51 光を求めて
それはこの世の地獄であった。
赤々と空も大地も染め上げる。
黒煙が昇り、焔火が周囲の家々を焼き尽くす。
逃げ惑うヒト、家畜の悲鳴。
それを追う炎と黒き異形のモノたちの声。
そこでボクは独り走る。
懸命に何かを探していた。
降り注ぐ火の粉の熱と灰になりかけた木々の破片が襲い来るも、歩みを止める道理にはならない。
倒壊した樹木や家々の隙間を通り抜ける。
何もかも炎に包まれていた。
探す。探す。探す。
見つからない。でも、探すのを止めない。
焼けた他人の死体や、燃えカスとなった異形となったヒトだったものに目もくれず、炎の中へ進んでいく。
一本道の先、村の最も大きな屋敷の中へ――。
蹴破られ、燃えた扉の中に入ると、炎が勢いが増した。かかる火の粉に顔を庇う。顔から左手を離すと、そこは民家というより、古びた洋館へと姿を変えていた。
高級そうな家具や絵画が燃え、天井からシャンデリアが落ちて砕け散った。
それに驚いてる間に、何かが視界に過る。
人影である。
それを見て、呼吸が乱れた。
闇と炎が生み出した陰影でよく視えなかったが、女性の長い髪を掴みながら階段を登る姿に見えた。おびただしい量の血が後に続く。
そこで歩みに迷いが生じた。
生首と身体を分けて階段を進む者がいる。
右手が焼ける痛みを覚えたが、押さえてから、周りの炎の勢いを見て、進む。
足を止めている時間はない。
無造作に転がる――犯行に使った凶器と思われる血が滴るナイフを手にして血の跡を追う。
警戒しつつ、ぐるりと踊場に着くとまた空気が変わった。タイルの床に手すりが続く。
登ると細長く続く廊下であった。
血の痕跡は消え、残ったのは立ち昇る火炎。
外からサイレンと鐘の音が聞こえてくる。
清潔感のある白く光沢のある廊下が写すのは、赤く荒れ狂う炎。何もかもを呑み込んでいく。
先は夜闇と黒煙でぼんやりとしてよく見えない。非常口を示すピクトグラムが点滅していた。
天井のスプリンクラー設備が機能していない。
煙が充満しているのか呼吸は苦しいが、先ほどまでの動悸はないので、躊躇いもなく進める。
幾つもある扉は開け放たれていたが、確認する必要は無い。
行くべき場所はたった一つ。
遠くから消防車のサイレン、爆発音、悲鳴、すすり泣く声、焼ける音。様々な音が脳内に響いて煩わしい。
手すりに捕まりながらぐったりとして息絶えた、白い病衣を纏う老いた患者。爆発で破片が刺さったのか、血に染まった看護士の女性。
進むにつれて、身体が重くなる。
何かが足を掴んでいるような、か細くなった焦げた死体の腕が足首に触れている。
煩わしいと思っても、表情を変えず進む。
建物全体が大きく揺れる。
別の階層で爆発が起きたのだろうか。
廊下後方でで天井から瓦礫が降り注ぎ、道が潰れていた。
もう時間が無い。
部屋の前のプレートを確認する。
「“五〇三”――ここだ」
横にスライドするタイプの、閉じた扉に手をかけようとした時だ。
ジジジと、空間にノイズが奔り、乱れる。
景色まで一瞬何かと入れ替わった……ように思えたがすぐに、元の病室前のドアに戻った。
『あけちゃ、ダメだ』
「――!?」
誰の声と驚き、手を離して周囲を見渡す。
誰ではなく自分と同じ声だからこそ、驚いた。
『後悔する。絶対に開けちゃ、ダメだ』
コイツは何を言っているんだ。
早く助けて、逃げないといけない。
それなのに、手が、うまく持ち上がらない。
鉛のように重々しくなった手を懸命に上げ、再び扉に手をかけようとした。
「――…………!?」
背後から、周りの騒音をすり抜けて――。
ピチャンと滴が落ちた音が異様に大きく響く。
気配がした。背中に怖気が走る。
何かが、いる。
背後に立っている。
雫が、また一つ落ちた。
後ろから心臓を握られたように硬直する。
後ろに立つのは誰だ。
『振り向け』
今度は男と女の声。
誰か。わからない。
若くはない、大人の声。
周囲は灼熱地獄であるのに、身体から急速に熱が奪われていく感覚がする。
液体が零れる音以外が消え去った。
振り返れないまま立ち尽くす。
『なら、扉を開けなさい』
甘言でもなく、愛情もない、冷めた声音。
震える手で、病室の扉の取っ手に触れた刹那、窓ガラスが割れる音がしたと思った。
それは大風が纏う、乱気流と稲光が混ぜ合さった――烈風と雷光で一時的に目が視えなくなる。
身体に衝撃と浮力が襲う。
爆炎の中へ吸い込まれ、何も見えない。
灰までが焼けそうになる中、息苦しさから解放されたときには、空の下にいた。
深夜。焼ける病院の前に消防車が何台もいる。
それを見下ろしていたが、直後に目を剥く。
凄まじい風圧を受けながら、空を飛んでいた。
何者かが、ボクを横に抱きながら――。
『ハッハー! こりゃヤベーな兄弟!』
憎たらしい声。
聞き覚えが無い、はずだが――
『まさに地獄の世界!! 死体の山に、馬鹿でけえタワーにロボット蜘蛛! ……奥にいるのは何だろうなァ!?』
非常に耳障りな響き方であった。
『ま、過去を振り返るのは悪いこっちゃねえが、隙を見せすぎだぜ? 蒼い蒼い恐ろしぃー炎に、大事なモンまでが喰われちまうぞ?』
何を……? 頭部の角と胸のX字の青白いクリアパーツが目立つ、特撮ヒーローと怪人の中間染みた黒い悪魔は何を言っているのか。
それと、宙で急停止し、その場でボクを上に掲げて……お前は一体、何をしようとしている?
『……せっかくこの姿になったんだから、リターンマッチもしたいが、それじゃあフェアじゃねえ。さっさと目ェ覚ましな。寝すぎて女を待たせるのはあんま、良くねえから――なぁッ!!』
上空、見下ろすとミニカーや小人サイズにしか見えない高さから、持ち上げられて落とされる。
落下する感覚――。デタラメな力や、羽根なんてない人間が、重力に逆らえるはずがなかった。
凄まじい速度で地上へと近づく。舗装された道路に叩きつけられる。
衝突すれば無事では済まない。
死ぬ。
これは絶対死ぬやつだ。
どんどん地表へ接近し、激突する瞬間――。
――……
――……
――……
「――ッヌゥウッ!?」
ビクリとして震え、目を開く。
息が詰まるような反射的に押し殺した悲鳴。
喉仏に手刀を叩き込まれたような呻きである。
天井をしばらく見つめた。
少し、間を置いてから、そっと呟く。
「………………、俺、気絶しすぎじゃない?」
立花颯汰は、今までヒドイ悪夢にうなされていたことに気づいた。
上体を起こし、辺りを見渡す。
広い空間に思えた。
安い作りのボロボロなソファの上、近くの壁の柱に吊るされたランタンの中で蝋が燃ゆる。
光源がここにはこれしかない。
――どこかの倉庫? それとも屋根裏かな
明かりのある周囲より先は昏くて視えない。
どこかの倉庫址だろうか。
近くに置いてある小さな木箱の上に、木製の皿の上にパンが一つ置いてある。
その隣に装着が義務付けられた防塵マスクのようなものもある。
着ていたマナ教のローブも、近くで丁寧に畳まれていた。毛皮のコートは少し離れたところに木製のコート用のスタンドにかけてあった。
じっとりとした寝汗が酷い。
右手で前髪を掻き上げて額を拭う。
――誰か、人がいる?
そのまま再び頭を押さえて、何が起きて今の状況に至ったのかを思い出す作業を始める。
「確か……、飛び移ろうとして……」
エドアルトにビビり、高いところにもっとビビり、索道が勝手に戻り始めて焦った末に、失敗して落下。そのまま降下して気を失ったのだと正確に思い出せたが、その後がまったく記憶にない。つまりここがどこなのか見当もつかない。
また、地下は常に暗いせいで、時間の感覚が掴み損ねている。どれくらい眠っていたかも謎だ。
「…………なんだか、とても、嫌な……、いや……、なんか胸がこう、モヤモヤする夢を見た気がするんだけど、……うん。…………忘れた」
頭の中で考えることを拒んでいるのか、探ろうとすると頭の中で霧が深まるか酷く頭痛がする。この胸の内にわだかまる嫌な感じを味わうのも、幾度目だろうか。
だが、自分で止めようがない解決ができない悩みよりも、少しでも歩みを進めた方がいいと言い聞かせて、溜息と一緒に吐き出し、切り替える。
――俺を殺さず、それに身ぐるみを剥ぐわけでもない。つまり、保護してくれた人がいる、はずだ。……そもそも手持ちの荷物どころか、金目のものなんて無いんだけど
身体を起こし、立ち上がる。手足の痺れや倦怠感、エドアルト戦の傷なども認められない。
わりと寝起きでスッキリとした気持ちである。
魔力もエネルギーも回復した気がする。
が、少しばかり小腹が空いていた。
「このパンはたぶん、頂いて良いんだろうケド……、家主に助けてもらった礼を言うのが先かな」
柱に掛けられたカンテラを掴み、部屋の外へと繋がる扉を探そうとする。コート類はまた戻ったときにでも着ればいいと思い、動き出す。
大声を出して自分が起きた事アピールをするのも有効だとわかりつつ、非常時以外で声を張り上げるのは無駄なエネルギーの浪費だ、と若干拗らせ気味の颯汰は暗がりを照らして進む。
ミシミシと床から音がする。
しばらくうろうろ歩き回り、出口がないかと探したときに見つけたのは、折りたたまれた階段。
床が開き、展開された階段を降りる。
相変わらず明るさは変わらない。
「なんか出そうで怖いな……」
幽霊のふりをして子どもを脅かした男のくせに、嫌そうな顔で言う。
「何か、音が聴こえた気が……」
物音が下からした。
行くべきか、三つか四つ数えるぐらい考えてから、行くしかないかと諦めて下への階段を探す。
暗いと余計に用途がわからない機械群が部屋にあったが、どれも放置されて長いように思えた。すべてが埃を被っているか、破損していたのだ。
放置された家具から生活感がない。
何があったか気になりはしたものの、すぐに下へと下る階段を見つけ、慎重に進んでいく。
呼吸を整え、生唾を呑む。
誰かが、いる。
間違いなく生者だという安堵感に包まれつつ、それが自分が期待した通りの者なんて保障はない。普通ならばここの家主、上で寝かせてくれた恩人であるだろうが、基本的に颯汰の性根がアレなので、警戒を解かずに進んでいった。
廊下を進んだ先の、奥の右の部屋から明かりが漏れているのがわかった。
どうやらそこに誰かがいるらしい。
光に誘われる羽虫のように颯汰は向かう。
周囲に警戒を解かず、足音を立てぬようにすり足で行く。
――万が一、仲良くなれなさそうな人売りや殺人鬼だった場合は、カンテラ投げつけて逃げよう
その隙に逃げるなり追い討ちをすればいい。
恩人であれば頭を下げて、場合によっては礼として銀貨か銅貨を渡そうかなどと考えていた。
相も変わらず、この男は見通しも甘い。
ただ、これから起こること――頭を下げるという点は間違っていなかった。
通路の奥を右手に曲がる前、事故が起きた。
事故である。
紛れもない事故だ。
過失の割合は『5:5』とも言えるし、圧倒的に颯汰が悪いとも言える。何故なら――、
「あっ」
「……えっ」
出てきたのは女。
颯汰は開いた口が塞がらない。
女は十代後半から二十代前半ぐらいだろう。
すらりとした細身の体型、暗い色の髪は腰の位置までと長い。肌はきめ細かく色白い。瞳は宝玉のようである。ギラギラとした太陽ではなく、愁いを帯びた月のようで――人を魅了する魔性を秘めた双眸。美しく気品に溢れた令嬢であるように思えた。まさに、水も滴る良い女。
「…………」
実際に滴っている。
全身が潤いに満ち、毛先から雫が落ちる。
タオルで胸を一応隠れているが、裸体である。
どうやら、水浴でもしていたのだろう。
颯汰は自らの死の未来をなんとなく悟りつつ、徐にその場に座する。後は両手で床を突き、額を擦り付けて誠心誠意の謝罪の言葉を口にしようとしたときである。
「キャァアア~!!」
目の前の女性は悲鳴を挙げながらその場で屈んだ。タオルは数瞬、宙を浮き、両手で耳を隠すように丸まっていた。
落ちて頭にかかったタオル。一瞬でそれを掴み頭――主に耳を隠して震えていた。
閉じた両膝で胸も隠れているが、耳よりもっと隠すべきものがあるだろう、と颯汰は思った。
しかし、尋常じゃない怯え方である。
自分の背後に何かもっと危ない霊的な存在がいるのではと、振り返り、周囲を見渡すがそのような現象は起きていない。
颯汰は目の前の女性を見やる。
足をもう少し開いてほしいという願望は無いわけではないが、注目するのはそこではない。
手で覆いきれず、タオルの上からでもはっきりした耳の形。エルフのように先が尖ったものではないが、これもまた特徴的である。青い魚類のヒレのような耳。よく見ると大きさは違うが腕と腰にも二つ、同じく半透明なヒレがあり、碧い鱗が少し着いている。男性ならばもっと鱗の数が多いらしい。おそらく手足の指の間が発達し、水かきの役割を担う膜となっているはずだ。
そんな特徴を持つ種族はただ一つ――。
「海鱗族……!」
最も美しく。
最も儚い。
そして、最も稀少な絶滅危惧種。
その裸体を僅かでも拝めた奇跡から鑑みて、立花颯汰の過失であり、有罪と断じてもいい。
土下座をしたところで許されるものではない。
それに――……、
今まさに、断罪が、迫りつつあったのだ――。




