107 拱廊の操縦士
鋼鉄の地下廊は騒然としていた。
帝都周辺に展開された発着場所の一つ――トンボ型の戦闘機『ドレイク号』が発進した基地の内部である。
自分たちが整備し調整を施した、機械仕掛けの竜が瞬殺されたとなれば、それはパニックになるだろう。男女の声が木霊する。
阿鼻叫喚の状況で、人族の小僧にしか見えない立花颯汰と、遠目では魔人族に見える童女のソフィアが入り込む。
騒ぎに乗じてひっそりと……、とまではいかなかったが、及第点ではあるだろう。
無駄に走り回ったり、頭を抱えている研究者や技術者たちには気づかれていない。
――なんとか、なってるなぁ
驚きながら颯汰は心の中で呟く。
今は動けないまま、身体は運ばれている。
自分でもちょっとコレに慣れ始めた事に、少し嫌気をさしているが――有効な手段ではある。
ガラガラと音を立てて運ばれる。
台車の乗せた木箱の中に颯汰がインしている状態。
それを押しているのは女性――メガネをかけ、白衣を着た、いかにもな研究員な出で立ち。
茶色のセミロングヘアの人族に見えるが……。
――それにしても、すごいな。大変身だ
颯汰が運ばれている箱の、僅かな隙間から見る。
台車で自分を運んでいるのは知らないヒトの姿をした、ソフィアである。
始祖吸血鬼なる怪異の権能にて、己の姿をある程度は自在に変えられる、とのこと。
しかし、万能に非ず。見たことの無いものには成れないし、さらにヒト型から遠いものは無理なのだそうだ。
実は内部に侵入した際、いきなり侵入がバレた。タイミングを見計らって、いざ潜入からの即バレで、叫ばれる瞬間に二人して目撃者を強襲――颯汰が薬品を漬け込んだ布を瓶から取り出し、押し当てて気絶させた。ちょっと手慣れすぎてる感があって、一緒に動いて押さえに行ったソフィアが若干引いていたが、ピンチをチャンスに変えることができた。
不幸にも彼らを見つけてしまった女性に、今ソフィアが成り代わっていたのだ。
そして、本来は颯汰の方も変装する手筈であった。ソフィアが所持していたフェイスベール型の霊器『ディスフラース』で別人に成り、ふたりして悠々と基地内を侵入し、そのまま帝都ガラッシアに入ろうという魂胆であった。
……――
……――
……――
「さて、このヒト……、ミリアさんね」
倒れた女性をひん剥き、口も手足も縛って置く。女性が首に下げていたネームタグを確認し、ソフィアは呟いた。触ってみるとカードキーを入れるタイプであり、カードも取り出せることがわかった。運転免許証のように顔写真もあり、裏も一応目を通している中、上のシャツを残して下着姿の女性から一応目を逸らしていた颯汰が声をかけた。
「すごいな。本当に瓜二つだ」
「さっきも言ったけど長時間は保たないからね。あなたはこれで早く変身してちょうだいな」
人族の成人女性となったソフィアから、ディスフラースを渡される。霊晶の他にも装飾が煌めいている。
一生で一度も身に着けることがないであろう装備品にちょっと躊躇いがあった。
――女性ものというイメージが強いし、なによりこれ、ちょっとした間接キスになるのでは
透けていて、ヒラヒラとしている布を見つめる。鼻はもちろんのこと、布地が口に当たるのは避けられないだろう。颯汰が真顔でむっつり思春期思考を巡らせているとき、
「なにをしているの?」
ソフィアの言葉で現実に連れ戻される。颯汰はびくりと背筋を伸ばして、慌てて取り繕った。
「い、いや。これだと魔石を取り付けるのが難しいなぁって。人族は使えない、完全に魔力ある前提の装備だなって。維持するにも相応の魔力量が必要そうで――」
「? まぁ、そうね。考察はいいけど早くして?」
何とか勢いで誤魔化せた。
颯汰はちょっと息を強く吐いて、邪念を消して挑む。装着し、一呼吸。意識を霊晶に集中させると、結晶が一瞬、ピカッと光ったような気がした。
「……………………変わった?」
颯汰自身の視点だと、変化した気がしない。
確かに魔力を注いだのと、手応え的なものはあったのだが、景色が変わらない。
少なくとも変装したソフィアと並び立つ同僚ぐらいの大人に変身しているはずであった。
「だめ」
「えっ」
変わっていないのか、と思った矢先にソフィアが下を向いて言う。
「顔が良すぎる。やり直し」
「え、そっち? いや、でも……やり直しって言われても……」
「あー。あなたに言ったわけじゃなくて姉さ……。いや、なんでもないわ。一度外して、もう一回やってみせて」
自分の目では変化がわからないのか、と首を傾げた颯汰であったが、実は違う。彼の目は表面上の欺瞞を暴く力がある。
ただしすべてを見通せるほど優れていない。
霊器による偽装や透明化などでは彼を容易に欺けないが、多重での偽装工作や根本的な変化などはあっさり騙される。この目を過信し始めると特に危険だ。すべての嘘を見抜けると傲った時に、気が付けば足元は崩れ落ち、どこまでも深い奈落へと導かれる事となる。……今、颯汰はその事実に気づけていない。
「もう一回」
ソフィアの一声。
どうやらお気に召さないらしい。
「もっとモブっぽく! もう一回!」
颯汰は自分ではどのような姿になっているかがまったくわからない。知りたい、という好奇心にそれが叶わないというちょっと歯痒さを感じていた。
「あー、もう! お姉ちゃん! 面喰いなのはわかるけど今は目立っちゃダメって言ってるでしょ!」
颯汰からディスフラースを取り返して、霊晶に向かって声を荒げたソフィア。
どうやら中の精霊(?)のさじ加減次第らしい。
「お姉ちゃん?」と首を傾げた颯汰に気づき、ソフィアは咳払いで誤魔化そうとしていた。
あえて触れないでおくのが『情』であると颯汰は空気を読んだ。傍から見れば、独りで装飾品相手に興奮している異常者なのだが、事情はだいたい察しているので割り込まないでおいた。
「だから、もうちょっと……って、え? これは将来成長した姿の想像……? だめ! 顔がいいからだめ! こんなんボツよボツ!」
その後、三回くらいやったがどれも目立つ顔だった。なので結局、身体が小さい利点を活かして箱に詰めて台車で移動という形となった。
その移動法が気に食わないのか、目線を少し下げていた颯汰。外は極寒であるせいで顔が少し赤いようだ。
――……
――……
――……
こうして、資材入れの木箱の入り颯汰が運ばれる次第となったのだ。
台車も現代のものと同じように見えるし、実はちょっとした映画やドラマの撮影セットなのではと淡い期待が颯汰の脳裏に浮かぶが、くだらぬ空想であったと切り捨てる。運ばれるだけという受け身の姿勢で、ちょっと暇なのである。
若干、緊張感が足りないのは、今が本番ではないと見越しているからだ。静かに待ち、機会が訪れたときに最速で動けるように備えている。要するに、下手に今から緊張しても疲れてしまうだけなのだ。
――それにしても……本当、ここだけ技術が抜きん出てるなぁ
颯汰が箱の隙間からちょっと頭を出して見る。
木箱の蓋が多少持ち上がってもそれだけではバレないだろう。
基地の中は前述の通り非常に騒がしくなっている。項垂れる研究員や技術班、デスクの上に展開されるモニタと睨めっこしていたり、発狂している。ちょっとした修羅場だ。リリース直後にバグが発生したゲームの運営ってきっとこんな感じか、と他人事のように颯汰は観察していた。
上からコツコツと蓋を叩く音と振動で、颯汰は頭を引っ込める。ソフィアが怒ったのではない。合図を送ったのだ。誰かが、接近してくる。
「ミリア主任!」
走り寄って来た若い男。同じ研究職の白衣を身に纏った獣刃族の雪の民だが、注目すべきは彼が発した言葉にある。
「「(しゅ、主任……!?)」」
颯汰とソフィア、ふたりしてビビる。
目立たぬように行動すべき場所で、見事に“あたり”を引いてしまった。
――うっそだろお前
どんな引きなの、と慄くふたり。
そんなことを露知らず、若い男は話を続けた。
「一体、どちらに行っていたんですか! 主任!」
「あ、え、その、……この資材をちょっと倉庫にでも運ぼうかなって」
急に詰められ、ソフィアが目を逸らしながら答えた。そこへさらにヒトが寄って来た。
「ミリア博士」
初老の男の声がした。振り返るとそこには、正直ここに似つかわしくない格好の者がいた。
貴族だとわかる。
年齢に合った落ち着いた色合いだが、首元のびらびら(襞襟)が鬱陶しい。
鎧を身に纏う騎士をふたり侍らせた男。その目はぎらついていて、見た目の年齢よりも妙に若々しく感じさせた。
「こ、これは侯爵さま……!」
ソフィアに迫っていた研究員が頭を垂れる。
ソフィアは男を見たあとに慌てて頭を下げた。
「ふふふ。敵前逃亡は死刑であるぞよ。ミリア博士」
「(はかせ……)は、ははは。何を仰られるのですかー。そんなそんなー。あははは」
実際、ミリア女史は逃げるつもりだったのかもしれない。それに、既に空気で察してしまった。
――これは、簡単に、逃げられない……!
上司に捕まった部下の如く。
説教されるか、何なのかはわからぬが、簡単に帰さないという念を感じ取った。ソフィアは、大声で叫びたい気持ちになっていた。
「どちらに行くつもりだったのかね」
「ちょっと資材を倉庫にですねー。置いたらすぐに戻りますよ~」
「それよりミリア博士から、侯爵さまに言ってやってくださいよ! 敵――アンノウンは“魔王”だって!」
箱の中の人物も目つきが変わる。
遅かれ速かれ帝都側の勢力には“魔王”が敵であることはバレるだろう。
だが、少しでも遅ければそれだけ不利にならない。逆に言うと、早くバレると不利になる。
ゆえにソフィアと颯汰はどうするか考え始めたが、先に口を開いたのは侯爵であった。
「待ちたまえ。確信できる情報が無いと申したのは君ら技術班ではないかね。『でぇた』とやらが正常に受け取れなかった、と叫んでいたではないか」
マシントラブルでもあったのだろう。
「ぐ、確かに受信データはノイズまみれでしたが……。出撃して間もなくドレイク号が撃墜されるなんてありえませんよ! それこそ、“魔王”が相手じゃなきゃ――」
「――それが問題なのだよ君。陛下から賜れた竜が、ほんの僅かの時間で斃されたなぞ、……報告できようか? 私の立場はどうなる!?」
早速本音が飛び出た。この世界のアホ貴族にとって、己のプライドと保身が何より重要なのだ。
「だからって、策も無くドレイク号をもう一度出撃させて、万が一また撃墜でもされれば元も子もないでしょう!」
ド正論を吐いた若い男に、ぐぬぬと悔しそうな顔をする侯爵。
――あぁ、この侯爵が命じたのね
ソフィアは納得した。潜入のための入口が再び開いて都合が良かったのは、彼のお陰であった。
侯爵の醜さは加速する。
「『ばりあゆにっと』? だとかいうものがあるんだろう? 攻撃を通さぬ盾のようなものが! それを使えば“魔王”なぞ、恐るるに足らずなのであろう!?」
颯汰が眉をひそめる。
侯爵の言葉に呆れて溜息が出そうになったソフィアは、なんとか自制して言葉を紡ぐ。
「(だからって、普通すぐに出撃させるぅ?)……では、まずは状況確認からですね。機器の故障や誤信号でないか。事故や、ドレイク号が何等かの不調で仲間を敵と認識してしまった可能性はないか。前の機体は大破してしまいましたが、今の『ドレイク号』を帰投させて再点検してみましょう。その後、問題なければ再度出撃し、アンノウンに対して適正なデータを所得を――」
「――専門家はそれっぽい言葉を並べ、その分野の素人を蔑ろにしがちなのが悪い癖だ。帰投だって? ミリア博士。それはできぬ相談なのだよ」
「(おっと、なんだこの侯爵。頭よわよわか?)……どういうことです?」
「敵の正体……いや、有無の確認。大いに結構。だが、もしも、本当に、それが“魔王”であった場合だ。……遭遇戦で即時敗北という結果を塗り替えるチャンスではないか!」
「(おっと、このヒト頭よわよわだ。)えっと……つまり?」
「なんだ、ここの主任の癖に察しが悪いな。整備などしてる間に逃げられてしまうであろう? だから今のまま追いかけ、敵を倒す。そうすればたかが一機(……とその他もろもろ)が壊されても、陛下は御許しになるだろうし、私も他の貴族からの面目が立つであろう?」
想像以上の馬鹿さ加減に、颯汰もソフィアも周りで会話を聞いていた誰もかれも、表情が固くなる。
「しかし、何が原因か探らなければ同じ轍を踏むことになりますよ? 『バリアユニット』は最初に出撃したドレイク号にも備わっていたはずです。発動しなかった理由を究明した方がいいでしょう。何が起こったのか……アンノウンの速度に人工知能が対応できなかった、あるいはアンノウンの力量を計れず、撃退が可能だと高を括った。もしくは『バリアユニット』の自動展開機能に不備があったか……。功に焦り、挽回を望んで勇み足で自爆したら、それこそ私たちの首級がピンチに――」
「――よく回る舌だな。ミリア博士」
侯爵は細身の刀剣を抜き放ち、ソフィアの首に向けて刀身を近づけた。
悲鳴をあげる女性スタッフや、駆け寄ろうとする男性陣を、ソフィアは手を差し出して制止を促した。
軍刀に臆することもない態度に、「ほぉ」と少し気に入ったような目をしたクソバカ侯爵は、不敵に笑って言う。
「大した女だ。さすがは主任なだけはあるか。……ところで、知っているぞ。あの竜はヒトの手で操れることを」
ソフィアに代わり、男が答えた。
「確かに、操縦用の端末はありますけれど……。あれを上手く扱えた者がいませんよ! 我々技術班も然り、騎士の皆様方でも――ヒィ!」
会話に割り込んだ若い男に、今度は護衛の騎士たちが剣を抜いて突きつけてきた。
「できぬとは言わせぬぞミリア博士。貴様が、やるのだ」
刃の位置を変えず、顔を近づけてくる侯爵。
拒否権はない。ソフィアならば抵抗はできるが、それをすると敵の首魁たる皇帝に、いろいろと気付かれてしまうだろう。
「はぁ……。わかりました」
いつでも殺せる矮小な生き物に、上から目線で命じられるというのは屈辱的であったが――、
「上手くやるがいい。失敗したら、どうなるか。わかっておるな?」
――なるほど。ミリア博士もそりゃ逃げ出したくなるわけよね
ここまで愚かだと、逆に怒りの感情よりも呆れが勝ってしまったようだ。
ひとりとお荷物(物理)は、この基地の中心部に運ばれていく。
指令室には巨大なモニタと幾つも機材がデスク上に並んでいる。アルゲンエウス大陸の地図に点が光っている――それが敵の部隊なのだろう。各方面に行軍している様子がわかる。
他の画面ではドレイク号の視覚データを解析するために再生していたが、映像の乱れが酷く、観ているだけで酔って気分を害しそうな激しい動きであった。
台車を押しながら、ソフィアは部屋の隅にある装置まで連行された。
特に画面があるわけではないが、椅子の上に何かがある。一つはゴーグル型のヘッドマウントディスプレイ。しかも起動するとホログラムで画面が表示される。そこだけ異様にオーバーテクノロジーの近未来感があった。だが、もう一つのデバイスのせいでミスマッチしていた。
それは、非常に既視感のある物体であった。
航空機にも採用されているレバーを傾けることで進行方向の入力が行われる端末。ただしスティック部分にボタンはなく、先端が球で握りやすさを重視。レバーも細長い金属というシンプルさである。左でレバーを操作し、他のコマンドを右にある各種のボタンで実行するカタチ。
――……いや、アケコンじゃねえか!
颯汰が内心でツッコんだ通り、アーケードコントローラーに限りなく近い形状である。アーケードゲームの操作感をご家庭で体験できる代物であった。
互いに協力して皇帝の野望を阻止するはずが、遠隔操作で対峙する。紅蓮の魔王と、まさかのかたちで再戦となりそうだ。ソフィアは席に着き、左手でレバーを持ち、右手を並んだボタンの前に置いた。
――なんだよこの展開
颯汰が思わず呟く。侯爵に捕まり逃げ出せなかったが、このままだと時間が取られるだけ取られて潜入が遅れてしまう。この童女、何を考えて――
「あの魔王、次は絶対ぶっ飛ばす」
――あ、この女何も考えてねえな?
颯汰は単独で帝都に入る方法はないか、この箱の中からどうやってバレずに出られるかを考え始めた。




