96 絵画の乙女たち
屋敷を練り歩く。
絵画のタイトルと年代が黒く塗り潰された、奴隷の絵が飾られた部屋から二人は出てきた。
海鱗族の女は颯汰にべったりと密着してくるので、非常に歩きづらいうえに気が散る。
先ほどまで違う人物であったというのに、件の絵画に触れた途端、その絵の中心人物である彼女に変わったのだ。入れ替わったわけではなく、彼女になったのだ。
女は自分が非戦闘員であると主張し、図々しくも颯汰に護衛を頼み込みまでは颯汰も納得したのだが、こうも腕を組まれて密着など、本来ならば当店ではそこまでサービスを提供しておりません。
帝都ガラッシアの地下空間で出会っているが、彼女自身はどうやら颯汰と会ったときの記憶を失っている。それなのに、この詰めようは距離感がバグってると言えよう。
最初こそ颯汰も、「距離が近い」と離れようとしたり、肩に寄せる頭を手で押し返そうともしたのだが、引っ付いて離れようとしないうえに『見捨てないで……!』と泣き落としによって陥落した。さらに――、
「ずっと長い間、奴隷として売られたり観賞されたりで、こういうの、初めてなんです……!」
「(やだめちゃくちゃ重い……)」
笑顔に反したヘビィブロウをぶつけられては、抵抗しようが無い。例え短い夢であっても、今だけは彼女の意思を尊重してもいいだろうと考えた。この男は結構チョロい。
ふと冷静に考えて、これが嘘泣きの可能性がある。演技かどうかを確かめることはしてないが、腹の中で黒い思考が渦巻いていてもなんらおかしくない、と人間不信を相変わらず拗らせていた。
温度差のあるふたりは後ろから見てもとても逢引しているように見えないが、女の方はひとりで盛り上がっていた。
「うへへ。……死ぬまで観賞用の水槽に閉じ込められるか、虐待された後に乱暴されて、最後は魔物の餌にされるのかなって思っていたので。自由に歩けるって素晴らしいね?」
「いろいろと、重い(これ自由かな)」
思わず内に秘めるべき本音と、声に出すべき建前が逆になる。
海鱗族がどのように個体数が減っていったのかは過去の文献を手にして読んだ颯汰にはわかる。
珍しい水中を生きる種であるが、扱いはヒトと同列ではなかった。詳しくは省くが読んでいて胸糞悪かったし、言いようのない怒りを覚えた。
颯汰は自分でも疑問に思いつつ、見ず知らずの他種族への迫害に、妙に苛立ちを感じていた。
とはいえ、だ。
「あの、やっぱ、歩き、づら――」
「――海鱗族って他の種族に比べると体温低いんだよ。……こうすると、暖かいんだね」
「…………」
非常に、気まずい。
無心で般若心経を脳内で唱え、素数を心の中で数える。
伝わる熱や柔らかさ、鼻孔をくすぐる匂い。
感知した途端、咄嗟に息を止める。
誰に対する罪悪感かすら曖昧で、口呼吸に移行しつつ、心を落ち着かせるべく深呼吸をする。
女の方は、己が生涯送ることがかなわないと諦めていた夢を見れたと喜びつつ、不安や恐怖を誤魔化そうとしていた。
儚い夢はいつまでも続かない。泡沫のように覚めるときが近いとわかっていた。
互いに別世界を見つつ、ぎこちない歩みで進んでいく。
雑談というか一方的に話しかけてくる女に相づちを打ちつつ、進んでいった。しばらく別の部屋を探索し終えたあと、廊下を歩いてるとき、今度は颯汰から声をかけた。
「ところで、ここは一体なんなんです?」
何処なんですという疑問もあるが、まずは存在自体を問う。
黒い泥の闇に阻まれた箱庭。
壁も草木も透けている造り物じみた世界。
絵に触れると、容姿が変わる不可解な現象。
そろそろ、彼女からの説明が必要だと思ったのだ。
「うーん、夢の国?」
「………………」
つい、とても冷たい目で見てしまった。
「あっ、ひどい! 信じてない!」
「いえ。てっきりふざけているのかなって」
「ほら! 言っても信じないじゃない!」
「はいはい悪かった、悪かったです!」
「…………ここは、とある女の子の夢。いや、昔見た情景の再現かな」
「昔、見た? こんなスケルトンハウスを?」
「半透明なのは……なんでかな。きっと昔見たものを美化したかったからかな。ほら光に当たってキラキラして見えるでしょ?」
ところどころ斜陽が差し込み、眩しく見える。
プライベートもあったものじゃない特異な豪邸は夢の具現化……らしい。
「なんで、泥の海の中で顕現した?」
元より、黒泥の中の異空間――無明領域であるはずだ。呪いの汚泥に満ちた海の中に、なぜ少女の夢――過去の思い出が再現されているのだ。
「顕れたんじゃないないよ。隠されたのが暴かれたの。……誰かさんにね」
「…………さいですか」
颯汰はそっと目を逸らす。
悪戯っぽく笑う彼女に、そんなつもりはなかったが責められている気がした。
悪いのは間違いなく“獣”だと見ていなかったが確信しつつ、この話題は止そうと探索に集中し始める。
再び歩き、階段を降りた先に着いたのは大広間であった。
がらんどうで、異様に広い。
舞踏会などが行われていたのであろう。
そこに飾られた一枚を見つけて、颯汰は驚きつつ少し納得したような顔をする。
「今度は、ウェパルか」
深緑に白くて薄い衣を着ただけの女。
鬱然とした森には様々な生命の息吹を感じる。
湖畔で戯れる水の精。
あるいは水面に立つ女神。
『445年 湖畔の夢 ~儚き姫君~』――。
裸足でそこに立っているだけというのに、美しさに目を奪われそうになる絵画であった。
黙っていれば本当に儚げな令嬢である。
「じゃあ、名残惜しいですけど……」
海鱗族の美女が颯汰から離れ、絵画に触れる。
再び世界は光に包まれ、眩しさが過ぎ去ったあとに残るのは――、
「…………ふぅ」
始祖吸血鬼の女。
ヒトと遜色ない知性を持ちながら、ヒトの理から外れた力を有する怪物たる亜人種の王者。
「やぁ。はじめまして」
雰囲気がまるで違う。
薄生地のドレスのような布一枚だけの女。
絵画の美しさを具現させた姿であった。
ウェパルは、さらに続けて言う。
「端的に言うけどさー。ボクは君を知らない」
「そうか」
かなり軽い感じで言われたが、颯汰は何一つ気にする様子もなく返す。すると、ウェパルの方が逆に狼狽え始めた。
「ん~? ちょっと待ってー? なんかぜんぜんショック受けてなくなーい?」
なんでなんでと顔を窺って来る女から、目線を逸らしつつ颯汰は答える。
「いや、予想通りだから別に……」
「えー! ちょっとは寂しがれよー! ボクたちのこと知ってるんでしょー!?」
「え面倒くさ」
「乙女心をわかれよや~!」
逆にショックを受け出すウェパル。
メソメソとわかりやすい泣きマネをしては時折「チラっ」と口に出しながら颯汰を見やる。
颯汰は、今度は付き合ってやる道理はないなとため息を吐いて決め、少し間を置いてから語り掛ける。
「……じゃあ、そろそろ茶番はここまでにして」
「ボク的にはもっと遊びたい気分なんだけどなー」
「そんな暇は互いにないはずだ。どうすれば脱出できる? もちろん、一緒にだ」
地上での颯汰との記憶がないウェパルは驚いて目を少し見開き、彼に関心を示して笑んだ。
「…………へぇ。お兄ちゃんは鋭いんだね」
「確証は無かったケド、どうやらその態度だと正解らしいな」
「フフ……。じゃあ、行こうか。最後の一枚の場所に」
「? 絵があるところ、わかるのか」
「ボクの部屋に、あったでしょ」
「……でもあれ、触って変化なかったのでは」
「ここまでそろっているなら、きっともう大丈夫。あれで正解だよ。そうしたら無事脱出でハッピーエンドー!」
そう上手く話が進むだろうかと首を傾げながら心の中で呟いた颯汰であったが――、
……――
……――
……――
「………………」
「…………なんも起きないな」
再び訪れる少女の部屋。
いわゆる、童話のお姫様のお部屋というイメージが相応しいピンクで愛らしい雰囲気であるがここもまた透けている。
そこに飾られた今の皇帝一族の並ぶ絵画。タイトルと年号が飾られてるプレートがここにはなかったが、面子から現代と同じだと推測できる。
「ここにいない、からか?」
颯汰は絵画の灰色のシルエットを見て呟く。
一人だけ切り抜かれてここに存在しない。
変身しないのも、おそら彼女がいないからだと考える。
ウェパルの方はずっと唸りながら絵画に触れ、時折左手に変えたり、触れ方を後ろから手を回すなど工夫(?)していたが徒労であった。
「だめだね」
「いやだめだね、で済まされたら困るんだけど」
「もう絵画はないし諦めよう。二人で過ごすとかロマンティックじゃない?」
「じゃない」
「うーわ淡泊ゥ……。なに、ボク嫌われてたり?」
しかしそれは無いとわかっているように亜人女は笑って見せる。嫌いであるならここまで颯汰は来ないし、記憶が無い自分たちでも彼を異物として排除しない辺り、きっとそうなのだと信じている。
「なーに? 恥ずかしがって……――」
言葉を止めるのは、颯汰がずんずんと距離を詰めてきたからだ。パーソナルスペースを侵す相手に戸惑い、その目を見て声を失う。
ウェパルは絵画を背にしてもう退こうとしたが、一歩以上下がれない。
それでも颯汰は早歩きを止めなかった。
そして、追い詰めた女の背後の絵画に向かって右手を突き出した。
「――そういう問題じゃない」
ウェパルの頭の左上に、力強く置かれた右手。
近付く顔。
その眼差しは真剣そのものである。
絵画を背に、追い詰められた。
「ヒュ…」
「お前も、これ以上、目を背けるな。……大変だろうけど。早く脱出しないと、死ぬぞ」
彼女の態度は楽観が過ぎるもの、ではない。
ある物事から目を背けていると颯汰は察した。
立花颯汰の根底にある他者への恐怖――そこから培われた観察眼、さらに今はこの場に無いが“獣”と繋がっているため、答えに辿り着けた。
時間は残されていない。
魔王同士の戦いが始まっている。
参戦しなくとも戦いは終結しそうではあるが、庇護すべき対象も、救い出すべき相手もいる。
――このヒトたちは自分自身の手でけりを付けるべきだろう
発破をかけるなどと、上から物を言う立場ではないが、これ以上足踏みさせるわけにはいかない。
強引な手段ではあるが、ここでこの手を使う。
相手を追い詰め、望む答えを引き出させる術。
通じる相手と状況を見定めてやらねば、逆効果になり得る脅迫行為――俗称『壁ドン』。
隣人へ怒りを訴えるべく壁を殴りつける行為ではなく、少し前に流行った――相手を壁際に追いやって逃げ場を無くして口説いたりするアレだ。
この強硬手段は、双子の妹たちにも通じたので、相手を脅すのに適している行動、と颯汰は認識している。
実在の人間がやると事故必至の禁断の行為だ。顔に自信があってもやめた方が身のためだろう。
「…………ピェ」
ウェパルが、縮こまる。
実際にその場から動いていないが、あれだけ騒がしかったのが、小動物のようにおとなしく、震えている。
胸を押さえ、陶磁の肌と同じく端整で白い顔も赤く染まっていて目が泳いでいる。
「はーっ……」
なんとか呼吸を再開できたが、近場で颯汰が囁きだす。
「もう一枚、あるんだろう? 絵が」
「……」
乙女は静かにかつ素早く、コクコクと肯く。
もう一枚、『記憶の絵画』は存在する。
それは、できることなら避けたかった一枚。
この豪邸の横にひっそりとある、倉庫のような建物。壁の端は最初から既に泥の闇に呑まれているが、無事ではある。
内部も颯汰が軽く調査したが、あくまでヒトの有無だけであり絵が飾られているかどうかまでは確認していなかったのを思い出す。
最後の一枚は、実は飾られてはいない。
それを直視するのを拒むように、忌み嫌われてるように、裏面で立てかけられていた。
人々を隷属し、君臨する最悪の“魔王”。
寒々とした雪景色。
昏き空の下にいる、魔女が描かれていた。




