42 奈落への扉
皇帝の末娘に半ば脅され、仕方がなく訪れた帝都ガラッシアにて。立花颯汰は皇帝の血筋――というより女難に悩まされ続けていた。
神々に玩弄されているのではと天を疑い、地に唾を吐きたい気持ちで手を引かれて歩く。
次女たる第二皇女の強襲まがいな謀略により、颯汰はまんまと護送される羽目となった。
あの後、特に抵抗する様子も見せず、颯汰は目隠しをされ連行されていった。おそらく隠し通路でもあったのだろう。半裸のままで誰にも何か言われたり視線も感じなかった。
そして暫くすると、外気を感じた。
極寒の銀世界とは異なる、妙に肌に張りつくじっとりとした暑さと、物音の数々が耳に飛び込んでくる。蒸気が配管から排出される音が複数箇所から聞こえる。ヤカンの中が沸騰し、湯気が甲高い音を鳴らすあの感じとは違う。また霧笛のような轟音でもなく、薄っすらとした抜けるような音が重なって聴こえた。
そこに加わる金属の音。さらに遠くにヒトの喧騒が加わる。祭りの日が近いから、皆が浮足立っていたし、その準備に明け暮れているのだ。
手錠に加え、口にまで布であてがわれたまま少しばかり歩く。
手を引いているのは手の感触的に女性ではあるが、第二皇女のリュドミラではないのは確かである。ほとんど会話がないまま、連行された。
目が見えず、手も使えないという状況では急な音と振動で驚いて声が出るのは無理もなかった。
床ごと動く――エレベーターか何かかと思ったが、横に移動しているし、金属のロープを巻き取るみたいなキュルキュルと何かが回転する音から別の機械だと判断はできた。
そうして、音と風から人が移動した――狭い路地を通っているなと予想を的中させて少し進んだところに、どこかの部屋に入らされた。
扉を開け、段差があるから気を付けろと男に声を掛けられる。当たり前だが保安検査の仕事をしていた男は持ち場から離れることはせず、現在も仕事を続行中だ。第二皇女に賄賂のことがバレているから気が気ではないだろう。
他者のことを心配している余裕がない状況下なのに、雑念が溢れていた颯汰であった。
どこかの建物に入ったところで声が聞こえた。
「あ、リュドミラ姉!」
「オリガちゃん!」
女の声に駆け出す音が追う。
颯汰は目隠しを外される。少しの間とはいえ暗闇に閉ざされた目にとっては、ぼんやりとした弱い光ですら眩しく感じた。
思わず瞑ったまぶたをゆっくり開き、どうにか状況を理解するように颯汰は努める。
暗めの部屋。
余計な物がなく生活感はない。
埋め尽くす金属の壁から一瞬何かの工場かと思われた。広いが、奥まではっきりとは見えない。点々と橙の光が等間隔に配置されてはいるものの、闇に包まれ全貌は明らかになっていない。
光源は照明器具。
明るいぼんやりとしたオレンジの光が照らす。
移動する床――ロープウェイ的なもので運ばれているという時点で、薄々技術が自国より抜きんでているのではという疑惑が浮上していたが、それが間違いないという証明が現物となって突きつけられた。……という事実にも驚いたし、似た衣服の女同士が抱き合っていた光景にも颯汰はただただ驚くしかなかった。
黙ってしばらく見つめていると、先に部屋にいたらしき見覚えのない女が、抱擁を止めて颯汰を見た。子猫でも見つけたように目を輝かせ、その瞳を見て颯汰は一歩退く。一方、抱き付いた方であるリュドミラは引っ付いたままで言う。
「お土産だよ」
物扱いである。
「本当!? ありがとう、リュドミラ姉大好き!」
跳び上がることはできなかったがきっとそれくらいう嬉しかったのか、再び抱擁が始まる。
呆けた顔で颯汰はそれを見てから、指をさして何アレ何この状況は、と半ば助けを求めるように一歩下がって右にいる男の方を見た。
ガタイのいい鬼人族の大男。自国のガサツという言葉が似あう豪快な連中とは異なる。やはり国と文化――土台となる環境が違えば種族が同じとて育つ結果が異なるのは必然ではある。
男はむっつりとした顔のまま、視線は主たる皇女たちに向けたまま手を後ろに組んで待機している。黒衣に白シャツに蝶ネクタイという典型的な執事の恰好なのだが、ガッチリとした体型からはパワー系の要人警護が主な仕事のボディガードと思われる。逃げ出せば即座に首根っこを掴んで持ち上げて来るであろう男は、颯汰の無言の問いかけに対し、反応はしない。颯汰はつい男の上着を掴んでクイクイと二度引いて再び、あれは何なのだと言葉に出さずに問うと、
「家族愛」
とだけ男は答えた。
「なるほど。わからないわけだ」
理解できないことに合点がいった颯汰が肯いていると、男は静かに語り出した。
「喜べ、ヒルベルト。お前はそれを得られる」
何言ってんだ、と颯汰は声に出して返す。
その言葉の意味を理解するには少しばかり後となるが、ここで気付くべきであった。
意味を追及をする前に、女たちはやっと二人の世界から帰って来たようであった。
並ぶ女の顔は瓜二つ。
意図的に髪型や身に着けている小物を変えているが、双子ゆえにやはり非常に似ている。妹の方が前髪を編み込んでいるため目が隠れず、ハキハキとしてて声の大きさも丁度よく、対のような明るさを感じる。それでいて、大人の女性という印象を与える第三皇女オリガ。少し仲が睦まじいとも呼ぶには異様なほどに距離が近い気もするが、颯汰が遠い記憶を想起させるに充分な要素であった。颯汰には双子の妹たちが心配であるのと、寂しいという気持ちが無論ある。だが、何があっても元の世界に戻るという決意――自分が消えた数分後くらい後に転移さえすれば、何もなく日常が送れるに違いない、と彼は自分自身にそう思い込ませて、歩いてきた。
一瞬の寂寞が胸を内から突く。
それでも歩みを止めず、進むしかないのだ。
今の状況は、一見すると自暴自棄の選択にも見えるが――恭順した方がかえって面倒がない。
それに颯汰はリュドミラに、
『私、あなたの保護者の一人が賄賂を渡したの知ってるの。もしそれを報告すれば、他の“お仲間”にも迷惑がかかる、ね?』
このように脅されたのである。
リュドミラは、レライエが仕官の男に賄賂を渡したという事実を既に掴んでいて、黙ってついて来ない場合は、全員を拘束――あるいはそれ以上の罰を与えると、言葉にはせず暗に示したのであった。
この国に居るうちには皇族の命令は法であるし、不法入国者という負い目もあるため、事を荒げないで済ませるならば従うのが賢明だ。
『だからこんなとこ来たくなかったのに……』
そう呟いた颯汰は観念した様子であったが、表情からは絶望感がまったくない。面倒ではあるから苦い顔ではあった。自分を殺すつもりであれば、こんな回りくどい真似はしないだろう、と考えた。
それに、わざわざ第三皇女に引き合わせる意味がない。こちらを危険視しているならば会わせることなぞ無駄なリスクでしかない。
そしてまた、この女からも“魔王”の気配はなかった。
あまりに抵抗する気を見せずに大人しくついて来たお陰か、颯汰は目隠しを外されたままでいた。そこに防煙マスクを装着させられて、外へと出る。室内にある箱型の乗り物に乗せられると、金属の車輪が動き出す。
太いワイヤーロープを伝い、部屋の外へと乗り物ごと飛び出すと、いよいよ街が見え始めた。見覚えのない、景色に瞠目する。
これまでの世界観を一新するほどの異質感。
蒸気と金属群に溢れた街は、これまで見た光景と別物であると感じさせた。
颯汰は驚いて声が出せなくなっていた。
ドームの中は煙に包まれ、さらに技術が現代とは異なる独自の進化を遂げた世界が構築されていたのだ。ただ高所でビビっているだけではない。
「驚いて声も出ない感じかにゃー?」
オリガが声をかけてきた。
声が若干上擦っている風に思えたが、そのときは颯汰はイマイチ、ピンときてなかった。
実はオリガ自身の方が緊張をしていたのだと。
そんな中、颯汰は必死に街の構造を把握しようとキョロキョロと辺りを観察していたが、周囲の大人たちからは『見知らぬ珍しい光景に釘付けとなっている子ども』としか思われていなかった。
しばらくして、皇女オリガと従者三人、颯汰を乗せた箱は横方向ではなく、そのまま縦軸に切り替わって降下を始めた。
歪な形の帝都の暗部へと物理的に落ちていく。
オリガに手を握られていたが拒絶はせず、そのままゆっくり、降りて行った。
辺りは一気に暗くなった。
街灯が約四ムートごとに設置されている。
足元を照らすには弱い光だろう。
今はまだ地上に近い階層であるから、見上げた遠い空から、少しだけ光が見える。
僅かばかりの白の天上だけが自然の光。中央に座する皇居のある空中庭園。その下部には巨大鉱物が赤く煌めく。螺旋状の柱に縫い付けるように張り巡らされた金属製のロープたち。円形に沿って立ち並ぶ住居などを含めた建造物の集合体。
人工物が何百ムートも上へと伸びていた。
何か、踏み入れてはいけない領域にきたのではと颯汰は不安を覚えた。
――あれ? これちょっとマズいのでは?
金属製とはいえこの程度の手枷ならば、“獣”の力を使えばすぐに破壊ができる。そのうえ場を制圧し、脱出も容易であっただろう。
まさか帝都自体の構造が地下に大きな空間が広がっているとは思わなかった。
――普通の都市なら逃げ切れる自信はあったけど、ロープウェイとか独自の移動手段が必要となるとちょっと厄介だぞ……?
脅されているし、相手がこの国の最高権力者の娘たちであるから暴力沙汰は避けるべきだと理性では考えていたが、どんどん奥へ行くと脱出が困難となってしまった。それに、てっきり上にあるとされている宮殿の方に向かうとばかり思っていた。明るく見通しがいいだろうし、高所は苦手だが能力で一瞬でも足場を形成できれば、都市を包む透明な障壁はぶち抜いて逃げ切れる。
脱出経路が限られていそうな地下に移動されるのは、ただでさえ土地勘がないというのに暗くて厳しいものがある。
今からでも暴力ですべてを解決するべきかと考えた矢先、もうすぐ着くとオリガに告げられる。
手を引かれつつ暗すぎる路地の隙間を歩いていく。上層よりも格段に汚れが目立つ。張り巡らされた配管を横切り、水たまりを通り抜ける。足元も壁もすべてが金属で重圧感があった。
「着いたよ」
そこは、外観からは特に変わった様子のない金属の物体。家か店か、先ほどの隠れ家と似ているが、ひたすら周囲にヒトの気配が絶えた場所であるのはわかった。
一つ扉を開けると、玄関前の風除室のように空間であり、扉の先にすぐに扉が見えた。
その扉は鍵穴が付いていて、オリガが二人いる従者の女の一方に鍵を渡し、すぐに開けさせた。
鬼人の大男だけが警備員のようにその扉に背を向け待機し、残りの全員が中へ入っていく。
分厚い金属の扉の向こうは、深淵――。
歪な形の帝都の地下――隔絶されたに等しい暗澹たる世界が広がっていた。光が眩いほど、闇が色濃くなるのと同じく。奥へ行けば行くほど、管理が行き届いていない魔都であり、無法地帯となっていた、と颯汰はやっと気づくのであった。
「「おかえりなさいませ! お嬢様!」」
「うん、ただいま」
「…………」
出迎えたのは八人ものメイドたち。お揃いのエプロンドレスに御馴染みのホワイトプリム。
颯汰は驚きはしたが、今までよりは低調であった。ヴェルミにも使用人たるメイドたちはいたし、それに颯汰もアンバードで世話になっている。
種族はエルフが多めであるが、人族もいれば、魔人族もいた。
ただ気になる点があった。
ミニスカートなのはまだいいとして……見た目年齢が低く、エルフは間違いなく年上ではあるが颯汰と同年代くらいにしか見えないところだ。
――子ども、子どもばかり?
何かが引っ掛かるなと一瞬考え込むと、とあるワードたちが頭の中に過った。
『あなたのような身寄りの無い、天涯孤独の人族の男の子が必要だったの!』
『最近、帝都を含め――このニヴァリス帝国の各地で多くの子供たちが連れ去られる事件が起きているの』
奇しくもそれは、皇帝の娘たちからもたらされたものであった。
「……まさかー」
嫌な予感がヒシヒシと伝わる。
ニヴァリス領内にて主に児童が行方不明となっている怪事件が起きているとは耳にしていた。
――いや、決めつけはよくない。まだ、そうと決まったわけじゃない。この国の法の範疇で、親が認めてるパターンかも。それか子どもの奴隷か
颯汰は首を横に二回振って考えを飛ばす。
そこへ独りのエルフのメイドが近づいてきて主たるオリガと話し始めた。
「お嬢様。その方は――」
「新しい家族になる予定の子」
「え?」
意味不明な会話が聞こえてきた。
颯汰が、訳がわからないと口を開けて呆けていたら、メイドたちは迅速に動き出した。
とても素早く颯汰を取り囲む。
驚いて反応が遅れた。
メイドたちの手にはメジャーが握られ、身体中の寸法を測り始めた。
わっ、と驚いて抵抗する間もなく七人のメイドたちはサイズを測定し終えては離れていき、奥の部屋へとスタスタと流れるように入って行った。
突然の嵐に見舞われたと思った矢先、独りのメイドが何かをもって戻って来る。
「今、あなた様に合うサイズの服を用意致します。それまでは此方をお召しください」
はいと渡される……というより手枷で上手く受け取れないので目の前で広げられたのは、ヒラヒラと揺らめく――、
「メイド、服……だとぉ……!?」
颯汰の全身にかつてないタイプの悪寒が奔ったという。




