111 白煙の魔都
少女は嗤う。
その手には紐状のもの。
赤黒いそれの先には、戦果の証明たる■■。
少女は見上げる。
その顔に紅い飛沫。
手に持ったものと同じ鮮やかで重い色。
少女は歩む。
連なる縄に結ばれた、おびただしい数の戦果。
彼に届けたいと願う。
褒められたいという、純な乙女心から――。
少女は誓う。
この身を剣、刃なれど、生涯彼に奉仕すると。
少女は信仰する。
存在そのものが罪ならば、いつか彼が罰してくれる。彼こそが救ってくれるのだと。
冷たい山颪が吹き荒ぶ。
厚い雲は裂け、空を染めるのは真紅の呪詛。
下界もその影響で、フィルターがかかったように、すべてが濃い赤に染まっていた。
自然を侵し、世界を崩す“最悪”が目を覚ました。ニヴァリス帝国地下に封じられた存在たる機械仕掛けの神――《巨神》。
そのニヴァリス帝国から東に広がる平原。
国境を越え、シルヴィア公国の領内にて――。
横たわるもの。死骸。遺骸。亡骸の数々。
降り頻っていた雪の上に、漆黒の水面が広がる。
遠く、シルヴィア公国内で幾つかある“星見の展望台”に設置してある大型の望遠鏡にて、その様子を見ていた宮廷占術士、大公は恐怖した。
公国の領土を侵した外敵らしき影が、悉くが滅ぼされた。たった一人の――否、人の影こそひとつきりであったが、それを一人の人間として認めていいのかだろうか迷う点がある。
迎え撃つために展開していた兵たちも困惑していたし、状況をその目で見ていた弓隊のエルフ衆を中心に、かなり動揺が走っている。
「あれこそ、凶星……!」
そう呟いた占術に長ける者は飛び出した。
すぐに追いかける部下の言葉を無視し、老いた身とは思えぬ身のこなしで大公の御前へと向かう。
「見たか。あの恐ろしい……――なんと恐ろしい“闇”か」
やって来た宮廷占術士たる老婆の接近を、背から見ていたように大公は口にする。形容すべき言葉を失いかけて言葉を詰まらせていたが、相応しい言葉がきちんと喉元から出て来ていた。
「大公閣下」
「あれは……触れてはならぬ者だな?」
望遠鏡から身を離し、シルヴィアの大公が振り返って問う。
「左様でござまする。あれこそ“凶つ星”に違いありませぬ」
「やはり、か。何か、他に見えたか?」
「…………嵐が、去るまで、待つべきでしょう」
「……そうか」
沈痛な面持ちの大公は、迅速に判断を下す。
「各部隊に通達! 決して、決して“あれ”を刺激するなと伝えろ!」
「「はっ!」」
大公から少し下がったところで膝を突き待機していた部下――貴族や兵と呼ぶより怪しい魔術師のようなローブを羽織った性別も顔が隠れている人物たちが応えた。そのまま煙のように消えるかと思えたが、普通に小走りで移動を始めている。
声と走りのフォームで男女だとはわかる影が立ち去ったあと、大公は老婆に問う。
「しかし、あの凶星……シルヴィアを仇なす存在ではないのか?」
「……えぇ。この国に陰りの兆しはありませぬ」
「であれば、良いが」
「…………(今の、ところはですが)」
老婆は口にしない。
シルヴィア公国はしばらくの間は滅びない。少なくとも此度の侵攻による被害はゼロだ。しかし何事にも永遠は無いことは歴史が証明している。
そして、安寧の後に訪れるものまで、老婆は視えていた。語らぬ方がよいこともある――。
大公に払うべき代償――失うものがある、と。
風が吹き、雪が舞う。上から絶えず降り注ぐものと、下から巻き上げられるもの。
くっきりと見えた黒の水面はいつの間にか消え、影も形も雪に埋もれていく。
いくつか戦いでの傷痕――その残骸だけが取り残され、生命の欠片も奪い去られた後となる。
赤黒い色に染まる縄に縛られ動かなくなった敵兵に、さらにその足下まで伸びた縄に敵兵、またその足下に敵兵……と何十、何百もの塊が連なっていたのを、“凶星”は引きずり去った。
あるものはアレは縄ではなく、敵兵の臓物だと叫び、あるものはこう言った。「あれこそ、死神――冥府神ガルディエルの使いたる『怨霊』に違いない」と。
◇
「――クシュンッ!!」
ふらつく甲冑の中から颯汰のくしゃみの音が響いた。不安定な甲冑の兜が転げ落ち、ガラガラと金属音までが後を追う。
「なんだね君。風邪でもひいた?」
「……大丈夫?」
鎧の中に満たした瘴気を操り、屈んで自分の手で、床に転がる頭を取ろうとする。ぎこちない動きのなんちゃってリビング・アーマーに、同じ甲冑姿のソフィアが兜を拾い上げ、颯汰に手渡す。
甲冑で顔が隠れた女は、童女ではなく颯汰がよく知るウェパルぐらいの年齢に変化させているので、颯汰ほどぎこちない動きになっていない。
ガシャンガシャンと鎧の音はするが、颯汰と比較すると圧倒的に動きに無駄なく素早い。
それでも装備の大きさから、ウェパルの身長では足りないはずなのだが、……何かしらの能力か、つま先立ちで無理しているか。ちょっとした謎だが答え合わせはまたの機会となることだろう。
「大丈夫。あ、どうも」
同伴者がちょっと温かく声をかけてくるのを、このクソガキは強がってみせる。
「この通路、少しばかり空気が悪いからな」
「ハンカチいる?」
「大丈夫です(……、なんだか、言いようのない寒気が……。……北の凍土だし、体調には気を付けないとな)」
ゾワッとする言葉で表現しづらい寒気を感じた。なんとなく鎧の中で颯汰は自分の胸に手をあて摩る。首を傾げると連動して頭のうえ兜も同じ動きをしていた。
場面は災禍の真っ只中と呼べる――ニヴァリス帝国の首都たるガラッシアへ戻る。
立花颯汰一行は無事に、帝都入りを果たす。
円形のトンネル状の通路――暗がりで、「ゲームだとこういう排水溝のダンジョンあったなぁ」などと颯汰は思い耽ていた。当然、整備されていたし、臭いもなく、ただ薄暗いだけなのだが。
ダンジョンであれば巨大ネズミや囚人、殺人鬼、はたまた工業廃棄物によって生まれた悲しいモンスター、ヘドロ系のバケモノ……およそ、お天道様の下で現れることができきない、暗部たる象徴のボス敵が待ち構えているものだが、あいにくそういったエネミーと遭遇すらなく、順調すぎるくらいに何もなく、ここまで来れた。
道中にトラブルがなかったわけではなかったのだが、然したる問題とならなかったのはそれもこれも、例の侯爵の協力があってのものだ。
颯汰が、先を歩くソフィアを見やる。
視線の意味は『不可解さ』にあった。
――あのとき、どんな条件を出したんだろう?
ソフィアが侯爵の腕を掴み、壁に追いやった後、耳元で囁いてみせた。その後、少し茫然としていた侯爵であったが、「それは本当か」「……では仕方ない、協力しよう」と言ったのだ。
颯汰にはその声と内容は聞き取れなかった。
釈然としなかったし、何を条件として彼が協力してくれる形となったかも、ソフィアにはぐらかされてしまった。ただ侯爵も「よーしおじさん、協力しちゃうぞ~」みたいなノリ気な感じではなく、本当に渋々協力してやるか、という心持ちであることは、言動から察せた。
それでも、意図的に手を抜いている様子も、脅されて嫌々協力しているようには、少なくとも颯汰目線では感じられなかった。それに遭遇した警備兵や検問所までも、彼の尽力により突破できたのだ。方法は、安定の賄賂やら声を荒げて難癖つけて突破という非常に正当とは言いづらいムーヴではあるのだが、最速で侵入できた。
侯爵はヒステリック気味に「私の邪魔をするとは何事か」「皇帝を害するつもりか無能どもめ」と叫んでいた。一刻も争う事態であると強調し、通さぬなら皇帝の名の下に罰するぞと脅してくれたのだ。そのお陰で怪しまれずに(?)帝都まで直通のルートを進み、あとは金属製の扉を通るのみとなる。何度も「あのフラフラの鎧のヒトは……?」などと指さされたが、何だかんだバレなかったのは本当に侯爵の功績である。
ここまで少し長かった。リフトを乗り継ぎ、水平型のエスカレーターを進み、それなりに時間が掛かったが、真っすぐ帝都に侵入するよりは遥かに時間短縮となっている。
扉が、ゆっくり開き始める。
三枚の金属板が回転し、帝都の入口が開いた。
風に運ばれて白煙が舞い込んだ。
もう二度と足を踏み入れる機会はないのだろうと何となく思っていた颯汰であったが、奇縁によって再び帝都ガラッシアへと訪れる。
そこは白い闇に包まれた地獄となっていた。
「…………なんだ?」
血色の煙に包まれたスノードーム状の街が、再び真っ白な煙霧に包まれていた。
景色だけは――去った際と変化が感じられない。白くて遠くが見えないためか。
紅蓮の魔王が見せてくれた赤く染まった帝都の様子とはかけ離れていて、あの映像がフェイクだったのではないかと疑ってしまうほど元の姿のままに思えた。
ただ、人々の喧騒が無い。
静かすぎる。
環境音や生活音がまるでしない。
通路を通った際に時間が切り離され、ここだけ何十何百もの時を経てしまい、風化したゴーストタウンになったのではないかと思えるほどだ。
奇妙なほど静まり返った帝都ガラッシア。
困惑しながら、三人は少しだけ前へと進み、周囲を見渡す。しかしどこも暗く、煙で遠くの建物の輪郭すら見えない。
不気味で、不安を掻き立てる。
「ここは地下ですか?」
「いいや。ここは地上のはずだ。……こんな帝都を見るのは初めてだが……――」
言葉を遮るのはソフィアの叫び。
「――危ない!!」
その言葉が響く前に、颯汰は甲冑の左腕部分を外し、溢れ出した瘴気で顎を形成、それを侯爵に向けて射出した。
黒い粒子の集合体は侯爵の腕を掴み、引き上げる。突如、自分の意思と関係なく、重力に逆らって浮かび上がった侯爵は悲鳴を上げるが、ひっくり返って自分が元いた場所を見て、さらに悲鳴をあげ、背中から落ちて、以下省略。
金属製の床を削り取る、爪による一撃。
さらにソフィア、颯汰にも襲い掛かる影。
重い鎧でうまく動けず、胸に擦る爪。
ソフィアは退いたが、鎧に五本の傷痕が並ぶ。
敵の襲撃。視界には三つの影。
敵の存在、その距離を測った直後、ソフィアは視線を颯汰に向けた。
彼女は言葉を失った。
颯汰の背後より三つの影――その襲撃により、鎧の両肩から腕部がそれぞれ落とされ、背中に足蹴を食らい、膝を突いてから倒れる。
金属板の集合体たる甲冑がバラバラに砕け、音を立てる。
凄まじい連携攻撃で、一瞬にして戦闘不能に陥る――と思われた。
『危ねぇッ!!』
響く声の方向に、襲撃者たちは見る。
倒した甲冑の真上、敵を察知した颯汰は甲冑から脱出してみせた。着込んだ甲冑の股座に向けた左手から、瘴気を放出し、その勢いで鎧の首部分から真上へ跳んだのだ。敵の攻撃で鎧を結ぶ紐がうまいこと切れたため、後は勢いで垂直へと飛び上がり、バラバラとなって装備が外せた。
さらに出た瞬間に《デザイア・フォース》で変身し、青年となった颯汰は反撃に転じる。
『お返しだ!』
颯汰は右手で掴んだ金属製のフルフェイス兜を襲撃者に投げつける。颯汰の左肩に乗る龍の子シロがとの小さな両翼から魔法による風を発生させ、兜が加速する。反応が遅れた敵の顔面に、クリーンヒット。仲間が鼻血を出して倒れるさまを見て動揺する中、颯汰は落下しながら、さらに追撃を始めた。
黒の瘴気で形成した黒獄の顎で敵を掴み、引き寄せるのではなく自分が敵に急接近する。その勢いのまま右手で掴んだ敵の顔を殴り抜けた。
苦悶の声をあげながら吹き飛ぶ敵。残ったひとりが叫びながら、颯汰に襲い掛かる。殴った勢いで背が向き、好機と捉えたのだろうか。立花颯汰はそんな油断をしない。両足を軸とし、敵との距離を計り、カウンターとして回し蹴りを叩き込――もうとしたその前に、ソフィアが自分の兜を投げつけていた。
『後ろ!』
助けてくれた礼より先に、ソフィアへ警告する。敵……吸血鬼化した憲兵が――理性を溶かしたヒトから怪物となった者たちが、迫る。
異常に発達し、憲兵の制服の上からはちきれんばかりの筋肉と、ナイフのように鋭い爪。息遣いは魔物と同じで、目は血走り、口からは唾液が零れている。新鮮な獲物に心踊らすニヴァリス帝国の実験により生まれた怪物たち。
だが、命を貪ることなく、死が与えられる。
「ロサ・ムルティフローラ!」
ソフィアが右腕にはめた霊器の名を叫ぶと、並んだ三体の怪物に不可視の斬撃が奔る。
怪物たちは勝利を確信しているからこそ、その一撃に対応できず、凄まじく出血して倒れた。
さらにソフィアは自分に向けて霊器の魔法を放ち、発生させた不可視の斬撃で甲冑の留め金や紐を断ち切り、装備を外してみせる。
『まだ来るぞ!』
煙霧から飛び掛かる怪物たち。
颯汰は左腕の瘴気から剣を抜き、ソフィアも軍刀を抜き放った。
思考する間も、言葉を交わす暇も与えさせないとばかりに、怪物たちが次々と現れる。
牙を剥き、爪を立て、ヒトだった頃の記憶を薄れた代償に人外の力を得たものたちが、侵入者を排除しに動いた。
『何体、いる……?』
「キリがない……!」
四方八方、命を狙う気配が感じる。しかし白煙に呑まれていて、正確な数が把握できない。
飛び込んでくる敵を薙ぎ払い、どうにか追い返すが、白の闇の中へ吸い込まれていく。
シロすけもブレスを使えば颯汰を巻き込むおそれがあるため、その両翼で飛び回り、悪い視界の中、敵をひきつける囮を自ら担い始めた。
危険であるからやめるべきだと名を呼ぼうとする颯汰であったが、敵の猛攻が続く。
上から下へ爪を振り下ろしてくる憲兵であった怪物に、颯汰が剣を上に構えて受け止めたとき、背後――斜め上から小さい影が飛び込んでくる。
シロすけが鳴き、颯汰は咄嗟に左腕を差し出して盾とする。
「キシャァアアアアアッ!!」
颯汰に牙を立て噛みつこうとしてきたそれは、左腕の籠手に食らいついた。
簡単に歯が通るわけもなく、それでもまだ離そうとしない怪物に、颯汰はそのまま右手で剣を叩きつけようとした。
『…………!』
その手がピタリと止まる。
物理的に歯が立たないとわかった怪物は、反撃を恐れ、脱兎の如く煙の中に逃げ出した。
それでも颯汰はそれを追えなかった。
普段の彼ならば、隙を逃すはずがない。
しかし、一瞬の出来事で脳が理解を拒み、身体が畏縮する。
「……最悪ね」
ソフィアもかける言葉を失い、ただ独り言で愚痴るように皇帝を呪う。彼女も明らかに刃が鈍り始めていた。
『それは……』
動揺を悟ったのか、それとも単に本能か。
第二波となってやって来たのは、先ほど逃がした“敵”と似た特徴を持つものたち。
『それは、いくら何でも、いくら何でもそれは、絶対に、やっちゃいけないことだろッ……!』
衣服はそれぞれ、簡素なものから、防寒着のままの者。種族は人族ばかり。
手足の長さは未発達。
可能性に満ちた若者――子どもであった。
憲兵ではなく、囚人ではなく、騎士でもない。
この街に住む子どもたち。
建国祭で遊びにやって来た子どもたち。
そして、見知った顔がいくつも見えた。
颯汰たちが寄った村であるテュシアーにいた子らが何人も。
頭の芯から冷え、震えるように寒気を覚える。
衝撃の後、感情が燃え上がる。
怒りが、激しい怒りが込み上げてきた。
超えてはならない一線を、優に超えた所業だ。
十数名じゃもうきかない程、人外に落ちた子どもがいる。
子は宝、民こそが国を造るというもの。
至宝たる自国の子を、何も知らぬ子どもを、兵器として転用するなぞ、許されるわけがない。
少なくとも、立花颯汰の逆鱗に触れるには、充分すぎる行為であった。




