44 狂気の箱庭
塵煙の街を一行は歩む。
皆が一目で帝都ガラッシアの外から来たと証明ともなるマスクをつけていた。
絶望の中、ひた走る立花颯汰の状況なぞ知る由もない仲間たちであったが、闇の勇者たるリーゼロッテは無言のまま捜索を始めようと考えていた。父親(の役)がいないことで、聞き分けがよく我慢してしまいがち――決して我慢強くはないアスタルテのしょげた表情を見て、そして何より自身も颯汰のことが心配であったから単独で行動しようとしていた。
「待つがいい」
呼び止める紅蓮の魔王に、闇の勇者リズは驚いていた。先頭を歩くイリーナ、その後を追う女子たちとちょっと距離を置いてあるくレライエの後ろ。他の仲間に聞こえぬようにヒソヒソと語り掛けてきた。
「契約者の生命の危機であるならば、我々も察知できるはずだ」
被った外套のフードの中、マフラーによって隠れた首の下にある赤い玉石にリズは触れる。
「ここで余計な茶々を入れ、騒ぎにでもなればそれこそ少年は怒るのではないか?」
リズは今度は右手を顎に移し、唸っていた。
そこへ紅蓮が畳みかける。
「信じて待ってやるのだ。……それに、例え危機的状況であっても、今の少年は多少は戦いの心得を持ち合わせている。下手に助ければプライドを傷つけることに繋がるやもしれん」
彼女の中で天秤が揺れていたが、答えが決まったようであった。
「そう。我々男とはそういうものなのだ。つまらないことで意地を張る。そこを受け入れてこそ女の度量……というもの? らしいぞ」
どこの誰に聞いたんだろう、と心の中で呟いたリズであったがすぐに出どころが予想できた。
冷静沈着で表情の変化が乏しいために非常に気づきづらいが、紅蓮の顔が心なしか喜びと憂いが同居しているように見えた。亡くなったという奥さんに言われたのだろう。それゆえかリズは素直に彼の言葉を聞き入れ、全員で行動を共にすることを選んだのであった。
一方、その噂の立花少年はと言うと――、
「っ……(だ、誰か、助けてくれ~……!)」
割と本気で泣きそうになっていた。
最初こそ、全力疾走……あくまでも怪しまれぬ程度の早さではあるが、それでも同じ年代の子よりは異常に素早く廊下を駆け抜けていった。
なにも誓約がなければ――幾度も遭遇する敵を次々と屠るどころか、初手で第三皇女のオリガを襲撃して、ここから脱出することができた。
そうでなくとも、所詮は隠れ家とはいえ人が住まう屋敷なのだから、迷わず正面玄関から脱けられると思っていた。見通しが甘かったと言える。
出入口に、なかなかたどり着けない。
次々と襲い来る刺客たちを、颯汰はどうにか撃退していたが、数が多い上に妙に戦い慣れをしているような動きを見せてきた。見た目の年齢こそ颯汰と変わらない子どもだけが、ここでメイドとして雇用されているのだが、その戦闘力は侮れないレベルである。むしろ見た目とのギャップのせいで一層、手強く感じているくらいだ。
その歪な何かの正体はまだ掴み損ねていたが、別段知りたくもなかったもう一つの事実の方に、運悪く先に気づいてしまった。ゆえに、どうすればいいのか答えがわからず、ついどこかの部屋に逃げ込み、膝を抱えて震えていた。
恐怖――。
この感情は紛れもなく恐怖であると颯汰自身も認めている。
ただ戦いに於いての、命の奪りあいによって生じる“死”への本能的な恐れとは異なる。戦場でまず感じることがないであろう類のものだ。
「知りとうなかった……知りとうなかった……」
呪文のように繰り返す。
消したい記憶が勝手に脳内で蘇っていく――。
――……
――……
――……
ほんの少しだけ時間を遡る。警報が未だ屋敷中に鳴り響いていた。
襲い来るメイドたちの相手をしていたのは前途の通りであるが、そこで事件が起こった。
いや、不幸な事故とも言うべきか。
……故意の当て逃げに近いかも。
「今度こそ、逃がしませんッ!」
「そこを退け!」
迫力のあるやり取りであるが、如何せん互いに容姿は子どもで、片やフリフリのメイド服であるから緊張感が伝わりづらい。
メイド側は颯汰を捕縛すべく、颯汰自身も殺傷は極力避けるべく、互いに武具に頼らず、徒手での戦闘となる。
このとき、颯汰は油断したつもりはなかった。
敵の数は一人であった。しかし他のメイドも、想定以上の力や動きをみせたのだから、一切の油断は最悪の結末を招くと頭の中で理解していたつもりであった。
襲い来る打撃を、腕でブロッキングする。
素早い足蹴が顔の高さにまで届く。
予想よりも速く、衝撃が腕の骨と神経に奔る。
「ぐっ……、本当にエルフなのか?」
金髪碧眼の、エルフの美少女とは思えない重みがあった。
見た目こそは颯汰と変わりないがまず間違いなく年上ではある。しかし線の細さから考えられない攻撃であった。
颯汰から苦悶の声が漏れるが、しかし冷徹な“獣”は次の攻撃を読み、腹部に手を置いた。
腹に目掛けて突き刺すような蹴りが飛んでくる。それを颯汰は手のひらで防いだ。
「!」
攻撃を仕掛けているメイドの方が目を丸くし、左手だけで自身を足から投げるように払った少年の異質さに驚いた直後、シュタッと見事な着地を見せてから舌なめずりをする。ようやく己に相応しい獲物が現れたと歓喜する戦闘狂の気配を感じ、颯汰は露骨に嫌な顔をしていた。
次に一手は、暴風のような速さとなった。
軽いステップからフェイント混じりの攻撃。
颯汰の目にこの程度のまやかしは効かない。
回し蹴り――本命を屈むように回避し、その瞬間を狙ったようにシームレスに反撃へ転ずる。
距離を極限まで詰める。
高く上がった脚の下、ゆれるレースから伸びる白くて細い足を包む黒のタイツ。黒い靴の踵部分には目立たない濃い藍色のリボンが付いていた――をくぐり、颯汰はメイドの残った軸となる左脚を崩しにかかる。
別に足を掴むことに躊躇いがあったわけではない(多少はある)。
一対一であるから密着して関節技をキメること自体は可能ではあったものの、颯汰は逃走中であり、増援が来る前にこの場を離れることを優先したのだ。完全な無力化はできなくてもわずかな隙さえあれば離脱はできる。
それに転ばせ、多少痛めつければ相手もすぐには追えないだろうと、またもや甘い考えであったのだ。
両手で薙ぎ払うように軸足を左側へ押した。
体勢が崩れ、両足が宙に浮き、メイドは颯汰から右向きに倒れる――かと思いきや、
「フッ――!」
「ッ、いやマジ……!?」
メイドは倒される勢いすら利用し、蹴りを入れてきたではないか。横へ側転しながら、両手が床に着いた瞬間に、さらに足蹴が回転して襲い来る。
恐るべき二重の意味での柔軟性。
逆立ちとなり大きく開脚した両脚から放たれた重撃に、颯汰は何とかブロッキングが間に合ったものの、衝撃で後ろへ後退させられた。
しかし、真の恐怖はその後にやって来たのだ。
「くッ……! 手強……い――」
言葉を失う立花少年。
メイドたちは皆が短いスカートであった。
それで戦えば、どうなるかは簡単である。
黒のスカートにふわり揺れると白のレースの先――秘匿すべき場所があらわとなるのは必然。
状況が状況でなければ、ラッキーと神の厚意に感謝するところであった。だが状況も最悪であったうえに、それはまた神々の悪意なのではないかとブチギレたくなるレベルの呪詛と思えた。
失う声と熱量、湧き出る慄きの正体に、逆立ちしたままのメイドは勘付いたようであった。
すっと足を地面に着け、まるで令嬢が挨拶するようにスカートの裾を摘まみ上げ――短いそれをたくし上げたのだ。
悪戯っぽく笑うメイド。
訪れる変化。
颯汰の顔は、ますます蒼くなった。
「――うっそ、だろ……?」
やっと搾り出した声は震えている。
メイドはクスクスと笑んでいた。
それは、あってはならないもの。
有ってはいけないもの――少なくともメイド服を着た少女に。否、生物学的に女性に有ってはならないものが、己の存在を主張していた。
「つ、……付いてるぅぅう!!」
悲鳴みたいではなく、紛れもない悲鳴である。
颯汰の思わず出てしまった絶叫に、敵であるメイドたちが気づいて集まってきた。人族と魔人族が一人ずつ。端麗な容姿ではあるのだが、もはや颯汰には疑うしかできなくなっていた。今現れたメイドたちも男性である、と――。
幼いから身体つきでは、長い髪、短い髪でも判断がし辛い。服が可愛らしいせいで余計にだ。
恐怖に引き攣る颯汰の表情を見て、集合して三人となったメイドたちは怪しく笑む――というよりも獲物を前に歯を見せつける動物的な仕草に思えた。
顔はいいのに目の昏さが恐ろしい。
捕縛するために無力化を図るだけとは思えない、徹底的に痛めつけるための猛攻を、颯汰は回避に努めた。基本的に蹴りを中心だ。カポエイラほど、独特で虚を突くトリッキーな動きではないが、変なものが揺れるせいで集中が乱れる。
隙を逃さず、駆け出した。
颯汰には逃げの一択しかなかった。
あまりの理解できない状況に混乱し、恐怖を覚えたせいでだろう。立ち向かえる方がおかしい。
最速の――縮地の走法を用いた。
元より戦う気は然程なかったが、戦意が完全に削がれてしまった颯汰は脱兎の如く階段を飛び降りていった。
階段を降り、別の場所から階段に登る。
追跡者も決して遅くはない。進んだ先にメイドたちがいて挟み撃ちとなる最悪のパターンだけは避けるべく、どこかに身を潜めることを考えついた。前方の曲がり角と後方からの足音が聞こえ、慌てて部屋に飛び込む。硝子で丸見えであるから、部屋の隅に追いやられた長机の下に、隠れて震えていた。
……――
……――
……――
話し声が近づいてくる。
颯汰を見失ったため走らず、早歩きであった。
息を切らしている様子はない。
足音が離れるのを感じる。視線も気配も遠くへいったと判断し、颯汰は溜息を吐いた。
誰でもいいから助けてほしいと泣き言さえ口から零れてしまいそうになっていた。そのとき、
――災難だったな! 兄弟よぉ!
「(お前本当にいい加減にしろよこの野郎)」
心臓が飛び出るくらいに驚き、歯を食いしばっては青筋を立てて悪態をつく。
己の内側に何故か宿った怨敵――“迅雷の魔王”が急に語り掛けてきたのだ。今は構っている暇などない、早く脱出しなければ。
――全員ぶっ殺せば早く済むが、甘ちゃんの兄弟はそんなマネはしたくないんだろ?
「……いざとなれば辞さない」
小声でぶっきら棒に返した。
――本当にやれるのかよ。戦闘中に、しかもアイツから見せつけながら臨戦態勢になったのを見て、明らかに戦意喪失してたじゃねーか
「…………、…………いや、あれは、恐いだろ」
――……確かにそうだな。いやまぁ、あれは仕方ねえか。それより天井の方、よく見てみな
長机からそっと顔を出し、確認する。鬼人族には少し低く感じる高さの天井付近に通風管が見えた。子どもなら余裕で通れそうではあるが、普通だと届かない位置だ。
颯汰は敵がいないことを確認して、“黒獄の顎”を左腕から放出し、通風管の内部に引っ掛けて中へと、吸い込まれるように跳び込んだ。
その直後にメイドたちが部屋に入って来る音と会話が聞こえ始めた。
「見つかりませんね」
「部屋をしらみつぶしに探せば必ず見つかるよ」
「はやく“装置”をつかってあげないとね……」
「あれで、みんなしあわせになれるのに」
「たのしいたのしい、かぞくせいかつ。メイドになってごほうしごほうし」
下から聞こえる声。
ダクト内で口を押さえ息を止めていた颯汰は、
――ちょっと、様子がおかしくないか?
まだ喋り続ける声に耳を傾けた。
「あのこもメイドになったらきっとかわいいね」
「うん、きっとおじょうサマもきにいるわ」
「でもあのこ、へんなこといってたの。付いてるって当たり前じゃないか。私たちはメイ――……あれ? ボク、わたし……?」
「どうしたの、きぶんがわるい?」
「ほけんしつ、いきましょう――」
声が離れていったのを確認して、颯汰は大きく息を吐いた。
「なにやら、すごい不穏な感じだった」
無機質な会話の中、颯汰と一戦交えた少年メイドの様子が変わっていたことに気づく。変声期前とはいえ女の子らしい声から、男の子っぽい声音と喋り口調になったような気がした。
――装置がなにやらとか言っていたな。あれはさっき兄弟に無理矢理被せようとしたやつのことだろ
「もしやあれのせいで、ここの子どもたちはおかしくなっている……?」
――洗脳、されてるかもしれねえな。俺から見てもあの様子と戦闘力は異常だ。……だが俺たちには関係ない話だ。放って置こうぜ?
「…………無視は危険だ。あれがもし、そういった類の機械ならば看過できない。――ついでに、俺を巻き込んだことを後悔させてやる」
そういうと、通風管の中をほふく前進で進み始めた。ここを脱出する前に、一つ余計な仕事を済ませるつもりだ。一泡吹かせてやろうという、復讐心も勿論ある。なにより、迅雷の魔王の意見に順ずるのは避けたいという心理が、颯汰の目的となった。
――フッ……
そう仕向けて、心の中に潜む悪魔はほくそ笑むのであった。
2021/08/01
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