57 空中庭園
ニヴァリス帝国の首都ガラッシアの補給を担う食糧庫は、東西南北それぞれに別れて配置されている。予備や街の外に仮設のものもあるが大まかに分けるとそれぞれ一つずつある。
構造上、他国の都市よりも縦に長いが、食糧庫の大きさは高等学校の体育館の二倍程度しかない。それで充分に供給が間に合っているからだ。
積まれた貨物の隙間を縫って逃げ出すのは不可能に近かった。闇の中、潜っていけばやり過ごせそうに見えるが、既に足は満足に動かせない。
立花颯汰に与えられたのは『恭順』か『反抗による死』の二択しかない。
突如現れた七柱いるという、氷を操る女の魔王が現れて宣告する。
『復讐を果たす――紅蓮の魔王を討つ』と――。
仲間である紅蓮の魔王を見殺しにしろという拒否権のない命令に対し、
「…………わかり、ました」
無情にも颯汰は従うことを選ぶ。無論、この状況下で駄々をこねた所で徳はない。
戦って得たモノは、もし仮に何も制限がなかったとしても“転生者”という怪物を相手に、正面からやり合っても分が悪いという現実である。
溜息は吐いたものの、その顔に諦観や困惑はない。嫌悪感も迷いすらないスッキリとした顔立ちである。その表情を見て魔王は満足そうに笑む。
『賢明な判断じゃな。そうさ繰り返し言うがお主は何もしなくていい。ただ妾が紅蓮の魔王にトドメをさすときに、その符を使い巻き込まれるのを回避するだけでいいのじゃ。それで妾たちはあやつとの因縁とおさらばとなる』
「…………」
『?』
「……条件、いや、切実なお願いがあります」
『ほぉ……。この魔王の前にして良い度胸じゃな。申してみせよ』
言うのを最初躊躇ったが、勇気を出して颯汰は言う。気まぐれで殺されてもおかしくないが、ここで言質を取らねば面倒なこととなる。無論それを守る保障などないのだが――。
「一緒にいる、連れには危害を加えないで欲しいんです」
『ふむ。……状況によるな。絶対とは言い切れん。奴を殺せる好機であれば、たとえ誰であろうと――お主であっても巻き込んででも攻撃の手は緩めんぞ。いざという時は決断せねばならぬ。大事のために小事を切り捨てる覚悟を持たぬまま、復讐を掲げるなぞ阿呆のやることだからな』
「…………」
『……極力、善処はしてやろう。ただ、戦いが始まる前にお主がそのモノたちを逃がすなり、なんとか理由を付け、一緒に離脱するといい。そして頃合いを見ては戻り、妾があやつを殺す直前に渡したその符を使うのじゃ。タイミングを違えるとただ仙界へ幽閉されてしまうのでな。そうなればあやつは死なず、いつか地上へ戻って来る。そのときは妾も貴様も死ぬときだ』
「……はい」
『さて、傷は治りつつあるがここに長居しても仕方なかろう。さっさと出て行くぞ』
「……ちょっと、待ってください」
『? なんじゃ、動けぬのか?』
いえ……、と歯切れの悪い返しをする颯汰。女が早く答えんかと急かそうとする前に、意を決して颯汰は訊ねた。
「あなたは、もしかして――……」
……――
……――
……――
昼食を終え、次第に意識が微睡んでいく時間帯。草原に優しく吹く薫風が降りてきた。暖かくて眠たくなるのは何も人間だけではないようだ。午睡へ誘う陽気によって、丸いモコモコしたワタラメも眠りの世界へ旅立ち、それを抱きながら一緒に眠る子どももいた。
四足歩行の愛玩動物――丸っこいワタメラ種は羊毛や肉以外にも使われる。その愛らしい見た目からペットとして飼う貴族もいるのであった。
新緑の草原を超えると湖畔が見えてくる。石畳はそのまま続き、石造りの橋となって迎えてくれる。橋の下の水面は鏡のように、覗いた者だけではなく、あらゆるものを分け隔てなく映す。人の姿も、その先にある幻想的で美しい宮殿をも。
橋を渡り終えると眼前に広がるのは、多くのヒトの手入れと莫大な金が掛かったであろう庭園。
そもそもこの機械仕掛けの都市にどれくらいの費用が掛かったのか安易に想像はできまい。
ここはニヴァリス帝国の首都たるガラッシアが誇る皇居のある浮島、空中庭園である。
地上の楽園、あるいは理想郷――氷獄とも他国に揶揄される外の厳しい環境とは正反対の場所。
見上げればドームに覆われた天井の近くにある、眩しく暖かな光を与える物体。灼熱の円盤ではなく疑似太陽、照明装置である。
ここでは――、
咲き誇る花も、
風に揺れる草木も、
運ばれてくる匂い、
暖かな光さえも、“造られたもの”。
極限の環境下であれば、生命は生き抜くために進化し、適応する……とされるが、その代に到達する前に死んでは元も子もない。
この地に生まれた“魔王”は、人々が生きていける環境を創り出した。私利私欲があったのかもしれないが、そうして生まれたのがニヴァリス帝国であった。
その中でも最も美しく温和な箱庭こそが空中庭園なのだが、本来そこに足を踏み入れるべきでは無いものがいた。
「どうして、こうなった……」
立花颯汰は呟く。清々しい空気に満ちた庭園と真逆の、萎れている表情だ。具体的に言えば目を細め、シワが眉間に寄せられた疲れ切った顔。
手を引かれているのだが、此度は先導者は意外な人物であった。
「ほれほれ。どうあっても地上へ戻るにはリフトの鍵が必要なのじゃ。文句を言うとらんで足を動かせ。ほれ。いっち、に。いっち、に」
口調こそ、先ほどまでの氷の魔女に相違ない。
だが、声の響き方がまるで違う。それどころか、顔も、見た目も、種族も異なっている。
――どうして、こうなった……!
颯汰は心の中で再度叫び、手を引いていく女の背を見やる。作り物だらけの世界に溶け込むお人形さんのようなお姫様。蒼と黒のドレスに貴婦人を思わせる帽子を被るゴシックな服装の海鱗族の女性――颯汰が地下で遭遇した女である。
「童~。貴様の出した条件とやらを仕方なく呑んでやったぁじゃ、ないか~」
「なんでそう、妙にウザ絡みを……」
颯汰を犬猫の類いと思っているのか、女は立ち止まっては屈み、両手で頬を擦り始める。
先ほどまでの気弱だったときとまるで顔つきも仕草も何もかも異なる。人格が変われば当然か。
「妾も嬉しいのじゃ。復讐も果たせるうえに、こうして思いもしない形で復活を遂げたのじゃ。お主にはいくら感謝をしてもし切れぬ」
「……俺は何もやってない」
「それでも、じゃ。妾は寛大で義理堅いゆえ、こうして礼の一環として、妾自らが案内を買って出てやった。光栄に思うといい。あのまま食糧庫を出てもお主は兵に捕まるだけじゃからな」
「……なんで、食糧庫は食糧庫でも、地上じゃなくてこの空中庭園の――超高いところなんだよ。あのお爺さん、間違った? ……いや、もしやわざとか……?」
現在地は颯汰の言う通り。特異な構造の首都ガラッシアの最上。地下の貧困層のならず者どころか、平民は立ち入ることすらかなわない領域たる、空中庭園であった。行先は地上だと言ったのは案内をしてくれた謎の老人であるが、事故ではなく仕組まれた罠と疑い始めても仕方がない状況であった。
「まぁまぁ。その老人が何者かは知らぬが、事が終わればお主は自由の身ぞ? その宿痾の如きケダモノの呪いを解く術を探すもヨシ。どこかで静かに暮らすもヨシじゃ。ニヴァリス領内なら職も住処もある程度は工面してやっても良いぞ? ふふふ……なんと妾にしては寛大過ぎる……サービス精神の塊みたいじゃの。お主も運が良い。いいや、妾という勝利の女神サマに出会えた幸運に感謝する日も近いだろう」
「……あーはいはい」
「なんだかお主、妾に対して敬意が足りなくない? 我魔王ぞ? そこんとこわかっておるのかの? まー確かに、この肉体だと多少は威厳がちょっとだけ弱まった感があるが。それでもなかなか、……自分で言うのも恥ずかしいが美女で為政者らしい面構えだと思うのじゃが。……気心が許せる相手だからか? なるほど。それならすぐには無理か……。妾も寛大の心で許してやろう」
変なことを言ってる魔王を無視して、颯汰は考え込む。
ある程度、情報交換は道すがら終えていた。
無論、すべてばか正直に話した訳ではない。
それは颯汰だけではなく、女の魔王も同じことであろう。
だが、一つ確かなことがある。
彼女の固有能力は颯汰が求めるものではないということ――。
情景を頭で描いて思い起こす。
颯汰が思い出していたのは過去の記憶。ついさっきまでの食糧庫でのやり取りであった。
地上かと思ったら空中庭園であったが、その部分も問題ではあるが別件だ。
戦いが終わり、一緒に来たはずの女性の姿が見当たらなかったことに改めて意識が向いた。
どこかに隠れているかもしれないし、魔王の攻撃に巻き込まれてても不思議ではない。最初は、この魔王に女を見かけなかったか、一緒に探して貰えぬと頼もうと思った。だが己の勘なのか、“獣”が真実を見切ったのかわからぬが、颯汰の頭に疑念が過る。颯汰はあり得ないと捨てきれず口にした。
『あなたはもしかして――……海鱗族のお姉さん?』
荒唐無稽だが、魔法の類いがある世界であれば――現に獣刃族が変身能力があるのならば、それに近しい魔法があるのではと思ったのだ。
笑われて否定されるか、何を言っているのだと呆れられるかと思ったが、女の答えは簡単だった。言葉ではなく行動で示してくれた。
その場で、氷の魔王から海鱗族の女性へ姿を変えたのだ。
『……最初から俺を騙していたのか?』
『いいやマヂで単に偶然じゃ。この娘は記憶喪失じゃったし。自分が魔王だと憶えておったら悠々と地上に戻ればいいだけじゃろう。邪魔するものは氷漬けにしてしまえばいいだけじゃし。今こやつ起きておるし代わろうか?』
『いや別にいいです』
『「え。即答? ひ、ひどい……」』
実際は茶番を交えるほど余裕がある状況ではなかった。止血は終え、傷の再生はとっくの前に始まっていたが、走って逃げることさえできない。背中見せた瞬間に貫かれるのは間違いなかった。ただ理性的で、『紅蓮の魔王』というわかりやすい地雷を躱せば対話は成り立つと思われた。颯汰は会話しながらセーフラインを探っていたが後になって考えたらだいぶ無謀なことをやってたな、と少し反省していた。一方、真実を言い当てられた女は俄然、この見た目は子どもの怪物に興味が湧いていたのであった。
そうして女魔王に捕まり、今に至る。
――この人は自分の固有能力を『多重人格』と言った。……いや、人格で姿かたちまで変わるのかよ、ってツッコミたかったケド、自分も大概アレだしな。……そういうこともあるのかな。でも、今はあの海鱗族の姿で中身が魔王なんだよな……。俺をこの世界に転移させた能力ではないのは間違いないが、何か、引っ掛かる。……なんだろう?
「また小難しいことを考えておるのか?」
「いえ、別に……。ただ皇居に入る必要が本当にあるのかなって」
「散々言ったであろう。皇族用と一般用、どのリフトを使うにも鍵か許可が必要なのじゃ。宮殿で誰か偉いヤツをとっ捕まえた方が早いとな。宮殿内では気を付けるのじゃぞ。妾から離れた途端、お主は即刻兵に捕まって打ち首じゃぞ」
「いやそこまでバイオレンスではないでしょ」
「…………」
「無言で顔ごと逸らさないでくださいよ。……あと、そろそろ手は離してもいいでしょ」
「首輪か? 童の癖にえげつなく業が深いな」
「違いますー。第一逃げても無駄なんでしょう? ……身長差から、こっちは手を上に伸ばしっぱなしで疲れるんですよ」
「迷子にならん?」
「ならないです」
「あ、妾が持って運べばいいか」
「恥ずかしいので下ろせください」
そんなことなどを言ってる間に、湖の中心に佇む皇居たる、白い宮殿が見えてきた。
地上や地下は鉄と機械群の歪な都市であったが、ここは逆に自然豊かに見せた造りである。趣のある美しい白亜の城とも言えるし、下界よりも文化や技術の面で少し遅れているとも言える。
スチームパンクも見てて飽きない面白みがあるが、こっちはこっちで豪華絢爛な建造物であり、探索する分には退屈しないだろう。……問題は颯汰にはそんな時間的な余裕までが全くないことと、生っ粋の巻き込まれ体質というスキルが発動中なことである。




