72.5 袂別
試練には、乗り越えられないものなどない。
稀に乗り越えられず、神からの罰だと宣うものもいるがそれは違う。
必ず、乗り越えられるものなのだ。
余は――ヴラド・ミハイロヴィッチ・ニヴァリス四世は、そのように考えて生きてきた。
今、差し当たる問題においても、冷静さを失わぬよう、決して諦めぬよう、考えて対処する。
問題は山積みだが、愛する家族――余が治める帝国に住まう人民たちを幸せにするため、全身全霊で取り組む。
ここで安易に諦めては、すべてが水泡に帰す。
一手一手、違えぬよう細心の注意を払う必要があるだろう。
どうあれ、突発的なイレギュラーは起こり得るものだと認めるしかない。
そこを嘆いても現実は変わらないのだ。
「奴め……。肉体を手に入れてしまったか」
厳重に封印が施されていたはずだ。
だが、太古の昔に失われた技術の全貌を把握している訳ではない。モノ自体が老朽化、しすてむの不備、あるいはこちらが知らぬ何かしらの術を使ったか。
そうなることを避けたいがため、あの娘たちを遠ざけたが徒労と終わってしまった。一度あやつが肉体を手にしたとなれば、もはや止まるまい。
「残念だ」
小さな私室、他の者が知らぬ秘密の部屋で事実を口にして改めて確認する。
己が皇帝でなければ、民の命が双肩に掛かっていなければ、投げ出していたかもしれない。
歴代の皇帝たちも、形と程度は異なるだろうが、かなりの難題――試練を与えられたはずだ。
それこそニヴァリス家は“魔女の呪い”には苦しめられ続けていたのだ。
ニヴァリスの歴史の影に“魔女”在り――。
“魔女”は歴史の転換期に、必ずと何かしらの関わりを持っていると超常の存在とされていた。
かつて、アルゲンエウスで栄えていた四国、
「ガル」
「ダルフレス」
「バーニアン」
「アンバルス」
その「バーニアン」の一介の軍人であったニヴァリス家の先祖が一国の主――皇帝の座にまで登り詰めたのは、他ならぬ“魔女”の協力があってこそだ。
ヴラド・ニヴァリス一世の台頭にも、“魔女”が力を貸したという。
その魔女の名を『ウェパル』――天女と見紛う麗しい海鱗族であり、明るく聡明で、かつ嵐のような女であっただとか。
現在、ニヴァリス帝国の従属国と化した「ガル」を除けばすべて滅び去り、吸収合併した後に内乱が発生。二分化した一つをニヴァリス帝国とした。
魔女から凄まじい技術力を与えられ、勝利し、一世は今の帝国の基盤となる都市を建国した。表向きにはニヴァリス家の叡智として伝わっている。
その女が皇帝となった男と結ばれたり、子を成したという記録は残っていない。何を思って一族に手を貸したのかさえ謎のまま、一度、歴史からしばらく姿を消すこととなる。それは、ヴラド一世が老衰し身罷られた直後だったという。裏で何が起きていたか、ニヴァリス家の人間であっても知るものは少数であり、闇に葬られていた事象の一つであった。
そして、“呪い”が発現し始める――。
ヴラド二世の子が即位した頃だ。
三世としてヴラドの名を襲名した第一子は、二十六歳という若さで亡くなった。精神疾患を患い、獄中で死亡。死因は過度な自傷行為による自殺だ。
不幸は続く。
それを聞き、病んでしまった皇后が、後を追うように飛び降り自殺したのだ。
ヴラド二世は酷く憔悴した。
『魔女を再び探し出さねば――』
二世は口癖のように言っていたと記録にある。
第二皇子が名を襲名し、翌年に事故死。
当の二世も病で倒れた。
そしてしばらく、ヴラドの名を襲名しない期間が続いたが、呪いは依然として残っていた。
先代であるミハイル三世は父――つまり祖父を処刑している。そんな祖父は己の父と子を暗殺していた、と家族愛の欠片もない行動を取っていた。まったく嘆かわしい。こんな忌まわしい歴史は、表に出ずこのまま闇に葬られることを切に願うばかりだ。
「奴とは、長い付き合いになると思っていたのだが……仕方ない」
歳のせいで重くなった腰をあげる。
いつの間にか、この手はシワが増えた。
声もガサつき、動きが緩慢になってしまった。
一つ一つ、独りで成さねばならない。
老いたからといって、止まる理由にならない。
まずは、神の宝玉・制御室へ向かう。
「こうなれば、別プランでやるしかないか」
次いで、地下牢だ。本来は建国祭後に余裕をもってやるつもりであったが、保険をかけた方がいい。この身が滅ぶ可能性は大いにある。
なんとしてもこの国と家族は護る。
そのために、やらねばなるまい。
レジスタンスを称するテロリストに対してはすでに講じている策で充分であるが、一つサプライズを用意してやるのも一興か。
どうせ奴らのやることなど、明日の式典の最中に武装して襲撃、もしくは長距離から狙撃か。……両方やも知れぬ。
爆薬の作成や、横流しにされた銃を入手している可能性も高いが、なんら問題はない。
狙撃に関しては我が子らに当たらぬよう障壁の準備や、監視役の配置は決めておいた。
爆薬物に関しては安全だ。魔女の呪いによって使えなくなっている。
何十年も前に、飛行艇と共に既に作り上げることには成功したが、魔女の呪い――いや、魔法により起動(起爆)しても急停止し、内側から発生した氷に包まれ、文字通りの意味で凍り付くのであった。あくまで理論上完成に至っているはずだが、実際に試す段階で機能障害を起こしてしまう。それをテロリスト共も知らぬわけがない。
過去に製造した大口径の銃、大砲といった“兵器”を運用し、シルヴィア公国に攻め入ろうとしたこともあったが、見事にすべて凍結させられた。
近年開発した銃は簡素な作りで連射も利かず、実用性に欠ける。だが帝都内であくまで暴徒鎮圧用として運用しているせいか、凍結の報告は上がっていない。
ただし、外へ持ち出し試しに発砲しようとした際に凍らされたと報告を受けている。
呪いのせいで、未だシルヴィア公国を潰すに至らなかった。呪いにおける判定が攻め入る兵器に適用されるようだ。今までこれはコントロールができない事象であった。
だがそれも今日までの話となる。
銃だの爆薬だの矮小なものに頼る必要はない。
もっと強大な《力》を得た。あれさえあれば、恐れるに足らず。
覇を唱える“魔王”も、魔女の“呪い”も。
すべて蹴散らせる。
家族を護り、外敵をすべて排除できる。
魔女の亡霊と同じく、封じられた存在――。
「巨神さえあれば、どうとでもなる」
乗り越えられぬ試練などない。
罰する神は是に在るのだ。




