45 楽園を荒らすもの
四角い通風管の中を少しほふく前進で移動をする。換気用のプロペラファンが回っているのが見えた。奥は暗いが室外だとわかる。ここを破壊すれば脱出はできることだろう。
――だけど、まだその時じゃない
味わった恐怖と同じレベルのものを相手に与えることはまず不可能ではあるが、それにしてもただ脱出するだけでは煮え立つ怒りが治まらない。
そんな負の感情以上に、彼らメイドが自分の意思ではなく、操られている可能性を、看過できる立花颯汰ではなかったのだ。
途中、網目の部分からそっと廊下を見下ろし、敵である少年メイドたちがまだ颯汰の捜索を諦めずに続けていたのを確認した。
息を殺し、万が一でも見つからぬよう――気配や視線を感じさせないために管の中であっても姿を隠そうとする。子どもの姿である颯汰ですら、立っての移動は不可能である。つまりは得意の縮地の走法は活かせられない。見つかった瞬間に詰む……わけではないが、面倒事が増えるのは間違いない。
「…………」
敵が去ったのを確認してから動き出す。
外観は無骨な金属の塊であったのに、中は下手な学校ぐらいの広さはあるのではなかろうか。
広いお陰ですぐに捕まらなかったが、走り回ると大変であったし、これから管をほふく前進だけで進むとなると骨が折れる。また、移動する際、音を立てぬよう気を配らねばならなかった。
少し進んだところでまた脳内で悪魔が語り掛けてきた。
――ぶっ壊すって決めたのはいいけどよぉ、一体どうやるんだ? 物理的に破壊した音が響けば敵はやってくるし、あの洗脳装置が一つとは思えねえ。狙いの機械が壊れてるのを知れば他の箇所も警備を厳重にするんじゃねーか?
ド正論に颯汰の動きがピタリと止まった。
しばしの間をあけてから、
「電気を使う」
迅雷の魔王に向けて、奪った魔法を思うがままに振るうとぶっきら棒に言い放つ。
――あれの動力がわからん内にやんの、危なくねーかぁ?
ド正論であるため、再び動きが止まった。
しばし脳内で考える。
機械であるから雑に電撃を放てばショートするだろうと安易に考えていたが、頭の中に港町の情景が浮かんだ。白く荘厳さと静謐な見た目に反する賑やかな漁港――それ自体とは違う、宿屋にあった暖房器具のことだ。
暖炉の中に回転するキューブ。下手に弄ると付近一帯が燃えると釘を刺された物質だ。
もし同じようなものが搭載されていたとして、下手に刺激すれば大惨事を招くだろう。
街のカラクリたちは、一見すると噴き出す白い靄から蒸気機関により賄われているように見えるが、宮殿を担う空中庭園の真下に装着された“神の宝玉”によってエネルギーが供給されているという。しかし、
――たしか……あの装置は独立していたな
颯汰は迅雷に返答せず、思い耽る。
車輪のキャスター付きとはいえ、女性一人で動かすのも厳しそうな鈍重な金属塊。プラグのようなものでエネルギーを供給していたようには見えなかった。
「……一度、詳しく見てみる必要がある。時間は多少掛かるだろうが」
体感だと、かなり時間が経った気がするが、最初のピンクの実質拷問部屋のような装置が置いてあった場所へと繋がるダクトでなんとかやって来れた。
管が縦になって降りられる地点より一ムートぐらい手前で、動く影を見かけて颯汰は止まった。
内心で舌打ちをする。
――なんでまだいるんだよ
秘書風の子メイド長が装置をいじっていた。
颯汰の目にはもうあの大人びた眼鏡メイドさえ男なのではという疑っている。無論、正解だ。颯汰の目は誤魔化せない。実を言えば颯汰は割と早い段階で男なのではと気づいていた。装置が使われる前、二人のメイドに押さえられたときに至近距離で疑惑が強まり、戦ってエキサイトした結果、たくし上げながらエキサイティングし始めた少年メイドで確信してしまった。己の培われた観察眼をこのときばかりは信じたくはなかったのだ。
一人ぐらいであれば闇討ちで気絶させ、長机の陰にでも置くことも可能であるが、大声出されて見つかるリスクの方が大きい。それにここから急げばドタバタと通風管からの物音で気付かれるかもしれない。ジッと、少年メイド長が去るの待った方が賢明だと判断した。
何か調整を終えたのか装置から離れ、少年メイド長はふぅっと息を吐いた。
妙に艶やかな音が消え入るのと同時に、ガララと扉が横に開く音がした。
颯汰は不機嫌な顔が、驚きに変わる。
第三皇女のオリガがやってきたのはわかるが、続いてやってきたのは、第二皇女リュドミラである。元凶たる女に対し苛立ちはあったが、それ以上の衝撃がリュドミラの引いた縄の先にあった。
――あれは……! あのときの!
手を颯汰と同じく枷を付けられ、さらに縄で結ばれて引かれるのは少年。颯汰と一緒に保安検査をしていた子どもであった。
彼も狙われたのだろう。見境なく少年を拉致しているのではと、颯汰は思っていた。帝都に祖父母がいる、上京しにやってきた少年。いくら支配階級の皇族とはいえ簡単には手出しできないはずだが、それすら権力で屈伏させるのかと胸の内に黒い感情が靄となって渦巻くのを感じていた。
ただ、何か違和感を覚える。
「ウゥ……! うぅぅッ!!」
口にまで枷として布が巻かれて声が出せない少年で。先ほど一緒にいたときは利発そうで穏やかな印象をもっていたが、今は真逆であるように思えた。尋常じゃない暴れっぷりだが、後ろに控えていた子メイドたち二人に取り押さえれていた。
急に拉致されればそういうものかとも考えられたが、次の彼の態度に「引っ掛かり」を覚えたが、その正体に今は気づけなかった。
「やめっ……! 離せ! 離せよぉッ!!」
「抵抗しても無駄だよ?」
「暴れるとかえって危ないからねー」
少年を無理矢理椅子に座らせる子メイド二人。メイド長が装置を操作し、例のヘルメット部分を掴んで少年の方へ運ぶ。その様子を見やる双子の皇女の表情は対照的であった。
興奮と蔑み。いや、興味と無関心が近いか。
「――っ! マズイぞ……!」
颯汰は考えなしに、止めに入ろうとした。
脳内に響く警告を無視し、己の心に従う。
しかし大人がつっかえる狭さ。多少余裕があっても、立つことも屈むこともできないような場所。懸命に腕を動かし、這って脱出口に進むしかできない。――間に合うはずがなかった。
暗い金属の四角い管の中、颯汰は両手を動かし前進し続ける。
僅かに見える光の前まであと少し。
そこに下から漏れる絶叫。
そうして、異質な静寂が訪れてしまった。
「終わったかしら」
オリガの興奮が隠し切れない声にメイド長がはいと肯定する。
「では、彼女の服の用意を致します」
子メイドたち二人が、少年を連れて行く。さきほどまでの活気が嘘のように、目が虚ろで口から唾液がツーッと伝い落ちる。
「任せたわ」
オリガが満足そうに返すと、部屋の扉が開け閉めされる音が颯汰の耳に届いた。
間に合わなかった。完全に己の責はないとはいえ、颯汰にやり切れない気持ちが溢れてくる。
「ところでリュドミラ姉、あの子はどこで拾ったの?」
「……あのヒルベルトって子と一緒に検査を受けてたのよ」
「あ、あははは。そ、そうなんだー」
オリガの様子から目まで泳いでると颯汰は容易に予想ができた。どうやら、まだ自分が逃亡したという事実は姉であるリュドミラには伝えていないようだ。それに気づいてか気づいていないかは声の静かさだけでは判別がつかぬ姉は続ける。
「最初はあの子は見逃がす予定だったけど、例のレジスタンスの……」
「あぁ、そういうこと。吐かせるにはこの洗脳装置を使うと楽だもんね」
――やはり、“洗脳”か
レジスタンスという言葉には首を傾げていた颯汰ではあるが、敵から『洗脳装置』という言葉を聞けたのは収穫である。
――問題は、治すことができるか否か。さっきの子も、あのまま放置ってわけにはいかない。あの装置で元に戻……
「本当はスパイとして送り込めばいいんけど、定期的に装置を使わなきゃ元に戻っちゃうから」
「仕方ないよリュドミラ姉。それに私としては男の子のメイドとして置いておく方が得かな」
「もう、オリガちゃんったら」
敵が潜んでいるとはまったく考えない能天気な姉妹は談笑しながら部屋の外へ出て行った。足音を確認し、子メイド長も消えたことを確認し、通風管からひょっこり顔を出し、警戒しながら颯汰は落下した。
「オーケー、どうやら装置はぶっ壊して問題なさそうだな」
憤りは隠さない。こんなものこの世にあってはいけないと脳内多数決は満場一致であった。
――問題は、手段と……いくつあの装置があるかだな。何か考えはあるのか? 兄弟
「兄弟はやめい。……まずは構造を把握させる――ファング」
装置の前に立った颯汰が左手をかざす。
時計のような円盤型のメモリとつまみが幾つかあるだけで、モニタの類いはない歪な機械。
そこへ左腕から黒い粒子が煙状に溢れ、機械の中へ吸い込まれていく。
数秒もしない内に、
『解析完了――』
黒い靄は顎を模り、語り出す。
機械自体の構造を“獣”に解析させた。
『警告。電撃による当該装置の破壊は炉心が暴走する危険性が有り――。
推奨:キューブ型コアユニットの除去及び当該装置の物理的破壊――。』
「除去? 素人でもやれるのか? それと、ここにある装置はあと何個ぐらいある?」
『当該装置のカバーを外し、内蔵されたキューブ型コアユニット部を露出させることにより、捕食による除去が可能――。
他装置の反応を確認。
一階に一機――。
下層にて同フロア内に二機配備を確認――。』
「下層?」
駆け回ったが、そこまで階層があった記憶はない。というか登り下りを繰り返したが四階くらいまでしか無かった気がする。
『実際にはこの建物自体が都市部の地下にあるが、入口を一階と定義した場合、地下二階に相当するフロアが存在――。』
「そこに二つあるんだな」
『肯定――。
構造上、独立した階層であるがダクトで繋がっているため、侵入は可能と判断――。
推奨:コアユニットの早期除去、及び――』
音声が途絶える。颯汰がどうしたか尋ねる前に黒の靄は答えた。
『警告:敵、複数人の接近を感知――。
推奨:通風管への退避行動――。』
少年メイドたちが近づいてきたようだ。颯汰は一目散にダクトの中へ入り込む。
運がよく、その姿は見られずに済んだようで、颯汰はホッと息を吐いて胸を撫で下ろす。
「……見つかってないようだ」
――なんか、妙に人数多くなかったか? ドタバタと足音が多かったぞ
「たしかに。俺を探してるのには非効率すぎる。……いや、探してるような速度じゃないな。どこかへ向かっているような……?」
――……兄弟のお友達でも来たか?
仲間たちのことを指していると颯汰もわかっていたが、颯汰は嫌な顔をして返す。
「兄弟でもないし友達なんていない」
――それ言ってて悲しくならねえか?
それを言うなら『友達なんかじゃない』では、と迅雷は呆れたように笑っていた。
「ぜんぜん」
――……わー、つよがりー
寸劇じみたやり取りの後に、きちんと目的を果たすべく、装置のカバーを外しにかかる。
それとほぼ同じ頃、皇女たちの“庭”たる隠れ家の入口に男が一人立っていた。
入口を守っていた強面の鬼人族の男は地に伏し、中へ入ろうとする男を止めようと、震える手を伸ばしていた。しかしその手はやって来た男に触れる事なく、力が抜けて滴る赤の溜りへ落ちる。
鈴の音が響く。
男は鍵を拾い上げ、悠々と扉を開けて中へ入っていった。




