幼き竜。他人のふりをしているのではなく、何となくあの場に自分は相応しくない、という上位個体とは思えないほど空気を読んで離れた。
「きゅー?」
「うん。殺してないよ誰一人。どうやってるんだろう。というか銃どうやって作ったのかな? “呪い”もまだ解けてないのに、凍結が起きないのも謎なんだ。……ん? あぁ、銃を浮かせているのはあの布――見えないくらい細い糸で操ってるみたいだよ」
竜種の子が、自分に心を開いてくれて嬉しそうに返答するソフィア。
――竜種って魔王とか本能的に嫌いなんだろうなって思っていたけれど、この子は違うみたい。やっぱり、この子は白くて艶やかで……かわいい……
うっとりするくらいに美しい生物を見やる。
その視線の意味に気づいていないか、それか興味がないのか、飛んだまま声をかけていた。
「きゅ、きゅきゅ?」
「……たぶん。だいぶ無茶してるんじゃないかな。『殺すと決めたら迷わない』……みたいなふりを今までずっと続けてきたんじゃないかな。どんな経験をして、この世界に来たのやら。それとも後天的に身についたもの? ……それは本人から機会があれば問いただすとして……――彼は少しでも可能性があるなら見逃せない性分なんだと思う。トリガーでハッピーになるほど単純じゃないし、傷つけることに苦心するほど繊細なんでしょきっと――あー、偽善者偽善者。色々できるくせに不器用で、今は全力で悪ぶってる。それが最適解だとしても、自分の汚名よりも他人を優先する」
付き合いは本当に短いため、ソフィアは自分の中で彼がどんな人物なのか、はっきりと定まってはいない。ゆえにかえって好き勝手言える。
「そして自分の行いが正しいか、常に迷いながらそれを表に出さぬよう努めている。うん、バレバレなんだけどね。あ、そろそろ――」
右手のひらを自分の前にかざし、左手を前に突きだして格好つけて言う。
「――『そして我が、邪悪で不遜にも神を名乗る皇帝を討ち、この地を支配する』……って言うのよね」
そこまで打合せをしていなかったが、颯汰の考えなどお見通しだと言わんばかりに、ソフィアは彼が帝都中に宣言した言葉を、同じタイミングで暗唱してみせた。シロすけが興味深げに鳴く。
どんなもんだい、と少し誇らしげに胸を張る。颯汰当人が見ていたら非常に嫌な顔をするであろう、ドヤ顔であった。
颯汰にあてられてテンションが高くなっているように見えるがそうではない。
彼女もまた誰かと同じで不安や迷いを誤魔化そうとしている。ガラッシアに侵入してから、不可解な点があった。
表情からわかるように切り替えた。
真面目な顔で思考する。
――絶対に裏切らないはずの侯爵。でもここは明らかに罠が仕掛けられていた。侯爵も姿を消した……逃げたか、吸血鬼に殺された?
あまりにも一瞬。
普通に考えたら罠にハメて即座に離脱したと思われるが、彼女は絶対にそれはないと自信をもって断言できる。
巻き込まれて殺された可能性はある。
ただしその場合は立花颯汰が、ではなく吸血鬼化した彼らの餌になったのだろう。
彼の結末もそうだが、ソフィアは『絶対に』裏切らないと断定している。そして何かしらのアクションする際には、必ず報告させるようにも仕掛けた。この不可解さは、どうにも収まりが悪くて心地も良くない。
答えに辿り着く前に、それは現れた。
高らかに頭上に銃を撃ち鳴らす偽りの魔王。
その祝砲は、民を脅えさせるのに充分なほどに、敵を打ち倒してきた。
侵略者に対し、為政者が取るべき行動は決まっている。――そして、この地を治める皇帝ヴラドは、抗う力を持っていた。
『――!』
音がする。
霧が晴れていく。
透明な円形ドーム状の上部が、都市の真ん中の大穴に合わせて開く。
ビリビリと空気を震わす音。
全身に圧し掛かるような重圧。
呼吸が止まってしまうほどの存在感。
大穴の奥底より出でる――。
巨大な何かが物凄い勢いで上昇してくる。
その正体など言うまでもない。
「巨神っ……!」
帝都の中心の大穴から、巨大な人形の兵器が現れる。上昇してきた巨神たる、皇帝ヴラドそのヒトを見て、颯汰は動きが止まった。
実物で見るとあまりの大きさに驚嘆する。
大穴から転落防止の柵越しに、宙で佇む大いなる神の姿――。
街の送風装置で煙霧が徐々に晴れ、その姿がくっきりと視界に入るが、収まり切らない。
人と蟻とのサイズ差を思わせる。感じさせる圧、纏う空気がより巨大さをさらに引き立てる。
降臨した神に、面を食らったカタチとなるが、ここで臆しては意味がない。すべてが無駄になる。
『…………現れたか。神を称する愚物め』
機神――“灰のギガス”。
紅蓮の魔王が見せた映像と姿が異なるのは、どういう経緯かは安易に想像できる。
――露骨に、パワーアップ、してやがる……!
灰色の彫像の表皮は一部残しつつも、赤黒い人工筋肉を露出させている。その発達たるや、凄まじいの一言。人間であれば一流の戦士であること疑う余地なしの肉の宮。指先も鋭く、胸部の装甲も開き、機械仕掛けであることを証明するかのように中心の球体が淡く赤く光っている。
頭部も変わっている。鼻と口はどこぞの誰かのように装甲で覆われ、さらに顔の周りには青い氷のような色で、顔を護る外殻として突起が斜め上に左右伸びている。獅子のタテガミのようにも見えなくもない。無骨であった頭部にさらに派手さを増し増しにする、頭頂には冠の意匠。
下半身はここからだと見えないが、きっと各部分に強化点があるのだろう。
皇居のある空中に浮かぶ島――その下部にあった神の宝玉を取り込んでいまの形となったのだ。――……つまり、間に合わなかった。
そうして神となった皇帝は悠々と自宅を地下の安全なところに置き、地下から見物していたのだ。必死に抗う小さき者どもを。
颯汰がそれに気づけたからこそ、感じる込み上げてくる怒り。それが無ければ今ごろ精神的に圧し潰されていたことだろう。
間に合わなかったが、すべてが終わりというわけではない。取り付き、内部に侵入するという当初の目的は変わっていないのだ。
侵入できそうな箇所、装甲が脆そうな部分をひそかに探しているときであった。
『では貴様はなんだ。魔王を僭称する虫ケラか』
『……!?』
声に驚く颯汰。魔王と偽っていることがバレていることもそうだが、聞こえてきた声音にも反応を示す。それは低いが老齢のしゃがれた皇帝の声ではなく、明らかに女性のものであった。
声の主は冠の中から現れる。いや、さっきからずっといたのだろう。巨神の被る冠を、全身を預けても余りに余る、大きな椅子のようにして座る女。地下で準備を進めていた皇帝と共に、ここに現れた。
彼女を一言でいえば、ひどく気難しそうだ。
厳しそうで険しい目をしていて、食事というものを嫌っているかのように痩せこけている。痩せて骨ばっているせいもあってか、女性らしい柔らかさと正反対にいる。着ている青の衣やイヤリング、ネックレスの類いは見るからに高級そうだ。髪を後ろに持っていき、後ろで結んでいて、その手に豪奢な飾りのある錫杖が握られている。
ガラッシアの地下を任された支配者たる女がいるという話は聞き憶えがある。また、皇后は既に亡くなっているとも聞いた。
判断材料を頭で整理するよりも、幾度も感じた気配により理解できる。
あれは、敵だ。
『貴様が魔王であるものか。何か因果は感じるが……、フン。妾と並び立とうなどと、千年早いわ痴れ者め――』
言葉を交わす必要は無い。
既に颯汰は動いていた。
この場面で現れたのが何者であろうと関係ない。外敵であると認知する前に七つの銃口が女を捉える。一切の迷いや躊躇いなどない一斉射撃。
最初から颯汰は皇帝――機神と化したヴラド帝と会話するつもりは無かった。
当初の予定と違ったのは、狙うべき相手とその危険性の高さ。それに銃弾ではなく一気に近づき内部に入り込む算段であったが、それは不可能となった。それを阻む壁があまりに高く、厚い。
『ほぉ。駒たちを撃ち抜いた非殺傷弾ではなく、魔力を込めた弾丸か』
青白い光の筋を残したまま、空気を突き抜けて飛んで行く弾丸――。
全弾命中したはずが、女の手元――指で摘ままれた弾丸があった。まだ熱を有しているそれを、女は吹き消すように息をかけると、金属の弾丸は凍り付いて、女の指の中で砕けて消えた。
戦慄する場面であるが、颯汰は止まらない。
イレギュラー相手に、迷いは危険だ。
『今のは多少感心したが、道化風情がつけ上がるな。魔法弾を拝み見ることを赦す。感動に咽び泣くがいい』
女の前に展開する先端が尖った氷柱たち。
既視感とトラウマの塊が、降り注いだ。
着弾地点に氷煙が舞い、すべてが凍り付く。
車両も大破してしまうほどの氷塊が飛来する。
颯汰は回避すべく、動き始めた。
奥へと逃げるのではなく、大穴を沿って外周する。退くわけにはいかなかったし、相手も簡単に逃がすわけがない。
風を切って進む。氷塊が着弾し、冷たい空気が流れ込んだ。背筋に感じる悪寒――少しでもスピードを緩めると、死が訪れることがわかる。
『……フン』
退屈そうな顔をした女は先読みして罠を張る。
颯汰の進行方向、前方に氷の柱が発生する。
槍衾のように、鋭く踏み入れることを叶わない死の領域が待っている。
その手の殺意、相手の思考を予測できる颯汰は、すぐに気づいた。
――加速した身を止めては間に合わない。急ブレーキじゃ止まらないし、止まっては撃ち抜かれる。そして、飛んだらあの壁、おそらくそこからも槍が降ってくる。それを咄嗟に防御して、動きが止まったところに、本命が突き刺さる。ならば……!
颯汰は跳躍する。正面ではなく、帝都の大穴に向かってだ。感心する声と悲鳴、そのどちらも耳に届かないほど、必死な形相を仮面の中で隠した颯汰は右手の銃を撃つ。連動して七つの銃はすべて右方向に集まり、同時に放たれる。それは巨神に向けてではなく、発砲の反動を利用するために撃たれた。
斜め右方向に跳び、柵を越えて罠を回避し、射撃による反動で勢いを弱め、左腕から発生する瘴気の顎で柵を掴み取る。「壊れるなよ壊れるなよ」と必死に祈りながら、一瞬で引いて飛び上がり、元の床へと復帰する。
現れるはずだった槍衾が背後に発生し、予想していた地点にも同じく魔法の氷が現れる。
『ほぉ。よく舞ってみせるじゃあないか――』
少し興味が湧いたような声。
ふと闇が濃くなったことに気づく。氷のような女の上、掲げた巨腕から影が落ちる。
神となった皇帝が、その振りかざした右腕を下ろした。まさに神の鉄槌となった握り拳は、この地を侵さんとする外敵に振られる。
『やっば……!』
颯汰の元に、影がどんどん濃くなっていく。
颯汰がいる地点に、巨神の拳が落下した。
これまでにない轟音――造り上げた都市が崩壊する音。再び煙で何もかもが遮られるところに、慟哭が響く。
機神と化した皇帝から、凄まじい声がする。
それは外敵を排除した鬨の声ではなく、憎むべき敵を想っての怒りの叫びでもない。
『――ウォォオオォォオオオン……!!』
赤の双眸に映るは無数の倒れる民たち。
その瞳から零れるオイルらしき滴。
民を想っての慟哭であった。




