71.5 秘めた心
人混みの中、少年のすそを掴んでずんずんと進んでいく少女の姿が見える。恋人同士のような初々しさに見えなくもない。明日、この街は二十年に一度の大きな祭りで賑わうだろうけど、その前日でも随分と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「じゃあ、次はあそこに行くわよ」
されるがままの少年は、腕を引かれて小走りをする。メンバー内のヒエラルキー最下層にいるためか、逆らえずにいるようだ。常日頃、他人に振り回されている傾向にあり、熟れているはずの彼であるが、来て日が浅い見知らぬ場所でやられると多少の不安と困惑が出るものだろう。
金属でできた街――ニヴァリスの首都たるガラッシア。洗練された大都会とはこのような街のことを言う、……ような気がする。
曖昧となった記憶の淵から思い起こす。あまりに雑多なヒトと、ヒトが生み出した文明の燦めきに満ちた空間こそが“都会”であったはずだ。
煌びやかで眠らぬ街を、流行の服で着飾って、意味があっても目的がなくても練り歩く。それもまたヒトが生み出す軌跡の一つであり、都会で観られる光景でもあったはずだ。
ただ彼らの衣服は少し――いや、かなり浮いていた。同じ格好。ただ断じて『ペアルック』とかいう黒歴史になり得るものではない。大概はその頃のテンションに身を任せて購入し揃えるものの、“永遠などない”という無常な現実を突きつける物証となり得る無用の長物となるだけだ。それどころか熱した分、関係が一気に冷めて拗れてしまう確率を上がるわけで、そんな残った追憶の残骸などを目にしてしまうと余計に気分が落ち込み、すべてに嫌気がさしてしまうこととなる。
ただ、彼らのはそういうのではない。
そういう関係になることも断じてない。
それに、二人きりではなく集団で行動している。しかも皆が共通の格好で。わかりやすいくらいにローブを被り身体を外に晒さないようにしている。ぱっと見、怪しげな集団である。
雑踏の中の子どもばかりとはいえ、全員がマナ教というドマイナー宗教のマークがデカデカと刻まれた外套を羽織ればさすがに目立つ。
円形が大いなる実りを意味し、円の中のもう一つの円が恵みを受ける人界の理。真ん中から伸びた果実の果梗のような線が下に伸びていた。これがマナ教の紋章だ。……不思議と既視感のある模様な気がするが、簡単な作りのマークだから何かと似ていてもおかしくないかもだ。
都会の洗練されたデザインの衣服とも違う格好であるから発見しやすいのと、さらにその後ろをこっそりと(?)大人たちが付いてきているのが見れば嫌でも目立つし、ガラの悪い大人も下手に手出しはできないことだろう。
彼らは先頭を歩く少女の護衛だ。
マナ教の神父が用意し、彼女の護衛全員がそれを羽織っている訳ではないだろうが、多数は信徒を偽装してまで彼女に危害が加わることがないよう、見守っていた。
人々は作業に明け暮れてる中、普通に買い物など街を歩いてる人たちも自然と避けていく。
怪しい宗教だという脅威や、関わり合いたくないという感情ではなく、単に観光客なんだろうな程度にしか思われていないようだ。
その視線はどこか温かみがあり、警戒してるようには見えない。なにかと不思議な街だ。
ニヴァリスの首都こそ閉鎖的な外観であるが、他文化に対してわりと容認しているきらいがあるからだろうか。それに、皇帝が揺らがぬ地位にいるからこそ、信仰の自由を認める余裕もあるのやもしれない。
しかし彼の皇帝陛下も、まさか自分の血統を継ぐ末娘が、他所の宗教団体に偽装してまで歩き回っているとは夢にも思わぬことだろう。普段身に纏っている青のドレスを隠す白い毛皮のマントの代わりに、変装と名ばかりのマナ教のケープローブを羽織る少女は妙に活き活きとしていた。
変装というレベルに達していないせいもあり、また何だかんだ皇帝の血筋の高貴さ、オーラ的なものや、まだ若いとはいえ美貌が優れている皇女の存在に気づくものも多い。ただ、空気を読んで騒ぎだてないだけ。
そんな一行がどこかへ向かう途中で足を止めるのが見えた。あれは……確かテュシアー村にいた子どものはずだ。
「たしか……イジメられっ子と、騎士くん? んん? 他にも村の子たちがいる……?」
思わず、考えが口に出る。
距離や建物の角度から簡単にこちらは見えぬだろうが少し迂闊だったか。たまたま視界に映った彼らを観察していたところ、思わぬ人物たちと再会を果たしたのが見えた。
皇女を崇拝していたレナート少年であったが、村での一件でソウタにまで憧れを抱くようになり『アニキ』と呼んでいたはずだ。おそらく今もそう呼んだのだろう。遠目でもソウタは額に手を当てている。それに、あれだけ酷い目にあわせていたマルク少年とよく並んで歩けるなと少し驚いてしまった。
二十年に一度の祭りであるから、親御さんが気を利かせて帝都へ連れてきた、あるいは許可を下したのだろう。
ますます、この後に起こることを考えると気が滅入る。だが止める気はない。楽しい思い出にならないかもしれないが、記憶に焼き付く出来事であることは間違いない。
その前に、ソウタたちと再会して帝都を巡れるのはある種の幸運かもしれない。束の間かもしれないが、せいぜい楽しんで貰いたいものだ。皮肉ではなく、心からそう願う。
――観光案内ごっこはまだまだ続く、か
歩き出した影を見て、心の中で零す。
悪意は無く、心から楽しんでる様子であり、本当にこの都――ニヴァリスを愛する皇女だということは彼女の態度から察せられる。村で会った頃の高圧的な態度やヒトに対する苛烈さが鳴りを潜めていて、自分のことに気付いた民や子どもたちから恭しく頭を下げられると微笑んで手を振って応えるといった行動から、余程帝都から追い出された生活が嫌だったことも理解できた。それに加えて、皇女イリーナは隣にいる少年に悪い印象をこれ以上抱かせたくないゆえに、柔和な態度をとったに違いない。
――くだらないわ
何か、見ていると胸に棘が刺さるような感覚に襲われる。不安と呼ぶより、苛つきの方が大きいわだかまりで心が揺れる。その自分自身の内面を理解しつつもくだらないと切り捨てなければ、冷静さを保てないような気がした。
くだらないことに付き合わされているすべてのヒトが気の毒である。
あの少女ともウマが合わない。
おそらく、互いにそう思ったのか本能で感じ取ったのかはわからないが、行動を共にしても干渉することは無かった。
その点だけは、皇女サマの方が大人な対応であったと言える。
新参者のあの女は、露骨にこちらを毛嫌いしてきた。実は両名とも、真の吸血鬼である私を本能的に警戒していたのだろうか。
……今となってはもうどうでもいいことだ。
明日、彼ら――ソウタご一行は本来の目的である霊山へと踏み込むそうだ。
ソウタ本人は、未だ少女たちを同行させるか決めかねている様子なのが表情から見て取れる。
私が助け舟を出せば――『彼女たちを預かり、安全を保障する』と言えばきっと飛びつくことだろう。
彼女たちをここに残すにしても、夜の時間帯では教育にも良くないものも映るだろうし、平時でも何か危険が迫るかもしれない。というか残れば王女ちゃんが絶対に仮面舞踏会に参加するのがわかりきっているからこそ、悩んでいるのだろう。
ただ、残念なことにコチラも予定がある。
むしろこの状態で彼女たちを預かる方が危ない目に巻き込まれるかもしれない。
連れて行きたいが、険しい山は危険。
置いて行きたいが、目を離すと危険。
詰みである。
とは思いつつも、結局は折れて連れていく未来が見える。今朝の記憶だが、少女たちの真摯な態度からソウタは強く『残れ』とは言えないで、口ごもっていたのを思い出す。何だかんだソウタは身内には甘い。敵にはわりと容赦なく当たるようだが。
心配なら手元に置いた方が気が楽だろう。
それにもう一人、頼りになる男がいる。
最初会ったときは、最も信用してはいけない類いの人間……否、“魔王”だと警戒していた。その力のせいもあり、今もそこまで心を開いたつもりはないが、考え無しでは決してないが、実は裏表が無さそうな男に思えてきている。神父の格好で宗教ごっこ――そう考えると全部ごっこ遊びの延長上にあると気づき、なんだか笑えてくる。
遊びに付き合うのはここまでだ。
ここからは、私は私の目的のために動く。
最初からそのつもりで行動していたが、一層覚悟を決め、言葉として頭に浮かばせることで決意を固めることとした。
レライエたちが成そうとする革命には興味ない。社会変革と呼べば聞こえが良いが、要は暴力によって体制を変えることを、彼らは目指している。現行のシステム――この場合は帝政を壊さねば、新しく始められないと考えて、成そうとしている。権威を失墜させるため、皇帝暗殺といった凶行を選んだ。
皇帝一族が乗るキャリッジを護衛する役目を担う者たちが精鋭であり、似非吸血鬼だという話だ。真偽については遭遇すれば感覚で分かるため、違うならば協力をする気はないと前もってレライエには話を付けている。
ただ、本当に皇帝が似非吸血鬼の研究に荷担している可能性は非常に高い。
街に漂う気配から、奴らは間違いなくいる。
ただ、どこにいるかが正確にキャッチできないのは、帝都が異様に広すぎるせいか、それとも例の地下の暗所にいるのか。
捜索をしたいのは山々だが、踏み入れて脱出するのに非常に苦労するらしい。現地をよく知るレライエの話から、ソウタのように戻ってこれることが異例中の異例であるとも聞かされた。
明日の大仕事の前に、迷子になって戻れないとなってはシャレにならない。
皇帝暗殺を直接敢行するつもりはないが、邪魔な護衛の排除くらいなら手伝ってもいい。
空っぽな私を構成する、欠片を見つけるために協力はする。
恥ずかしい話だが、あの似非吸血鬼を見たときの憤りと殺したときの安堵感にも似た不思議な感覚――あれこそが記憶が無い私を構成するものなのだろう。
自分が始祖吸血鬼と呼ばれる亜人種だとは認識している。
手にした戦輪型の霊器――輝く撃輪という名も、宿る精霊の姿こそ、通常はマナが減少したこの世界では実体化できないものなのでわからないけれど、その名が誰なのかも知っている。だが、それ以外の記憶は、この街に漂う薄靄よりも曖昧なものだ。
あまりに自分の過去を知るには情報が少なすぎる。ほとんどノーヒントそのもので、自分の本当の名前も、出身地の記憶もない。産まれたまま、外へ放り出された気持ちだ。
ならばこそ、唯一胸の中にあるこの気持ちだけは正しいと信じるしかないのだ。
本物の吸血鬼としての誇りのためという大義名分を掲げ、虐殺を是とするのは忍びない、などという気持ちは正直、カケラも無い。他人には衝動的に殺していると思われているかもしれないが、ある意味でそれは正しい。
眷属たる亜人の吸血鬼は、ヒトよりも知性が若干乏しいけれども、無暗に秩序を乱す真似はしない。というか基本的に人里から離れるか、限りなく仙界に近い環境で静かに暮らすはずだ。しかし元は人間である紛い物の吸血鬼――とは名ばかりの生物兵器たちはあまりに悍ましく、穢らわしく、放置しておけば様々な生物へ害となる。戻す方法などないのだから、一思いに楽にしてやった方が、被害者も減らして彼らのためにもなる。
無論、だからと言って似非吸血鬼を狩り尽くしても記憶が戻るわけがない。ただ、そうして進んでいく先が例え修羅の道であろうとも、辿り着けばきっと何かしらの答えが見えてくるだろう。
明日は、大きな仕事がある。
きっと、何か新しいことが知れるはずだ――。
2022/05/02
読点が連続してる箇所があったので修正、、




