85 協力者
部屋を照らす蝋の光はか細いが、元より暗がりである帝都にとっては、この程度なら慣れたものである。
曇天の下は吹雪いていることが多く、球状の帝都の中までは陽光が差し込むことは、殆ど無かったのだ。
そして今、この大都市をヒトが住める環境に変えた機器の類い……暖房や照明は予備エネルギーによって賄われている。
天ではなく、地の底から大いなる《神》を降臨させるべく、神の宝玉の全エネルギーを使ったゆえだ。
それに気づいているヒトは、この都にてほんの一握り。
民草の誰もが最悪の底を味わい、混乱でまいってるところに衝撃と驚愕。
正常な判断はもうできまい。
“そのとき”が訪れても、もう遅いのだ――。
すべてを語った第三皇子ヴィクトルの暗い顔を窺うには、充分な光量であった。
独白が終わり、ひっそりとした中にジリジリと蝋が爆ぜる音だけが響く。男の悔恨が重く、場の空気すら圧し潰さんとしているようであった。
「兄さんを……見捨てるしかなかった」
懺悔するように、ヴィクトルの口から想いが零れる。ウェパルはどのように言葉をかけるべきか迷っていた。
命令を下したのは間違いなく皇帝であるのだが、その技術を解放したのは“魔王”である。正常な意識、自我を持たぬ霊のような状態であったが、それを己の咎であると彼女は認めていた。
だからこそ、かける言葉が見つからないのだ。
謝っても、悔いても、時間は戻らない。
掛けられた毛布の先を握るウェパルの手に、無意識に力が籠る。
長いようで短い沈黙の末、男は本題に入る。
「兄さんたちの死を、無駄にしたくない……!」
握り拳が、感情によって震える。ヴィクトルの絞り出すような声に、ウェパルは答える。
「……妾に、協力してほしいわけね。だから、助けた。兄たちの救出ではなく、ヴラドを――自分の父を殺す為に」
「あれは、もはや父とも皇帝とも言えるモノではない。ヒトを捨て去った傲慢の権化だ」
人でなしという意味では前々からだったけどねー、と心では思っていてもさすがに口には出せずにいたウェパル。その小さな間を『迷い』と判断したヴィクトルは一歩踏み込み、言う。
「それに、あなたと父の協力関係も終わった。あなたには民を救う義務がある……!!」
その言葉は声量に反して力強く、圧があった。
それは不完全な魔王として目覚め、皇帝の傀儡として、封じられた各種地下施設の再起動、および運用法などの技術的な支援をしてしまったという重すぎる罪だけではない。
彼が何を見たのか――兄ヴァジムから何を託されたのかを、魔王となったウェパルはおおよそ見当がついていた。ゆえに、その想いには応えてやりたいとは思ってはいた。
しかし、現実を見ると厳しい状況である。
「義務、ね。……確かに、そうかも、しれない。でも――」
歯切れが悪くなる理由は単純なものだ。
「――いくら協力はしたくても、戦うだけの力がもう残ってない。ヴィクトル、君だってわかっているんでしょ? 死にかけて倒れていた妾を、ここまで運んできたんだから」
「…………」
ウェパルは己の存在を維持するだけで精一杯の状態――いや、このまま放っておけば自然消滅するぐらいに脆弱な身体であった。
「仮に今、神の宝玉を妾と接続できたとしても、あの《神》と戦うとなると厳しいものがあるよ。……恥ずかしい話だけど、今の妾は不完全だからね。きっと供給量と消費量が釣り合わなくなって数分で自壊しちゃうかも」
不完全な状態であるから王権は生命維持のための魔力すら渡してくれていない。
その問題が解決しても、根本的に勝算は薄いと彼女は判断していた。現状は詰みである、と。
「“魔王”は、ドラゴンのように無尽の魔力を有すると伝え聞いていますが、それはデタラメなんですか」
「ううん。王権があればその通りなんだ。……完全体にさえなれれば王権は必ず応えてくれる。でも問題は、そうなるために必要なモノの所在がわからないの」
「そんな! 何か当てはないんですか!?」
希望に縋るは、己の無力さと相手の強大さをよく理解しているからだ。あの巨大な《神》がヒトならば、自分は羽虫のような力関係。あるいはそれよりも酷い状況かもしれない。
「う、うーん……。……放った使い魔も目撃してないみたいなんだよね。帝都は縦に長いうえに複雑だけど、さすがに外には出てないはずなんだけど――」
「――ハッ! こんな状況で楽観視かよ」
言葉を遮ったのは聞き馴染みの無い、少女の声であった。
「! 誰だッ!!」
ヴィクトルは叫ぶ。
部屋の入口付近にいた彼が、誰もいなかったはずの部屋の隅に視線を向けた。
そこには二人の影が現れる。
どちらも小さめで、片方はまだ子供に思える。
「お初にお目にかかる。私は“ゴモラ教団”の者でございます」
老いてしゃがれた男声。
ふたりは驚く。
闇に溶け込んでいたのかのように、入って来た気配――空気の揺れや物音などが一切感じ取れなかったのだ。
ヴィクトルが軍刀の柄を握りしめ、抜き放とうとした。刀身にチリチリと燃える蝋の光が照り返して煌めいた。
「おっと。敵ではありませぬぞ」
刃を首元に置かれて、老人は少し慌てて両手を上げた。
「……命を狙うならば、わざわざ姿を表しはしまい、か」
ヴィクトルはそう呟き、軍刀を鞘に納める。それを見て小さい影がけ闇の中で笑んだ。
「そういうこった。猪突猛進馬鹿息子って聞いたが、案外物わかりがいいみたいじゃねえか」
口の悪い生意気そうな少女。それに対し老齢の男は静かに頭を垂れて言う。
「失礼。我が同胞の言葉は流してください。このような乱暴な言葉しか使えぬのです」
「あ? てめえ喧嘩売ってんのか?」
「止さぬかアドマ。我々は争うのではなく、彼らに協力しに来たのだ」
「……チッ。わーったよ。つーか協力じゃなくてお願いじゃねーか」
突如現れた正体不明の勢力が何か勝手に言っている。状況を掴むためウェパルは問う。
「誰なの、あなたたち?」
ヴィクトルも警戒感は解かず、黒のローブで全身を覆い隠す老人を見据えた。
「此度は、あなた様方に協力をしに、やって参りました。ゴモラ教団のビルシャと申します。こちらは同志のアドマ」
ビルシャと名乗った老齢の男性は恭しい態度であったが、アドマと呼ばれた口が悪い少女は変わらず腕を組んでいた。
「協力……? 貴様は一体なにを、いやどこまで知っている?」
「まずは、あなた様方が欲する“力”を、あの《神》を名乗る皇帝を止める術を与えたいと思っております」
ビルシャが己のローブの内側から何かを取り出す。それは闇の中でも燦然と輝いて見えた。
漆黒のベルトらしきもの。黒鉄色と光沢のあるガンメタリックカラーの重々しい、すべてが金属製でできた物体を手に持ちながら、男は静かにウェパルに向けて歩き出す。
「……なんだ、それは」
妙な気配に警戒心をさらにあらわにするヴィクトルに対し、ウェパルは別の意味で慄いた。
「強い、魔力を感じる……!」
その言葉にヴィクトルは視線を一瞬だけウェパルに向けつつ、再度それが何であるかを問う。
「おいおい、ビビりすぎだろ」
アドマが笑っているのを余所に、ビルシャは説明をし始めた。
「これは“ヘヴン・ハート”。あなた様方の願いを叶えるもの……」
ビルシャは両手で抱きかかえるように持ちながらそれを見せる。
「へぶん?」「はーと……?」
見たことの無い道具に、思わず注視する。
そこでビルシャは補足するために問う。
「霊器、というものを御存じでしょうか」
二人は顔を見合わせて、小さくうなずく。
大昔にあったと聞く、精霊の力が宿った武具であったはずだ、とヴィクトルは心の中で呟く。
「この霊器は装着者に、一時的でありますが、凄まじい魔力を与えてくれるものです」
「そんな、便利なものが?」
懐疑的な面持ちでヴィクトルは訊ねる。藁にも縋る思いではあっても、得体の知れない相手の言葉をそう簡単に信用することはできない。そのことを理解しつつもビルシャは正直に応える。
「ただし、リスクはあります。ゆえに、一時的なのです」
「時間制っていうこと?」
「さすが“魔王”様、お見事。左様でございます。さぁ、これを」
ヘヴン・ハートと呼ばれた道具をビルシャは膝を突き、両手で掲げて捧げる。
ウェパルはそれを迷いながら受けとり、まじまじとベルトを見ていた。
「ただ、そのままあのクソでかい石像はぶっ壊すのは、キツいはずだ。だから狙うのはお前が完全体になって王権を手中に収めてからだ。その際にでも、余裕があればそれを返せ」
「……アドマの言う通りです。あの神像を滅ぼすのは、王権を手にした後でないとなりません。いくら莫大な魔力を得るとはいえ、あなた様の本来の力を発揮するにはやはり王権は必要不可欠でしょう」
「しかし、その力を手にするための手がかりが……」
沈むヴィクトルにアドマは馬鹿にするような得意げで楽しそうな声で言いのける。
「ハッ……。あの客員騎士サマだっけ? 帝都をどこ探してもいるはずがねえよ。あいつは今アンバードの魔王たちと一緒に、ペイル山でハイキングしてるぞ」
驚く顔をするヴィクトルに対し、ウェパルは大いに顔をしかめてみせた。
そして、その目に強い敵意が宿っていた。
「……ちょっと、待ちなさい。ゴモラ教団、だっけ? 何だか、あまりにもタイミングが良すぎない?」
登場時もそうであったが、他にもウェパルがそう思うだけの引っ掛かりがあった。
「ヴィクトルが皇居の地下で見た影武者は、本来はまだ完成してない技術で造られたもの――単に似ている赤の他人を用意したわけじゃない」
「……他のニヴァリス帝国の技術と同様の、一度文明が滅び去る前にあった地下の遺物、ですか」
ビルシャの問いには答えず、
「だから、狙撃することができた。“魔女の呪い”の発動条件から外れていたから」
「発動条件……?」
ヴィクトルの疑問の呟きにも答えずに、ウェパルは続けて言った。
「でも、あれだって老朽化や物理的に損傷もあったし、システム周りの復旧なんてこんな短期間でできるはずがない。ろくに手引書なんて残っていないんだから」
知識も無い素人が簡単に使えるものではない。
起動すら難しい本来在り得ない代物なのだが、皇帝の執念がそうさせたのだろうか。否、魔王ウェパルはそれだけとは思わなかった。
「それにあの《神》は、妾らの協力が無ければ、起動できてもすぐにエネルギー切れを起こすはず。ざっと見積もっても数時間が関の山。それを知っていて、あのヴラドが何も対策なしに強行するなんて思えない。そこまで馬鹿じゃないんだから」
「本来は、魔王の王権ありきなのか? あの石像って」
「大気中のマナも減っているからな。あの玉石であっても安定しないのじゃろう」
「へー。国中を賄えるだけのエネルギーでも駄目なのかよ」
疑いがかけられている中、闖入者たちはヒソヒソと会話をしていた。
「……他に協力者がいるに決まっている。でも、魔王じゃない。魔王ならこんな回りくどいことしない。不完全な競争相手を、生かすはずがないもの」
例えば紅蓮の魔王であれば、弱体化している敵を放っておくまい。敵対者が女子供であれ、容赦なく殺す。例えば迅雷の魔王であれば、手籠めにしようとして失策って殺される。それか玩具として虐めて死なすか。
どちらにしても直接的なアクションをとるはずだ。誰だってそうする。七柱の魔王の最後に残った者が、どんな願いをも叶える果実が与えられる……という話が嘘偽りであっても、己を殺し得る可能性の芽は摘むに限るであろう。
「魔王でもないなら、誰か。……得体の知れないあなたたちは、何を目的に現れたの?」
損得無しに、現れたはずがない。
風体や発言からも、善意でニヴァリス帝国を救おうとしているとはとても思えない。
皇帝の技術革新が何者かが裏で糸を引いている可能性があると睨み、同時に今現れた謎だらけのローブで顔すら隠している怪しい奴らも何か裏があるはず。点と点を結ぶには、目的さえわかればいい。素直に相手が話すとは限らないため、見抜く特別な力はなくとも目線が泳いだりしていないかを確かめるべく、ウェパルは息を吸って気を張った。
「クックック……」
老いた笑い声が部屋にじんわりと拡がる。
誰もが目を見開いてビルシャを見やる。
「ククク、ハハ。ハーッハッハッハ!」
ビルシャは哄笑する。
壊れた人形、決壊した堰堤、大海原で起きた嵐の如く。
邪悪な笑い声が、室に響き渡る。
ヴィクトルは抜身の軍刀を既に握っていた。
「ハーッハッハげほ、げほほげほ、うぇ、咽せ……」
天を仰いで笑っていたビルシャが、大いに咳き込み、苦しそうにしていて、暫し立ち直るまで時間がかかった。そして老人は一つ咳ばらいをし、
「――とまぁ、黒幕っぽい高笑いを一度やってみたかった次第ですじゃ」
軍刀が先ほどよりも首の近くに置かれた。
この状況下でなぜそのようなつまらないマネをしたのか理解が苦しむ、とビルシャに視線が突き刺さる。
「ついに耄碌したのかと思ったじゃねーか」
仲間にすら呆れられる始末。さすがに居心地悪さを感じたのか、再度ビルシャは咳払いをし真面目に、答え始めた。
「目的は単純です。我々もあれを排除して欲しい。我々ゴモラ教団は、あれを《神》と認めません。しかし、あのままでは世界はあれに掌握されてしまい、信仰すら奪われかねない……。なんとしてでも止めたいが、この小娘と老骨では無力。ゆえに力を持つものを支援したいと思ったのです」
「誰が小娘だ老いぼれ」
アドマの小足がビルシャの脛を直撃する。
「此度は“商談”のために馳せ参じた我々ですが、魔王殿が仰る技術面などの協力については、我々は関わっていないと断言いたしましょう」
「…………信じろと?」
「生憎それを証明できるもんは無えな。そのヘヴン・ハートも疑うなら付けなくてもいい」
「よくないぞ」
「ビルシャは黙ってろ。……だが、付けなきゃどのみちアンタは脱落だ。魔王として不完全のまま、願いを叶えられず、無意味に消える。そいつは感動的だな笑えるぜ。裏で糸を引く? お前の方が、よくわかってんじゃねーのか?」
「妾が……?」
フン、と鼻を鳴らし肩をすくめたアドマは、ビルシャを見て首を動かし、『もう行くぞ』合図を出す。
「じゃあ、健闘を祈るぜ。せいぜいあのデカい面してる皇帝サマをぎゃふんと言わせてやれよな」
ビルシャは一礼し、アドマは振り返らず手を振って、闇に溶ける。そこに、最初からいなかったように何一つ残らず影に消えた。
ただ、奇妙な黒い金属製のベルトだけが、ウェパルの手元に残った。




