110 帝都潜入
金属の廊下。
歩くたびに音が反響する。
高級な革靴の足音に、鎧が擦れる音もする。
“飛竜の間”と呼ばれた軍事施設から、ニヴァリスの首都たるガラッシアへ繋がる通路である。
皇帝派やそのシンパたちの中から選ばれし者――適任だと皇帝自ら指名した貴族が各施設を任されるかたちとなった。“飛竜の間”を任された侯爵は人一倍、己が地位と立場を重んじる小物であり、ゆえにそのためなら尽力を惜しまない、と皇帝が断じたのだろう……か。
彼には向上心はあっても、皇帝を裏切るほどの胆力は無いし、武勇もない。
彼は、運悪く選ばれただけの男。
そんな侯爵は、苦虫を噛み潰したような面持ちで進む。
皇帝から賜れし『ドレイク号』が二機とも撃墜されてしまったが、敵が魔王であるという事実に合わせ、兵器を自在に操る騎手を得たと報告があれば最悪プラスマイナスゼロ。むしろ評価プラスだろうと甘い考えでルンルン気分であった男が、今は苦し気であり、額から汗が零れる。
彼の後ろに侍る騎士たちも何やら様子がおかしい。
一人は、比較的何も変わらぬ出で立ち。少しばかり小柄に映るが、こんなところでも全身を鎧うつわものに見える。ただし、もう一人が、変だ。
「なぁ君ぃ……」
「な、なんです?」
侯爵の問いに答える声は若い。若いというかまだ幼さすら感じるほどだ。
苦しいのではなく、何か別のことに集中しているような声。
「それは無茶があるんじゃないかね」
侯爵が振り返った。
その視線の先は全身を鎧う甲冑の騎士なのだが、歩行も姿勢も変である。左肩が若干上がり、右半身は少しだらっとしている。合わせてフルフェイスの兜のある頭部の下、首が寝違えたみたいに曲がっている。
さらに目を凝らすと鎧の隙間も変だ。人間が着込んで扱うため肩や肘など関節部まで金属板で覆うと曲げられなくなってしまうため、装甲が薄くなる箇所が出てくる。そこを鎖帷子などを着込んで保護するのだが、この騎士は違う。黒いせいで見紛いそうになるが、鎖帷子ではなく、黒い闇の粒子……瘴気である。
不定形の闇が鎧を着こむ姿――戦争で死んだ騎士の霊体が生者を襲う伝説“リビング・アーマー”この廊下のように薄暗い場所で見かければ、事情を知らぬ者は脅え慌てふためくかもしれない。
「い、いえ。こっちの方が、魔力を無駄に使わなくていいんです」
「いやでも君ぃ……」
非情にバランスの悪い動き方をしている首コキャアンバランスリビングアーマー騎士の不格好さと、一目見ただけで誰かに異変を察知される姿に言いたいことがそれなりに出てくる。しかし足を止めた侯爵に、もう一人の騎士が抜いた剣の切っ先を近づけた。
「無駄口を叩くな」
「えー、理不尽!」
大の大人、いい歳した成人男性が頬に両手を当てても萌えの対極であるのだが、ショックだという気持ちは充分伝わる。
「しかし……。まさかミリア博士の正体が魔神――“魔王”だとは」
演劇のように両手を上げ、仰々しく侯爵は誤った憶測を語り始める。
隠しカメラや音声があるのではと賭けての行動か。あるいは天然でやっている阿呆か。確定で後者である。そして、ほぼノータイムでペナルティーがやってくる。
「あ痛ーッ!? ちょ、本気で刺す輩がいるかね!? 私は、協力者兼、人質なのであろう!? 普通もっと丁重に――」
「――黙れ小悪党。次に余計な真似をするならば、どうなるかわかるな?」
剣の先っちょでツンツンどころか、侯爵の反応が遅れたらそのまま奥深く肉を貫き、剣身が真紅に染まるところであった。
「「こわー」」
「なんで二人でシンクロしているの」
侯爵と左腕から放出する瘴気で鎧を操る少年――立花颯汰が口をそろえた。
シロすけは兜の鶏冠を、自身の尻尾で揺らして遊んでいる。アスタルテと同じく遊びたい盛り。エラく賢く、大人しくしていた分、ここぞとばかりに羽を伸ばして遊んでいる。
そんなお遊びをしているとは知らず、颯汰は必死であった。
歩幅は狭いし歩くたびに普通以上に音が鳴る。
お子様状態の颯汰が自分の身体に合わない大きさの鎧を、瘴気で無理矢理満たして操作しているからだ。それはどうしても集中力を要する作業であった。
「くっ……あのとき、女子の手伝いをしてやれなどと言わなければ」
侯爵が悔しそうな顔でくしゃっと目を瞑る。その握りしめられた拳は震えていた。
「い、いいえ侯爵。とても、いい仕事でしたよ……っとぉ」
ぐらぐらと揺れる甲冑。そのだらりと下がった右腕が上がり、水平になったところで、グッと親指を立てた。悲しいかな加減がわからず親指が下向きになっている。侯爵の顔を見るに、ニヴァリス帝国でもあまり良い意味ではなさそうだ。
侯爵は頭を押さえて、深いため息を吐いた。
己の痛恨のミスに嘆き、ほんの少し前の出来事を思い起こし始める。
……――
……――
……――
ほんの少しだけ時間を遡ろう――。
侯爵がミリア博士(に変装したソフィア)と共に帝都へ向かった折に、博士は台車に乗せた木箱を倉庫――保管室に置かねばならないと言い張った。『そんなもの、有象無象の連中にやらせろ』とまでは喉に出かかったが、小物な侯爵はここでミリア博士の機嫌を損ねてはマイナスにしかならないと判断し、お付きの騎士たちと共に保管室に向かうことにした。
保管室の中は比較的キレイな方だが、侯爵にとっては息を吸った途端に咳き込むほどに埃っぽい。すぐに退散してしまった。心配する騎士ふたりに、八つ当たり気味に叫ぶ『いいから博士の手助けでもしていろ』……致命的なミスである。
ふたりの騎士が入って間もなく、すごい物音がした。何事かと飛び上がった侯爵は、おそるおそる保管室の扉を開いた。慣れぬタッチ式の自動ドアにちょっと驚いて手を引っ込めたところ、ドアは右側に自動でスライドした。
視線の先――金属のラックにファイリングした資料の隙間に、倒れる部下たる騎士がふたり。
自身が叫び声をあげたことも、凍ったように自由が利かぬ足でなんとか後退りをしていたことさえ、侯爵は認識していない。それを目の当たりにして混乱してる最中、無明の闇が迫る。大きく口を開いた何かに襲われ、そこで意識がプツンと途絶えた。
黒の瘴気を操る颯汰が、気絶させた侯爵を縛りあげている間、ソフィアは騎士の鎧を脱がせていた。拝借する鎧一式を並ばせ、颯汰が気を失っている騎士の頭部に軟膏、布を当てた上で包帯を巻く軽い処置を行う。少し強く壁にぶつけすぎた。『……どうせ捨ておくが、気分の問題だから』。誰にも聞かれていないが、目線から察した颯汰が答える。これは単なる自己満足だと予防線を張る少年に、ソフィアはおかしくなって吹き出していた。
そして、侯爵を含めた彼らの処遇について話し合う。「殺した方が早くない?」「ダメだ」「口をきけなくさせる(物理)」「ダメ」……異世界転生して長い間その世界で生きると、倫理観が壊れてしまうのだろうか?などと、颯汰は酷い偏見を覚え始めたが、この物語では少なくともそうなので、彼にはこれから覚悟して強く生きてほしい。
何とか言いくるめて殺さず保管室で放置となった。見つかるのは時間の問題であるだろうが、姿を変えられるため瑣末な事だ。
とはいえ、颯汰は他人になれるわけではなく、ソフィアも変身はできるが“他人”だと長時間は無理であり、異性は不可能と言った。それに関して颯汰が真偽を確かめる術はない。そういった情報を鵜呑みにしないが、当人がそう言い張るのだから颯汰は追及はしないでいる。
そうしてる間、想定以上の早さで侯爵が目を覚ました。手足が縛られたまま、上体を起こす。
「嘘でしょ!? 象でも一時間はぐっすりなはず……!」
思わず叫ぶ颯汰。顎で不意を突き、例によって小瓶に入れた薬を布に染みらせたものをあてがい、眠らせた。ヴェルミの森に自生している野草を中心に魔物の毒腺を薬液に浸したものなど複数を混ぜ合わせた麻酔である。医療用の練る麻酔とは別種であり、これは颯汰が自前で用意したもの。
「まさか……――貴族同士、蹴落とすために毒の盛り合い、それで耐性が? そんな馬鹿な……」
吸引するとしばらくは起きられないはずが、侯爵はもう目を覚ましている。貴族同士の小競り合い、血と毒で彩られた権力争いが嫌なところで功を奏したのかもしれない。それか単純に毒の量が足りなかったか。
相方が剣を振りかざした瞬間に颯汰は動く。
横から感じ取れる強い殺気にハッとして、颯汰は我に返れた。
左腕から飛び出した闇は大口を開け、再度侯爵の頭に食らいつく……寸前で止めた。
所持している薬品も無限ではないし、土地勘のない場所で材料の調達は困難極まりない。
「動くな、叫ぶな、喚くな」
「はぁ……守らないと殺すよー」
溜息を吐いたソフィアが付け加える。
溜息の理由は、口封じ(物理)をしようとしたのを颯汰に阻まれてしまったからだ。
女から責めるように突き刺さる視線の意味はわかるが、颯汰は曲げずに口にする。
『このまま騎士ふたりだけだときっと怪しまれる。本当は侯爵にバレないで成り代われたら最高だったケド……、侯爵に協力してもらおう』
そんな言葉を聞いてソフィアは口を尖らせたままで、まだ少し納得はしていないが刃を納めてくれた。
侯爵に気づかせず、ふたりのお付きの騎士に成り代わって穏便に帝都入りを果たすつもりであったが、バレてしまった以上選択肢は限られている。
「本気で仲間に引き入れるつもり? そもそも、侯爵にメリットが無いじゃない」
ひそひそと話し合うふたり。縛られたままの侯爵は逃げても無駄だと諦めて座りっぱなしだ。
「アンバードで今より良い地位になるよう確約するとか?」
「……そもそも、こっちが約束を守るのと、皇帝に絶対勝てる信じて貰わなきゃそんな条件呑まないでしょ」
「…………たしかに」
「やっぱ殺した方が早くない?」
内緒話に耳を立てていた侯爵が、急に普通のトーンで自分を処分しようと提案してくる女声に、悲鳴を上げた。
「ひぃいい!! なん、何なんだね君たちは! その若さでどうしてそんなこと平然……。やはりガラッシアの外は野蛮な世界なのだな!」
「…………ここも大概、野蛮な世界だよ」
井戸の中の蛙を憐れむように言う。
ソフィアの言葉は、今は侯爵に伝わらなかった。
さらに、このような状況であるがゆえに――彼は憤慨していた。沸々と怒りが込み上げてくる。何故、貴族たる自分がこのような目にあっている。人々の上に立つべき存在が、女子供に脅され、どうして震え上がらなければならないのか。
こんな若そうな女に、自分の方が外の世界を知っているような口を利かれて無性に腹が立ったのだ。自分の命が脅かされているという前提が、彼の中で失せたのは――勇気ではなく単に自分は死ぬことはないだろうという傲りと無知ゆえだろう。鳩が豆鉄砲を食ったような顔からみるみると赤くなり、拳どころか全身を震えさせて言い放ってみせた。
「ふん! 何を言うか。まるで世界のすべてを知ったような口を利くではないか。田舎者の小娘が……! なんだそれは! 負け惜しみか!?」
凄まじく怒り狂っているというわけではないが、自分自身の状況を踏まえたうえで発言であるなら、軽くイカれているには間違いない。
ソフィアは額に手を当てて溜息を吐いた。
舌が滑るように回り出す見っともない大人を、甲冑を着込んだソフィアが近づき、男の腕を掴んで引っ張っていく。命の危機であれば、年齢に合わない落ち着きの無さも理解できるが、それにしても見苦しい。喚き続ける侯爵に、ソフィアは男の右腕を掴んだまま、保管室の壁へと追いやる。
「(この状況を理解してないのかしら……)。はぁ、頭悪くてプライドだけは高いの、面倒くさぁ……」
そうぼやいた後に、名を呼びかけて近づこうとする颯汰の方を、空いた手で制止させた。
「別に、取って食うわけじゃないし、殺すんじゃなくて利用するんでしょ? だったら――」
悪魔が耳元で囁く。
「――本当に、心の底から嫌だけど、やるわ。私の、……“固有能力”……!」
顔を保護する兜のバイザーの奥の真紅の目。
中心に深緑の線が逆三角形を描く。
その瞳が強く、妖しい光をたたえていた。




