58 ニヴァリスの皇居
清廉そうな白が基調となる宮殿こそが、ニヴァリスを支配する皇帝一族の住まいであった。
胴を掴まれた持ち上げられる猫のような状態のまま、颯汰は行先の皇居を睨む。
――タージマハル? いや違う。インド風の丸っこい屋根だけどそれが小ぶりでたくさんある……。紫色は確かこの国では高貴・高潔・善の象徴、とかだったはずだ
ただ白一色という訳ではない。艶やかな紫の布――上質な絹が飾り付けられ、切り抜いた氷のような色の硝子、窓枠など一部は金で出来ていた。
ニヴァリス帝国の中枢。絢爛豪華でありつつ、上品な仕上がりの宮殿を前に身体は勝手に進んでいく。
「さぁさ。いよいよ平民が立ち寄ることはできまい領域じゃ」
「俺だけ留守番でも……」
「はいはい行くぞ行くぞ~」
「小脇に抱えるのもやめてほしいんですけどー」
地上の食糧庫だとばかり思い込んでいたが、特権階級の中の特に選ばれた家系と皇族のみが足を踏み入れる事が許される空中庭園であったため、元より土地勘のない颯汰には自由に動ける場所ではなかった。衛兵に見つかった瞬間、どういう行動を選んでも面倒事となるため、道も知っていて顔も利く魔王に、ただ連れられて行く。
「止まれ!! そこの者たち! 何者かッ!」
湖の中心のわかりやすい一本道である石橋を進み切るところの大門には、当然門番たちがいた。
間違いなく遠目から見えていたため、準備に余裕があった。ただ、女子供だと甘く見ているなという印象はあった。軽装で、武具は槍一つだ。
張り上げた声は堂々としていた。他の貴族やその姫君たちならばこの界隈で誰一人知らぬという訳が無い。完全に見覚えのない不審者として扱っているようであった。
「……ちょっと?」
抱えられながら颯汰が女の顔を見やる。
「あぁ、そうか。この姿はこやつら知らんな」
無礼者と蔑む前に、己の非を認め手を離す。
抱えられていた颯汰は地面へ落ちる――には落ちるがそのまま垂直に落下はしなかった。するりと腕から脱け落ちるが、ツーっと滑っていく。
氷の小さな滑り台だ。
颯汰は両手を挙げたまま、すぐに足が着いた。
マナが枯渇とまではいかないが大いに減ったこの世界において、魔法という現象を起こすに足りる存在に、門番たちは覚えがあった。
『……――』
女はたった数歩の間に姿かたちを大いに変える。青白く光る氷のような粒子のベールを纏い、目を片時も離さなかったというのに、別人となる。
一般的に女性の方が精神的な成長は早いと聞くが、根本的にヒトの領域から外れた精神の変容である。
『――……』
吐いた息が白い。
魔王の口から冷気が零れる。
すると門番の雪の民の男たちは、目を剥き毛を逆立て、一気に膝を突いて叫んだ。
「こ、これはとんだ御無礼を――!」
「も、申し訳ございませぬ! か、開門! かいもーん!」
慌てて吠えるように門番は、門の上部に待機している仲間に命じた。裂帛の叫びに応じるどころか被せるように、鎖は巻かれ開門していく。白く塗られた樫木と金属を重ねた横開きの門が開くと同時に、無骨な鉄の格子も上に上がって納まっていた。
そこに目をやっていた間に、海鱗族の美女へ姿を戻していた。
「まぁこの姿は初めてじゃしなー。お主らもご苦労じゃ。では通らせて貰おうぞ」
「「は、ははー!」」
万歳の姿勢のまま足を丁寧に凍らされていた颯汰の手を女が掴むと、堂々とした足取りで皇居へ入っていく。
「……さっきのは念話ってやつですか?」
「そうじゃ。妾だと明かしたから快く開門してくれたわけじゃ」
――範囲はそこまで広いわけじゃないが、一気に複数人に伝えられるのかも。門が開くのがあまりに早かったし
もっと遠くの相手に一方的にメッセージを送れるんだったらこんな面倒なやり取りも必要ない。
――それに、兵たちはだいぶ見くびっていた。最初は単なる怪しい女と。……子どもを脇に抱えてる怪力女の時点で怪しいと思わない?
ついでに脳内で愚痴を零しつつ、颯汰は魔王に連れられて宮殿に入って行った。番兵たちの前でフードを被るのは怪しまれると面倒なのでやらなかったが、颯汰は中に入るそそくさと被って顔を隠し始めた。
しばらく歩くが、落ち着ける場所は無かった。当然他人様の、他国の城で心休まるはずもないのだが、それ以上に場を制する空気によって息が詰まるように颯汰は感じた。ただ向けられる奇異の視線の殆どは女の方が受け止めていた。当人はそれに気づいている様子はないが。
宮殿の内部もかなり凝った造りとなっていた。大理石の床は周りの景色を写し、暖色の照明によって白い壁と金の象嵌が照らされている。外観よりも内装は金持ち特有の趣味が少し目立つという印象を受ける。
女は淀みも迷いなく、宮殿を進み広間の階段を上っていった。広間にある二つの螺旋の階段。天井は高く、外から見た丸みを帯びた円形の屋根の下だとわかる。
そして二階の中央にある扉へと向かうと、そこから男たちが出てきたのであった。
客員騎士たるエドアルトも着用していた白の気障ったい軍服であるが、地の色ゆえに汚れが目立つ。刈り上げた短い銀髪の精悍そうな男が、同じ軍服姿の鬼人族と人族を連れている。
軍人らしき男は、向かい合った女を見るや否や、腰に帯びた軍刀を抜き放ったではないか。
「!?」
驚く颯汰。向けられた刃の切っ先が煌めく。
女の表情を覗う前に、
「貴女は魔王殿だな?」
軍人らしき男が問う。女は、
「然り」
とだけ答える。
「俺が刃を向ける意味はわかりますか」
「わからぬな」
男は言葉も視線も真っすぐであったが、女魔王は肩を竦めて返す。これには颯汰も部下らしき男たちも「ええ……?」っと困惑していた。
「思い当たる節が多すぎてな。でも、妾が悪くないのは間違いないと断言しよう」
「思い当たる節が多いと言ったくせに!?」
得意げに言う女に颯汰は思わずツッコんだ。
本当に一ミリも悪びれてないから困る。
では聞きましょう、と男は鋭い目で言い、続けた。
「――……何故、兄上たちが投獄されているのでしょうか……!!」
声は荒げぬが、その瞳は爛々と燃えている。
返答次第では軍刀は動き、片方の命が散る――間合いもあって、どちらかは明白であるが。
それゆえもあって、女は余裕をもって答えた。
「それを、貴様は父君に問うたばかりであろう? そして、満足する答えを貰えなかったと」
「はい!!」
妙に声がデカい。ただ怒りに任せている声音ではないが、吹き抜けの広間にしては響きすぎる声だ。見た目に反してかなり生真面目な男のようだ。目力はあるが狡猾そうではなく、猪突猛進の真っすぐすぎる人なのではなかろうか。颯汰の脳裏にどこぞの信奉者の顔が浮かぶ。どことなく似ているし、おそらく同類だと推測できた。
「では、妾からは何も言えぬな。父君であり、ニヴァリスを治める皇帝が、息子である貴様に話さなかった内容を漏らすなどできようものか」
「なるほど。確かに魔王殿の仰る通りだ!!」
――軍人じゃなくて、この人は皇子さまか……ということは兄上たちって……
最高権力者が教えなかったことをリークできる訳がないと魔王は答えた。事実を知りながら濁したのだろうと思えるが、颯汰にとっては関係ない話である。ただ父である現皇帝が、息子である皇子を少なくとも一人は確実に、それ以上の人数はわからないが閉じ込めているらしい。それが血縁者かどうかも謎ではあるが、この男は憤慨し皇帝に直談判をしたうえに、魔王と知りながら――というか初めて見かけたはずの女を魔王と看破したうえで刃を向けている。
「時間を取って申し訳ございません!!」
皇子は鞘に軍刀を納め、恭しいが語気が強めの謝罪の言葉を口にして頭を下げた。それに倣って後ろに侍る部下らしき軍人もまた丁寧に頭を下げていた。皇子は単なる熱血バカではないようだ。
「では俺は、今から姉上のもとへ行って参ります!!」
「まだ産気づきはしまいが、レギーナは身篭っておる。貴様は大声を出すなよ? 後ろの二人は殴ってでも止めるのじゃ。……ところで一緒に防衛線まで行った双子たちはどうした」
「一緒に戻ってますよ。俺は先に父上に抗議をしに、真っすぐ向かったので!!」
「なるほど。此度はどうであった……かはまた後に聞くとしよう。妾はこやつを地上に送り届けねばならぬのじゃ」
魔王は空いた手で颯汰を指した。
颯汰はそのまま頭を下げた。
「ほう! 子どもですか! よもや貴女の――」
「それ以上、下手なことを言うとぶっ飛ばすぞ」
「なるほど! 申し訳ない!!」
あと数瞬謝罪の言葉が遅れれば周囲の気温は氷点下を超えていたやもしれない。悪意なく爆弾を放り込んだ皇子よりも、その直属の部下たちの方が冷汗をかいていた始末である。
まったく、と溜息を吐いた魔王は皇子たちに事情を簡単に説明し始める。
「……貴様の妹たちのせいで地下に連れられ、何とか逃げられたが道に迷ってコンテナからここまで来たそうな」
「な、なんと! こ、これは、なんたる身内の恥か……! どうお詫びを申せば――はっ!」
落雷を受けたような衝撃。隠していた狼の耳もあらわにし、獣刃族の雪の民であることを証明する。身を震わし、皇子は両膝を突いて頭を抱えた。妹たちとは颯汰を強引に拉致した双子の皇女姉妹だ。
気持ちはわかると颯汰は思っていたが、その直後の行動は理解できなかった。徐に軍刀の鞘ごと取り出し、目の前で抜き放つ。逆手に抜いた白刃を、自分の方へ向けて――
「かくなる上は自刃にて」
「いやいや、いいです、そういうのいいですから!」
目がマジなのが怖い。傍観者を気取りたかった颯汰も思わず止めようと踏み出して手を振った。
この状況にただ一人慌てずにいる魔王は何事もなかったように本題へと戻す。未だこの存在に慣れぬ部下の男たちにとっては――冷静というより冷徹、あるいは他人の生き死に実は興味が無いのではとさえ思えていた。
「ところでヴィクトル。こやつを降ろすためのリフトを使いたいのじゃが」
第三皇子か、と颯汰は誰にも聞こえない声量で呟く。つまり第一皇子か第二皇子、もしくは両名とも、理由は不明だが捕まっているようだ。
「そういう事ならば……はい! これを!!」
皇子は上着の内ポケットを漁り、くすんだ金色のブローチを取り出し、魔王へと投げ渡す。女魔王は手を伸ばすことはせず、発生した氷を纏う冷たき風が包み込み、そっと女の手元へ渡る。
隙を見せないか、と戦いに生きる者たちは自然とついそっちの方面で考えてしまう。
「俺の名と、それを係員に見せれば融通してくれるでしょう!!」
「あぁ。ありがとうな。……ついでにもう一つ、これもこやつのことなんじゃが」
「?」
「ペイル山の中腹にマナ教の遺した神殿があるじゃろ。こやつとマナ教の信者どもが入山したいそうじゃが、許可証を優先的に発行とかできぬか? この時期だとそもそも難しいじゃろ」
「時期的に霊山は魔物も増えますからね。許可はまず下りないかなと」
――初耳……!
自分の捜査が甘かったのもあるが、あの神父はきっと知っていて黙っていたと思われる。ついでに言えばあの暗殺者兼案内人もだ。頭に浮かぶ二人の顔。目に黒い棒線が入っている。……大人って信用ならないね。
だがどうあっても、颯汰は急いで山へ登らねばならない。どうにかできないか、颯汰は声を掛けようとした。
2021/11/01
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