63 同流の剣
カラカラと物寂しい音が響く。
室外機のファンが回り、振動が外に伝わる。
かつて失われた文明――太古の技術を地下の大空洞から得て、さらにそのまま居住地として造り上げたニヴァリス最大たる首都・ガラッシア。大半は用途不明か壊れて使い物にならないが、こういった生活に用いるものは積極的に利用しようと試みているようだ。技術大系を国外に持ち込まれぬよう帝都内では特に出入りの際に検問を敷いたり、そもそも頭上の赤い巨大な鉱物――神の宝玉からエネルギーを供給する仕組みで他所に持ち込んだところで動かないようになっていたり、下手に中を開けていじろうとすると自壊するように(単なる老朽化の可能性も否めない)など対策はされている。
また、地下の施設の稼働中のものは全てが過去の遺産である。その中でも特に、資源生産プラントへの依存は強いだろう。輸出品も兼ねる肉類・魚介類の加工品以外の食糧である、農作物などが育ちにくい環境なため、資源生産プラントの一基は農作物を中心に生産し、辺境まで届けているのだ。地下の遺産に現代の技術を掛け合わせた暖炉などのおかげもあり、年中極寒地獄の大陸でありながら人口は増加傾向にあった。
さらに軍事技術も近隣国に比べてもかなり発展していて、多くの国がいつ牙を剥くか恐れていた。だからこそ、建国祭が始まる直前の今、ご機嫌取りを兼ねて外交に各国の要人たちが集まっている。中にはこのホテルを利用していた外国人もいたというのに、空前の騒ぎと失態が繰り広げられた。
客員騎士・エドアルトの暴走。第二皇子の右腕とされた騎士が、マナ教信者を斬りつけたという事件が今、この場で起きている。
他国の国賓や外交官からしたら美味しいネタだろう。付け込む弱みになるかもしれないし、ゴネれば補償金、事次第では運がよければ技術を盗めるかもしれない。……無論、後者の場合は何らかの実害を伴わなければならないが。
一方でニヴァリス帝国内の儀典局は顔面蒼白になってもおかしくない。事態を知り、近い未来を想像すれば、きっと泡を吹いて倒れるか、トイレにでも駆け込んで嘔吐することだろう。
カラカラと物寂しい音が鳴る。
だが、それだけじゃない。
下界の喧騒は遠くとも、窓の外から混じった音はノイズとなって耳に入ってきた。
「……? 一体何だ……?」
寝ぼけ眼を擦り、男は言う。
鳥の鳴き声すら聞こえない閉じられた世界。
長い移動時間、大雪原と厳しい寒さを思い知り心ッ底、母国へ帰りたいと願っていたというのは帝都に着くまでの話。昨日の夜から、自分が住んでいた土地とは一切も異なる外国の景色や文化に酔いしれ、酒も進み、気が付いたら意識を失い今に至る。
ベッドではなく、ヴェルミ製の編んだ豪華な籐椅子にグデッと倒れ込んで眠っていたらしい、と男は気づいた。昨晩はどれほど飲んだだろうか。誰と一緒でどんな店で飲んでいたかなどとすぐには思い出せずにいた。
「……水」
喉が渇いた。
すぐに身体を動かす気力はなかったため頭だけ動かして物を探す。男はすぐにテーブルの上にある陶器の水差しに気付いて、そこへと歩き出す。
コップはテーブルの下に転がっていたが、気付かず見つからないなと早々に諦め、直接口を付けて飲み始めた。寝起きの口腔は雑菌が繁殖しているため、うがいをした方がいいのだが、そういった知識すら普及していない異世界である。
「ぷはーっ……あぁ、二日酔。ちょっとばかし飲み過ぎたかな……料理も変わったモノばかりで美味しかった。……どうにかレシピぐらいは持ち出せないものか」
渇きが癒され澄み切った顔から、頭痛による苦悶、そして振る舞われた料理を思い出して恍惚の表情とコロコロ変わる。
国に帰ればそれなりの重鎮であるのに関わらず、かなり羽目を外していたこの男は、酔いが完全に覚めた頃あたりに急に不安に襲われることだろう。国を治める者から選ばれた使者にしては些か分別が無さ過ぎた行いであった。
恰幅がよく、顔つきは貴族らしいずる賢さはあまり感じられない。どちらかと言えば、小動物が頑張って自分を強くみせるように、威厳を保とうとキツイ顔つきをしてカイゼル髭にしてみせていた。今は二日酔と付き人も別室にさせたお陰で非常に体型と同じく緩み切っていた。
「……? やはり外が騒がしい?」
起きたときは気のせいと思ったが、違うと知って男はヨタヨタと窓の方へ歩みを進める。
窓の外の景色なぞ曇っていて見えないが、硝子張り。外側は落下防止の金属の柵で覆われている。まるで監獄だなと最初部屋に着いたときは嘲るように言ったのを思い出しながら、窓を開ける。
外の少し淀んだような空気。
白い闇に包まれて街は霞んで見えたが――、
「――え?」
眼前に通り過ぎる影。
濃密な黒の瘴気と鬼火が入り混じる何かが落下する。何かの塊が、空より飛来した。
ゴオォオオッと――凄まじく重々しい音。
空気を燃焼し、圧し潰す音と共に地上へ向かい、衝突する。
揺れ動く漆黒と蒼の焔火が尾を引く。
「――……なっ!?」
呆けて窓を真っすぐ見ていたが、衝突音と建物自体が揺れると、彼は身を乗り出して下界を見ようとする。だがすぐ格子に顔の肉を挟めるだけでその影を追うことはできなくなる。
来賓の男はしばらく呆け、動けなかった。
そうして、ニヴァリス・第二グランドホテルの入口前に、それは現れたのだ。
最初は、何か建物の一部が崩落したなどの事故か、とその場に居合わせた大多数は錯覚する。
轟音に白煙は吹き飛び、周囲は沈黙に包まれる。
殺し合いとまではいかないが、かなり殺気立っていた空間。剣を交え、暴れる騎士を押さえ込もうとしていたそのすぐ側、ゆらりと落ちた影は動き出した。
黒鉄の仮面、眼窩と両手足に燃ゆる鬼火。
黒の襤褸と身に纏う瘴気が融けあって揺れる。
地面に伏すように降りた影は、古びた機械染みていて己の各稼働箇所の動作チェックを行っているがの如く、ギギギと態勢を整える。
玄関口から数ムートの距離があるのに、目を奪う存在感。絶対なる“死”の象徴が具現した姿。
絶望が、牙を剥いていた。
『――……ァァ……』
掠れた声。小さいのに、確かに耳朶が捉える。
呻きを上げ、立ち上がった絶望の怪物は、こちらを真っすぐ見据えてきた。
『愚、か……』
その呟きに、醜く争い合う人類に対し明らかな嘲りが含まれているとわかる。金属のフルフェイス、燃える蒼の目であってもその感情がありありと伝わってきた。
『実に、愚かだ。人間、ども――ッ!?』
言葉を遮るのは風の音。
直後に響く剣戟による金属音。
皆がその突如現れた奇怪な存在に驚いて放心している間に、ボロボロの身体に鞭打って、エドアルトが接近して斬りつけてきたのだ。
――いや、対応早くない!?
偽名を名乗る前に、凄まじい殺意を剣に乗せて斬りつけてきたエドアルトの表情に、怪物に変装した颯汰は少しばかり恐怖を覚えた。
騒ぎの中、わざわざこっそり離脱して階段を駆け上った颯汰。屋上までは怖いのでそこまで行かず、自分たちが寝ていた部屋のある階に訪れた。レライエがもしものためと勝手に窓の格子のネジを外していたのを思い出し、颯汰は駆け足で大人組の部屋へと向かった。廊下には騒ぎを聞いてどこも人がいて、掻き分けて進んでいく途中、仲間たちと一緒にいた皇女の呼び止める声が響いた。無視するとマズイとは思ったので、軽く会釈するだけに止めて、鍵もかけてない部屋にずかずかと入り込んでいった。そうして颯汰は変身し、まんまと窓から脱出する。そのまま落下では勢いが無いため、脚に赤い雷を纏わせながら壁を垂直に駆け昇り、仮面の下で非常に情けない嫌な顔をしながらも「いい加減そろそろ慣れろよ俺」と自分を叱責しつつ、落下していったのだ。
事態を収束させるために、小芝居を打ちにやってきた颯汰であるが、この姿では徒に事を荒げ、煽るだけになってしまう危険性は重々承知していた。
少し予想より強めの殺意と影を置き去りにする速さに驚きつつあったが、即座に左腕の瘴気に格納していた剣を取り出し、応戦することはできた。
――こっちに引き寄せるつもりだったケド……このヒト、まだこんなに動けるの?
迅速に、現れた黒い怪物に向かって躊躇いなく剣を振る。およそ話し合いの余地はない。ここが戦場と言わんばかりの豹変っぷりである。明らかに先ほどまでの彼とは違い、その太刀筋と速度から、一切の手加減は見られない。
「貴様……! キサマァアアッ!!」
颯汰が扮する黒衣の怪物“ガルディエルの怨霊”に対し、エドアルトは憎悪を滾らせていた。
騎士としての誇りや体裁など捨てている。
――憎しみで、身体を無理矢理動かしてる!?
『それじゃあ身体が保たないぞ、死ぬ気か?』と心の声で続ける颯汰であったが、まったく人のこととなると好き勝手頭の中で言う男である。
首を断たんと剣が奔り、命を奪おうと手足が動く。呼吸をするたびに肺と肋骨が悲鳴を上げていたはずが、その痛みすら忘れ去った。
怒涛の剣戟が始まる。
一瞬でも反応が遅れるわけにはいかない。
後手に回る形だが、一手間違った瞬間に死が待っているため、最速で対応する。
「くっ……――貴様は一体何者なんだ……!」
『我の、正体なぞ、気にしている、場合、か』
エドアルトは忌々し気に問う。颯汰の方は努めて声の出し方を変えてはいるものの、剣戟の最中であるから余裕が崩れて若干早口で返した。
言葉を交わす最中で斬り合いは加速していく。
――というか、何者かはこっちの台詞だよ色々と。なんでアンタも“天鏡流剣術”を使ってるんだ
颯汰は昨日、地下でエドアルトと軽く戦闘をしたときのことを思い出していた。
激情に駆られながらも冷たき心で確実に追い詰める蛇の毒牙のような――緩急を織り交ぜ、確実に仕留めようと剣技。そして最後に放った一撃こそまさしく颯汰も会得している奥義『蛟牙』そのものであった。
たまたま似た別の技の可能性も捨てきれないが、先ほどの初撃――接近時には無影迅を用いていたことから偶然ではないと確信を得た。
――同じ師匠から教わった? あのときはそんな他に弟子がいたかとか聞く余裕も興味も、欠片ほどなかったからなぁ
あのときとは五年前の剣術修行中の頃である。
確かめる術は今はない。それに現状は無駄な考えをしている余裕だってない。全神経を総動員し、足りぬエネルギーは契約者の魔王などから無理矢理引き出し、対応している。そうしなければならなかった。
「はぁッ!!」
『ッ……! (や、やっぱり素の俺より速くて巧い!)』
瞳の光が僅かに細くなる。
己の剣の腕ではエドアルトに及ばないという自覚は確信へと変わる。自分より才能があるのか、それとも打ち込んできた年数や、実戦による経験の差だろうか。
頬を掠める刺突を、颯汰は顔の横に置いた剣でいなし、追撃の横薙ぎを阻止する。そのままエドアルトは剣を真横に引くと、
『くッ!』
襲い掛かる不可視の斬撃。純粋な剣術ではない、魔力によって引き起こされた現象。
超至近距離であろうと放てる必殺の一撃。
その正体を知っていてもなお、魔力を感じられないことに違和感を覚えつつ、その情報をすぐさま意識の奥へと颯汰は追いやって、回避に努める。
跳ねるように避けた先、ステップを踏んだ先に罠のように張られた不可視の斬撃――をまるで見通すように避ける怪物に、もはや観客と化した憲兵たちは度肝を抜かれる思いであっただろう。
帝都最優と謳われた騎士が地に堕ち、狂気に染まったとしてもその業の冴えは変わらぬどころか一層、研ぎ澄まされているように見える。
しかし、相対する怪物もまた、防戦一方に見えても猛撃の嵐の中を駆け抜け、生き延びているという事実に驚きが隠せない。
命のやり取りであるのは間違いないが、呆けて見入ってしまっていた。
同じ流派の剣と剣が戯曲を紡ぐ。
「! 加速した……!?」
無影迅に加え、蒼の炎をまき散らしながら進行方向を急転換、さらに加速してみせた。
不可視の光檻から脱し、怪物は襲い掛かる。
最初こそ、その勢いに押されかけていた颯汰であったが、次第に互いの刀剣で叩き合う中で感覚を研ぎ澄まされていき、互角のスピードとなる。
「お、おい見ろよ……」
「……あ、あぁ。ありゃまさか」
ホテルの玄関口にまで出てきた、エドアルトを捕縛しに動いていた憲兵たちも気付く。つまりは誰よりも先に、得体の知れない謎の怪人と斬り合っているエドアルト自身が気付いた事柄である。
「同じ太刀筋……今の構えも、同じか!?」
「あの足さばきだって同じだ! アイツ、客員騎士殿と同じ剣術を!?」
最初こそ攻めるエドアルトの本気の斬撃を、颯汰は驚異的な動体視力で見てからギリギリでなんとか対応していた。だが、十数度も剣をぶつけ合い、馬上のヒトの如く斬り結んでは、立ち位置を入れ代わり立ち代わりしていく中で、互いの攻撃だけではなく、足運びや構えに至ってまで鏡写しのように、全く同じものと変化していった。




