105 機械の魔獣
色が、変わった。
千切れた雲。その隙間から差し込むはずの太陽の光と青空が変貌する。
代わりに満たすのは一面に広がる赤。
その赤が注ぎ込まれるように映る帝都ではあるが、実はその逆であり――帝都に降臨した《神》から放出された血のような赤い光が立ち昇り、溶けるように、侵すように空の色を変えていったのだ。
明らかな異常事態だがそれで終わらない。
響く声、大地を揺るがす複数の雄叫び。
ひとつはニヴァリスの帝都ガラッシアの方から現れた。
都市を囲う球体からではなく、入口から少し離れた地面からだ。
土と雪などで隠し覆われていたカタパルトが開き、機械仕掛けの魔獣が吠える。
そこから出撃したのは長く透き通る翅に、棒状のボディ。
おびただしい数のレンズからなる複眼。その広い視野角で捉えた情報を、高度な電子頭脳で処理し、発達した顎だけではなく、脚部の武装で仕留めにかかる――空飛ぶ高速の捕食者。
トンボ型の自律型致死兵器システム。無人の戦闘機『ドレイク号』。
おそらくヴァーミリアル大陸にかつて猛威を振るった『鉄蜘蛛』と呼ばれた巨獣と同じコンセプトで開発された旧時代の遺物。
ガラッシアの螺旋の奥深く、気が遠くなるほど地下の最奥にて発見され、復元した機神とは異なり、(アルマナ・システムにより自動化していたが)設計図に従いゼロから建造されたモノの内の一機がこの兵器――機械獣である。
初速からすぐに最高速に到達し、音速の二倍から三倍近くまで叩きだす戦闘機竜。
雪に埋まられていたカタパルトから射出された機械獣。銃弾をも超える速度で放たれ、それを後続が追う。
後続とはヒトが搭乗した兵器。空中を自在に飛べるバイクのような形状の兵装だ。
かつてヒトであったモノが、統一されたニヴァリスの軍服を着て次々と飛び立つ。
兜代わりに目を保護するバイザーとしてヘルメットを装備しているせいでわかりづらいが、瞳が赤くヒトよりも牙が発達している。
ニヴァリスの地下実験で吸血鬼化したモノたちが、狂喜の笑みを浮かばせ、大声で笑った。
合計二十の機影が戦闘機に追従する。
もちろん、空中艇バイクも凄まじい速度ではあるが音速には全く届かないため、皇帝ヴラドが名付けた戦闘機竜『ドレイク号』の方が合わせるように速度を落としてくれている。
まるで一つの生命を思わせる統率された動きで、周囲の山を掠めるように飛行した。
誕生を喜び、不気味なほど赤くなった空を、自由に飛び回る。
彼らドレイク隊に与えられた使命は『他部隊の支援』。
同じように製造された別の機動兵器、機械仕掛けの魔獣たちの部隊が既に三隊、出撃していた。
本来ならば、銃火器等の兵装ですら、ニヴァリスでは使用不能となる呪いが施されていた。だが、巨神の復活と共に封印が解かれてしまったため、この機械の巨虫だけではなく、飛空艇や銃なども使えるようになった。
そのため、大規模な侵攻作戦が可能となった――。
東のシルヴィア公国を攻め滅ぼす部隊。
南西のエルドラント大陸前まで制圧する部隊。
南のヴァーミリアル大陸へ侵攻する部隊。
それらの内、戦況に応じて支援をするのがドレイク隊たちの役目であった。
他の部隊より製造にかかるコストや調整に手間取り、数こそは圧倒的に少ないのだが、他にはない空からの火力支援が可能であった。
それは大きなアドバンテージとなる。この時代に、空から攻め入られるという発想がない。
ドレイク隊だけで国を制圧することも決して夢物語ではないが、万全を期して火力支援に留める方向で調整した。
今はテスト飛行を兼ねて空を飛び、ニヴァリスの威光を民に知らしめる。
他の部隊が接敵するまではただ速さに任せて飛び回り、テスト飛行終了後に基地へと戻り、補給を受けて数刻後に再出撃となる予定であった。
悠々自適に翔け巡る。
戦闘機竜こそ機械であるから、そういった感情を持ち合わせていないが、溶けた理性と失われつつある僅かな人間性を有していた――随伴機に搭乗する怪物たちは、初めての空の旅に対し、恐怖よりも高揚感に包まれていた。
しかし、突如として空腹感が湧いて出る。
早く、食べたい。
早く、餌を。肉を。
臓物も血も啜りたい。
渇きと飢えに苛まれる。
赤く彩る帝都と空。歪で非現実的で、恐怖と同居する美しさを感じる光景よりも、空を飛ぶ自由さを得た喜びよりも、感じるものがそれであった。
「…………あァ、ハラが、減ッタ」
「……ヒトヲ、食い、タイ」
「戦争。早ク、戦争ヲ……」
外からは見えないが恍惚とした表情から一変、虚脱した面持ちとなっていた。
食いぶちのために侵攻し、略奪し暴力を振るうのがこういった時代の常ではあるのだが、彼らはそのままの意味でヒトを食い物にしたいがために、戦争を求めている。まさに狂気の沙汰だ。
元軍人であったり、他国の密偵であったり、ただただ不幸にも相性が良かったため人外の存在へ堕とされた彼らはヒトの血肉を求めていた。
そんな彼らに対する感情など、『ドレイク号』の機械の身には宿していない。ただ命じられた通りに飛行テストをし、すぐに実戦投入されるのを待つだけであった。
基地から信号を受け、『ドレイク号』は帰投準備に入る。尻尾の先端から明滅するシグナルで随伴各機に合図を送る。山の岩肌を沿い、方向を転換する。長いようで短い、第一の旅は問題なく終わろうとしていた。
そこへ、凶星が落ちてくる。
時間の流れが、不思議と緩慢となるように、人種・吸血鬼たちは感じたことだろう。
優れているとはいえ人工知能を搭載している嚮導機兼、指揮官機である『ドレイク号』には感じられない感覚である。
吸血鬼もどきたちは元より体温は低く、熱を感じずらくなった身であるのだが、猛烈な寒気を感じた。それが“死”に対する恐怖だと気づく頃には……――。
粛々と『ドレイク号』の視覚センサーが捉えた情報を元に、モニタが危険を知らせるアラートとメッセージが表示された。
高熱源反応が、自身が装備している機銃の速さを超えて迫り来る。『ドレイク号』は軌道を計算し、回避行動を選択していた。
だが完全に攻撃を躱せたわけではない。
何かが駆け抜けると、衝撃が熱と共に伝わる。装甲の表面が焼け溶け、乖離する。
翅を狙われたと人工知能は状況を把握する。
強襲――それは灼熱を帯びた衝撃波。
赤熱するエネルギーが刃状で放たれた。
それは燃えていて直撃を受けた二機は大破。
熱風に煽られ態勢を崩して落下するもの――それに巻き込まれるものとで、さらに三機が墜落。
そこへ飛び込む一陣の風は死を運んでくる。斜め上から流れ星のように振った炎を追い、光の化身が舞い降りた。
安寧の救済を与えるため、星の加護を受けた大剣を携え、紅蓮の魔王が飛来し、剣風が吹き荒れる。
相当な重量のあるはずの星剣を、枝のように軽々と振るわれた。生み出される太刀風の嵐がさらに周囲の五機、六機が粉砕していく。
脳裏に浮かぶ、ヒトとして生きた僅かな記憶が、白く美しいあの光景が燃え尽きていく。
怪物に身を堕とした、堕とされたことへの憤りや悲しみなどない。
ただあの日の、光り輝く思い出が鮮明に映り、幸福のまま潰えていく。それはある種の幸せな終わり方だったかもしれない。
代わりに、残された者たちは混乱と恐怖の絶頂にあったのは間違いなかった。
凄まじい乱気流に巻き込まれながら、叫ぶ声――恐怖が伝播し、響き合う。
撃墜された空中艇バイクはそのまま雪や山、近隣の町に墜落していく。
煙を吹き、集落へと落下する機体に、紅蓮の魔王が炎の魔法弾を放つ。ヒトの顔ほどの火球が直撃したバイクの軌道を変えた。
突然なことに混乱している生物と違い、敵襲だと認識した『ドレイク号』はすでに迎撃準備が完了していた。
大回りすることなくその場でぐるりと旋回、さらにホバリング飛行で後退し、適切な距離で静止しながら機銃を連射した。
六つの腕の中で中腕にあたる二つの砲門から、放たれたそれは、現れたアンノウンをズタズタにする――はずであった。
剣身を盾に銃弾を弾く紅蓮の魔王。
なんとか立ち直った残った騎手たちも空中で停止し、フロント部を魔王へ向けた。
前輪部分の横に搭載された機銃――こちらも左右に一門ずつから、魔王へ向けて火を吹いた。ドレイク号のそれとは違い、口径は小さいが総数が違う。
半数以上がたった一瞬で撃墜されたが、怒りや恐怖に発狂しながらも、円陣で囲み、逃げ場を無くすまでは、ほんの短い訓練やシミュレータしか熟していない彼らからしては上出来だったと言える。
「おっと、これはこれは」
紅蓮の魔王に直撃するはずだった弾丸の数々が炎に溶かされていく。自動で発動する防壁が紅蓮の魔王の身を守ったが、それに己の生命を委ねるほど彼は自分の操る魔法を信用していない。
すぐさま宙を蹴り、離脱する。
円で囲まれた状態で、神速の域に達するほどの者が離脱を図るとなれば、誰かは近づかれるかたちとなる。急な接近に心臓が飛び出るほど驚き、
「――ッ!? アァアアアアアアッ!!」
殺されると思った者、逃がすまいと影を追う者たちは機銃を連射した。恐怖を撃ち払うため、外敵を排除するため、すべては安心を得るために短絡的な行動を取ってしまった。
悲鳴が、怒号が飛び交った後、黒煙を吹きながら錐揉み回転で落下するバイクたち。
起こったのは、同士討ちだ。
冷静さを欠いて――いや、状況を判断するには練度――戦闘経験が圧倒的に足りなかった。
この時代――どの国よりも早く航空戦が可能となったが、その優位性があっても簡単に世界を獲れないとは皇帝ヴラドはわかっていた。
魔王という存在が、確実に障害となるからだ。
阿鼻叫喚の中、紅蓮の魔王は次々と敵機を斬り、崩していく。揺らめく影――残像が見えたと思った途端に、目の前に大剣を振りかざした敵がいる。その恐怖と絶望は言葉とならない叫びで表す他なかった。
空中バイクは真っ二つとなって墜落する。
紙を切るほどの容易さで機械は壊れていく。
全機撃墜まで時間はそうかからなかった。
そしてそのまま、群を率いていたボスを狩りに移行するが、――『ドレイク号』は紅蓮の魔王に対し、前腕を向けていた。
既にターゲットをロックし、腕部の筒から射出される。自動追尾し、目標物に接触後に爆破するミサイルである。
機銃と異なり弾数は少ないが、有効的な攻撃手段には違いない。本来、生き物であれば機銃で事足りるはずだが、高度な人工知能が迷いなく、切り札を使うことを選択した。否、選択を余儀なくされたと言っていい。例え、至近距離――爆風に巻き込まれるリスクがあっても、ここで討ち取るべき危険因子であると判断し処理すべきであった。そうしなければドレイク号自身も破壊される。正しい判断だ。
推進装置で飛翔するミサイルは、紅蓮の魔王に直撃し、爆炎が拡がる。
ミサイルを二本撃ち込んで、炎はドレイク号に届くことはなかったものの、熱と炎で視覚センサが一瞬、正常な働きができなくなった。
『目標ロスト――。』
敵の爆破に成功した、と甘い判断はしていない。
煙が完全に消えたあとに、敵の痕跡などから状況を改めて判断する必要があった。
そこまでは完璧な仕事ぶりを見せた『ドレイク号』であったが、足りないものがあった。
「やはり、恐ろしい魔獣だな。大昔に戦ったときと同じだ」
一切動かず、ミサイルを受けきって宙に立っている紅蓮の魔王。服にすら傷も汚れもなく、何事も無かったように涼しい顔である。
『ドレイク号』は再度、武装を紅蓮の魔王へ向けたが、無駄である。火力も足りなければ、遅い。
「悪いが急いでいる。我々だけで機械獣全員を相手せねばならない」
この世の者とは思えぬ悪鬼羅刹は既に壊れて大破した機械にそう告げると、一瞥もせずに移動し始めた。
少し時間を遡る。
突如の大地が揺れ、轟音が響くと赤い光が空へと伸び、空が赤く染まったところに驚いていると、奇怪な声と共に怪物たちが動き出し、それを見て颯汰は目を丸くしていた。
何かが高速で飛び回っている。
凄まじい速度で飛翔し、地面の雪が水飛沫のように、風圧によって舞い上がるのが見えた。
怪鳥、巨鳥、大きさはその手の魔物よりも大型であり、何よりも尋常じゃ無い速度がおかしい。
ましてや、あれはどう見ても無機物であり、形状は鳥のそれと全く以て違うと断じれる。
「戦闘機……!? いや、違う、なんだアレは……」
見えたのは一瞬であった。
メカや現代兵器に関する知識は足らなくても、それが違うことわかる。一瞬で翔けていく飛行物体は別の物を想起させるシルエットをしていた。
「……そもそもさ、兵器の類いは魔女の呪いとやらで封印されてるんじゃなかったのか?」
颯汰は焦りやら困惑やら、責めるつもりはなかったが食い入るように童女を見やる。
赤い瞳は空を飛ぶ鋼鉄の怪物たちだけを見ていたが、ふいに目線が下に向き、静かに呟く。
「封印が、解かれた。巨神の力によって」
今更、彼女の言葉を疑うつもりはない。颯汰は素直に受け止めて疑問を口にする。
「うわ、マジかよ。……それで、あれは巨神を護るためとかの、援護マシンなのか?」
「巨神にそんなものは必要ないわ。おそらく計画書通りなら、それぞれ違う四体の機械を使って、先んじて侵攻を始めるつもり」
「……なんだって」
性質の悪い冗談に思えた。
笑えない類いのものであり、彼女の人となりを知るほどの仲ではないが、この場でそんなふざけるような人物ではないと颯汰はわかっていた。
「隣のシルヴィア公国、南西のエルドラント大陸、そして、ヴァーミリアル大陸も侵攻の対象になってるわ」
颯汰は跳ねるように踵を返し、歩み出した。中腹から覗いている場合ではない。一刻も早く下山せねばならぬと即断し行動を始めようとする。
「止めないと……!」
アンバードもヴェルミも共に戦争を終えて間もない。疲弊から立ち直れていない現状で攻め入られると非常に危険だ。アンバードの一部の騎士は銃火器を扱ったとはいえ、受けは経験していない。瓦解して呑まれる未来しか見えない。
民のため、ここで破壊せねばならない。
颯汰はすぐに支度をしようとするが、童女ウェパルが疑問をぶつけてくる。
「どれを?」
「どれ? 全部止めないと意味ないだろ!」
馬鹿げた質問だと怒りたい気持ちとなった。あんなものを放置しては決してならない。すぐにでも破壊しなければ犠牲者が出てくるだろう。
持ち前の冷静さが欠け、熱くなっている颯汰に氷を操る魔王らしく返した。
「まずは四体ってだけ。次々と出てくるわ」
足を止め、一瞬フリーズしたあとに、冷や水を浴びせられたように颯汰は冷静になる。
「じゃあ、大本を叩く必要もあるわけか……」
「そう。その口ぶりだと気づいてると思うけど、外に出た大部隊も止めないとマズイわよ」
全員で邪魔な虫ケラどもを排除し、後に巨神討伐に向かうのが定石に思えた。
周辺の隣国とさらに他大陸にまで攻め入るなどと気狂いの作戦を立て、実行に移すだけの兵力を用意したに違いない。それを放置すればどうなるかは、想像したくないものだ。
苦虫を噛み潰したような顔で颯汰はどうすべきか考えようとした直後、紅蓮の魔王が会話に入ってきた。遠慮というものは知らない魔王は、口を挟めてきた。
「それであれば簡単だ。勇者二人で抑え、諸悪の根源をそちらに任せる。これが一番現実的だろう」
そして――。
颯汰と童女は帝都ガラッシアへ。動き出した四機を従える大いなる《神》を討たんと目論む。
光と闇の勇者は、ニヴァリス領内で機械獣を留め、滅ぼそうと動き出した。




