89 決意
地を揺らし、闇の底から“神”が降臨する。
かつて世界を荒らした七柱の魔王。そんな邪悪な存在が再び蘇り、暗雲立ち込める時代となった今を照らす光が、必要とされていた――。
畏れられ、幾百年も時を経てもなお、その傷痕は癒えないまま各地に残り、人々の間で口伝していた。
さらに近年、魔王が復活し、存在そのものが人類に対する脅威であると改めて世界で認知される切っ掛けとなったのは、ヴァーミリアル大陸に現れた『光の柱』であった。常識を塗り替えるほど凄まじいエネルギーに、ごく少数の異常者たちは信奉の対象としていたが、大多数の生命が慄き、あるモノは世界の終わりを予期していた。
己の持つ力では御し切れない純粋な『魔』に対し、多くの権力者は今もなお頭を抱えている。
『なぜ、今なのだ』『よりにもよって、なぜ我が時代によみがえったのだ』
金と権力で私腹を肥やし、無自覚に他人を食い物にして人生を謳歌していた者たちは、魔王という個人に対して怨嗟の念を抱く……のではなく、意思を持つ災害として脅え、己の運命に嘆く。まるで世界で一番不幸なのは自分自身であるかのように。
しかし、ヴラド帝――ニヴァリス帝国を治めた男はまるで違った。
ニヴァリスは他国より遥かに躍進していた技術を地下施設の各所に有していたため、それらを解析を進める中で、魔王がこの時代に現れると先んじて知っていた。だが皇帝はその事実に、絶望するよりも笑んだという。
覇を称え、ニヴァリスの下に、世界を統一せんと目論んでいた皇帝にとって、魔王は障害の一つであったと同時に、恰好の獲物であったのだ。
巨神――機械仕掛けの神の力で、災厄の権化たる“魔王”を殺せることを証明できれば、この世界を掌握できたも同然である。
傲りはあるが、無知ゆえの蛮勇ではない。
為政者たるもの、勝算なき戦いを、自ら進んで行うはずはないのである。
機械仕掛けの神は一体どのような意図で造られたのものかは現時点では不明ではあるが、世界を守護する四大竜の一角たる“颶風王龍”は、異世界から現れた魔王よりも、巨神を危険視していた。
『…………ついに、目覚めてしまいましたか』
霊山に吹く風が変わった。
薫風まとう春の風が妙にざわつき始める。
竜種の王――彼女は蒼い玉石を細めて、呟く。
その大いなる竜の姿を見上げて、颯汰は問う。
「一体、なにが……?」
予感は、既に答えを得ていた。
しかし言葉にして聞くまで、颯汰はそれを信じることをしたくなかった。
彼女は、少し間を置いてから語りだす。
話すべき事象か迷ったのだろう。
『――……この地は、私が張った障壁によって隠蔽されています。外からは峻烈なる青い岩肌を覗かせる山。内からも外の様子を正しく視ることは不可能……しかし術者の私には、下界の様子は瞭然と目に映っています』
竜種の王の持つ強靭な心臓は魔力を無限に生み出す。ただそこにいて、呼吸するだけで世界に多大な影響を与える。
そうしてここは異界化した。
颶風王龍……彼女はその侵食を最小限に抑えるのと、同時に己の身を隠すためのカモフラージュとして魔法による障壁を展開していたのだ。
『今、帝都にて巨神が目覚めました。かつて、“七曜の厄災”の一つと数えられた恐るべき機神です』
睨めつける王龍の目線は変わらない。果てなく続く雲の絨毯の幻の先、最も警戒していた古き時代の遺物たる巨神に向けられている。
「いやまたなんか、仰々しいというか、ヤバイ雰囲気しか感じない名前が出てきちゃったよ……」
危険な存在がいるという話は知っていたが、自分には関係ない話で、関わり合う前に退散できると颯汰は本気で思っていたようだ。この男、己が星の下の運命をまだ理解していない。
そんな男と契約を結んだ紅蓮の魔王は、突如両腕を広げて魔法を行使する。
『……ふむ。得意分野ではないが――』
手の先にひとつずつ紅の魔法陣が浮かび、それを目の前で重ね合う。すると交差する手の間、空間に浮かぶ四角い枠が生まれる。
枠の中は赤く染まっていて見づらい。
ヒトの顔くらいの大きさのせいだけではなく、妙に赤く暗くわかりづらかった。
四角い枠は少しブレている。その枠の内に何かが映っている。魔王は手を動かし、宙に浮いた枠を操作し、大きさを変えた。
『――これでどうだろうか。今の地上で起きていることだ』
それは立体映像。
映し出したのは帝都の今の様子であった。
祭りで賑わっているはずの帝都。
当然、人だかりはできていたが、なにやら様子がおかしい。
元より遠くがわかりづらい薄靄に包まれた白い街。何が映っているのか理解するまで時間が掛かるものではあったが、赤く染まっていたせいで言われるまで帝都の様子だとわからなかった。
声は聞こえない。
ただ、人々が何かに向けて叫んでいたり、拝んでいるのが見えた。
熱狂するような祭りなのだろうか。
軍事パレードと帝都民が山車を作って盛り上がるとは聞いていたが、何やら違う。
視点が移り、合点はいかなかった。
理解するまで時間を要した。
「!?」「なっ……!?」「今の、帝都なの……?」「おっきい……」
ゾワリと鳥肌が立つような恐怖由来の嫌悪感を覚える。民たちが仰ぎ見る、“神”の存在。
『敵の姿はこれだ。あの巨大な都市の中心部に浮かぶ石像のようなもの』
「なんだ、あれ……。でかすぎんだろ」
すぐそばにいる翼を持つ巨竜よりも、遥かに大きい。ヒトに酷似した灰色の彫像が降臨していた。
想像の埒外の大きさに驚愕する一同。
早朝に出たばかりの都の、異常事態・非日常的な光景に、自分たちがいた場所と同じなのかと疑う。
「“七曜の厄災”、ね……」
確かに厄災と呼ばれたことが腑に落ちる。
『………………』
頭に浮かぶ大罪七帝という言葉。
民草の不安げな話声、おとぎ話、吟遊詩人の歌、古い書物。さまざまな声が頭を過る。
……それと関連する事象だろうか?
何かが引っ掛かる颯汰であったが、黙っているだけで答えは出そうにない。というか玉石の瞳を受けて妙な緊張感が生まれていて集中できなかった。
シリアスな空気で乱されている自分への羞恥もありながら、目線を逸らして咳払いをした。
好奇心は無くは無いが、それを根掘り葉掘り聞き倒せるような雰囲気ではなかった。
颶風王龍が纏う風は唸り、魔力の雷球が浮かびバチバチと音を立てている。自分に向けられていないのと、ヒトと異なりサンプル数が少ないためか、正しく表情から感情が読み取れない。
――怒り、でもない、か……? 圧はあるけれど、なんだか殺意が感じられない……。ここまで、力が表に出ているというのに?
沈めるべき、葬るべき相手……間違いなく敵対者ではあるのだが、憎しみや怒りなどという括りで彼女はアレを見ていなかった。憐憫も無い。
ただ一つ言えば『使命感』――。
ゆえに、これから敢行しようとする“事”を、彼女は冷徹な判断から下せたのだろう。
『――……アナタ。その子と少しだけ待っていて』
しばしの沈黙と颯汰とシロすけを一瞥する目。
思い悩みと呼ぶより、どこか望郷の念を感じさせる小さな間があった。
目を閉じ、開いたときに彼女は動き出す。
『すぐに、終わらせます――』
短く切る言葉に有無を言わせぬ圧があった。
翼をはためかせ飛び立とうとしていた。
だが、颯汰は全身から血の気が引いて、青くなった顔で叫ぶ。非常に、嫌な予感がした。
「ま、待て、待ってくれ!? あんたは、何をするつもりだ!?」
颯汰は、彼女に対する敬意や恐怖、好意なども全部取っ払って叫んだ。
取り返しがつかないことが起こると予期し、それは的中する。
『――……今ならば私の神龍の息吹で滅却できます』
竜種の最大の攻撃。魔力エネルギーを口腔に集め、放射あるいは発射する。
その破壊力たるや凄まじいの一言。
幼きシロすけのものですら、威力は絶大であり、破壊の嵐と呼べる代物であった。
「はぁ!? あんたのブレスなんか放ったら、ガラッシアは文字通り、跡形もなく吹き飛ぶんじゃないのか!?」
成龍ならば、それも王者と呼ばれる個体であればどうなるかなど、一瞬で考え付く。単純に百倍近く大きさを誇る巨竜がそれを放てば、大都市に甚大な被害が出るどころの騒ぎで治まらない。壊滅どころか更地、生者の痕跡すら消える。
『…………そう、なりますね』
颶風王龍は、静かに言葉を紡ぐ。
『ですが、あれを放置しておけばそれ以上の被害が出ることは間違いありません』
「ッ! そんなヤバイのかよ……!? いや、でもだからといって……」
「そうですわ! あそこには大勢の人がいますのに! そんなのぜったいだめですわ!!」
怖いもの知らずのヒルデブルクが踏み込んだ。
小さく震える少女を、母なる龍は見つめる。
絶対者である彼女に対し、マルテ王国の王女とはいえまだうら若き少女が、恐ろしく思って足が竦むのは無理のない話だ。
それでも前を見上げて声を張り上げた。
称えられるべき勇気ではあるが、四大龍帝たる彼女は淡々と、でも諭すように声をかけた。
『目覚めたばかりの今ならば、私でも対処ができます。しかし、時間が経てば経つほど、成功確率は下がる。あれはこの星のすべての生命を脅かす存在なのです』
「スケールがでっけえ……」と呟く颯汰。現実逃避している場合ではないが、思わず声に出てしまう。己の領分を超えた話に、少し慄くが、それでも帝都丸ごと木っ端微塵にされては困る。
ヒルデブルク王女は、その脅威たる相手が見えないのと、規模の大きさが上手く計れていないけれども、必死に説得を試みる。せめて、少しだけでも待っていてほしい、と。
「少し、時間を頂けないでしょうか。せめて住民が避難できるまで――」
「いや、だめだ姉さん」
颶風王龍ではなく、偽弟の颯汰が遮る。ムッとするよりも驚いて目を丸くしている彼女に、颯汰は沈痛な面持ちで説明した。
「この方が、もし地上に降りて相まみえた段階で戦争は始まってしまう。そうなれば必然的に帝都中はパニックになる。……それに、仮に俺たちが行ったところで、誰も話なんか聞いてくれない」
対話による説得は選択肢に入らない。
例えあの巨人を、防衛用に用いるという大層な理由を掲げても、颶風王龍は破壊するつもりである。
住人の避難までの猶予をあげたとして、パニックは起こる。
――……それに、あの熱狂ぶりだ。避難しないで残るつもりの人間だって絶対に現れる。ただ、この女のヒトが嘘言ってるとは思えない。だから巨神がやばいってのも何となく見ただけでわかる。そして、街ごと壊す選択をせざるを得ないような何か仕掛けがあるわけだ
先ほどの映像が現実だと仮定しての思考。
早急に破壊しなければ取り返しがつかないことになるのだろう。
『人はごった返し、逃げようとして転ぶも人波は止まらない。踏まれ、圧し潰され、その混乱によって死者は間違いなく出てくるでしょう』
さらに補足する紅蓮の魔王の言葉を聞き、ヒルデブルクは悲鳴じみた声音で叫ぶ。
「そんな……! どうにかなりませんの!?」
懇願するも、颶風は目を閉じて静かに首を横に振った。それに対し、今度はソフィアが声を張った。
「わたしも、帝都で暮らしていた身としては、その行為は受け入れられない……! あなたがどれほどのモノかは存じないけれど」
冷たい目に射抜かる。当事者が恐怖を感じるのは当然のことであり、颯汰もその圧が気にかかった。もしかしてソフィアが帝都在住であったことを蔑んでいるのだろうか。
『…………あれは、単に巨大な兵器ではありません。“毒”を持ち、生命に伝播し続けます。いずれ世界を覆いつくす黒鉄の呪い……。この大陸から外に出る前に、食い止めなければ、また世界が滅んでしまう』
それこそが、単純な大きさではなく巨神を恐るべき外敵と定めている理由なのだ。
要するに、人に感染して拡がる毒・呪いじみた何かを放出する。竜といった規格外の相手より、対人に特化した都市侵略用の兵器の面を強く感じた。
――待った。今、なんか変じゃなかったか
颯汰は、彼女の言葉にも引っ掛かりを覚え、何か声をかけようとしたが紅蓮の魔王が割って入る。
『守護者として、貴女はすべてを葬り去るというわけですか』
『えぇ、焔の光』
『かつて私がやったようにですか』
『…………自分から禁忌そうな話題を振れられると、此方も反応に困ります』
『ハハ、失敬。失敬』
相変わらず乾いた無感情に笑ったあと、紅蓮の魔王は声の調子を変えずに続けた。
『大事のために、小事を切り捨てるわけですね』
『そうです』
『救えるかもしれない』
『手遅れになるかもしれません』
『手を差し伸べることもせずに?』
『ええ。無駄ですから』
『無駄、か。貴方ひとりで多くの命を、無辜の民を殺し尽くすことになるが』
『……それを罪と呼ぶなら、背負いましょう』
明確に、民を巻き込んで殺すことを決めていた。
颯汰は戦慄き、握りしめた拳が震えていた。
それは怒りの感情によるものではなかった。
――仕方がないことだ、なんていう諦めじゃあない。あのヒトは、命を奪った重荷を、生涯かけて背負う……そんな優しいヒトなんだ。俺には、俺たちにはわかっている、知っている……!
心が、奥底に眠る記憶が叫ぶ。
見知らぬ情景が、浮かんでいる。
記憶の海の中、一筋の光となって闇の世界を翔ける。
全方位の漆黒の上に、見知ったものや見覚えの無い記憶を映した透けた静止画が数えきれないほど、大きさも距離も異なって点在する。
刹那――。
見えたものが何なのか、理解し切る前に湧き上がる衝動が、立花颯汰の歩みを進めた。
『ダメだ。ペトラ』
顔の半分が闇に溶け、瞳は蒼く暗く燃えている。
その状態に気づいているのかいないのか、立花颯汰は毅然とした態度で割り込んだ。
穏やかでありながら、強い意思を感じさせる声。
『お前に、シロすけのお母さんに、そんな真似させられるかッ!』
ノイズと、重なり合う声。
颯汰は黒い粒子の円に呑まれ、白銀の光が亀裂から漏れ出て繭が割れて再臨する。
少しばかり成長した姿に手足に漆黒の装具。
身体の表面も黒い装甲。
顔の目から下を覆う仮面。
内なる獣の力を、颯汰は解き放った。
『俺たちが止める!』
らしくない決意を、言葉にしてでも護ると誓う。
二つの意思は同じ場所で同じ道を目指していた。
2023/01/29
一部修正




