54 闇の深潭
帝都地下。地上から何十、何百ムート下かわからないほどの暗闇を駆けていく。
監視の目を潜り抜け、三人は目的地に急ぐ。
先行する影が、扉のない部屋に飛び込み、その後に手を繋いだ二人が続く。
息を潜めると、その廊下を駆ける追跡者の足音が近づいてきた。カンカンカンと金属の床を蹴る音が響く。迷いもなく、追跡者たちは正面を真っすぐ突き進んでいった。
その手には当然のように小銃があり、軽装でありながら顔はセンサー付きのヘルメットのようなものを装備していた。赤い可視光が闇を睨む――。恐らく暗視機能があるのだろう。闇の中でコチラをシルエットとして認識して追いかけてきた。今、撒けたのは運がよかったに過ぎない。
足音と気配が遠くにいったところで、安堵の息を漏らす。肩を上下させるものたちも、口を押さえていた手を除けた。
「はぁ……、はぁ……」
「こ、ここまで来れば、もう、平気じゃ」
「……いや、あのさぁ」
息が絶え絶えの女と老人に反して、全く息が上がっていない少年は繋いだ手を離し、深い溜息を吐いた。そして、呆れ混じりに言葉を紡ぐ。
「何が安全だ。何が」
さすがに詰め寄り襟首を掴むような真似はしなかったが、立花颯汰は軽く苛ついてはいた。
「まさか普段はザル警備のくせに、今日ばかりは厳しいとはな!」
おそらく大声で笑いたかったのであろうが、走って体力を使ったせいのと一応追われて隠れている身という自覚があるのか、努めて声を殺していた。老人はそのせいで少し咽せていた。
「わ、笑いごとじゃありませんよ……ああ、怖かった~……」
海鱗族の女が両膝に手をつけて言う。警備員に対する恐怖もあったが、何よりも他の階層にはあったはずの足元まで照らす明かりが一つもない闇の中、手を引かれるまま走ることも怖かっただろう。颯汰も老人もカンテラを携帯していたが、使えばこちらの居場所が一発でバレてしまうため、邪魔な荷物となっていた。
ただ暗闇のおかげで颯汰は“黒獄の顎”の使用を二人にも気づかれずにいた。そのお陰で警備員が近くにいないかを把握することができたため、途中までスムーズに移動はできていた。
道案内のため先導を買って出てくれた老人であるが、地下の闇に慣れ親しんだはずの目でも限界があったのだろう。十字路を直進したかけたときに、気配を察知して颯汰は勢いよく黒の瘴気で引き戻した。しかし遅かった。範囲外であるというのに、警備員の装備は暗視に長けていたため此方を捕捉された。それから走り回って今に至る。
「……しかし、まさか上をそのまま目指すんじゃなくて、もっと地下に降りることとなるとは」
「安心せい。もうすぐ目的地の“資源生産プラント”じゃ」
暗い小部屋からそっと廊下を覗きながら独り言を言う颯汰に、老人は答える。――さっきも安心しろと言ってこの様だったんですが、と思ったが口にしない。
「たしか、そこで生産された野菜とかを地上に運ぶ装置があるんですよね?」
「(名前だけ聞くと未知のテクノロジー感あったけど、単に地下菜園だよね“資源生産プラント”……)その資源を運ぶコンテナに入って地上に行く、と。ここまで来て言うのもアレなんですが、そんな上手くいきます?」
「ワシは何度もこれで地上に赴いておる。……しかし、本当、妙に警備が厳重じゃった。地上の騎士たちが何やら動いていたのと関係あるのやもしれん」
「……」
「ボウズ、何か憶えがあるのか?」
「いえ別に」
目を逸らす。
急な増員の背景には“ガルディエルの怨霊”と僭称した怪物のせいだとは、颯汰は薄々気づいていたが、それに口を出すなど意味はない。
そして頭に過るのは騎士エドアルト。もしかしてそのまま素直に地上を目指していた場合、彼の張っていた網に掛かっていたやもしれない。守衛の代わりに門番やっているとまではさすがに無いだろうが、直属の部下に監視を手伝わせてる可能性はある。地下で見つかると正体までバレるとは思わないが、面倒くさいことになるのは間違いない。避けて正解であった。
「それより、まだ見回りの兵がやって来るかもしれない。今のうちに急いで行きましょう」
一行は歩みを進める。
目的地へ進もうとするが、案の定警備の人数が増えたためここまで辿り着いた以上の時間がかかった。最短距離や抜け道を使っても、警備はざっと数えただけで三十数名はいただろう。
魚類などはガラッシアの外から荷馬車で運ばれるが、野菜類は外より暖かく環境が整っている地下生産プラントこと菜園場で作られている。下層に住む中で金が無くなり妙な気を起こす輩が後を絶たない。しかし、取れた野菜や果物等は帝都の大事な生命線であるため、警備は常に行っていた。
ただ、帝都自体は広大で複雑な構造ゆえに監視が届かない部分はあって当然である。
閉鎖された区画から鉄骨を改造した粗い作りの梯子を降りたり、他人様の家々の屋上を歩き、人がギリギリ通れる穴を抜けたり、下水処理施設の天井の金網をこっそり通ったりして、どんどん上層の真逆の道を進んでいった。他の人間と接触はせずに先ほどの地点までは来れたが、老齢の男の言う通り此度の増員数は異常であった。応援が呼ばれると非常に厄介であるため、さっさとトンズラこくに限る。
途中、地下の大穴――天を座するドーム内の象徴たる皇居の庭園から伸びる三重螺旋が続く先が未だ見えない。
ここまで降りてなお、闇に閉ざされている。
どこまでいっても深く、吸い込まれそうな黒。
落ちたら一溜りもないな、と颯汰は目を背ける。長くは見ていられなかった。
そんな中央を通る円の縁の奥の方へ進み、明らかに正規の道ではない道を進んでいった。
「あれじゃ」
老人が指さす。今までずっと暗い道が続いていたためか、照明のお陰で比較的明るい――部屋と呼ぶより、工場などの施設に辿り着いた。
ベルトコンベアに運ばれる木箱の数々。
アームが自動で動き、野菜や穀物、果物などを入っているであろう箱を仕分している。
「……技術が完全に現代じゃん」
所々金属の色合いが褪せているように見えるからか、どこか古臭い印象あるが、ヴェルミやアンバードとは大違いで発展している。
忙しなく動き続ける機械。
老人は右拳を前で握った。
「よっしゃ。どうやらフル稼働タイム中じゃな。作業員の大半は奥で梱包作業で忙しいはず。……ただ警備の者は巡回しとるはずじゃから、注意して進もうぞ」
「了解」「わ、わかりました」
鋼鉄の森と見紛うほど複雑怪奇な金属のうねりに身を任せる。時折物陰に潜みながら、巡回の警備をやり過ごし、老人の後をついて行くと――、
「ここじゃ」
「大きな箱が……」
「確かに、人が入れる大きさのコンテナだけど……」
到着し、颯汰の方は女から手を離して前に進み、やはりまだ心配なのでコンテナに指をさして老人たちの方へ振り返った。既に積荷を入れ終えたコンテナは、あとは地上に向かって運ばれる。フォークリフト類いはあるように思えないため、天井付近にあるクレーンで運び、そこから奥にある大きなベルトコンベアで地上へ運ぶのだろう。緩慢な動きに見え、地上まで何時間かかるかわからないという不安もあった。
「案ずるな。もうチェック作業も終え、後は地上へ運ばれるものだけじゃわい。あとは入って説明した通りに抜ければ、晴れて地上じゃ」
「たしか……、地上の食糧庫に運ばれるんですよね?」
「そうじゃ。複数あるからどこの地点になるかは番号が箱に貼ってある」
「別々の、違う番号の箱に入ればいいんですね」
「ちょ、ちょっと!?」
海鱗族の女は颯汰の両肩を屈んで掴む。
この女、必死であった。
「あーはいはい。でも、一緒は、厳しい、でしょうから、……もーう、揺~ら~す~な」
颯汰の抗議にやっと女は手を止めた。
「ふん。いつ出荷されるかわからん。はやく入った方がよいぞ?」
鼻で笑うが嘲笑ではなく、楽し気である。
「あ、あれ? おじいさんも上に行くんじゃ?」
「いいや。ワシはまだ地下でやることもあるんでな」
「……でも追手が走り回っている今は、一旦上で時間潰した方が良いのでは?」
「ふん。心配は無用じゃ」
「いや別に正直どうでも。口を割らなければ」
「ええい! もうちょっと年寄りの心配せんか!」
「えーやだこのお爺ちゃんも面倒臭ーい」
「ふふふ……」
「ほら、もう急ぐのじゃ。……ボウズ、悪いが頼んだぞ」
「……わかりました」
「――お互い、時間は無いようじゃ。さっさと中に入れ。見張りがくる。嬢ちゃんはこっちだ」
時間が無い? 疑問に思う颯汰をよそに、老人は女の方の手を引き、小型のコンテナを開ける。輸送用のコンテナは、それこそ現実に見たことのある小型版のコンテナに似ている。海上輸送に使うコンテナの半分より小さい。スッキリとした正四角形という感じだ。ただ荷物が既に、野菜などが木箱に敷き詰められて人が入るスペースはほんの僅かしかない。女が何か必死に手で招いてるように見えるが気のせいだ。二人は密着でもしないと不可能。つまり無理。密は避けるべきだ。
「よし、閉めるぞ。嬢ちゃんはボウズがこの扉を開けるまで自力で出ない方がいい。大人しくしとくのじゃぞ」
「はい……。あの、おじいさん。本当にありがとうございました」
「礼なんざ、嬢ちゃんの仲間たちに会えたときに心の中で言うと良い。――ではな」
老人がコンテナを閉め、颯汰の方へ向かう。
「ボウズはこっちじゃ。よし、同じ番号じゃな」
ここまできて然程抵抗するつもりはないが、本当に老齢の男とは思えぬほど強い力で引かれる。
されるがまま、引きずられて中に収められた。
コンテナの中は、中身はわからないが似たような木箱が積まれていた。
老人はコンテナの扉を閉める前に、ふと何かを取り出した。
「コイツは餞別じゃ。受け取ってくれ」
「これは、……金槌?」
白をベースに金と銀の装飾が付いたもの。柄の先の金属部の真ん中に青い宝石のようなものが付いている。作業用の無骨なものではなく祭事用か、造形から気品を感じさせる片手用のハンマーであった。
それを受け取ると思いのほかずっしりと重く、すぐに両手で持つ破目となった。
なぜこんなものを……という疑問から颯汰の目線は手に持った金槌から老齢の男へと移る。
男はニカッと笑みを浮かべて、コンテナの扉を閉めようと動かしながら言う。
「アンバードのバーレイに、ワシの弟の――義理の娘がおる。弟が奴隷の子を引き取ってな」
「は? え? 何?」
「よろしく伝えてくれや」
「え? いや、あの――」
急に何を言っているのか。それにマナ教であるとは教えたがあくまでヴェルミ出身と伝えたはずだ。自分が人族に似ているため、アンバードからやって来たと言えば怪しまれるためだ。だがこの老齢にしては厳しく鋭い眼光は確信をもっていた。一体、この男は何者だろうか。
直後、何者以前に目を疑う光景が広がる。
「限界か。ワシももう長くはない。頼むぞ」
「……えっ」
老人の手から薄っすらと色を失い、消えていくというあり得ない異常。どんどん背景に溶け、透明になっていく。だが老齢の男は笑んでいた。
「そいつを見せてやりゃきっと驚くぞ。あの娘はそれをキラキラした目で見ていたからな」
「……いや、その……誰――」
男が手に持っていたハンマーを指さしから有無を言わさず扉を閉めた。その直前に、老人の姿は完全に光に消えていた。ガコンと金属の大きな音が響き、コンテナの中は暗闇に包まれていった。
「いや、マジで誰のことだよ……。というかあのお爺さん、なんだったの? もしかして幽霊の類い……?」
暗闇で身震いをしてから、
――いや、ないな。なんか消えた風に見えただけだろう。疲れてるのかな
心の中で独り言ちる。
他に思い当たる節があったはずだが、どうにもそこまで頭が回らなかったようだ。
「奴隷の、娘……。お爺さんの弟の娘――女の人、いや女の子かも。養子にした元奴隷って情報は大きいが、触れるにはあまりにデリケートな問題すぎる」
未だ奴隷制が残る大陸は多い。アルゲンエウス――ニヴァリス帝国もそうである。また、アンバードも例外ではない。
アンバードの奴隷制は廃れつつあっても未だ残っている。
迅雷の魔王が支配下に置く前には奴隷制の撤廃の計画が持ち上がった時期があった。その奴隷を飼っていた方も魔王のお陰で多勢が死に絶えた今でも、法の整備よりも深刻なダメージを受けた都市部の環境整備が優先され、計画は宙ぶらりんとなっている。
それに奴隷という生活に慣れてしまいすぎて、今更急に仕事を奪い、衣食住を自分で賄え一般市民として税を納めろなどと言って実行できる者など少数だろう。
「なんで、どんどん面倒ごとが次から次へと」
溜息を一つ。
狭い暗闇の中で小さく反響する。
あとは到着まで待つしかない。颯汰は積み上がった木箱の上へ瘴気を使いながら俊敏に登り、起きていても意味がないと横になり、少しの間、貰った金槌を見つめていた。それからしばらくすると揺れが始まり、颯汰は左腕の瘴気に金槌を収納する。その黒煙が手の中に戻っても一切の重さは感じなかった。そしてコンテナが持ち上げられ、下ろされ、勝手にどこかへ動く感覚を確かに感じ、目を閉じるのであった。
(副反応でぜんぜん熱が下がらないので次話は遅れるかもしれません)




