106 下山
紅蓮の魔王が接敵する少し前――。
ニヴァリス帝国にて巨神が目覚め、さらに無尽のエネルギーを得ようとしていた。
「本来、あの巨神用の輝石じゃないから、接続にかなりの時間を要するはず。でも、“灰のギガス”は戦いよりも技術面に秀でた機体だから、悠長かましてたら取り返しがつかないことになるわ」
背中越しから聞こえる少女の声。
輝石とは神の宝玉を指しているとは聞かずにしても颯汰は理解した。
「要するに、まだ、急げば、何とかなるんだな!?」
揺られながら、懸命に声を出す。
「きゅうきゅう」と、シロすけの楽し気な声は、背中というより耳元に聞こえてきた。
帝都中の電力を賄える神の宝玉のエネルギーを受け、地下の製造プラントであるアルマナ・システムがフル稼働し、機神たるギガスは蘇った。今度はそのエネルギーを生み出した宝玉ごとギガスに搭載しようとしている。
下手な街よりも巨大な人型兵器が機動し、さらにバッテリーが無限になるなど、決して許してはならない。
妨害、破壊工作等をしなければ世界が終わる。
それは誇張抜きであり、巨神とは、それほど危険な兵器であるのだ。
で、あるから――こうして立花颯汰たちが止めに向かっている。
無論、颯汰たちは正面から突撃などという行為はしない。超巨大なロボットと正面からサシでやり合うなんて馬鹿げたこと、紅蓮の魔王ぐらいしかできないだろう。
だが、当の紅蓮の魔王は此度の仕事は別にある。
帝都の周囲に出現した軍団の掃討だ。
今現在、帝都周辺に展開された部隊――大型、および中型機動兵器と、それに随伴する兵装を駆る人型の怪物たちに対する選択肢が限られていたのだ。
彼奴らは下手な騎馬隊よりも行軍速度が速く、何よりもペイル山からそれなりに距離がある。例えうまく一団の動きを止めても、他の部隊が歩を進めてしまい、それを追うにもかなりの速さが要求される。
なので、空を縦横無尽に翔け巡ることができる二人の勇者たちしか、止められる者はいない。
紅蓮の魔王、さらに援護としてリズが加わる形となった。彼女も空中での戦闘が可能であるという建前――本音はソフィアと共に行動は危険であると(当人を含め)誰もが理解しているが、あえて声には出さなかった。
もちろん、リズ本人は颯汰と行動を共にしたかったが、メンバーの中で最も帝都の構造を熟知しているのはソフィアである。かなり不満気な顔をしていたが、しぶしぶ了承し、彼らを見送った。
「“結界”が発動したら最期だと思って。そうなれば魔王でも勇者でも歯が立たなくなるから。もっとも、竜種の王たちなら潰せるとは思う」
「くっ、……それの、代償は?」
「周囲の環境への著しいダメージ? 大陸ごと消し飛ぶレベルの」
「つまり、っと!? ヒトどころか、みんな死ぬわけだ――うわ、ひぃ! ゆ、揺れる揺れる~!」
颯汰から情けない声が出るのも仕方がない状況であった。
彼らは今、霊山たるペイル山から降りている。
雪と森の斜面を滑るように、落ちるようにしてだ。
通常通りのルートで下山すれば、それなりに時間が掛かる。
最短距離を、入念に装備を整え滑落しないように下山するのも難しいことだろう。
そこで力を貸してくれたのが、今颯汰たちが乗っている四足歩行の動物。毛先が金の白く長い毛に包まれた霊獣。翡翠のような瞳に、彼が歩く地点は淡い光が漂う。“山の使い”と称される仙界の生き物である。そんな霊獣の背に乗れる機会なぞ、ヒトの一生でなかなか無いものであるが、その幸運を噛み締める余裕はない。
ふたりで一頭ではなく、それぞれ一頭ずつであり、颯汰が駆る方は、なにかと縁がある片角が砕けてしまった個体であった。
先のことがあったため、シロすけと颯汰に露骨に警戒をしていたが、それでも霊獣は前に歩み寄り、彼らを乗せた。
命じたのは、おそらく“黄昏の狼王”だ。
アスタルテやヒルデブルク王女を連れて動けないが、どこに匿うのも危うい――どうすべきかと思案していた矢先に、“山の使い”と狼王の配下たる狼たち、“風の洞窟”の住民たちが、どこからともなくペイル山の中腹に現れたのであった。
ザっと狼やら鹿やら、鷹やらユキヒョウやらと、急に動物軍団で現れ、紅蓮の魔王以外は心の底から驚いていた。一瞬、猛獣たちから襲撃を予期してしまったが、紅蓮の魔王が冷静に『なるほど』と呟くと状況を理解し、説明をし始めた。……説明と言っても、かなり言葉が足りない感じはあるものであったが。
仙界の魔力濃度は常人に毒であるため、そこで匿うことは難しい。しかし麓の衛兵にアスタルテとヒルデブルク王女を預けるのはリスクが非常に高い。そもそも、これから敵対する予定の国に要人を預けられやしない。
『彼らは騎士だ。ふたりを護ってくれるそうだ』
……と、紅蓮が言う。ほぼ全員が怪訝そうな顔をしている中、颯汰は紅蓮に訊ねようとする。
『紅蓮の魔王――』
『あぁ。無論、私も彼女たちを護る術を張る』
『……わかった。姉さん、アシュ。悪いけど留守ば……――』
『わ~。この子すっごいモフモフですわ~』
『おおかみさん、カッコカワイイ! ぎゅ~!』
『――……って、もう既に寄ってるよ怖いもの知らずかよ。……まぁ、きっと、大丈夫そう、なのかな……?』
と、こんなことがあって、今に至る。
勇者ペアが機械軍団を攻め滅ぼすために強襲。
颯汰とソフィアのペアが巨神の宝玉ユニット搭載の阻止、および巨神を内部から破壊。
王女とアスタルテのペアは野生動物と戯れながら、比較的温度が低くない洞窟内で、さらに紅蓮の魔王の魔法により一定の温度で保護されながら待機……となった。
そして、颯汰とソフィアは――坂を、すごい速度で降りて行っている。
目の前にいきなり岩が立ち塞がろうと、木々があろうとお構いなしで進んでいく。
断崖を駆け上る山羊のように、蹄はどんな岩肌であろうとフィットし、軽やかに移動することができるようだ。
見た目が神々しいせいか、動きは緩やかであっても栄える。むしろ堂々としている方がなんだかそれっぽい。だけどこの生き物、凄まじい速度で爆走している。
最大速度を維持したまま山を降りていく。
急な斜面をソリで滑るような速さで、さらに恐ろしいのは非常に揺れ動くことだろう。一定のリズムではあるのだが、たまに岩場を蹴ったり、眼前の木を避けるために激しく動くせいで、絶叫マシンも顔負けのスリリングな体験をする破目となっていた。
木々を通り抜ける際、枝葉に積もった雪が顔に容赦なく降りかかる。
冷たい白い粉は細かい粒子になる前に、塊でぶつかって来るのでそれなりに痛い。
「も、もうちょ、もうちょっとさぁ! 優しく進めないかなぁ――って、わっぷっ!」
顔の半分以上が白磁の如き美白状態になりつつ、砕けて散った雪は後方へ流れていく。口に入らなかったのはせめての救いか。
その様子を見て、同行者は笑う。
「フフ。それ以上喋ると、舌も噛みそうね」
呆れというよりこの状況を楽しんでいるような声であった。なんで平気なんだよと愚痴りたいが、言葉を吐いたらそれこそ舌を噛んでしまいそうになる。颯汰は「なにわろてんねん」と思うだけに止め、ギュッと山の使いに密着して景色を見ることを諦める。
つらい時間が去るのを、ただ待ち続ける子どものようで、余計にソフィアは面白がっていた。
紅蓮の魔王と闇の勇者が帝都周辺で展開している部隊を叩いている間に、颯汰たちは帝都に侵入するのが目的である。
ただし、真正面からガラッシアに上洛など許されるはずがない。手続きに時間が掛かるし、いつまでも偽造書類で押し通せると思わない方がいい。下手なリスクを負うくらいであれば他の手段を選ぶべきだ。しかし、球体に包まれた街であるから上空からの侵入も不可能である。
「わーすごい。本当にあっという間~」
ソフィアが霊獣の背で感心していた。
雪山を滑り、岩肌を駆け抜け、木々を通り抜けて、既に下界が見えてきたのだ。
颯汰もパッと目を一瞬開いて確認する。
相変わらず凄まじい揺れで、暴れ馬や闘牛にでも騎乗しているような気分である。
ソフィアは、自分が乗っていた角を持つ霊獣の足を見た後、山の頂上を見上げて呟く。
「………………風の加護、か」
どこぞの誰かが介入していることに気づくが、それ以上は何も語らない。
――“灰のギガス”が目覚めた今、巨神の“領域”を展開されれば、奴らは降りてくる。……ソウタたちは交渉したとは言っていたけど、最悪の事態になる前に、きっと集結する。私のように他の魔王を殺す以外の、他国を征するために使うつもりなら、なおさらでしょうね
目を閉じてから、隣の少年へ移す。ちょうど今、斜面から平地になったため幾らかマシになっただろうと思ったが、
「ど、独特な揺れが、キツい……! うぇっぷ」
「(大丈夫かなぁー……)」
動物の背中で横になりながら、口を押さえる颯汰。ぐったりしながら運ばれている。こんな姿をしていると、頼りない子どもにしか見えない。
下山し、地上を数百メルカン進んだ頃合い。雪原を駆けていくと、突風が襲い掛かってきた。
うねる風が雪を纏う。
上空を凄まじい速度で旋回飛行をした一団が見えた。空飛ぶ鋼鉄の竜と、随伴する蝙蝠がVの字で隊列を組んで飛行する様子が見えた。
「ドレイク号……! 見つかったらマズイ!」
トンボ型のロボと空挺バイクに乗る軍団だ。見つかれば一方的に攻撃されてしまう危険性がある。
どうにか隠れられる森か何かが無いかと探すが、すでに雪があるだけの平原で、逃げ場などどこにも見当たらない。焦るソフィアを余所に、颯汰はグロッキー状態を継続しながら言う。
「あー……。大丈夫じゃない?」
テキトーに何も考えずに、いい加減な返答しているわけではなかった。
「紅蓮の魔王、前にアレと同タイプと殺り合ったって言ってたし」
直後、光が奔った。
響く音の後、熱風が地表にまで届いた頃には、金属の塊が落ちて来ていた。
黒煙を吐きながら回転しつつ墜落するものや、真っ二つにされて落下するもの。
機影以外、地上からは点にしか見えない高さで行われた戦闘は――いや、一方的な虐殺行為はすぐに終結する。
「……本当、苛つく」
硝煙の臭いが鼻につく。
空を見上げ、小さく呟くソフィア。
紅蓮の魔王への怒りと憎しみだけは与えられ、肝心のその記憶は無い彼女は、感情をそのまま口にする。
一時的に折り合いをつけた……つもりだが、やはり嫌悪感はそう簡単に消えない。
今の状態ならば、機械仕掛けの魔物なぞは敵ではないと理解しつつも――今は協力する仲であるため作戦通りに勝利してくれるのは助かるはずなのに、なんだか面白くない気分であった。
ムスっとしながら上空の点に視線を向けているソフィアに対し、颯汰は気づかぬふりをして黙って揺られて進んでいく。
ふたりと二匹は、目的地であるガラッシアへの侵入経路を見つける。
それは、地面から斜めに開いた発進口。
そこから、もう一体の大きなトンボ型のマシン――『ドレイク号』が発進する。
地上の小さな生き物に目をくれず、敵を討たんと飛翔した。
ジェットエンジンの轟音と羽音。激しい烈風は雪を掻き上げ、横軸に回転しながら地上を駆けていった。
風と共にやってくる冷気と粒子、それらを押すように熱気が後を追う。咄嗟に顔を庇い、単機だけ出ていった魔物を見上げ――視線は追い、後方へ流れていく。
そこへ、ソフィアが声をあげる。
「今の内!」
「わかった!」
応じた颯汰がシャキッとして彼女の後に続く。
戦闘機が離陸した大穴の中――ただの平地からパカリと斜めに地表が持ち上がり、そこが秘密裏に造られた、地下の発進デッキとなっていた。
格納庫から移動してきたマシンが飛び去った場所――そこから颯汰たちは潜入する。
内部を屈みながら、そっと覗き見る。
機械で出来た壁と金属の床が広がる。外とは違った冷たさを感じさせた。
一緒に中を覗き込んでいた霊獣たちに、颯汰は声を殺して言う。
「ここからは大丈夫だ。ありがとう助かったよ」
霊獣たちは会釈するように頭を軽く下げ、静かに移動し始めた。彼らを帰し、颯汰たちは内部に入っていく。




