66 地下街の野盗
闇の中、耳をつんざく鋭い音が響く。
金属同士が衝突する音はこの都市に居れば聞きなれたものであるが、
「……ぐぉッ!?」
「……ぎゃああっ!?」
「……せ、……ろせ!」
「……――い手は一人だ! さっさと殺れ!!」
その中に怒号、幾つも呻き声が混じっているとなれば通常ではない。
仄暗い街灯の光を何度も遮る人影。
伸びた影が踊って映る。
夢の続きのようで朧げな視界。
ぼんやりと霞み、光が薄い。
このまま、微睡みに溶け込んでしまいそうであったところを、声を掛けられて目が覚めていく。
『起きたか! あんたも戦ってくれ!』
他とは違う響き方のせいか、自分に向けられた声だとはっきりと認識できた。
『手が足りないんだ! ――これを!』
上体を起こしたところに、鞘に納めた剣が回転しながら床を滑って来た。
拾い上げながら立ち上がって見る。
とくに特別な意匠はなく、段平でもない何も変哲のない鉄製の剣だ。
視点を下から上に戻し、即座に剣を抜く。
ほとんど反射的であった。
「ぐわっ!?」
剣閃の後を追う、迸る血飛沫。
雄叫びを上げながら剣を大きく振り下ろそうとしていた男を、先に斬り捨てた。少しでも遅れれば、やられていたのは逆だったことだろう。
だが傷は浅い、反撃が来る前に足蹴で飛ばす。
前方からやって来ていた“敵”の仲間が慌てて武器を持った腕を挙げ衝突しないようにする。
「うぉおっ!」
「クソがぁぁああッ!」
一人が斬りつけた男を受け止め、もう一人が斧を片手に突っ込んできた。だが所詮、素人の攻撃。暴漢如きに後れを取るわけがない。
「――ふッ!!」
鋭い突きが先に暴漢の、空いた肩に刺さる。
痛みに喘ぎ、生まれた隙を逃がさない。
二度斬りつけられ、暴漢は止まった。
仲間の名を叫ぶ者たち。
その深い悲しみを慟哭する暇は与えない。
目覚めたばかりとは思えぬ冴え渡る剣戟。あっという間に暴漢たち三名を沈黙させるに至る。
『嘘、怖っ……』
五人ほどの暴漢を相手に立ち回る青年はボソッと呟く。周囲に倒れたり、壁に寄りかかって苦し気に肩を上下させている負傷者が見える。
その青年は剣ではなく、長柄の武器を振っていた。身長と同じくらいの長さで、先端を見やるが槍ではない。棒術による長いリーチを活かす。振り回して広範囲を牽制しつつ、時折、的確に相手を差し込むように押し当てていた。
暗い広場、ここがどこだか見当もつかない。
地下街の路地の一画だろうか。
土地勘もなければ上層の霧と違って光が届かぬ闇に覆われ、判断付かない。
「君は一体……?」
『話は後! 野盗、追剥を全部片づけたらだ!』
そう言うと青年は華麗に棒を振り回して、短剣や手斧の間合いに入れないようにしつつ、死角から襲い掛かる敵をまるで見えているかのように、振り返らずに叩き払う。
「クソがっ! もう一人もなんでぇ、えらく強えじゃねえかッ!」
「感心してる場合か馬鹿! 舐められたままじゃ終われねえぞ! ただで獲物を逃がしちゃとなったら、ここいらですぐに噂になる! そうなったらもうお終えだってことぉ、おめえだってわかってんだろ?」
「っってもよぉ……どうすりゃいい? 一斉に襲い掛かってもこれじゃあよぉ!」
地下街の野盗崩れどもが話し合う。
金銭目的で上層から不運にも落ちてきたもの達――建国祭時は特に地下と上層の出入りは門番がいるため、なかなかありつけないごちそうをただ食い散らかそうと襲い掛かったに過ぎなかった。
身なりは小綺麗な二人は若く、集団で襲えば取るに足らない相手だと見くびっていた。
『どうにか、諦めてくれません?』
わけがわからなかった。
一人、気を失った者を背負いながらかなりの速度で逃走していたこの青年を、やっと追い詰めたと思った途端である。諦めて命乞いしようと構いなく、すべて奪ってしゃぶりつくしてやろうと思っていたというのに、想定以上の抵抗を見せた。
『そっちが退くぶんには、別に追うつもりはないので……』
「う、うるせえ! こちとら失敗は許されねえんだ!」
『えぇ……』
青年……“獣”の力を解放した立花颯汰が困惑の声を上げる。
「地下で獲物を逃がしたとなると逆にこっちが食われちまう……!」
そんなこと知ったことではない。
『要するに狩る能力が無いとアンタたち以外のグループに知られると、今度はそっちがターゲットにされるってやつですか……、なんだか胸糞悪い話だ。でもさすがに地下でも労働する場所はあるでしょう? 施設も多そうだし、追剥みたいなことをして上と揉める方が面倒じゃないですか?』
「…………職が無えんだ」
野盗に墜ちるしかなかったのだ。
この世界でも、盗賊業を生業とする者たちも当然いるが、好き好んでそうなったとは限らない。ヴェルミも前王派の敗残兵がそのまま国に戻れず、盗賊となってしまったパターンもあった。
意識のある者たちはがっくりと肩を落として同じ悲し気な顔をしている。
皆が髭面や傷のある漢らしい顔つきなのに、今や非常に沈痛な面持ちである。
そう思えば腕や足が片方無い者、よく見れば指が足りない者がいた。
思わず、颯汰は同情してしまいそうになる。
『そ、そう……。いや、なんかごめんなさ――、……いや違う! だからと言って、人を襲って身ぐるみ剥ぐなんてことが許されるわけが――』
「――生きる為だっての!」
「あとやられた仲間の仇もだ!」
「あぁああッ! もう死なば諸共じゃあああ!!」
『た、対話って難しい……!』
説得は失敗に終わったと認めるしかない。
男たちは声を荒げ、捨て身で向かって来るつもりのようだ。自分たちには未来がどうせ無いのならば、いつだってこの瞬間、命を捨てられると思い違いをしているのだろう。
「おい。君、どうする。殺すしかないぞ」
連れであるもう一人が颯汰に告げる。
『やむを得ない、か』
殺意が高い同行者に、同意を示す。
躊躇いが最悪の事態を招く場合もある。
特に命がかかっているとなると尚更だ。
それに相手が野蛮な暴漢――すぐ暴力に訴えるタイプであれば、迷うわけにはいかない。
粘っても仕方がないなら黙らせるしかない。
戦闘態勢を取り、いつでも迎え撃とうとしたときである。
「ちょ、待った! 待たれよ! というか決断早いな!?」
今にも襲い掛かろうと自棄っぱちになった男たちの、背後から慌てた声が聞こえた。
現れたのは少し場違いな男に見えた。
地下街の住民にしては小綺麗――地上に住まう人間と大差がなかった。他所国の貴族より無駄な装飾は無く派手さ劣るが、フォーマルな服装が今のニヴァリスの平民でもトレンドなのだろうか。
しかし、その眼光の鋭さから颯汰はすぐに彼らの仲間であると察した。
「人の生き死にがかかっているというのに、淀みなく殺すことを選択できるって、その歳で? 恐ろしいものだ」
驚嘆を示しつつ、薄く笑んで拍手をする男。
それに対して二人は、
『黙って殺されるくらいなら、そりゃぁ――』
「――ねぇ?」
似た者同士なのだろう。
末恐ろしいガキどもだ、と男は出かかった言葉をどうにか呑み込んで、調停を図ろうとする。
「俺はまぁ、こいつらの上司みたいなもんだ。うん、その手に持った何か武器的なものを飛ばそうとしないでくれないかな」
興奮する部下たちを割って前に躍り出た男。颯汰は、不審な動きをすれば脳天にクナイを突き刺すつもりであった。
人相の悪い男たちに“頭”と呼ばれた男は、未だ怒りに震えて耳障りなほどに喚き散らす部下たちを諌める。上司を称する頭は途中までは部下たちに優し気に接しようとしていた。発言を妨げてまで感情を爆発させる仲間たちのけたたましい怒声に、三十秒ちょっとは我慢していたが、豹変して声を荒げた。
「うるせえ馬鹿野郎ども!! このままむざむざぶっ殺されて堪るもんかよ! 止めなきゃ全滅で損失だけが残る! てめえらに払えるのか? あぁ!?」
強面の髭面や傷の付いた顔の男たちが一瞬にして沈み、シュンとしていた。
彼は地下の掃き溜めに相応しい、反社会勢力の一員なのだろう。
「……悪いな、うちのもんが勝手に邪魔しちゃって」
『あ、あぁ。はい。本当に邪魔です』
嫌味ではなく本心で颯汰は答える。
「ハハハ手厳しー。正直お前さんたちみたいなのを殺し屋として雇いたいところだ。凄腕じゃないか。どうよ? 謝罪を込みで報酬も上乗せするぞ?」
「殺し屋? 鉄砲玉の間違いじゃ?」
同行者が頭を睨んで言った。
「……こりゃ手厳しい」
「地下の連中の手の内など、簡単に読めるよ」
何か事情を知っているように同行者が見下したように言い放った。
このまま帰すのが手っ取り早いように見えて、油断ならない――背後から奇襲してくるかもしれないと同行者だけではなく、颯汰も理解していた。ゆえに少し考えてから進言する。
『……俺は、この人と話したい事がある。だからひと気のない場所を探してるんですが……場所をお借りすることはできますか? ここいらの土地に明るくないので、貴方なら知ってるでしょう?』
「え?」
この人――同行者が自分のことを急に振られて驚いていた。
「ほぉ。逢瀬――って感じじゃあないか。上で何かやらかした口かい?」
ニヒルに笑う頭に、呆れ顔で颯汰は答える。
『…………二人だけの秘密にしたいんで詮索して欲しくないんですけど。あとこれ』
左手にいつの間にか持っていた革袋から、無造作にブツを取り出して見せつけた。
「か、金! たんまり!」
「お、ぉおお!? あれ金貨じゃねーか!?」
安易に近付こうとする仲間を、頭は手で制する。一見隙を見せているがそれ以上近づくとなると、颯汰の右腕に抱えて立てている棒が火を吹くのは明らかであった。
『場所代と人払いとかの経費ってことで。そこまで時間は取りませんから、ちょっとした空き家でもあると助かります』
「か、頭ぁ!」
「――わかってる。一応聞いておくが、どこからその金が? ……あぁいや、いい、学習した。詮索しないでおこう」
男は両手を振って制止させてから、顎に手を当てて考えるようなそぶりをする。
「そうだな……もう少し地下を降りると人が全くいない区画があるんだが、そこはなにぶん疫病が流行ったことがあるから勧められないし……。ウチのアジトしかないが、どうかな?」
「――ハッ。論外だろう。誰が襲って来た連中の巣に行くと言うんだね? ……というか君、話って何? というか君、誰?」
『それを含めて話をしたいんです』
「……?」
イマイチ説明不足で要領を得ない状態である同行者であるが、ともかく彼らの後をついて行くしかなさそうだと諦め、薄闇の中を歩み始めた。




