61.5 瞑想の間
マルテ王国――人族至上主義がまかり通った荒地の王国。
奴隷制を推し進め、“源老神”――(と呼ぶと大抵の場合、彼らは大いに怒り狂う。)創世の“大神”を崇めたてる『星界大神教』を国全体で信仰している。
遥か昔、ヴァーミリアル大陸の半分以上を支配下に置いていたため、現在のヴェルミ地方及びアンバード地方の村や町にも、幾つか似た名前のものが点在している。
しかしそんなマルテも今や国土は三国一小さい。そして同時にその内情を詳しく知る者は少ない。近しいが、謎の多い国であるのだ。
密偵を何度も派遣しているが、戻ってくる者が少なく――いや、ほぼゼロ。厳しい監視下に置かれ、得られる情報も芳しくないと言ったところだ。
国境の大壁で陸路は塞がれているのもそうだが、海路は私掠船が跋扈して近づけやしない。
マルテ側は繋がりを否定していたが、国外を襲う海賊たちの一部は彼らの元で動いていると東側に海のあるヴェルミにはわかっていた。
また、他国との交流を基本的に行おうとしない閉鎖的な国であるが、ここ数十年、商船でヴェルミ以外の国と交易を始めていたようだ。
「資源が乏しく狭い国土、溢れる奴隷たち……どうやって国を成り立たせているんだろう」
書斎で独り言ちる王――クラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルト国王。
尖った耳と長い黄金の滝とも見紛う髪を後ろで束ね、女神の如き美しさを有する青年――緑衣のローブを着た美男子がヴァーミリアル大陸のヴェルミ王国を統べる、長命であるエルフの新王である。
その横顔を見れば、どんな男も女も思わず溜息を漏らすか、呑まれては呆けて口を開けたままにするかのどちらかだろう。
羽根ペンを止め、思考を巡らせ口が動く。
「やはり、引っ掛かるな……」
長年、鎖国を続けていたマルテ王国。
外国との交易こそは始まったが、まだその国土に他者を入れる事を一切よしとしていない。
密偵からの暗号文も、大した情報がない。
……と思われていた中に、ディムは一つの情報を見つける。『大穴』……これが何を指しているのかわからない。それ以後、その密偵からの文章による連絡は途絶え、真相は闇の中だ。
「マルテの国土は狭い……とされているが、その全貌を知るものはいない。魔王のように自由に空を飛べないからな」
本来は三国でもっとも広大な土地と資源があるのかもしれない。
「マルテより南に、敵対している国があるのかもしれない。でなければ、彼らは商品である奴隷をどこから仕入れている……?」
掲げる主義こそは『人族』こそが神に選ばれた種族だというトンデモなものであるが、ここ数十年は本当に奇妙なまでに大人しい。
少なくとも、クラィディム王子が生まれた時代からは、小競り合いはあってもマルテとの本格的な戦争は一度も起きていない、と過去の報告書にはある。
ヴェルミは比較的温和であるし、マルテの狭い領土を取っても旨味はないので仕掛ける利点がない。アンバードも前王の時代は考えは同じだったはずだ。攻め込んでも消費と損失の方が得るものよりも大きい。武器だって食糧だって、戦う兵だってタダではないのだから。
それに片方を襲っている間に、もう片方の国に襲われては堪ったものではない、と互いに考えていたようだ。
集中したい、と人を追い出した書斎でディムの声だけが小さく響く。
机の上に二つに分かれた山積みの書類――目を通してサインしたものとまだ処理が終わっていないものとである。
アンバードと戦争が終わった。
結果は事実上、ヴェルミの敗戦である。
魔王が、争った二つの国を征服したのだ。
前王は投獄され、王子が代わりにヴェルミの王となった。これも“魔王”の勅命である。
『王子……いや、新たな王よ。貴様が、あの愚物に代わり、この国を治めよ』
丸投げされた。いや、実は最初からこういう手筈であったのだから問題はない。
逆賊たる前王とその一派を投獄し、古く穢れた膿みを押し出す事が出来たのだ。
後は民のために清く、善政を敷くだけだ。
紅き魔王がどこまで信用できるかわからないが、武力ではどうにもならないため、彼が中央を牛耳る王で構わない。
しかし問題は、何故か旧知の友――立花颯汰が“王”と仕立て上げられた事だろう。
彼は望んでそんなことをするような人物ではない。権力とかそういうものを煩わしいと思うタイプの男だと親友としてそう認識している。
手紙でやり取りをしているが、今度はそのことを聞いてみようかと心に決めた。
……――
……――
……――
書斎の隠し通路――大樹の洞の中はこういった道が複数あるが、書斎のは城外への脱出口ではなく、とある部屋に赴くための通路であった。
『瞑想の間』と呼ばれる一室。なのだが部屋と呼ぶにも何か不思議な空間だ。
大樹の洞に形成されたもう一つの森――そう呼ぶに相応しい。
そこは他とは異なる空気に包まれていたのだ。
光源と呼べる――獣脂の蝋などはないが、薄っすらと見える。ここは昔から、人が入ると自動的に明るくなる。壁自体が光り始めるのだ。暗めの緑青ツタのようなものが、天井も壁一面も上から下へと張り巡らされ埋め尽くしている。それらが部屋に誰かが踏み入ると天井から地面まで光が奔り、再び闇が訪れ、次第に仄かに光る。目を遠くへやると、森の所以たるものまでが見えてくる。ツタのようなものが一本一本複雑に絡み合い、うねり、樹木を形成しているのだ。
奥に行くと、樹木とツタ――のように見える金属が組み合わさった階段を登った先に目的地である祭壇がある。
ここへは瞑想するために来た訳ではない。
知恵を借りにきたのだ。
「お久しぶりです。大老」
クラィディムは祭壇のある祠に呼び掛ける。
そこには、座した老人がいた。同族である長耳であるが、酷く痩せこけ、骨と皮のみしかない。即身仏一歩手前のような状態。帽子と顔を隠す布から性別はわからない。指を合わせ、拝むようなポーズのまま時が止まっている。
身体には瞑想の間を埋め尽くすツタのようなケーブルが絡まり、背中には七、八本くらい突き刺さっている。
何百年も生き続けた生きる神秘にて、ヴェルミ最大の秘密――それこそが『瞑想の間』。
「……単刀直入に尋ねます。父上――ウィルフレッドは隣国アンバードの英雄たるボルヴェルグに何をやらせていた?」
彼は父ウィルフレッド老王が、他国の魔人族――英雄ボルヴェルグを使って何かをしていた事はもちろん知っていたが、具体的に何をしていたのかは知らなかった。
ボルヴェルグは親友である立花颯汰を連れていた大男でアンバードの騎士……しかも元は西方の傭兵だった魔人族と鬼人族の混血だ。
大老はゆっくりと口を開く。正面からは見えぬが掠れた声が聞こえてきた。
「……――地質の、調査だ」
老人らしい無駄な前置きの挨拶や説教、話の脱線などせずシンプルに答え、続ける。
「鉄蜘蛛は覚えておるだろう?」
「はい。もちろん」
「占術士の予言により、ウィルフレッドは『鉄蜘蛛』が近年、復活すると知った」
「大老、あなたが教えたのでは?」
「知っておったが此方からウィルフレッドへ、コンタクトを取る術が無かった」
「……なるほど。ですが何故、ボルヴェルグ――彼なのです? 元老院どころか、民に知られた段階で問題どころの騒ぎではない。それでも、自国の兵を使わずに“やらせていた”……」
港町カルマンでの海賊の襲撃を鎮めたという功績があったとしても、見返りとしてヴェルミに住ませ爵位も与えようとしたらしい。
「順を追って説明しよう。一つは、彼がアンバードから亡命を図りたかったのだ」
「……その情報は大老が?」
「いいや。マクシミリアンが送り込んだ密偵からの情報だ。義兄弟と呼べる仲であったから、ボルヴェルグの息子の訃報を聞き、心配したのであろう。鉄蜘蛛の幼体の襲撃から復活が近いと確信した彼はすぐに妻子と義父に事情を説明して旅に出た。過去に鉄蜘蛛の猛威により、部下を大量に死なせた経験から、今度こそ単身で片付けようと考えたのだろう。その際に密入国をしてきた彼に接触をし、調査の依頼をした」
ヴェルミの密偵が彼の状況――“英雄”と称されているが混血ゆえに、傭兵上がりゆえに、鉄蜘蛛討伐時の作戦行動中に殆どの仲間が死んだゆえに、貴族が住む区画にいながら居場所はなかった事を把握していた。
「もう一つは彼が持つ霊器。グレンデル家が代々受け継いできた秘宝だ。あれが鉄蜘蛛の存在をキャッチする。対巨神用兵装で名を……――」
「?」
「……わしの口からはこれ以上言えん」
「秘匿された情報、あるいは規制されてあなたにもわからぬ事柄。……国王相手でも言えない?」
「わかっておるだろう? たとえ拷問しても、殺されても、口に出す事はかなわぬ」
「……そうでしたね」
「話を戻すが――あの兵装の持つ機能により、土壌を調査……鉄蜘蛛の成体がいつ目覚めるのかのおおよその予想を立てた。その内容は既に聞いたな」
「えぇ。あまりウカウカしていられない。民が混乱するからまだ正式に発表はしないが、ソウタには話を付けようかなと。こればかりは使者や手紙だと漏洩の可能性もあって拙いでしょうから」
「……あまりあのものに干渉するでないぞ」
「無理な相談です。彼は曲がりなりにもこの国と、争っていた隣国の両方を手中に治めた男。……本人が望む望まないは別としてですが。国王である私の上に立つ存在なのだから避けられるはずもない。もちろん、避けるつもりもないんですが。友達だからね」
「…………警告はした。その選択に後悔がないことを祈ろう。探し人がいるようだ。そろそろ戻るといい」
「……わかりました。また何かがあれば訪ねます」
「そうならぬほうがよい」
最後に笑ったように聞こえたが、それきり男は物を語らぬ即身仏へと戻る。座する大老を背にして、ディムは来た道を戻って行った。
流る星は地上へ昇り去った頃。
闇に包まれ、一人となった男は言ちる。
「……広大な雪原……。目覚め……――。大いなる御使い……、魂を宿し……、偽りの肉体たる神の遺骸、にて。…………動乱は、避けられぬ、運命か」
瞑想の果てか、意識が現実と乖離して搖蕩う。
見てているのは遥か過去の情景か、構築された未来の模倣か。それとも単なる妄想か。
答えは出さぬまま、物言わぬ亡骸となり、木々と一つになっていた。




