19 黒い白昼夢
視界が白く霞みがかっている。
だが、夜なのか暗所なのか。薄暗くそこに立っている人間の輪郭だけで表情は視えない。倒れてる誰かもわからない。
何もかも曖昧で全てが幻だと言われればそう納得できるだろう。
開けた空間――どこかの部屋だろうか。ガラス張りの窓の外の景色もよく見えない。木々が黒い影を落としているのかもしれない。
そして、異常に気付いた時、炎が一気に燃え上がった。床を焼き、天井まで焦がす。高級そうな家具は火に飲まれていく。
思わず手で身を庇うように身体が動き、ゆっくりと下ろす。
先ほどより少し見えるが、どうにも鮮明には映らない、眼前の男の全身が黒い靄に包まれているように見えた。
立っている男の手にはナイフが握りしめられていた。その刀身から血が滴り落ち、その傍らに倒れている人を中心に、赤色が池のように広がっていた。
格好から女性であると思われる。長い髪に清楚さを感じさせる白いドレスに細い四肢がだらりと力なく垂れ下がって、倒れていた。こちらから背を向けるように倒れている女性の背に、刃物で一突きした痕が染みていた。
何が起きているか分からない。男も女も、自身より年上である事はわかるが、それが誰かだと見当もつかない。
本当ならば、その場で逃げるべきであるのに、ただ、叫んでいた。
『お前は誰だ』
燃え広がった炎がカーテンを焼き、シャンデリアは落ちて粉々に砕け散る。それでも互いに目を離さない。
男は静かに歩き出す。こちらに向かって、火など気にしない様子でゆっくりとだ。
『お前は誰だ』
男は喋らない。顔もはっきりとしない靄のせいか、それとも語る気がないのか。
闇夜に融ける黒のコートに黒のブーツ。グローブまで身に着けた刺客が持っていたナイフの刃が炎の光を反射し煌く。
『お前は誰だ』
叫ぶ。心内か、外に出ているか分からない。それでも必死に叫ぶ。
込み上げる感情の正体に気づかぬまま。
『お前は誰だ』
近づくも、闇に塗りつぶされ顔は見えない。だが感情が読み取れた。
『侮蔑』『憤怒』『悔恨』……ありとあらゆる負の感情が流れ込む。
『お前は、お前は――』
気が付くと、左手に白銀の光が奔り、剣の形を模ると、それは実体化した。
特別ではないどこにでもありそうな剣を持ち、その存在を否定するかのように叫び、振るった。
刃がその男に届く寸前で、闇が消散する。そこにいたはずなのに霧のようにすり抜けて、気が付けば通り過ぎ、背後に背を向けていた。
その背に向かって横一閃で斬りつけようと踏み込んだ時、大きな物音を立て床が崩れ落ちる。ここはどこか大きな建物の二階だったのか、焼け崩れ一階部分が見えた。飾られる絵画、階段も何もかも豪勢な造りの洋館であったが、全てが炎の糧となる。
身体のバランスが崩れ、何かに捕まろうと手を伸ばすも、瓦礫と共に落ちる。
そして最期に、彼の顔を――目が合った気がした。
その瞳には『憐憫』という感情が湛えていた。
この世の理不尽を叫ぼうとした時、下の階の床が何かに変貌していた。
深淵の闇が具現化した黒の泥土から、永久凍土に聳え立つ氷の碧――蒼銀の輝きを宿らせた双眸。
白銀の骨格を剥き出しに、“それ”は口を開く。真っすぐと落ちてくる獲物を待つだけだ。
ギラリと闇の中に歯が光り、一飲みにされた。
何も見えない。墨の海に投げ込まれたかのようだ。
呼吸ができない苦しさよりも、内側へ侵食する痛みが暴れ出した。
肌も口腔も全てから侵入するそれは焼けるような痛みを有し、触れたものを爛れさせる毒であった。血液を沸騰させ、神経を焼き切る痛みの信号が脊椎から脳へと伝わり続ける。
心臓に杭を打たれ、背を突き破りそうな激痛に襲われ、堪らず魂の奥底からの絶叫を吐き出す。
眼も焼けたのか感覚だけは突き刺さるが、元より光を奪われていたため何が起きているか目視することが出来ない。
この地獄は、いつ終わるのだろうか。
この処刑は、いつ終焉を迎えるのだろうか。
この贖罪は、誰に捧げるモノなのだろうか。
魂が燃え尽きる前、現実の肉体が揺さぶられて、目を覚ました。
「おい、起きろ! ソウタ! 大丈夫か!?」
ボルヴェルグに肩を掴まれ、起き上がる。暗がりの中、寝起きに褐色禿頭の男の顔がドアップで映るのはキツイものがあったが、それどころではなかった。
「だ、大丈夫……です」
長距離を走ったのかと思うほど息切れをしながら立花颯汰は答えた。
「酷いうなされ方だったぞ? 本当に大丈夫か? 無茶をしなくていいからな?」
荷馬車に揺られる中、前方から別の男が声を掛けた。
「ボル……ユッグ殿。そろそろ王都に到着します。失礼ながら準備の方をよろしくお願いします」
二頭の馬が引く荷馬車を操るのは王都ベルンに最も近い都市『コキノ』の騎士だ。黒馬のニールで直接王都に向かうのは商人や事情を知っていない兵に怪しまれるため、仕方がなく荷馬車を利用することになった。
屋根の付いた荷馬車で多少の雨風は凌げるし、ボルヴェルグも久々に包帯を取り外してゆっくりとしていた。下手に顔を出さなければ気づかれないのだ。
しかしエルフが住む王都を、国王に呼ばれたとはいえ魔人族がそのまま闊歩すればやはり余計な混乱を生む。だから包帯をまた巻き始めるのであった。首辺りから下は既に巻いてあるため顔だけならばさほど時間は掛からないで済む。
いそいそと準備に取り掛かるボルヴェルグを余所に、颯汰は額の汗を拭って思い更けていた。
――夢、か
何を意味するか分からない夢を不定期に視る事が増えた。具体的に言えばこの世界に訪れてからだ。不安かストレスからくる悪夢なのか、別の意味があるのかは現状では不明である。
――いや、何かないとおかしいでしょ。関係が
とは思うものの、やはり判断材料が少なすぎる。ただ分かる事は夢の舞台は日本のどこかであるのだが、見覚えのない場所だという事だ。
置いてあった家具はどこか古風であったが、この世界のものよりは新しく、また電話などの家電が見えたのだ。落ちて砕け散ったシャンデリアも蝋燭などは一切ない。電気で光っていたものであった。
この世界でも、どこかの都市部にいけば家電があるのかも知れないが、颯汰は少なくともそこまで発展しているか怪しいと考えてる。
――……もしや、誰か他人の記憶? だったら誰だって話になるし、あの黒い男は何者なのだろう。それに、倒れてた女の人も……
女性があの洋館に住むような人物なら、変な恰好ではないだろう。所謂パリピ系とはどこか違う上品さはあるのだが、あれで街中を歩くのは浮いている。
男の格好は勘違いした痛い系ストリートボーイか、拗らせた先に到達した者か。夜に紛れるなら持って来いの姿ではあるのだが、どうにも日中に現れれば職質不可避の怪しさだ。
……両者とも普段通りの格好ではないだろう。
そうなるとヒントも少なく、懸命に記憶を巡らせるも該当する人物がいない。何より顔が見えなかったのだから分かるはずもないのだが。
「…………本当にだいじょ――」
「大丈夫ですよ! ちょっと疲れてただけかもですが」
下手な親より過保護さを発揮する男にありがたみより先に少し鬱陶しさを感じてしまった颯汰は食い気味に返答し、立ち上がっては荷馬車の前の方へ進んで外を見た。
「そろそろ見えてきますよ」
騎士がそう言うと、岩山が連なっていた景色に終わりが迎えた。
日本では、地球では決して見られぬ光景に颯汰は感嘆の声を出すしかなかった。
なだらかな下り坂の先、そこには一本の樹があった。山という天然の要塞を背に巨木という城が佇んでいた。
最初颯汰は、ハワイにある“気になる木”でお馴染みの“モンキーポッド”を思わせる、樹の高さより長い樹冠の広がりが特徴的な樹だと思った。しかしよく見るとそうではないと気づく。
意図的か、天然かは不明であるが大樹は殆ど土の中に埋まっているのだ。その土を地面とし人々は建物と外壁を造ったのだろう。城から巨木が成長した、というよりも巨木を中心に城と街を造ったようだ。
いわゆる梯郭式に近い形で、本丸である樹が奥の頂上にあり、円形状の階層が四つに分かれ展開されていた。下に行くにつれ円の面積が広がり、建物と人が増えている。
最下層は根が露出している部分もある。更にその外には天然の内堀の青い水が輝いていて、根の一部が浸っていた。
どこもかしこも珍しく視線をあちらこちらと忙しなく動かしていた颯汰であるが、一点気になった箇所がありそこを見つめていると、荷馬車を操る騎士が優し気に説明をする。
「あぁ、あれかい? あれは『神の宝玉』と言ってね。王都の象徴さ。あれのお陰でこの国は成り立っているんだ」
山にも劣らぬ大樹の幹に、巨大な輝石が核のように埋め込まれていた。
三十ムート《およそ三十メートル》ほどの翠のそれは、神の宝玉と呼ばれるモノの一つだ。もともとはこの世界を形成する七大陸に十三個あったもので、場所によって大きさや色が異なる。王都ベルンにあるこれは翡翠に似た色合いの結晶であった。
大地を守護すると呼ばれるそれを有しているからこそ、この国は大陸中で最も栄えていると言って過言ではない。
実際、この土地周辺は自然の恩恵を大いに受けているため作物は多種多様育っている。
太陽を遮るほど葉を伸ばし、全ての栄養がこの巨木の根に吸い取られるように思えるが、不思議なことに育つのだ。
それでも使える土地の広さには限界があり、何年も育てれば栄養も無くなるため土を休ませる必要がある。だから各領土で税を現金だけではなく作物で徴収をしている。
――売れば何百億円もくだらないじゃないかな……?
鉱物・宝石といったものの価値に関してもさして詳しくないため、テキトーな値段を付ける。
そんな俗物的な考えをしながら、颯汰は神の宝玉に目が奪われていた。金銭的な魅力でうっとりしているわけではないが、純粋にその大きさと綺麗さに圧巻されていた。
「へぇ~……って人多ッ!?」
そうなんですか、と続けようとした言葉が、自身が乗っている荷馬車が移動したため見えてきた――目線の先の荷馬車などの長蛇の列を捉えて変化する。最下層の堀の間にある城門前で検問が行われていたのだ。
「明日は『太陽祭』だからね。普段より人が集まるんだ。静かな王都も明日から三日は大騒ぎになるよ」
人が集まるというワードに露骨に嫌な顔をした颯汰はそんな話聞いてないとばかりに後方にいる包帯男に視線を移した。
「驚いたか? まぁ、明日俺は王との謁見があるから颯汰には宿屋でまた待機してもらうが……」
――いや、前のカルマンは海賊が現れたから起った事故だし、そんな事件も起きまいか。何より兵の数があの街とは段違いだ
「いや、知らない大人に勝手について行かないと約束するなら少しは一人で見回ってもいいぞ!」
睨め付けるような視線を勘違いして解釈したボルヴェルグは自由行動を約束する。港町であれだけの騒ぎもあったが、こってり絞るように説教をしたし、王都で無謀にも騒ぎを起こす輩もいないと判断した。
何よりこの子は利巧であるし、基本は消極的であるから下手なことに首を突っ込まないはずだ。それに祭りのある日に子供を部屋に閉じ込めるのは忍びないと思ったのだ。
――そういう事じゃないんだけど……。まぁ、いいか。この街も気になるし。不思議な雰囲気だから、もしかして元の世界に戻るヒントもあるかもしれない
大した期待はしてないが、何か惹かれるものがあるのは確かであった。一拍経ってから小さくため息を吐いたが、分かりましたと答えて大人しく荷馬車の定位置に座り込んだ。
ぎこちない笑みを浮かべるボルヴェルグに、不思議と嫌味も湧いてこないで自然と笑みを返せていたが、颯汰自身は気付いていない。
揺られる荷馬車の中、王都の中に入れたのは日がもう落ちた後であった。
そうして颯汰は新しい出会いを果たす。彼らを中心とした戦に、巻き込まれるとはいざ知らずに。
急ぎ足で書いたので誤字脱字(中略)
次話は日曜日までに投稿します。
2018/05/20
指摘された部分と一部を修正をしました。




