48 力の正体
エドアルトは皇女たちの“楽園”に足を踏み入れ、すぐに隠し部屋の存在を看破していた訳ではなかった。
『我が妹たちは、ああ見えても強欲だ。ただでは件の装置を渡すまい。それでも物量で攻めればさすがに観念はするだろう。……ただし奪い取っても油断するな。急に押し入ればすぐに全てを隠す事などできなくとも、最初からどこか、隠し部屋などでも用意してそこに隠していることだろう。……我が兄も、妹のレギーナも同じ意見であった。ただレギーナから、手荒な真似はしないようにと念を押された。そこはできる限りでいいので守るように。……頼んだぞ、エドアルト』
『……御意』
皇后たるエレオノーラが死してから、一段と冷徹さに磨きがかかった次男ヴァジムは淡々と自らの右腕と称賛する部下・エドアルトに命じた。
建国祭前に僅かな綻びの芽であろうと潰すと領土内を奔走していたエドアルトが都市に戻ったその日にである。
皇居のヴァジム私室にて、跪き頭を垂れたままのエドアルトであったが、最初こそ主の言葉をそのまま受け取れずにいた。双子姉妹の幼い頃の姿を知っているせいか、あの華やかで(言っては悪いが)少し精神的にも若い皇女たちが、子どもを拉致して洗脳するという悪逆非道を行っているとは思えなかったのだ。
だが、ヴァジムの命令は絶対である。疑う気持ちが多少なりともあっても、命令に逆らうという行為こそあり得ない。何よりも主の恩に報いたいという騎士道精神がエドアルトを動かしているのである。
この国に来たエドアルトに対し最初に信頼を寄せたのは、いかにもキツそうな険しい顔を常に浮かべている三白眼の獣刃族の次男であるヴァジムだ。その後『我が子の目に狂いなし』と父帝であるヴラドが許容したお陰もあり、エドアルトは遠い友好国とはいえ他国からやって来た人族だというのに、客員騎士として受け入れられた。
その恩と敬愛、また彼の言葉に今まで間違いがあった試しがないという信頼から、ヴァジムの命令を受け入れて実行に移した――。
「まさか、ヴァジム様の言った通りだとは」
屋敷に押し入って装置を運ばせてる中、泣きじゃくる皇女たちを宥めても宥めても泣き止まず、品が微妙に下がる育ちのよさを感じる程度の罵詈雑言と、早く出て行けと言われながら、先行させた兵の合図を受け取った。
『保護対象である子どもたちが一人もいない』
目線の先、奥の曲がり角付近からひょっこり顔を出した兵から合図を見て、どこかに隠し部屋があるのは間違いないと確信する。
『子どもたちの引き渡しに応じても、それが全員であるとは思わぬことだ。……帝国領内のすべての行方不明者が集まっているとは考えにくいが、少なくとも帝都周辺の街や村の子どもの行方不明者は収容している可能性はある。拉致した子どもの一部を解放し、残りを隠匿したままにするやもしれん。…………万が一、いや本当に考えたくもないのだが、中に子どもが一切いない――既に逃がしたなどと嘘を吐いて最初から引き渡すつもりがない……という悪手の中の悪手を選んだ場合は、それこそ隠し部屋や外へ繋がる通路もあると自白しているようなものだな。恥の極みだ』
ヴァジムが予期した通りとなった。
屋敷の主たち・双子の皇女は必死に兵を足止めし、さらに装置は二か所のみと誤認させるために本気で感情を剥きだしているように演じていたが、この楽園の財産とも呼べる少年たちを一切解放したがらなかった。
皇女の相手を他の兵に任せ、隊の人間を引き連れて隠し部屋があるという前提で捜索したため、エドアルトはすぐに地下への通路を見つけ出すことに成功する。
重装した兵はいないが、他の隊員よりも軽装どころか式典にそのまま出られる礼装のまま先陣を切るエドアルト。
待ち伏せていた洗脳された少年メイドたちを軽くいなして、あとから突入してきた屈強な兵による物量で押さえ込むことに成功した。
死角である上方向からの奇襲にも動じず、傷一つなく、制圧したエドアルトはすぐに兵たちに暴れる少年たちの拘束させ――怪我を負わせぬようにも命じた。
広い部屋だが装置の類いは見当たらない。
子どもがエドアルトを奇襲する際に利用した天井から伸びて壁を沿う通風管ぐらいである。
違和感の正体にすぐに気づいた。
子どもたちの落ち着かない様子とチラチラと見やる視線の先――目は口ほどに物を言うとは正にこのことであろう。
兵には作業を続けるように言った後、さらに奥の隠された通路と階段を降りた先へと向かうエドアルトは妙な胸騒ぎを覚える。
瞬時に剣の柄を握り、周囲を注意深く観察するが、敵意が此方に向いていないとわかると、長く息を吐いた。気のせいだと安堵する間もなく子どもの悲鳴が聞こえてきた。
この世の終わりと紛うほどの叫び。それを聞いてエドアルトは一気に階段前の扉に手をかける。
「だれか、……だれか、たすけてぇええ!」
部屋に入った途端に大声が響く。
状況を正しく認識する必要はないと断じる。
明らかな異物がまぎれこんでいる。
尻もちついてる子どもたちの視線を一身に受けている怪物がいた。
黒い霧の集合体を思わせる闇の使者に対し、エドアルトは躊躇いもなく刃を煌かせる。
通常の剣の間合いには不十分に見えるが、エドアルトの射程内である。
鞘から抜き放たれる白刃は、空を通り抜けるのみに見えたが、斬撃は遠くにいるターゲットがいるところに発生する。
――! 避けっ……!?
必殺の一撃。不可視であり、完全な不意討ちであるのにも関わらず避けられた。エドアルトは少なからずショックを受ける。しかし彼とて実力者。そこで動揺して仕損じる間抜けなどではない。隙かさず第二撃を打つ。
照明は壁に沿って配置された燭台の炎が放つ淡い光のみ。そんな薄闇だからこそ、斬撃の光の線がくっきりとは見えるものの、それを見てから避けられるような速度ではない。……そのはずなのに、正体不明の黒い影は仄暗い蒼い炎を放ち、その勢いで自由の利かぬはずの宙で姿勢を制御、即座に地に降りようとする。まるで予め、攻撃が来るところ知っていたように動いているように。
――ッ!? それなら……!
謎の怪異が着地をする瞬間に狙いを定めて、打ち放つ。命を狙う一閃、怪異は左腕を前に出すと、再び噴き出す炎を推進力とし、攻撃を躱してみせた。エドアルトの表情は崩れないが、僅かに額が汗ばんでいる。
一体、これが何者かはわからない。
ただ、子どもたちの味方ではないことは、状況から判断できる。
洗脳装置と拉致された子どもの回収の命令を遂行しなければならぬエドアルトであるが、この正体も目的も定かではない怪異も、できれば捕縛した方がいいと判断を下した。
「どういう訳かまったくわからないけど――私が相手だ」
放っておけば民を、延いては帝国そのものを脅かす存在となり得るやもしれない。相手の実力は未だわからないが、ここは手を抜かず、本気を出すしかないとエドアルトは覚悟を決めた。
「大人しく、ついてきてくれるなら手荒な真似はしないが――」
言葉が通じる相手なのか甚だ疑問に思いつつ、対話する姿勢を示す為に鞘に剣を納める。
怪物は、不気味なまでに静かであったが、
『…………』
壁から手を離し、両手を挙げた。開いた指には何かしらの武器らしきものもない。
ゆっくりとした足取りで、肩が揺れきちんと歩行しているようであった。
相対した瞬間は何か、霊的な類いかと思ったがどうやらきちんとした人間であるようだとエドアルトはふぅ、と息を漏らした。ただその手を柄から離すにはまだ早い。エドアルトはこの謎の人物の出方を覗っていた。対する黒いオーラのようなものを纏う不気味な人物は、エドアルトの方に歩みを進めていた。が、
「ん?」
装置の前で動きを止め始め、
「おもむろにカバーを外し……って待て待て!」
何食わぬ顔(表情は見えぬが)で、装置を弄り始め出した。エドアルトは慌てて斬撃を飛ばし、怪人はそれ後方へステップを踏んで回避する。
青白い光の線が避けた影を追うように奔る。
怪人は着地をした同時に、すごい勢いで両手を挙げる。
「そのコチラに非があるような、攻撃に対して抗議しているみたいな態度は止めなさい! 何を勝手なことをやろうとしているんだ!」
怪しい行動を取った方が悪いというのに、責めるような、文句が言いたげな動きに見えた。
『……丸腰相手に、刃を向けるのが、ヒトの世界の、ルールか?』
「喋っ……。キミが何者かは知らないが、ここはニヴァリス帝国の、しかも帝都の内部――ヒトの住む領域だ。我々のルールに従っていただきたいところだね」
『…………』
「というかキミ、言葉の響き方が変だけど間違いなくヒトだろう? ……ひっそりとすり足で装置に近づくの止めなさい」
『…………』
怪人は沈黙する。頭を覆う黒い金属の兜から表情などわかるはずがない。
「上の階には部下が二十、他の階層にはそれ以上の人数がいる。外に待機している数も二百を優に超える。その全員が精鋭だ。大人しく投降してほしいのだけど」
敵に軍勢の規模を話す際は多少は盛るのがお約束である。
『……我も、貴様らと事を荒立て、刃を交えるつもりはない』
観念したのか装置から離れ、まっすぐとエドアルトの下へ向かう――、
『だが、投降などするつもりも微塵も無いのだ』
訳が無かった。言葉を言い終わる前に、既に放たれるたのは研ぎ澄まされた黒――黒曜石を用いたクナイのようなものがエドアルトに飛来する。
両手を挙げていたというのに、その背、怪人の左側から放られた。矢のような速度で心の臓を獲りにかかる。客員騎士の目は鋭くなり、再度剣が抜き放たれた。
響く金属音、抜刀しながらクナイを切り払う。次いで反撃に移ろうとしたエドアルトの視線に移ったのは、
『――そぉおいッ!!』
怪人の左半身側から溢れ出す黒い靄が、離れたところにあった装置――留め金は先に外したおかげでカバー部分の金属板を掴んでいた。
それを全身を使って放り投げる。ハンマー投げの要領で身体ごと一回転させてだ。
先ほどよりも大きなものが迫り来るが、エドアルトは腰を落とし、再度剣を鞘に納めた。
呼吸を整え、集中力を極限まで高め――、
「――はァッッ!」
裂帛の叫びと共に貫き放たれた剣は青白い光を帯び、金属を削る音を奏でつつ、
「ぐぅッ!!」
エドアルトはその一太刀で両断したではないか。
驚くべき、剣客としての業であるが、
『甘い』
声が近い。切り裂かれた金属板の隙間に、近づく影が見える。エドアルトは目を見張るが、もう防御する時間は無い。
蒼黒の焔火による加速と共に、跳び込んできた黒の怪人が放つは、両脚による足蹴――ドロップキックである。
剣を振るい終えた間隙を縫う強烈な一撃だ。
情け容赦なく、エドアルトの腹に黒鉄の脚がめり込み、身体ごと後方へ吹き飛ばす。ドアの先の、階段下まで転がっていった。
「隊長!?」「何があったんですか!?」
部下たちの声が遠く、か細く聞こえる。
当たり所が悪かったのだろうかと、霞む意識と揺れる視界の中、エドアルトは剣を杖代わりにして何とか立ち上がって見せた。肋骨の何本かは持っていかれたのではなかろうか。
「ぐ……っ。……、――!」
エドアルトが気づく。
何もない右腕を探る。
心音が嫌な予感で高鳴る。
彼の目が血走り、優男の甘い顔が崩れる。
『これが、貴様の力の正体、か……』
怪物が左手に取り、弄ぶかのように宙に軽く投げ、掴みを繰り返すのは、装飾が着いたブレスレット。大きさは籠手よりは小さいが腕輪としては少しばかり大きいそれを、蒼黒の怪物が右の二の腕辺りに装着する。
「……、……!」
絶望がじんわりと拡がるのを、体温の低下とともに感じた。やつは、精霊が宿る武具――“霊器”の使い方を既に知っている。
エドアルトは叫んだ。
返せ、返せと大声で。
叫んだつもりであった。
実際には掠れて声が出ない。
代わりに出たのは赤い赤い鮮血。
口腔を満たす鉄の嫌な味。
エドアルトが本来すべき行動は、すぐ階段を駆け上がって逃げ、態勢を立て直すことであった。
だが、この剣士はあろうことか、己の最大の武器を奪った相手にヨロヨロと、策もなくオモチャを取り上げられた子どものように、近づこうとしていた。
怪物が“霊器”を付けた右手を掲げる。振り下ろされれば、目の前のエドアルトの命はない。今までエドアルトが使いこなしていた視えなくて射程も長く切断力のある斬撃が、この敵の手に落ちたのだ。
「かえ、……て……」
声にならない。
空いた左手が虚しく怪物へと伸ばす。
『……斬り裂け』
怪物はその右腕を、振り下ろす――。




