67 種明かし
用意された手狭な部屋は薄暗く、埃っぽくて長年も放置されていたのか汚れている。
家具も煤でも被ったのかと思えるくらいに真っ黒になっていて、使えそうなものは何一つ持ち去られているように思えた。
中央にテーブルの柱は錆び、敷いてある布もだいぶ汚れている。叩けば埃が舞うことだろう。
正直、長居はしたくない部屋だ。
息が詰まる。
同行者が奥へ行き、互いにソファに腰かけようかと思ったが、止めて立ったまま会話を始めようとする。
「それで、話とは……?」
野盗どもを束ねる反社会的勢力の事務所など利用できるはずもなく、都合よく持ち主はいないまま放置されていた民家の一室を借り受けた形であった。駄賃をくれてやる必要が無いと言った騎士の忠言を聞きつつも、しばらく放っておいて欲しいと颯汰は野盗どもに金を渡し、人払いを頼んだ。
そうして対話が始まる前に、騎士はふと気になった。必死だったから気が付くのに遅れたが、自分が何故こんな状況に陥っているのかを。
己の秘密を知った怪物に口封じ(物理)をしようと試みて、情けないことに返り討ちにあった。
そこまでの記憶はある。
その後が非常に曖昧で、臓腑が浮くような苦い経験をしたような気がする。
自分を掴んで地下へ追いやった怪物は、目を覚ましたときに見当たらなかった。代わりに野盗と見知らぬ青年――いや佇まいからそう思えたが、実際安全な場所で相対すると、まだ若い少年っぽさが残っていた人物がいただけである。
勢いでついて来たが、何者かわからない相手に、つい油断し過ぎたのは共闘したゆえか、それとも……――。
落ち着ける場所につき、青年は『本当にちゃんと離れてくれたようだ』と呟いた。野盗どもが約束を守ったと外の様子を見るまでも無く言い切った。
そこに違和感を抱きつつも、彼の方から戦意を感じられない。
『まず、どころから話すべきか……』
考えながら青年――颯汰は手に持った武器を無造作に部屋の壁へ投げ捨てた。
敵意が無いという証明のためだ。
同行者も渡された剣を見やる。
返すべきとは思っていた。
「…………」
ただ全面的に信用に値する人間か怪しい。まだモノを斬り裂ける研いだ鉄塊の方が信じられる。
そこでやっと、己の装備を検めることにしたのであった。
腰に帯びていた剣は無く、鈴の付いた鞘だけが残されている。ここへ落とされる際に失くしてしまった。
だが、斬撃の籠手《ロサ・ムルティフローラ》――とある名匠が造り上げた逸品は腕に付いていたままだ。
一度、敵対した黒い怪物に奪われかけた大切な品を見て安堵を覚えた、……のは一瞬であった。
「…………?」
おかしい、と腕についたそれを凝視する。
腕だけを覆う白銀に、派手さのないささやかな紋様がある。傷らしいものは見当たらない。
しかし、騎士――エドアルトは目を剥く。
そして、恐る恐る己の顔に触れ、確信する。
「……ない」
絶望が漂う。
全身から血の気が引き、凍えそうになる。
『あの~……、その……』
そこへ、同行者である青年が非常に申し訳ないと、呼ぶ声から察せられる。
そこを見て、エドアルトは固まった。
「――なっ!?」
目より下は金属の仮面のようなもので隠れているが、見えている部分だけでも非を認めているとわかる顔つきの颯汰が見せた。失せ物、エドアルトが大切な品の一つがその手にある。
『ちょっと、ほんと、すみません。これには事情が――(やっべぇ……! 予想はしていたがめっちゃ怒ってるぞ……!)』
震える客員騎士を見て、颯汰は苦い顔をする。
騎士のように青ざめるほど絶望していないが、これから先に起こるであろう(命の)やり取りに辟易してしまう。
瞬きはできない。
その刹那、死に至る危険があった。
神速の剣閃が首を断たんと振るわれる。
その一撃までは、両腕に発現した黒鉄の籠手にて弾けるものの、確実に第二撃として不可視の斬撃が飛んでくる。
暗がりであるから光は目視できる。ただ認識した段階で既に切り刻まれているのは間違いない。
舞うであろう埃煙によって生み出されるはずの幕に、退いても不利であるから懐に潜り込み、組み伏せるしかないだろう。
歯を食いしばりながら、いつ爆発してもおかしくない相手を前に、颯汰は息を呑む。
「…………」
確かに、客員騎士は怒りに震えていた。
それ以上に、己を恥じていた。
不覚を取ったこともそうだが、何より状況を理解するまでに些か時間を掛け過ぎたという自責の念で、どうにかなってしまいそうであった。
悔しさで噛み締めた唇からツーッと血を流す。
殺すしかない――。
それ以外に選択の余地はない。
なのに、
『えっ』
動けなかった。
くやしくて、つらくて、かなしくて、
「…………う、ぅぅ」
涙が勝手に、止めどなく溢れる。
激しい憤怒やら何やら、感情が込み上げて、滂沱の如く涙が零れていく。
『おぉぉぉ、おち落ち着い、落ち着いて!?』
想定外の事態に、颯汰はパニックに陥る。
数瞬後に死に瀕する一撃を放つと思い、身構えていたし、危機察知の幻影も見えてくるものだと思っていた。
凄まじい怒りでおかしくなったからか、かえって暴力に訴えることができなくなったのか。
ただ目に籠る殺意こそ、まさに射抜かんとする圧があり、呪詛が現実に浸透しそうだ。
そこに、誇り高き客員騎士の姿は無い。
深い憎しみと絶望に打ちひしがれた一人の戦士だったモノ……その残滓だろうか。
動けない理由は明解である。
恐いのだ。
演じていた表層の殻を破られ、隠していた内面の弱さが発露する。
ニヴァリスの第二皇子の右腕として生きていた偽りの顔、仮面の下を暴かれた。
そこに、誉れ高き客員騎士の姿は無い。
あるのは、一人の少女の姿だ――。
『ちょ、わ、悪かった! ちょっと落ち着いて話を聞いて、な? ね?』
颯汰は変身を解き、子どもの姿へ戻る。円形の瘴気の渦に反射的に手で顔を庇っていたエドアルトであった少女は、その変化にも言葉を失いかけた。
「なッ!? ――き、君が……」
その闇の奔流にも覚えがあり、少女は気づく。
この得体の知れない少年こそ、あの“ガルディエルの怨霊”であると。
「……色々と誤解されてそうですが、俺たちは別に帝都と敵対するつもりは無いんです」
偽名・ヒルベルト少年としては既に顔合わせはしていた。涙ぐむ少女は、心底驚いている様子であった。
気障ったい白の衣裳に、揺らめく外套。金の刺繍に長い髪。耽美な顔つき。
そこまではイケメンロン毛の客員騎士様同じ。
ただし性別は逆で、二十代前半ではなく、十代半ばくらいの若さである。
特に違うのは、種族。
人族ではなく、別の種族だと容姿から判断できる。
正直に言えば、特異と言える。
銀の長い髪に、一部分が爽やかな水色。
頭の左に青いヒレのような髪飾り。否、飾りではなく……。
毛色と同じ狼の耳が頭部ある。
エドアルト――ニヴァリスの歴史にて英雄と呼ばれるに相応しい客員騎士の男とは、世を忍ぶ仮の姿であったのだ。
海鱗族と獣刃族の雪の民の混血。
この地にても、忌まわしきものとして迫害される混血児だ。
必死に左耳にあたるところにある青い髪飾りのような海鱗族の証を必死に隠そうと手で押さえている姿を見て、颯汰はある程度事情を察せたようであった。
「それに俺は、あんたの秘密を握ってどうのこうのするつもりもない。喋るなと言えば絶対に他人に言わないよ」
少女にとってその言葉はもっとも望ましいが、一切信用できるものではない。
その恨めし気な目を見れば誰だってわかる。
信じられるか、と目が語っている。
それに対して颯汰は、どうすべきかと頭を掻いてから発言をした。
「……いや本当、説明して信じて貰えるかが自信なくなってきたな。あ、先にこれを返しますね」
気を失っていた客員騎士から奪い取った品を渡す。
それは、ささやかに金の装飾がついたフェイスヴェール。布の部分も薄っすら金色だが、下品な華美さは無い。
少女はそれを颯汰の手からすぐに奪って身に着けようとして、止めた。
「……今更、付けても遅いか」
嗚咽とまではいかないが、声に涙由来の鼻声混じりであったが、幾分か冷静さを取り戻していたようだ。
「えぇ。そのヴェール型の霊器が、貴女の魔力どころか、見た目すら別人へと変える物だとは、まさか思いもしませんでした。というか性別や年齢までとか反則じゃん」
「……これは、あくまで認識を阻害するだけの道具だ。君みたいに、そんな大それた変身はできない。ずっと見ていたなら、知っているだろ?」
だから、少女は装備していた籠手も正しく見えるはずが無く、視ようと意識すると薄っすら透けて見えるようになるというのに、はっきり見えたことでやっと自身のフェイスヴェール型の霊器――《ディスフラース》が無くなっていると知ったのだ。
「……まぁ、はい」
「最初から気づいていたのかい?」
「いいえ。……はいとも言うべきかもだけど」
「?」
「最初、俺の目にはすごい剣術を持つお姉さんにしか見えなかったんです。だから食い違っていた。みんな人族の男の人として扱っていたから」
そもそも、魔力を持たない人族が、魔石やらが無い状態で霊器に宿った精霊の力を借りたり、魔法を放つことは不可能である。
「…………なにか、先天性で見抜く目を持っているのかい?」
「……たぶんコイツのせい」
左手を前に持ち上げ、黒の瘴気が溢れ出す。
「ガルディエルの怨霊――怪物の、力か」
「んー……あー、はい」
何が切っ掛けかは颯汰自身もよくわからない。
ともあれ肉体の変調や身に覚えのない能力は、“獣”か紅蓮の魔王が何か仕込んだかの二択となる。どっちもバケモノだ。
「その力で帝都を陥れるつもりか」
「さっき言った通り敵対するつもりはなかったんですよ」
「それを信用させるだけの材料はあるのか?」
「……………………」
「顎に手を当て考えたポーズのあとに目を逸らすんじゃない」
「……実際、経緯を客観視しても、信用とか納得して貰えるか微妙すぎて」
「まぁ、いい。話してみてくれないか」
颯汰はこの国にきた目的と、帝都に入ってからの出来事をかいつまんで話した。
ただ、自分が形式上とはいえ南の大陸を治めている……という話は余計であると排除し、「竜の親に子を届けるため」と嘘ではないが真実にしては情報が些か足りないものである。
「ま、まさか、あの馬鹿姉妹に君が……」
エドアルトを名乗っていた少女が額に手を当てて苦しい顔をする。
「…………あの装置は、存在してはならないと判断しました。貴女が上に回収を命じられていると知っていたが、絶対に破壊しないとならない類いのモノだと、知りました。本当、あれは恐い」
一方、別の意味で苦しい顔をする颯汰。
トラウマはなかなか消えない。
存在してはいけない“洗脳機器”。それによる被害者……ともいえる人形たちの楽園は地獄絵図であったと言い切れる。
彼女たちの、装置の用途はイカレていたのもあるのは間違いない。だが、どうあれ正しい使い道などに元より無いような品だろう。
皇女姉妹は邪悪ではあったが、もっとドス黒い悪の手に渡れば取り返しが付かなくなる。ゆえに、破壊するのが最善である。
少女も、苦し気であったが納得していたようだ。
「だけど、装置を壊してしまったことで貴女が罪を被ってしまった。正直、そのまま見過ごせばいい……普段の俺ならそうやってたのに、なんか身体が動いちゃった」
「……わざと、自分の犯行であるとホテルの前で喧伝したわけか」
「今頃王さ……神父サマが胡散臭い話術で補強してくれてると思う。あとはまた上に行って、早急に逮捕命令を撤回させれば終わりだ」
「待って。そんなこと、できる? というか、そこまでする必要は無いんじゃ……? 帝都に現れた怪物の仕業で処理されるなら」
「念のためにですよ。一応、知り合いが昨日できたから、頼み込んでみようかなって思いまして」
颯汰は、罪人として追われた彼女を地下へと逃がし、その後に空中庭園にいるニヴァリスの魔王に頼み込む算段であったのだ。
「……それは、君が処罰されるのでは」
少女の一言に、颯汰は唸る。
「…………かも、しれない。一度本気で殺されかけたし。策はあるけど危ない橋を渡るのに違いない」
「なにも君がそこまでしなくとも――」
「俺が招いたことで貴女が巻き込まれたから。せめてもの罪滅ぼしで(…………何より、――)」
爽やかそうな台詞を吐いて少女を安心させるつもりなのだが、内面では違うことを考えていた。
――何より、あの魔王が直々にこの人を捕まえろと命じたこと、この人があの魔王を知らないという点が気になる。きっと何かがあるに違いない
十代半ばの美しい少女の赤面などに気づきもせず、真面目くさった顔で思考に耽けていた。




