58.5 暗殺計画
立花颯汰が皇女姉妹の檻から脱した後――都を中心に穿たれたかのような大穴の、地下の途中から落下し、死に物狂いで垂直に駆け上がったときと同時刻。
張り巡らされた移動用の索道のロープが交差し合う歪な真鍮の街は、煙たさで視界良好とは程遠い。そんないつも通りのガラッシアであったが、地上では二十年に一度の建国祭に向けて準備が進められ、興奮がジワリと人々から街全体へ伝播していくのが見て取れる。皆が浮足立っていた。
そんな中、颯汰の仲間たちは入国後に合流し、颯汰が行方不明になっているとわかり、捜索をし始めたていた。王位を与えられたとはいえ、さすがに子どもの見た目の少年を放っておくわけにもいかない。しかし、手がかりはない状態。約三名ほど錯乱・暴走・ヒステリーに陥るなど多少危うい状況ではあったが、大人組と王女の尽力のお陰で崩壊は免れることには成功した。
闇雲に探したところで土地勘のない者たちでは解決しそうにない。第四皇女イリーナの権力をフル活用して捜索願を憲兵に出し、それぞれが分かれて迷子探しを始めたのであった。
そんな中、完全に別の目的で行動する者たちがいた。薄情などではなく、本来の目的のためを優先しているに過ぎない。
女は男に連れられ、帝都の寂れた古い酒場――この時代にはよくある宿屋を兼営していた空き家に足を踏み入れる。
下層よりは明るく裕福な暮らしができる地上ではあるが、絶対の保障があるとは言えないのが現実である。経営が上手くいかずか、あるいは家主が突然の失踪、もしくは徴兵で後継者が死んだなど様々な理由で店が閉まっていて、人が少ない区画があった。非情なる闇は地にも訪れるのだ。
錆びたドアの向こう、埃に塗れたバーテーブル。酒瓶は疎らに置いてあり、一部は床に落ちては割れていて、中身が残っているものは無さそうである。そこの客から見えないテーブルの死角に、地下室への隠し階段がある。
ここまでさらに偽装のため掃除はせず、蜘蛛の巣だらけの階段を下る先に、錠前の着いた扉がある。錠前はダミーで、無理矢理壊そうとすると中の火薬が爆ぜる仕組みとなっている、と男は軽く説明するが、女にはイマイチ、ピンときていない様子であった。
男は扉にノックを三度、間を置いてさらに二度叩いてから、
「俺だ。レライエだ」
獣刃族の刺客はそう告げる。すると、扉のロックが解除されたガチャンという小気味良い音がした。扉は下から上に持ち上げるシャッターのような構造であり、持ち上げると、ランタンの光に照らされた道が見えてくる。案内――と呼ぶよりロックを解除するための見張りの男が先導する後をついていく。
木箱が積まれた通路を道なりに曲がって進み、さらに階段を降りた先にある自動昇降機を使った。そこで黒の闇の奥底へ向かうのだ。
地下の深い闇の中だからこそ、隠れられる。
白煙に満ちた闇に対する、光なき闇へ。
皇帝の威光が届かぬ世界ではあるのだが、そもそも己が箱庭を治める皇帝陛下が、地下に潜む汚らしいネズミなどに関心を覚えるわけがなかった。その油断で生まれた大規模なテロリズムで多くの人命を失ったが、首謀者を見つけ出しては処刑しそこで組織は一度壊滅できた。
しかし、反皇帝派のレジスタンス組織『ミスリルの目』は、再び集まることができた。
とはいえ一度壊滅したのと時間の流れもあり、組織全体の規模は小さく、技術の進歩で武装が整ったため脅威度は低いと侮られている。かつての英雄・豪傑とも呼べる者が悉く死に絶えた今、いつでも潰せるゴミとしか見られていなかった。
昇降機から降り、建物内を進んでいく。
「来たか。同志レライエ」
「待ちくたびれたぞ」
「てっきりお前まで殺されたかと思ったぜ」
「あぁ。みんな、心配かけてすまんな」
暗い部屋に入ると、楕円形のテーブルに男たちが会議用の机として利用していた。オレンジの淡い光が照らすそこに、資料が置かれている。
十二人の同志――ミスリルの目の主要メンバーが集まった。
「レライエ。その女が手紙に書いてあった例の……」
「あぁ。吸血鬼ハンターのお嬢さまさ。俺より強いから機嫌損ねるなよ?」
「? (ハンター? おじ様?)」
首を傾げかけたのを止め、男に耳打ちするような小さな声で問う。隣にいた男は悪びれもせず、
「(さすがに始祖吸血鬼とは書けんし。そういう設定で頼むよ)」
「(事前に言いなさいよそういうことは……)」
人に限りなく近い逸脱者が呆れて言う。知らぬ人たちが周りにいるせいで地を出さず努めたが、ハンターと通っているならば一層そのような振る舞いをしなければならない、と彼女は空気を読もうと試みたが、結論は「ボロが出ぬようあまり語らない方がいいのでは?」と黙することにした。心なしかやんわりとした令嬢の顔つきがキリッと引き締まったように見える。
「ともかく協力者なのだろう? 有難い。共に帝政を打ち壊す同志ならば歓迎さ」
「本当に強いのか? 岩を素手で砕けると手紙にあったがか弱そうな女の子にしか見えんぞ」
「…………」
ウェパルは答えない。代わりの微笑みの下に、見えないようにレライエの足を優しく何度も蹴る。多少痛いがこれでも加減はしているんだなとレライエも理解していた。そんなやり取りに気づかず仲間たちは興奮しながら話を進める。
「これから作戦の肝を説明するところだ。ふたりともこっちに来るといい」
気さくに話しかける男たち。
雪の民と人族が中心になっているようだ。
「いや肝も何も、狙撃するだけだろ?」
旅してきたときも大分柔らかくテキトーくさい喋り方のレライエだったが、ここでは一層砕けた物言いをしている印象を受ける。
「あんたがもしここに来れなかったときとか、そういう何か不測の事態が起きた場合のさ。正直無事に戻って来てくれて助かったよ。誰もがあんたのように狙撃の名人じゃないんだから」
「それにあの銃という武器を、せっかく亡き同志たちの尽力で手に入れたが――」
「――……ああ。ここぞというときに慣れてない武器は使わんほうがいいな。撃つ真似まではできても帝都周辺で発砲する訳にもいかないし、実際に当たるかどうかも怪しい。俺だって自信は無いよ」
テーブルの上にはガラッシアの地上部分の図があり、赤色の矢印と線がターゲットたるニヴァリスの皇帝がパレードで通る道なのだろう。
かなり簡略化されているが斜めから立体的に見たフロアマップであるため、彼らには何がどこにあるなどわかるのだろう。小さく青色の丸で囲った部分が狙撃ポイント候補で、赤いバツ印が中心に薄い円形が敵の目が届く範囲だろうか。
その横に並べてある杖ともまた違う、木製の物体が銃なのだろうとウェパルは推測をする。
――これで矢とか石を、放つのかな……?
少しズレてはいるが、現存する弓や弩の代わりとなる……奪取した武器であれば有用なモノではあるのだろうと考えられた。ウェパルが戦いに関しての知性を光らせている間に話は進んでいく。
「騒ぎを起こして兵を集めた隙に、爆薬を投げ込むプランもあるが――」
「そこまで近づけるだろうか。やっぱり騒ぎが起こると却ってターゲットである皇帝への護りが堅くなるんじゃ――」
「狙撃できそうなポイントも既に監視がいるが穴はある、これまで弓と弩もどっちも練習したがやれるだろうか……」
「やらなきゃならねえんだ。そうだろ?」
多少揉めあいをしているが、レライエの一言に皆の表情が引き締まる。
「俺たちは革命を起こさなきゃならない。皇帝を討ち、帝政を終わらせる使命がある」
「そうだ」「私たちがやらなきゃ」「必ずあの暴虐帝を……」「息子の仇だ」
「やれる手段は全部使う。必ず、あの憎きヴラドを殺す」
「ああ。絶対にやろう」「もちろんだ」「俺たちなら殺れる……!」
次々とレライエの言葉に賛同する集団と化した仲、独り部外者ともいえる新参者は、
「――それで、ゾン……吸血鬼はどこに?」
静かに告げると空気が張り詰めた。
帝国によって人為的に造られた吸血鬼の存在を許せぬだけで――そのすべてを殺し尽くさねばならないと使命感を抱いているものの、彼女は皇帝打倒には一切の興味がない。
「……ッ」「あ、ああ。おそらくだが――」
「皇帝の護衛がそうらしい。コントロールも上手くいっていないあたり、人数はそう多くはないはずだ」
単なる人族の女とは思えぬ迫力に息が詰まる中、レライエだけは普段通りに答えた。
「らしいー? 確証は?」
「一応、おじさんの仲間――帝都に潜り込んでる内通者の情報だ。その銃もそいつが流してくれたんだが……」
「……なるほどー。それで全員合体吸血鬼並みに強いのかしら?」
「その合体なんちゃらの現物を見てねえから、おじさんの憶測になるが……ニヴァリスの皇帝を守るならそれかそれ以上に強い奴を置くだろうよ」
「何人かわからないうえに、実力も未知数――厄介ねー……」
腕を組み顎に手を置いて考えるウェパル。
一対一なら正面からぶつかっても殺せる自信はある。対話の必要もないためだ。
「……わかってると思うが――」
「――護衛でしょ? ボク……私の任務は」
レライエが念のために釘を刺す。式典のとき、ウェパルが約束を無視して皇帝の乗る馬車に突撃でもされたら何もかも台無しとなるからだ。
見くびるなと言わんばかりに胸を張って言った女に、大丈夫かなぁ……とレライエは疑いを捨てきれていなかった。予め『帝国製の吸血鬼を殺したいなら仕事を手伝え』とは伝えていたが、具体的にどこに帝国製の吸血鬼がいるのかは伏せつつ、皇帝を殺す際に護衛についてくれと頼んでいたのだ。最初こそは渋っていたが、相手がヒトである限り殺すのはレジスタンスの仕事であると伝えたため、護衛の役をウェパルは了承してくれたのであった。
互いに人造吸血鬼に対する憎しみを持っているが、レライエはその延長上に“皇帝”がいる。その違いが大きく、信じ切れていない。実力は申し分が無いのだが、余計に危なげに思えた。
しかし、ここで言ってもかえって関係が拗れると面倒である、大人としてこれ以上は言及する必要はないとレライエは判断したのであった。
「ああ。おじさんが狙撃に失策ったら、おそらく最初に追いついて来るのが帝国製の吸血鬼だ」
「成功してもすぐやって来るかもだけどね。大丈夫。心得ているよ」
「いや本当悪いね。ほとぼりが覚めたら好きなだけ吸血鬼は殺してくれていいからさ」
少し歳の離れた兄妹の談笑のような雰囲気で笑い合う二人に狂気を見出せる正常な人間はこの場にいなかった。皆が三日後――建国祭の当日と大々的な式典が行われるそのときが迫っているために否が応でも正常にいられるはずがなかった。成功を信じて疑わない者も、失敗を恐れる者も、大義のために命を奪う覚悟を決めた者も、ただ復讐に心が支配された者も、熱に浮かされまともな思考じゃなくなっていた、と言っていい。
その後、一刻ほど時間が過ぎた。会議を終え、レライエとウェパルが来た道を戻っている最中。
「ねえ」
「……なんだい?」
「本気で成功すると思ってんのー?」
「…………」
女の問いに嘲りは無いが、妙に冷めていて、すべて見透かしているようであった。
「だってあと三日しか無いのに、あまりにさー」
「計画がザルだって?」
「うんー。それにみんな……」
「…………どうした?」
「本気の人は何人かいたけど、なんだか殆どの人が違うような気がしたよー?」
「……ほぉ。どのへんが」
「目の覚悟? その場で燃え尽きるつもりか、大半はあなたに任せてればいいやって投げやりか」
この女が鋭いのか、他のメンバーが見透かされるレベルなのか。レライエは小さな溜息にいろいろな念を混ぜ、吐いてから言う。
「仕方ないさ。ミスリルの目は何度も潰れかけた。実際俺も一度潰したし」
「?」
「実は今回の作戦の発案者の――大義を掲げ、カリスマ性をもったリーダー格はみんな死んだんよ。復讐しかなくなったやつらと大義よりもそいつら自身の熱に惹かれたやつが、下っ端から繰り上げてきただけ」
「つまり組織としては……」
「ぶっちゃけもう機能してない。遅かれ早かれ空中分解すると思う。成功失敗関わらずに。……それに支援してくれてるシルヴィア公国の息がかかってる連中がきっと大半なんだろう」
「……。帝政が終わったゴタゴタの内に隣国のシルヴィアに襲わせて国ごと売るつもりかー。そりゃズル賢いねー。どーりで皇帝を殺して帝政を壊したあとのことについて誰も触れないわけだー。単に作戦で頭いっぱいだったんじゃなくて、そもそも明確なビジョンを考える必要がなかったんだー……」
「貴族出身者もいるが、頭打ちで成り上がれないならいっそ――って考えのやつもいるんだろう。シルヴィアからそれなりの地位が与えられるとはいっても、確約なんてされてないだろうに」
「……おじ様はー……そう、最初から……」
「ああ。おじさんは最初から決まってる。どんな手を使ってでも皇帝を殺すとな。その後はどうでもいい。奴が死ねば残りの吸血鬼は狩ってくれるだろう? なら安心さ」
その目は本気だとウェパルも認めた。
復讐のためなら全て――己の命さえ投げ出そうという歪んだ覚悟が静かに燃えていた。
――そう、どんな手をつかってでも。
案内した怪物たちの戦闘力は自分を遥かに上回る。不可視の武器使い、目の前の怪物、大罪七帝の再来たる厄災の化身――これらを利用しない手はない。表向きには温和で紳士的な男ではあった。真っ新な雪に滴る赤黒い血のように、昏く穢された年月が彼を変えたのか、元からそのような人格が内に潜んでいてそれが引き出されたのかは確かめようが無い。
彼もまた、怨讐に狂ってしまっていたのだ。




