74 観覧
「……これは、なかなか」
立花颯汰御一行は、帝都での最後の休息として、自由時間を満喫していた。
美術館では、村からやってきた子どもたちは空気を読んで騒がなかったと呼ぶより、場の空気に呑み込まれて言葉を失ったと呼ぶのが相応しい。静かに感動し、楽しめていた様子であった。颯汰自身も、やはり難解な作品はあったものの、以前よりは苦手意識が失せていた。
絵画の美しさはどの時代、世界が変わろうと健在であったのだ。それは誰かが見た景色、あるいは思い描いた理想。絵という形に残るもので表現したいという想い、もしくは欲望の捌け口として創られる。
どこの大陸だろうか。茜色に染まる麦畑にて、白い服を着た少女が遠くを見ている絵画。
何かを訴えかけているような表情をする……獣刃族の砂の民の肖像画。
あらゆる色で光の波動を表現した夜の月。
独特な色彩で描かれた死と疫病の世界。
暗き戦場と果敢に立ち向かう英雄の対比。
石膏で出来た若かりし頃の皇帝像。
木で彫られた精霊は今にも動き出しそうだ。
正直、舐めていた部分があった颯汰だが、気が付けば足を止めて注視するを繰り返す。
颯汰だけではなく、誰もが真剣なまなざしで芸術品を見つめていた。人の情熱と魂が込められた数々の作品に魅入られていたのだ。
そんな意外な好感触に、第四皇女イリーナは陰で小さく拳を握りしめ、喜びを噛み締めていた。
それを見てほっこりとするヒルデブルクとリズ。しかしこの闇の勇者、微笑ましい光景であるとかなり余裕ぶってはいるが、致命的な部分を気付いていない。イリーナが颯汰に好意を抱き、さらに颯汰本人がこの大都市の、娯楽施設の一つに興味を示すという状況がどれほど危険かを。
ただ全員が、それぐらい緩く、暖かで平和な時を過ごせたのだという証左でもあろう。
大いに楽しんだ一行は美術館を後にする。外では見慣れた洋館風の建物であるが、金属だらけのこの街では、珍しい外観に映る美術館であった。
貴重な時間を過ごし、興奮冷めやらぬ間に、次に訪れたの博物館。美術館と併設されておらず別館であり、同じ区画内ではあってもほんの少しだけ距離があった。
歩きながら、思い思いに感想を口にする。
拙くとも伝わった熱を、共有し合う。これも、芸術に対する楽しみ方の一つだ。人それぞれ、感じ方は異なるからこそ、新しい発見をもたらすこともある。価値観の差異の認識や共感も生まれ、人付き合いだってより上手くなる。
姉や娘、慕ってくれる(見た目だけ)同年代の仲間たちと言葉を交わし、かつて味わった記憶があるようでないような妙にくすぐったい感覚を、颯汰は「悪くないな」と受け入れていた。
「――あ、見えてきたわ」
明るい声でイリーナは言う。
緩やかな坂を上り、博物館が見えてきた。
灰白系統の煉瓦の壁面が曲線を描き、開いた空間からはアイボリーの枠と柱、その奥の一部がガラス張りで、さらに装飾が施された扉。何か新しい建物に見えた。
――なんか、無駄におシャレだな。今風の建物っぽい……
颯汰が住んでいた故郷、伊坂市でも外観にこだわりを感じる新しい家が建つのを何度か見かけた。町の再開発の一環で、古い住居を取り壊し、一帯を丸ごと手を加えた後に、新居が並んでいた。
そうやって颯汰が遠い記憶をふと思い出していると、子どもたちは不思議そうに変わった建物に驚いていた。そこへ皇女イリーナは解説を挿む。
「さっき遊んだ公園の、鳥の遊具と同じくミロフラツ・ラーツというお爺さんがデザインしたものなんですって。私たちが生まれる前、何十年も昔に亡くなったみたい」
「そう思えばその名前、美術館にいくつも作品あったな。やだハイセンスの塊……未来に生きてた名匠……」
独り、芸術家の死を惜しむ颯汰。
躍動感の溢れる英雄像や、威厳に満ちた若き日の皇帝、精霊の踊り子など、石膏であるというのに、ひと際生命力に溢れた作品群であったから記憶していた。魔物の像に至っては龍の子シロすけも颯汰の被るフードの下で、警戒して「シャー……」っと静かに声を鳴らすほどであった。
直接会って話をしたかった訳でもないが、活き活きとした作品に触れたせいか、妙に残念に思えた。静かに悼みつつ、先へ進んでいく。
博物館の中へ入るとエントランス部に人だかり、さらに大きな館内の地図が掲示されていた。
館内は外に比べるとほんの少し暗く、落ち着いた雰囲気であり照明も暖色で温かみがある。
「美術館も凄かったが、こっちも人が多いな」
颯汰の声は喧騒に掻き消され、溜息を零す。
人混みの方がかえって安心するというヒトも中にはいるが、颯汰は辟易するタイプである。
受付には行列ができていて、どれくらい時間が掛かるかわからない。
普段の颯汰なら真っ先に「帰ろう」と提案するところであるが――、
「――お待ちしておりました。本館を案内させていただきます、私は――」
「ああうん、どうでもいいわ。案内よろしく」
「は、はい。ではこちらへ」
受付の女性たちと同じ衣服を着た、案内係の人族の男が現れた。名を名乗ろうとしたところイリーナはどうでもいいと切り捨て、案内をするよう頼んだ。
できる執事は事前に手回しをしておく――。
イリーナの世話係であるあの老いた執事か先んじて話を付けていたようだ。
美術館でも同じで、イリーナは特に考え無しに入館し、何人先に並んでいようと、己の名を出せばすぐに譲られると信じて疑わないでいた。実際そうなのだが、それをやられた場合、颯汰は心底イリーナを軽蔑したに違いない。
時間は有限ではあるが、権力で無理矢理割り込むのは、あまりいい気分はしないものだ。
予約済みとはいえ、後からやって来た一行が素通りして館の奥に進むことに、颯汰は少し忍びない気持ちが湧いていたが、既に興奮気味の子どもたちを前にして制する気概などなく、大人しく案内役の男の後に続いた。
最初は、魔物の骨や標本、剥製が並ぶコーナーに訪れた。過去にいたものが殆どだ。
大海原を支配した海獣は骨格からして強靭そうであり、並ぶ牙の鋭さは短剣のようであった。
大空を舞う凶鳥は隣に並ぶ大きなイラストでは勇ましい姿であるが、骨だけ見ると貧弱に映る。
十数年前にとある村を襲った真っ黒な毛をした巨大な熊――後の時代にポルミスの亜種と判明した魔物の剥製までがあった。
何より目を見張るのは、大昔にドラゴンと間違われた巨大な爬虫類の化石の頭蓋骨。
どことなくティラノサウルスにも似ている形状だが、角があったりイメージ図には翼まである。……飛べるのかは正直怪しい。特筆すべきはその大きさだろう。颯汰どころか、鬼人族ですら余裕で一飲みでいけそうなほど大きい。
こんな危険な生物に会いたくないなと思う颯汰に反し、子どもたちは大興奮ではしゃいでいた。
次のフロアに進むと、歴史的に重要な資料や遺産が飾られていた。
帝都建国前――バーニアンと呼ばれた国であった頃の衣服や、当時に作られた陶器などがショーケースの中に並んでいた。
美術館同様、最初こそ気だるい様子であった立花颯汰少年であったが、食い入るように展示物を見ていた。というか何故かヨダレが口から溢れ、シロすけの尻尾で顔を叩かれ注意される始末。
さらに奥へと進むと、今度は鎧や武具が出てくる。当時の状況をわかりやすくするため、背景にその時代の光景を描いた絵画が飾られていた。写実的で、近代に描かれたものだろう。
生活の様子は極寒の雪国であるため異なるが、ここまではアンバードやヴェルミと技術的な差異は感じない。金属で裏打ちされた毛皮の鎧や刃こぼれした剣、同じく槍や盾も今のものより古く感じる程度だ。
しかし、帝国が生まれた時期となると様子が変わっていく。無骨な武器から華美な装飾が施されるものへ――時代の変化を感じさせた。背景にあるイメージイラストでは、革命によって流れる血は雪を染め、多くを率いて新天地――後の帝都ガラッシアとなる場所を目指す図であった。青空の下、新しい時代の希望を描いていた。
飾られた武具など、刀身に使われた鋼の質や技術にあまりに飛躍的な進歩が見られるが、職人ではない颯汰は気づけない。手に取れば左腕にて解析ができただろうが、さすがに博物館サイドも本物の刃物を手に取れる場所に飾るわけにはいかないため、その異質さに気づけなかった。
それに……、もっと興味深いものが奥にあると、子どもたちの思わず出た歓声により気づいた。
「うぉッ! すげー!」
「てっぽう!」「ジュウだー!」
声がした方向を見て、颯汰は目を見開く。
「えっ……!」
じっくり見て案内役からの解説も聞いている内に先行していた一部の男子がそれを発見した。
それどころか、握っている。十代になるかならないかの少年の両腕に、金属の筒が重く光る武器がある。木製の銃床にも無駄に豪華な金色の象嵌、銀のレリーフが引き金の上に微笑む。ぱっと見でそれが兵器だとわかる凶悪さであった。
危険だから手を放せと一歩踏み込んで、それはショーケースを開けたわけではなく、実際に触れる品として展示されていたことがわかった。盗難防止用に、鎖が件のライフル銃に括りつけられていたのだ。
「おっと、人とぶつかると危ないですよ――ああ、あれが気になりますか」
走ろうとしたのを感じ取って男は注意する。その言葉が正しいため、颯汰は素直に謝ってから案内役に尋ねた。
「模造品?」
「いいえ。本物です」
「……え?」
「ヴァーミリアル大陸からお越しいただいたと伺っておりますが、その様子だと銃についてお調べになられたようですね」
「あ、ああ。えぇ。まぁ……」
「大丈夫です。あれには弾が入っておりません。それに万が一発砲しようとしたところで、この帝都では意味を成しません」
「? どういう意味ですか?」
「そちらについて解説もしますので、あちらへ行きましょう」
手で子どもたちが銃をもって騒いでいるところを指し示し、合流する。
他の展示物と違い透明なケースが無く、背景のイラストも雰囲気が変わる。当時の生活や街の風景でも、勇ましく剣戟を振るう兵士でもない。
不思議な絵であった。
雪原にて発砲するために横に並んだ兵が銃を構えているのだが、様子がおかしい。それにライフルの銃口以外から何かが飛び出し、また、手から落としている兵士も描かれていた。
そこで、颯汰たちは帝都にて銃などが使用不可能であることを案内役から聞いたのであった。
……――
……――
……――
「――“皇帝”の御力、ねぇ?」
「そうです。それにより、帝都内で人に向け銃を撃とうとしても、内部から凍り付いて撃てなくなります」
「……へぇ」
この男が嘘を吐いているとは思わないが、伝えられた情報が正しいとは思えなかった。本当に使用不能なのかも怪しい。そういった情報を流しているだけかもしれない。それに事実だとして皇帝ではなく協力関係にある氷の魔王の仕業だろう。
だが彼に追及したところで、真実に到達はできぬと踏んで、軽く流すことにする。
――狙撃による暗殺、もしくは銃が行き渡って市民が暴徒化するのを防ぐためか。……ん?
「どうかしました?」
「前にこの国の騎士さまが持っていたのを見かけましたが……」
双子皇女の楽園に突入してきた兵士たちが、別の形状の銃を装備していたのを思い出した。
「あぁ。あれは特別なんです。陛下が御許しくださった、暴徒鎮圧用の兵装なので」
「……なる、ほど? (いわゆる、ゴム弾とか? あれって、当たるとめちゃくちゃ痛いとか聞いたことあるなぁ)」
楽園の子どもメイドを相手に、発砲した様子はなかった。しかし銃を用いて容易に制圧したところを見るに、実弾の使用は封じられていても、彼らは銃という武器への理解が充分にあるのだ。
村の子どもたちまでもが知っていて、今も撃つ真似をしているのは少々解せなかったが、後に、この地方にて「銃使いの悪魔」なるモノの伝承が残っていると颯汰は知る。教育を広く敷くことは困難であっても、唄や物語は人づてに広まるものなのだ。
弾が込められてないと言われているが、見ていると危なっかしくて少しヒヤヒヤしてしまい落ち着かず、不安そうに彼らを眺めていた颯汰。いつの間にか男子たち全員が触れる本物に夢中で、女子たちはそこまで熱心ではなかった。先に進む皇女の一声にて、少年たちは機敏に動き、銃を置き場にきちんと戻して早歩きで向かうこととなった。




