108 呪われしモノたち
アルゲンエウス大陸には、当然ニヴァリス帝国以外にも大国が存在する。その名をシルヴィア公国。
遥か昔、四つの国が版図を広げるべく、互いの領地へ行軍を繰り返していた。長きに渡る戦乱の末、バーニアンという国が三つの国を食らい、最も繁栄してみせた。そのバーニアンが二分化してできた国の一つがニヴァリス帝国であり、もう一つがシルヴィア公国である。
シルヴィア公国の主君たる大公が卜占に傾倒しているとだけ聞くと、行く末に不安を覚えるのは現代人としてはわりと正当な反応であろう。占術自体はこの世界でポピュラーなものではあるが、かなり異質と呼べるほどに、大公一族は傾倒していた。しかし、それで今日まで生き延びているのだから、大したものだろう。余談ではあるが、最近はフォン=ファルガンの風水というものに興味を示しているらしい。
そんなシルヴィア公国領内――。
長く広がる雪の平原に、騎兵が並ぶ。
宮廷占術士の発言は、大公の発言と同等であった。
『呪ワレシ帝都。悪シキ野望ニ、空ハ紅ニ染マリシ時、古ノ神ガ蘇ル。凄マジキ破壊ノ嵐ガアルゲンエウスニ吹キ荒レ、――地上ニ凶ツ星、堕ツル』
つまりどういうことだってばよ。
大半の者が首を傾げる言葉であるのだが、この国の者たちは大概鍛えられている。ある種、柔軟だ。
未曾有の危機に対し、兵を展開した。背面に広がる海にも本来は兵力を割いていたのに、此度は平原のある陸地に集中させていた。
この采配に疑問を持つものは少ない。
皆が神託のように感じている。
詳細はわからぬが、この布陣こそが絶対であると歴戦の猛将ですら疑っていない。
そして――。隣国の首都辺りから、赤い光が立ち昇り、空を真っ赤に染め上げる光景を目の当たりにした際に、狼狽える者たちはいたにはいたが、すぐに静まった。
皆が、占いは正しかったと息を呑んだ。
嘶き、興奮するウマを押さえ、空を見る兵たち。
数か月ぶりに、この世の終わりを予感させた。
伝令係の叫び声が聞こえる。
夜空に浮かぶ星々を見るために開発された望遠鏡が捕捉する。
「帝都方面に動きあり――!」
「正体不明の、何か……巨大な、魔物か? ……正体不明の魔物が我が領土内を侵攻中!」
兵たちの顔が引き締まる。
世界の終わりに絶望している暇はない。
シルヴィアの兵が纏うは藍色の戦闘服、白銀と藍の鎧。
防御の要は人族が務め、騎兵と共に変化して強襲するのは獣刃族の雪の民が担う。弓を構えるのはエルフ衆。だが現実的に鑑みて、彼らの武器は通らない。
近付いてくる鋼鉄の怪物。
知る者は覚えている、南の大陸で暴れ回った“鉄蜘蛛”を――。
それと似た存在が、近づいてくる。
シルヴィアにて構える千の軍勢を前に、巨大な虫が這って来る。青白い筒状の身体に、腹部に脚が幾つもある幼虫のような形状――いわゆる芋虫型だ。全長は十ムートを超える怪物で、特筆すべきはその頭部にある刃状の角だろう。アゲハチョウの幼虫が突出させる臭角のようであるが、問題はその鋭さと分泌するのが酸のようなもので、金属をも溶かす武装となっている。そのブレード部分と頭部周辺の色合いから、黒い兜を被っているようにも見えた。
短い多脚をもって這い、雪を掻き分けながら進んでくる。
それについてくるのは奇妙な集団だ。
機械仕掛けのウマと、台座に車輪を二つ付けた簡易的な戦車を操るヒトだったものたち。
肌は白く、血管が蒼く浮き出た病的な面持ち。理性が溶け、獣性を牙と共に剥き出している。赤く染まった瞳は、狂おしいほどに血肉を求めている。
一丁前にニヴァリスの騎士である証としての正装をしているが、誰一人として鎧う者はいない。
それは、ヒトを吸血鬼化した生体兵器たち。
たった一つの欲を満たすために、隣国の多くを殺そうと進軍している。
中には銃火器を装備している輩もいた。
アルゲンエウス大陸内で放とうとしても、たちまち“魔女の呪い”で封じられたはずの代物も、自由に使える。だからこそ兵器を携えて侵略行為が可能となったのだ。
シルヴィア公国はまだその脅威と、危険さに気づけていない。
ニヴァリス方面から展開された数は三百程度。しかし、それでも戦場にて肌に感じる圧は違う。
歴戦の勇士こそ、敵の恐ろしさを直感でわかる。後ろに下がりかける足を踏みとどめられた理由は、己の中にある誇りではなく、背面にいる守りたいもの全てがあるからだろう。
シルヴィアの兵たちは、声を上げた。
己を鼓舞し、仲間も応じる。
寒空の下、熱は伝播していく。
衝突――接敵するまで、まだ少しかかる。
愚直に突き進んでくる敵を、囲うように号令がかかった。――その、直後だ。
閃光が駆け抜けた。
それは、降り注ぐ流星のように、風を纏いながら、双剣を振るい、斜め上から降下する。
「「!!??」」
雪原に着地し、雪煙が舞う。
ガコンと大きな音を立てて、切断面から滑って崩れ落ちる結晶物のような大毒角。
それが落下した事により、更に白煙が生まれた。積もった雪が舞い上がる。
視界を奪い、状況の判断が難しい――ニヴァリスからやって来た怪物たちが、何が起きたのか理解する前に、冷静さを取り戻す前に襲撃者は行動を重ねた。着地の際にその勢いから、墜落したようにも見えたが、五体満足である。
突風と共に、双剣が唸る。
金属製の巨大な芋虫の頭に、激しい殴打。一撃、二撃で終わらない。怒涛の攻めが繰り出されては、機械の顔に損傷を負わせる。
襲撃者の手には何一つ握られて見えないため、何が行われていたのか、非常にわかりづらい。
口部付近の装甲を何度も斬りつけられ、傷つけられた芋虫型の兵器は、敵の攻撃だと認知し、反撃を始める。横方向に開いた口――鋭い牙の内側から、砲門が開いた。
掃射するように放たれる弾丸が風を切る。
格納されていた機関砲が伸び、攻撃してきた敵を排除しに動く。
機関砲から何十もの銃弾が飛び出し、着弾した地点でさらに雪で柱が立ち、煙が視界を遮る。
後方へ滑るように離脱を図った襲撃者――しかし、一拍を置くか置かないかの早さにて、すぐに動き出した。食らいつくように頭部を攻める。
近距離で寄られた際に、口部付近にある虫特有の、短い足のような部分からアームが伸び、展開したブレードが振られる。
刃は青く、熱で切断するタイプのものだろうと予想できるが、それに対し襲撃者が選び取る選択は迎撃。驚くべきは刃と刃がぶつかり合っても、襲撃者の刃が折れたり切断されることなく健在なことだろう。
凄まじい剣戟の音が奏でられる。
芋虫の縦に並ぶ単眼にて、ようやく敵の姿をはっきり捉えられたようであった。
だが遅い。
姿を確認できたときに、ブレードを振るう一本のアームまでもが切断されてしまった。
ただ刃を受け止めるだけではなく、風の魔法で足場を生み出し、飛び跳ねて斬り落とす。縦横無尽な戦い方は、様々な知見から得たものだ。
襲撃者――闇の勇者リズは止まらない。
もう一本のアームを破壊しに飛びついたとき、芋虫型も黙っていられなかったようだ。
吐糸管のような部分から、吐瀉物のように毒液を拡散させた。
音と光に寄せられた人間であったものたちが数名、毒液をモロに被り、悶えながら息絶えていく。身体に着いた火を消すような――地面に横たわり、ゴロゴロと身体を揺さぶり回転させたが、悲鳴はすぐに止んでしまった。
リズは咄嗟に外套――暖を取るために用意してもらった毛皮のものを脱ぎ捨て、一瞬の盾とする。
苦肉の策であったが、広がった布地により放射された毒液を受け止めながら、リズを包んで吹き飛ばされて難を逃れる。新雪の大地を穢しながら、地面には転がった跡と毒による痕が残った。
毒液が付いた黒の毛皮を見やり、リズは少し悲し気な顔をしたが、浸る時間はなかった。
さらなる強襲――戦車が迫る。
襲撃に対する感情は様々であったが、そこに恐怖や悲しみだけは確実に無かったのだろう。
敵襲への憤り、あるいは早い段階で血肉を啜れるという喜び。戦いへの高揚感。
元はヒトであったものたちは口から涎を垂らしながら、血走った目でいた。
対するリーゼロッテは、彼らと極地にあると言ってもいいだろう。アルゲンエウス大陸の永久凍土を思わせるほどに、無慈悲で冷たかった。
その目は、ある意味で平等である。
命という尺度で測っていない。
冷徹に、機械的に、外敵となる者を、一匹残らず排除するためにここにいる。
リーゼロッテ自身も、勇者としての自覚もあり、自分が戦うことで(訪れたことのない国だが)シルヴィア公国で血が流れることはなくなるという、大義のために戦場に降りたはずであった。
その優しさの、破片すら今はどこにもない。
敵を殺すことに一切の躊躇いはなく、それこそが使命であるように動く。
そこに喜びも怒りもなく、誰かを護りたいという気持ちすらない。
リズが起き上がったとき、敵の怪人が通り際に無骨な大剣を片手で振うが、リズは寸で回避する。さらに機械のウマにて轢き殺そうとしてきた相手に、手持ちの毒液が染みた布を投げつけた。
悶え苦しみながら台から落ちた敵への追撃は、弩による牽制で阻まれる。
一瞬の静寂が訪れた。
周囲には敵しかいない。巻き込んで倒した相手はそれでも十名も満たない状況。
たった一人。
目に見えない剣を持つ少女だけがいる。
立花颯汰は、紅蓮の魔王とリズが共に行動しているものだと思い込まされていたが、実際は二手に分かれていた。
提案したのは紅蓮の魔王。
敵の勢力が最も数が多い――最も被害を生むであろう軍勢に、リーゼロッテが適任であると見出し、彼女に向かうように言ったのだ。
『……あそこならば、立花颯汰の目は届くまい。本気を出すがいい。一対多であれば、何者にも負けぬだろう?』
羅刹の如き魔神がすべて見通しているように言う。温厚なリーゼロッテも少し、若干、ちょっとだけイラっとしたが、この魔王はこういう超然としてる存在だと諦めがついたので、溜息を吐いて流すことにする。
そして、戦場にやって来た。
シルヴィア公国が展開する千の軍勢などものともしない三百ほど強兵――ひとりひとりが一騎当千の実力を持つ、怪物に変えられた存在。
それを前にして、リズは呼吸を整えた。
剣術だけで相手をすることは可能だが、些かそれでは時間が掛かりすぎる。
なので、奥の手を使う。
それは、あまりに人々の希望を担う勇者として程遠い業である。
他人に見せたくないし、何よりも颯汰や友人たちには決して知られたくないものであった。
声無き少女は敵の殲滅を敢行する。
先走ろうとした歩兵が足を止める。
機械のウマがまるで生命があるかのように嘶き、軍勢を率いた巨大な芋虫までもが沈黙する。
空気が変わった。
凍土の冷めた空気が、生温かく何やら纏わりつくような粘性を帯びたように感じさせる。
一言でいえば不気味で、不吉であった。
リズが不可視の剣の刃に触れる。
いつの間にか左を空の手にして、透明な刃が血に塗られる。手に持った剣に白銀の輝きを宿し、鋭さや耐久性などを付与する、立花颯汰の動きの模倣である。
しかし、今から起こる事は全く別ものである。
赤黒い血が刀身を染め上げ、それをリズが地面に突き刺した。
屈んだ状態から、リズは静かに立ち上がる。
雪の上に、血の剣が立った。
それで終わるはずもない――。
剣から伝う、同じ色の波紋。
雪だからこそ、赤黒い色が栄える。
円形に広がる線が、三つ四つと波打ち、ある一定の距離で止まり、追いついた波が重なっていく。すると剣を中心にして、円の中が赤黒い呪いに満ちていった。
闇の中、赤と黒が混じる呪いが蠢き始めた。
雷の卑劣漢も、氷を操る魔王も、似たような力を使ったが、言うなればこちらは源流。
これは、星の加護を受けた勇者の力ではない。
しかし、魔王が行使する魔法とも違う。
異なる領域の力――世界を浸食する、本来の勇者とは相反する概念が、リーゼロッテの胸の内に宿っている。
だから、誰にも見せられない。
己が原罪と、科せられたこの呪詛の具現は。
呪いの水面から隆起する幾つもの影――。
機械仕掛けの魔物と三百の怪人たちは、一足早く地獄を見る事となる。




